連鎖

怒りを癒やす

それでも、ここで出てきた怒りはまだまだ不十分だった。

このときのカウンセラーも、怒りを出すことよりも先に、「怒りをコントロールする」という方向へ持っていく感じだった。私はまた、両親の前でしていたのと同様に、自分の気持ちを抑えながら、ものわかりのいいようなことを言うことしかできなかった。

起こすだけ起こされた私の怒りは、行き場を失って倒れそうだった。ここからどんどん落ちていった。よくなる前の膿出しだとはわかっていたけれど、つらかった。人に嫌なことを話してしまっては、あとで落ち込んで、消えてなくなりたいと思っていた。

カウンセラーは、クッションに怒りをぶつけるなどのアンガーマネジメントの方法を教えてくれるだけだった。あとで思ったのだが、もしかしたらこのときのカウンセラーは、似たような経験があって、怒りに対する恐怖心があったのかもしれない。それか、まったくこのような怒りの経験がなくて、これを目の当たりにして、怖くなってしまったかではないかと思う。

「怒りはコントロールするべき」というのは、本当だ。でも、そこにたどり着くまでには、その怒りを出してしまわなければならない。

この世には、「時間」がある。これは、一度にすべてのものが起こらないために存在していると聞いた。「時間」がなかったら、宇宙のありとあらゆることが一瞬で一度に起こってしまうからだ。

だから、ものごとには「順序」がある。「始まり」があり、いくつもの段階からなる「経過」があって、「終わり」がある。

毒親からの解毒も、「段階」がある。もちろん、キリスト教の「すべて許しなさい」という教えの通り許せたらベストだし、許すことで救われるのは間違いない。でも、そう言われたから、それがいいと思うからといって、今ある怒りを無視していきなり許すことができる人はいない。「無視」は「放置」であって、「解決」ではないのだ。ものわかりのいいフリをしても、周りの気が済むだけで、自分にとってなんの解決にもならない。

「感情」は、共感を得ることで癒やされていく。「怒り」は、それが正当なものならば「正当だ」と認められることで、癒やされていき、なくなっていくのだ。もちろんその怒りを創り出した毒親に認知されることが一番の近道だし、周りから認められることも大事だが、まず自分が認め、認識することが一歩だ。そこから自分の癒やしを経て、まずは自分が自分の人生をきちんと生きられるようになる。そこで初めて、毒親を許せるようになる。のだろう。

これは、子供が転んで泣いているときを考えたらよくわかる。「泣き止ませたい」と思った場合、「男の子でしょ!泣かないの!」と言っても、泣き止んだりはしないと思う。感情が無視されるため、「もっと訴えなければならない」と思い、よけい泣くようになる。「痛かったねー、びっくりしたねー」と共感を示されることで、感情が認識されたと思い、それ以上訴える必要がなくなって泣き止む。

だから、毒親育ちの人は親から謝罪があれば自分は許せると思っているかもしれないし、実際にそういう人もいるかもしれないけれど、私は謝罪はいらないと思っている。謝られたら許さなければならないから、むしろ謝ってなどほしくない。そんな簡単なことで、自分が味わってきたものをなかったことになんかできないし、謝られたところで、相手の気持ちをラクにするだけで私の癒しにはつながらないからだ。

なんに関してもだけど、この人間的なプロセスを無視する人が、あまりにも多いと思う。ゴールがどこにあるかがわかっていても、そこまでたどり着くには進まなければならないがある。なにかを成し遂げるには、やらなければならないことがいくつもあるのが常だ。そして、それには段階を踏まなければならない。

また、ゴールがわかっていても進めない場合もある。許すことが一番いいとわかっていてもできない場合、そこには解決しなければならない原因があるのだ。道が違うのかもしれないし、オートマ免許なのにマニュアルに乗っているのかもしれない。進み始めても、道がこんでいたり、車が故障したり、思わぬ事故に遭うかもしれないし、そもそも免許がないから徒歩で行かなければならなかったと気づくかもしれない。

「大人になれ」や「忘れろ」などフレーズがなんのひねりもない役立たずなのも、ゴールを提示し続けているだけだからだ。ゴールがどこかはわかっている。必要なのは、行きかた時間だ。

親から「痛かったねー」と自分の感情を認めてもらったことがなく、放置されたり、逆に「なに転んでんだよ!」と責められたりして育った人間は、たまりにたまったその感情を出すすべを知らない。出させてもらえたことがないからだ。大人になっても自分の感情をうまく出すことができず、行き詰まる。自分を殺してうまく回すコミュニケーションしかできず、人といることが苦痛になる。

また、自分に経験がないから、に対してもそうしてやることもできない。これが毒の連鎖で、自分の子供へ同じ思いをさせることになる。

自分の感情を事実と認め、自分の怒りを癒す。そこから、現在の自分の周りの人たちとうまくコミュニケーションして生きていく方法を学ぶ。そうする中で、自分の中での毒親の解決が自然とついてくるのだと思う。

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私に連鎖していた毒

私が夫に対して行っていた毒は、主に

 ①人に夫のことを悪く言う(家の外)
 ②夫をスケープゴートにする(家の中)

の二つ。

まず、①に関して。

日本人には、謙遜して身内を悪く言う習慣があるために、一見すると毒になんてまったく思えない。これが難しいところ。

私の場合、「白人と結婚」ということに対して好ましく思わない日本人の前では、夫のことを悪く言うとよく笑ってもらえた。また、愚痴を言うことで、外国や外国人というものに特別感を抱いているような人の前では、「別に特別なことじゃないんですよ」と示せて、共感を得ることができた。夫(彼)が外国人ということで、変に思われたり、意識されたりすることが極端に嫌だった私*は、これを大いに利用していた。

たしかに、日本人には「外国人」に対して変な意識があるけれど、それをそんなに極端に嫌がる必要もないし、たとえ理解の悪い人がいたとしても、なんとでも言いようはある。それを私は、夫の悪口を言うことで、笑いと共感を得て、自分の不安を解消していたのだった。

②について。

しかも、当時はイギリスのことが大嫌いで、イギリス人が大嫌いだった。安全で便利で未来的な国から来た私にとって、イギリスは蓋を開けてみるとひどい後進国で、イギリス人はそんなことにも気づいていない、先進国民ヅラした井の中の蛙だった。まあ、当たっていないこともないけど。悪く言えるところは、ゴマンとあった。

そんなイギリスにとって、日本が後進国と思われていることが気に食わなかった。日本のほうがよっぽど進んでいる、日本にいたときはこんなことあり得なかった、携帯が石器時代、食べ物が高すぎてまずすぎる、なにもかもが一度で通らない、正しいことをしてる人間が馬鹿を見る…こんな国に住んでる人間から、日本を下に見られていることが、心底いやだった。

それを、夫に当たった。毎日毎日あるいろんな不満を、夫がしたかのようになじって、見下した。そうすることで、嫌いな国で生きていくために自分を保っていた。①も同様だけど、自分の不完全さを、夫に当たることで、補っていたのだった。

その①も②も、まさに実家で私に対して行われていたことだった。

①に関して言えば、「日本人はみんなそうだよ」と言うと思う。じゃあたとえば、「謙遜」ではなくて、自分をよく見せるために使ったとしたら、どうか。

親戚や知り合いには、「娘から音沙汰がなくて心配だ」「あいつは親に連絡なんかしてきやしない」とふれ回る。そうすればみんな「お父さんお母さん心配してるよ」と、私に言うようになるからだ。周りには、子を心配する心優しい親のように振る舞い、私が親の心配を無下にする悪い娘だと刷り込み、周りを使って私から連絡をさせ、自己憐憫と優越感を満足させようとする。

私は実家にいるときから親と話をすることはなかったし、自立してからも連絡なんて数える程度しかしたことないので、もちろん事実と違うことは言っていない。でも、現実とはかけ離れた話である。ただ自分を満足させるために、娘のことを悪く言う。

本当に子を心配する親ならば、自分から子供に連絡をしてくるはずだ。だけど、渡英してからも、向こうから電話をかけてきたことは一度もない。これが現実。でも、普通の人はそこに「自分の親」や「普通の親」を重ねるために、「口にしなくても親っていうのは心配をしてるんだよ」と、現実を無視したことを言ってくる。こうして、問題は表面化しない。

②については、私の場合は、妹を含む家族三人からスケープゴートにされていた。

家で気に入らないことがあると、すべて私のせいだった。私のせいにしておけば、他の誰も悪くならずに済むからだ。「あの子は部屋が汚いし、だらしがないし、お金を使ってしまうし、悪い人間だ、だから、あの子が悪い」という、理由のない感じだった。

他の三人に共通することは、誰も「自分の悪いところを認められない」というところだった。私は、部屋が汚いし、片付けが嫌いだし、そういうところはそうだと認めている。逆に、自分は「だらしがない」わけでもないし、「お金を使ってしまう」わけでもないこともわかっている。でも、自分の悪いところを認められない人間たちと一緒にいると、私の悪いところばかりが自他ともにどんどん認識されていって、他の三人の悪いところは存在しないことになっていく。細かいところはどうでもよくなり、三人のうちの誰かと話が合わなくなると、「なにがあったのか」ではなく、「なぜあの子が悪いのか」というところから話がスタートするようになる。

そうすると次第に、私に対して、三人が口裏を合わせたり、ついには事実とは違うことも言い始めるようになる。そうやって、私ばかりがどんどんどんどん悪い人間になっていき、ますます三人に口実を与えていく。その上、①のように他人にも言い始めるわけだから、私はどんどんどんどん罠に嵌っていく。

実は、*のところに書いたように、人から誤解されることや変に思われることが極端にいやなのは、このためもある。少しの誤解でも、そのあとの底なし沼に続いていると感じてしまい、異常な恐怖を感じる。

そして、同じことを夫にしていた。もちろん、私に認識はなかった。うちの毒家族にも、そんな認識はまったくなかったと思う。でも、まったく同じことをしてしまっていた。家族とはそういうものだと、潜在的に学習してしまっていたからだ。毒の連鎖だ。

カウンセリング後

カウンセリングから戻って、夫にも内容を話した。これをやってみて、頑張るから、変わるからって。夫はこのとき、たぶん信じてなんかいなかったと思う。でも、私が悪いと思っていることは理解していたと思う。

カウンセラーから教わったことはけっきょく少ししかやらなかったけど、このときは、これに気づくことができただけで、人生最大の一歩だった。

たぶん、気づかない人は、気づかない。というか、今までのカウンセラー全員に「よく気づいたね」と驚かれた通り、ほとんどの人はこんなことでは気づかないのかもしれない。

私の場合は、まず自尊心が異常に低くて、自分の中に悪いところを見つけるのが得意だったのと、「実家に戻る」という選択肢が死んでもあり得なかったために「ここでこの場をどうにかしなければ死ぬ」と思ったところから、出てきた答えだった。①夫がどうにかできることではない、②実家には絶対行かない、③そしたら変わるのは私しかいない。これだった。

自分の家がおかしいことには気づかないことが多いみたいだし、ましてや自分もその異常に染まってしまっていることは、なかなか気づかない。私の妹は気づかなかったために、離婚した。離婚の原因をきちんと聞いたことはないけど、のちのちいろんなセラピーやカウンセリングをして、あの家のしくみがよくわかってきて、すると妹の離婚も当然と思うほど、理解できるようになった。

そう思うと、逆に気づかないほうが幸せかな、とも思う。妹のように、自分も毒に染まって、気づかず人生を送れたら、それはそれで幸せじゃないかな。離婚になったり、いろいろとうまくいかないことはあるだろうけど、それが許容できるなら、そうやって生きていくのもありだと思う。もちろん、気づいても、それをただ忘れ去って生きていくのもあり。自分の中の問題も、気づかずに過ごしていくのもいいし、気づいても適当にごまかしながら生きていくのも、ありだと思う。

でも、私は気づいてしまったし、解決しないと生きていけなかった。どうにかしなきゃいけなかった。

それまでの人生ずっと、だめなのはであって、自分ではなかった。自分は「虐げられてきた人間」であって、「かわいそう」なはずだった。でも、自分も同じことをしていた。「家庭」という密閉された空間で、夫を虐げていた。

毒が連鎖するのは、ここにある。どんだけ嫌だと思っていても、その家庭に育てば、その家庭しか知らない。「家庭」という概念そのものがそうなってしまっているため、家庭とはそういうものだと無意識に認識しており、無意識に同じことをしてしまう。

ましてや妹のように、嫌だとも思っておらず、染まりきってしまっていた場合は、無意識にも意識的にも、親と同じことをしてしまうのはどう考えてもしょうがない。そんな家庭に育っていない普通の人と結婚すれば、もちろん離婚もするだろう。

今までさんざんひどいことをしてきたのに、こうしてチャンスをくれた夫に対して、感謝の気持ちがあふれた。これからは、いい人間になろうと思った。

でもそのときは、「これに気づけて本当によかった」だけで終わっていて、ここからが本格的な道のりになるんだとは思いもしなかった。