過剰防衛

責任感を身につけた夫

このころ、自分のカウンセリングでも夫の話をすることが多くなっていた。

夫がまた実家に行って話をつけてくると言い出したことをカウンセラーに伝えると、カウンセラーはびっくりしていた。私はてっきりカウンセラーから促されて夫がそうすることにしたのだと思っていたのだけれど、違ったらしい。夫のカウンセリングでは、お母さんの誕生日に行ってなにも話をしてこなかったことについて話し合っただけとのことだった。

カウンセラーは、きっとその話の中で夫に「自分がしっかりしなければいけない」という気持ちが芽生えたのだろう、と言っていた。たった一回でこの夫に「嫌だけど必要なこと」をやる気持ちにさせることができる、このカウンセラーは恐ろしいと思った。この人に出会えたことは本当に奇跡だと思った。

夫はきっと、「父親」が必要だったのではないだろうかと思った。今までずっと父親がおらず、義理のお父さんがいても本当の親ではないから、なにを言われても反抗するだけで終わってしまう。お母さんはあんなだし、誰も夫に「これをやれ」「そういうことはするな」と言って聞かせられる人がいなかったのではないか。だから「嫌だけれどやらなければならないこと」をしたことがなかったのではないか。

その後、夫のことはそっとしておいたのだけれど、翌日仕事から帰ってきて夕ご飯を食べたあとに、「ちょっといい?」と話しかけられた。びっくりした。

今まで夫は、自分からはなにもできない人だった。渡英したばかりのころ、三日間無視をしたあとに、職場に花が届いたことがあった。カードには「Please talk to me(話をしてください)」の言葉。面と向かって「話をしよう」のひとことも言えない人だった。ただただひたすら私のアクションを待つだけの、夫でもなんでもない、飼い犬のような人だった。

その夫が、自分から沈黙を破って話しかけてきた。衝撃だった。

さらに、話した内容がそれ以上に衝撃だった。

「やるべきことをいつまでも放置していることは、もうやめる。これからは、すぐやる。Kelokoをいつも不安な状態にさせておくのは、いけない。言った通り、今週末姉さんと母さんと話をしてくる。運転教習もすぐ行く。健康診断も予約してきた。他になにかある?」

いったいどうしたというのだ。

確かに、フリーランスで時間がある今のうちに免許を取りに行かなければ、という話はしていた。同様に、健康診断も。それでもなかなか行かなくて、けっきょく仕事がもう決まってしまったのだけれど。いいことだけれど、この変化はなんなのだろう。

びっくりしてこのこともカウンセラーに聞いたところ、どうも夫と次のような話をしたらしい。

なにかやるべきことに関して、私は心配しすぎるし、夫はお気楽にいつまでも放置する傾向がある。そこで私はたまに「どうなっているの?」と突っ込むわけだけれど、夫は「これが終わってからでないとわからない」のようなもっともらしい理由を述べて逃げてばかりいる。さらに私が突っ込めば、「自分のペースでやらせろ!」と逆ギレする。

私は夫の理由がしっかりしていればそれまで待つことができるけれど、夫は自分のペースでしかやりたくない。要は、私は夫に合わせられるけれど、夫は私に合わせられないのだ。

これが、私が「この人は一人で生きている」と感じ、一緒に生きている感じがまったくしない理由だった。

一人で暮らしているときは、それでもいいと思う。やることがあったとしても、自分のペースで、やりたいときにやればいい。でも人と暮らしているということは、自分のペースだけでやってはいけない。相手のペースも考えて、合わせるところは合わせていかなければならない。

夫はこういうとき、「ペースが合わないということは別れたほうがいいのだ」というような馬鹿を言う人だった。人にはそれぞれペースがあって、人それぞれなのだから、それを尊重して生きるべきだ、だから合わないなら別れればいい、という。

この考えかたにも、一理ある。日本人の場合はどちらかというとなんでも合わせずに、夫のような考えを少し持ったほうがいいとは思う。でも、なんでもかんでも合わなければ別れるというのはおかしい。その証拠に、夫には長くつき合えている友人が一人しかいない。それでは一生かけても一緒にいられる人など見つかりっこない。夫はそれでもいいと言う。自分は不適合者なのだと、だからしかたのないことなのだと。

でも、そうではない。夫は人に合わせることを学ばなければならない。

夫自身も、自分がいつまでたっても言い訳をしてやることをやらないでいるという認識があるのだ。自分でもそこがだめだと思っているわけだ。そこを私が突くから過剰防衛になって、「これが俺だ!人を変えるのではなく、ありのままのその人を受け入れることが愛情だ!」とアホ丸出しなことを言ったりする。それはもちろんその通りなのだけれど、これは「人を変える」のではなくて、「悪い癖を直す」というだけの話だ。

夫はこういうところが非常に巧妙だった。自己肯定感がなく過剰防衛に走る人は、なんでもするしなんでも言う。自分を守るために、ありとあらゆる手を使ってくる。母国語でも大変なのに、これを英語でやられるともうお手上げだった。毎回毎回、どこからどうすれば切り崩していけるのか、脳みそがなくなるほど頭を使った。自分だってトリガーされてつらいのに。本当に死ぬ思いだった。カウンセリングで知恵を得てそれを使いまくるのだけれど、夫はそれをもさらにねじ曲げて使って攻撃してきた。本当に救いようがなかった。

でもカウンセラーのおかげで、夫はひとつこれをやっと認められたのだと思う。夫がやり終わるまで、私はずっとそのタスクが頭から離れず、リラックスできない。そりゃあ歯ぎしりだってするだろう、と。他人から冷静に指摘されることで、認めることができたのだ。

またカウンセラーは、お母さんに気を使いすぎて自分の妻をないがしろにしてはいまいか、という話もしたらしい。お母さんの誕生日だから、お母さんが話したいことを話そう、自分だってネガティブな話はしたくない、そうだそれがいい、と正当化して、せっかく70ポンドもかけて出かけて行ったのに、なにもせずに帰ってきた。あなたの奥さんの気持ちはどうなるのだろう、と。

親に気を使うことも、よくしてやりたいと思うことも、普通だ。でも誰もお母さんをいさめることができない。唯一お母さんと喧嘩をするお姉さんであっても、最後は絶対にお母さんに謝ることになっているのだという。

カウンセラーいわく、たぶんこの子供たちは三人ともどこかに「お母さんに捨てられたらおしまいだ」という根源的な恐怖が残っているのだろうということだった。親が離婚すると、唯一自分のもとに残った母親がいなければ生きていけないと、子供は潜在的な恐怖を抱えるのだそうだ。再婚したとしても、「お母さんがいるから義理のお父さんは自分たちの面倒をみてくれるのだ」と思うのだ。お母さんに強く出ることができないのは、当然だった。

さらにこの家族には「メンタル的なことは話さない」という暗黙のルールがある。夫が話をせず帰ってきてしまったのは、当然の結果だった。

子供のころにすりこまれた恐怖は、それをどこにも出すことができないまま、誰にも認識されることがないまま、まだ潜在意識の中に残っていた。大人になった今、自分で生きていくことができるようになった今でも、それがトラウマとして残ってしまっているのだ。それに気づいて、「ああ、もういらないな」と認識してやるというステップを踏まなければならない。

以上のカウンセラーとの話をへて、「自分にはお母さんやお姉さん、妹などの家族がいる、でもKelokoには誰もいない。家族とも疎遠だし、その上遠い外国に来て住んでいる。Kelokoには自分しか頼りになる人がいないのだ。「夫の膜が取れた」でも思った通り、自分の健康をとても気づかってくれるいい奥さんではないか、自分のことをこんなに大事に思ってくれているではないか」というところへ、夫はまんまと誘導されたようだった。

そして「自分がKelokoを守るのだ!!」という小学生のような使命感に燃えて、お母さんのところへまた行って話をつけてくる決断をしたようだった。まさに「北風と太陽」の童話のようだった。

このカウンセラーは、本当に恐ろしいと思った。ただただ感謝の気持ちでいっぱいだった。

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怒りという感情のメカニズム

年始に「Authenticに生きた」ことから、「勇敢な私」を発見した。

このときの夫についてカウンセラーは、なかなかカウンセリングを予約しなかったこと、そして私がキレたときに自分もキレたこと、そこには「恐れ」があったのだろうと言った。

いったい「恐れ」とは。

このとき夫は私の誤解を解くために、お母さんとお姉さんのところへ話をしに行かなければならなかった。その話とは、両者の反感を買い、反論を受けるであろう話だ。自分と自分の妻が問題を抱えている、その原因は自分の生い立ちにある、となれば、お母さんの育てかたを批判することになる。

それを言わなくてはならない。なことだ。できれば逃げたい。カウンセリングに行ったら、これを話し合わなければならない。話したくなどない。だからなかなか予約をしなかったのだろうと。

その上、予約しなかった夫を私が責めた。口では謝ったけれど、それは通じなかった。嫌だけれど、やらなければならない。Kelokoからのプレッシャーが嫌だ。自分にこんな嫌なことをさせようとするKelokoが嫌だ。なんでそんなことをさせようとするのだ。嫌だ!!怒る!ということだろうと。

そこで「怒る」ことは、私にも理解できる。でもなぜそれが「恐れ」なのだろう。

カウンセラーいわく、「怒り」というのは二次的な感情なのだと。他の感情が膨れ上がりすぎてどうしようもなくなったときに、それを怒りに変換して破裂するのを逃れるためにあるのだということだった。

たとえば、「悲しみ」。悲しすぎてどうしようもなくなったとき、それ以上悲しみを味わうと破裂してしまうから怒りに変える。親にひどいことをされたとき、怒ることによって「実の親にひどいことをされた」という悲しみが極限を超えるのを逃れる。

「怒り」というのはいわば、人間が生きていくためのサバイバルテクニックのひとつだった。

「怒り」を解決するには、その下に隠れている感情がなんであるかを見る必要がある。夫はこのとき、「不安」だった。嫌なことをしなくてはならない、それはやったこともないことだったし、極度の不安を抱えていた。それが大きく膨れ上がり限界を超えかけたので、怒りに変換して生き延びたのだった。

私にとっては至極理不尽な理由ではあるけれど、このわけのわからない夫の爆発は解明できた。

というのも、私は夫がどれだけこれをやりたくないかということがもちろんわかっていたのだ。だからお母さんのところへ行っても、高い確率でなんの話もせずに帰ってくるだろうと思っていた。仕事の話だとか、家を買う話だとか、これからの世の中これがはやるだろうとか、そういうどうでもいい話だけをしてくるだろうと。

このころ夫はまだ、前進し始めたところだ。自分たちが取り組んでいることがどういうことなのかを、あまり理解できていない状態だった。だから今中途半端に話をしに行ってもまた反論されまくり、最終的に向こうの意見を鵜呑みにして帰ってくるだろう。それよりも、もっとしっかりしてから行ったほうがいいのではと思っていた。

だがカウンセラーは、何度もやればいいのだと言った。びっくりした。たぶんこういう壁は一度で壊せるものではないだろうと。今やって、たとえ逆流してしまったように思えても、何度かやって少しずつ進んでいけばいいだろうと言った。

はっとした。確かにそうだった。一度でなくてもいいのだ。今回少しでも話をすることで、「おや?」と相手に思わせることが重要なのかもしれない。「今までになかったことが起こっている」と気づかせることが。

夫の一家には、「メンタル的なことを話さない」という闇の掟のようなものがあった。どの家族にも「暗黙の了解」というものはある。この一家は仕事やお金の話はよくするのだけれど、「メンタル的な問題は自分の中にしまっておかなければならない」という暗黙の了解があった。

その中で育った夫。大学生のときにバイト先に刃物を持った強盗が入ってきたことがあったけれど、そのことも誰にも話していなかった。小さいころにいじめにあっていたらしいけれど、それも親に話さなかったらしい。私もこのときカウンセラーから初めて聞いた。

夫はそれほど、自分のことを見つめたり話したりしないようになっていた。

お姉さんもそうだった。「大騒動の襲来」の通り、「いつでも話しにおいでね」などと言っておいて、いざ私が問題を持ち上げたら叩いてきた。夫いわく、お姉さんだっていろいろと問題があるはずなのに、そういう話は一切したことがないと。集まれば毎回楽しくお食事をして終わりだった。

考えてみたら、このお姉さんもよっぽどおかしいと思い始めた。

大騒動の前夜」で私がSNSに書き込んだところにコメントをしてきたのだけれど、そこには「ママが面倒をみてくれるわよ」と書いてあった。私はてっきりこれを「まあひどい旦那ね、かわいそうに、ママが面倒をみてくれるわよ!」だと思っていた。お姉さんはわかってくれたのだと。でも実際は「ママが面倒みてくれるのだから黙っておけ」ということだったのだ。

確かに、お母さんが面倒をみてくれるだろう。でもポイントは、誰かが面倒をみてくれるかどうかではない。「自分の夫」が、その「」である自分が床に倒れているときに「無視をする」という状況に対し、これでいいのかというところだ。

お姉さんは自分が倒れたときに、旦那さんがそれを無視してもいいということだろうか。旦那さんは倒れたお姉さんをスルーして普通に生活していて、お母さんがやってきて面倒をみてくれるということでいいのだろうか。そんなわけはないだろう。

そう思ったら、耐えられない怒りがわいてきた。まさに、「慕っていた義理の家族にないがしろにされて悲しい」という気持ちが限界まで膨れ上がったものだった。携帯のメッセージでとっさにあんなに平謝りしてしまったことが、死ぬほど後悔された。

夫もきっと、お姉さんからこういう目にあわされて生きてきたのだ。私が毒親に会いに行くのと同じように、今回気づきがあった上でお母さんのところに行くのは嫌だろう。その気持ちはよくわかった

カウンセラーいわく、夫はそういう「嫌だ」という気持ちを出していいのだということさえわかっていないのだろうとのことだった。「行ったあとでカウンセリングで話したいと思っていた」と言いわけするのも同様。「嫌だと思っている」ということを私とシェアしない、自分の頭の中だけで思っている。

「一緒に生きている感じがしない」「夫は一人で生きている」と私が感じるのも当然だった。私の気持ちだけでなく、夫は自分の気持ちも出さなかったのだ。

では、どうしたらいいか。

カウンセラーは、「How do you feel about visiting your mum?(お母さんのところに行くことについてどう感じる?)」と聞いてみろとアドバイスをくれた。そうやって、夫の気持ちを出してやるのだと。出していいのだと思わせていくのだと。そして帰ってきたら「How did you feel?(どう感じた?)」と聞いてやるのだと。

この「Feel(感じる)」という単語が決め手だった。「How was it ?(どうだった?なにがあった?)」ではなく、「How did you feel?(どう感じたか)」。これを意識的に使うといいと。

私はいつも夫がカウンセリングから帰ってきたときは「どうだった?」「なにを話したの?」と聞いていたのだけれど、夫はいつも「忘れた」「たくさんありすぎて思い出せない」だった。そういうメンタル的なことを人とシェアすることに慣れていないのだと。「そういうことは出してはいけない」という暗黙の了解の中で育ったからだ。

だから、その植え付けられた暗黙の了解を破ってやらなければならない。「嫌だ」「やりたくない」という気持ちを出していいのだということ、そうすることは別に悪いことでも弱いことでもなんでもないのだということを、理解させなければならなかった。

そもそも夫は、自分は強い人間だと勘違いしていた。夫の家族がそうだったのだ。メンタル的な話をするのは「弱い人間」のすること。

It’s alright(大丈夫)
It’ll be fine(放っておけばいい)
Time heals all wounds(時が解決する)

男気で放置することが、「強い人間」だと思い込んでいる。きっとこれは多くのイギリス人の根っこにあるものだと思う。

でも実際はそれこそが「弱い」ということなのだ。現実を見つめられない、対峙できない。それをするだけの勇気がない。なのだ。

きっと、たとえば仕事の面接などであったら、夫も準備をして勇敢に出陣できるのだろう。でも「メンタルなことは持ち出さない」という家庭で育った夫が、その家庭に「メンタルなことを持ち出さなければならない」となったとき、そのプレッシャー恐れはいかほどだろう。確かに思った。

でも、少しずつでいいのだ。千里の道も一歩から。

透明人間

12月半ば、年末最後のカウンセリングになる予定だった。

この翌日から、私は一人で日本へ行くことになっていた。祖母の具合が悪くなり、迷ったものの、会いに行く決心をしたのだ。ちょうど一年前に実家へ行き、「予期すらしていなかった大災害」にあったばかりだった。それでもこのときは祖母に会いたかった。

このころ、夫との間は最悪な状態だった。「不安症の個人セッション3回目」に夫を連れて行き、これは私の問題だけではなく夫にも問題があるのだということを初めて認識した。そこからも何度も何度もそれを忘れてカーっとなっては、すべてを私のせいにしたりしていたけれど、「夫とヨガ師匠のカウンセリングへ」行くと、自分の問題をきちんと認識して話すようにはなっていた。それでもやはりこの「否定」は根強く残っていて、今でもカーっとなることがある。

そうなると今でも耐え切れないほど頭にくるけれど、当時は「怒り」ではなく「絶望」だった。だから「あの世とこの世の狭間」で揺れていたし、生きていられなかった。今はそこから抜けて「怒り」になっただけでも、私は大きく成長した。頭のおかしい人に理不尽な目にあわされても、死ななくて済むようになったのだ。

でもこのときはまだ、自己肯定感がそこまでは成長しきれていなかった。危ない状態だった。

夫はなにかを言われるとカーっとなって必要のない自己弁護で私の攻撃に走るため、手が付けられなかった。なにを言っても無駄だし、話はどんどん逸らされていった。とにかく「飛んでくるものをすべて打ち返さなくては」と思い込んでいるようだった。しかも本人にはその自覚がない。やっとわかってくれてきたと思ったのに、また何度も何度も永遠に振り出しに戻されて、私は絶望からさらにまた絶望するばかりだった。

でもこのときは今のカウンセラーがいた。なにがあっても、このカウンセラーのところへ行けばどうにかしてもらえるかもしれないと思えた。それだけが私の希望の光だった。

実家にいたときも、弁護士のようにきちんとした第三者に入ってもらえたら絶対に私が勝てると思っていた。でも子供の私にはそれができなかった。だからなにも変えることができなかった。でも今は違う。専門家に頼り、話を判断し、調整してもらうことができる。アドバイスをもらうことができる。

それでもつらかった。カウンセリングでも言葉につまり、泣き出してしまった。すると夫はそれをきれいに無視して、笑顔でカウンセラーに自分の話をし始めた。

カウンセラーはそれを見逃さなかった。「She is crying(泣いているよ)」と夫に返した。

今までにも何度もこういうことはあった。でも気づかなかった。その事実に愕然とした。

このごくごく最近になって、気づいてきてはいたのだ。「頭のおかしい夫」に書いたことがそうだった。夫には「私が泣いている」という現実が見えない。それが大きな問題であることに気づいた。

化粧水ふたたび」や「毒親対策」でも書いた通り、感情を無視されるということは、存在を無視されるということだ。私はすっかり親と同じことをしてくる人と結婚してしまっていた。

考えてみたら、夫に無視されてきたことはたくさんあった。私はずっと自分の存在を消されて生きてきた。透明人間だった。

たとえば私が「今日変な夢を見たんだ」と言えば、「あ、俺も見た!」とそこから自分の夢の話をしてしまう。私の「夢について話したい」という気持ちが見えず、「夢」というワードから自分の夢につながり、話し始めてしまう。私はそこで、自分の話したいことを抑えて夫の話を聞いてしまう。たとえ自分の夢の話をし始めたとしても、夫がつまらない素振りをするので手短に終わらせてしまう。

それはけっきょく、そうやって親の話を聞いてきたからだった。親の親になって、親のやりたいようにさせてきてしまったからだった。自分の話をしても、きちんと聞いてもらえなかったからだった。いらない突っ込みをされて、自分の気持ちをつぶされるだけだったからだ。

もちろん子供の自分には、それに従うことでしか生きていくすべがなかった。サバイバルテクニックだ。でも大人になってもうそんなことをしなくてもよくなった。それでも子供のころに身につけさせられたこのテクニックを、ずっとやり続けてしまっていた。これはもう必要がないのだ、「無視するな」と言い返していいのだ、そう認識することが必要だった。

夫は私が泣いているのを認識したが、なぜそこで無視をしたのか聞かれてもよくわからないようだった。私が泣いていて、心を乱しているから、自分の話をしようと思ったと言った。

それは私にもよくわかっていた。今まではそれを「笑いにしたり、つらい状況に触れないことで、ポジティブにもっていこうとしてくれている」という夫なりのやりかたなのだと思って、無理やり受け入れていた。でもそれは間違っていた。自分の妻が自殺しようとしたその後に、それを笑いにすることはどう考えても頭がおかしかった。

二人きりでいたら、こんな指摘はできなかった。カウンセリングに行って公平な第三者の目にさらされたことで、問題をズバリ取り上げることができたのだ。

周りの人に相談しているだけでは、これは絶対にできなかったことだ。夫は見た目にはとても優しい風貌をしているし、私のことをとても大事にしているように見える。夫自身にもひどいことをしているという自覚はまったくないし、「自分はポジティブなのだ」と思い込んでいる。周りにもそう捉えられてしまう。それでは問題は解決しない。

夫は、私が見えない。

私は、それがつらくて死にたくなる。

これがわかってきたことだった。「新たにわかってきた夫のこと」や「もっとわかってきた夫のこと」「自分の問題と夫の問題」でも書いた通りだ。

では「どうしたらいいのか」そこが問題だった。それには「どうしてそうなってしまっているのか」を解明することが先決だった。でもこのときはまだそこまで考えることはできなかった。

「こうしてKelokoが泣いて、どう思う?」とカウンセラーに聞かれた夫は、なにも答えることができなかった。ただただ泣いている私を見ているだけだった。その上、あろうことか自分も泣き出した。血の気が引いた。そして思い出した。こういうことは何度もあった。「なにもできない夫」だった。こいつは本当に異常だと思った。死んでくれと思った。

傷ついているのは、だ。夫ではない。泣くのはだ。夫ではない。

なのに夫が泣いて、つらい私を放置し、自分に注目を集めようとしている。信じられなかった。夫がつらければ、私はケアできる。でも私がつらいときでも、夫をケアしなければならない。実家で起こっていたことと100%同じことが起こっていた。まさに地獄だった。