解毒を実感

落ち着いた日々

引っ越しをしてひと月以上。荷物も全部移せて、なんとか落ち着いてきた。やっと人と会う気持ちにもなってきて、友人と出かけたり、話を聞いてもらったりもするようになった。

家を出たころのことを書いていこうと思ったのだけれど、気持ちが落ちてきたのでやめた。10以上も記事を書いたけれど、どれもまとまらなくなってしまった。気持ちが新鮮なうちにと思っていたのだけれど、焦っていたのかもしれない。少しずつ時間をかけて書いていけばいい。そう思った。

夫と離れて、生活はとても落ち着いた

わけのわからないところで激高して、コミュニケーションに尋常ではない忍耐を要する人がいない。会社の人も友人も、周りの人はみんなきちんとコミュニケーションが取れる。変な受け取りかたをする人がおらず、みんな普通に話して普通に理解してもらえる。安心して働き、暮らすことができる。それがこんなに心に平穏をもらたすものだとは。今までどれだけおかしな環境にいたのだろう。出てみて初めてわかった。実家を出たときと同じだ。

トイレも洗面所もシャワールームも、汚されない。夫はどういうわけか便が便器にへばりつく人で、毎日のようにブリーチをまかないとだめな人だった。日本にいるときに夫の滞在先のトイレが汚れていることはなかったので、イギリスの硬質な水のせいもあると思う。夫が汚すのに、夫は気にならないので、私が掃除をする。なのにきれいにした直後にトイレに入られて、きれいにしたことなど我関せず汚されたときなど、この人は本当になにも考えていないのだと落ち込んだ。

紙を置いてから用を足すように言うと、恥ずかしかったのか慌てていたけれど、それをしてもらってもまったく汚れないことはなかった。いつも私が掃除をしていた。今は毎日きれいなトイレで、毎日きれいなシャワールーム。それだけのことがこんなにも、心に平穏をもたらすことだとは思わなかった。

部屋もいつも整理されていて、気持ちよく過ごすことができる。私も子供のころから部屋が散らかっている人間だったのだけれど、思えばこの二年ほど、とにかく整理された生活をしたくなっていた。ものであふれた、乱雑な家での生活が嫌になった。

片づけない人にもいろいろ理由はあるけれど、その一つに「ネグレクト」があると読んだことがある。自分で自分の面倒をみられない、自分に対してネグレクトの状態にある。私の場合はまさにこれだったと思う。部屋をきれいに保つほど、精神的に余裕がなかった。それが解毒が進み、身の回りをきちんとする余裕が出てきたのだと思う。

もう一つは、解毒によって日々の生活こそを楽しみたいと思うようになったことだ。部屋をきれいに保つようになったのには、この理由がとても大きい。

夫は「目標」がないとだめな人だった。「自分のビジネスをする」だったり「好きなことを仕事にする」だったり。私も昔はそうだった。なにか目標があって、そこに向かって生活する。親から離れて自立すること、イギリスで生活を整えること、海外で仕事をした次は、自分のやりたいことを見つけること、それで生活できるようになったりすること、そうやって次々動いていった。

でも目標があると、そこに向かっている間は満たされない。満たされるのは、達成した一瞬のみ。すぐ次が必要になる。

そもそも、こういう動機で向かっているときというのは、なかなか達成しないようになっているものだ。夫もけっきょく、失敗するか、終わらないうちに次に興味が出てきてどんどん移っていく。「本物」でないからなんとなく興味が薄れてきて、その右肩下がりの空気から、どんどん気持ちが離れて次に目が向いていってしまう。

夫は普通に生活している人たちを「なんの目標もなくただただ毎日すべきことをして時間を過ごしているだけ」と言って、見下していた。人と違うことをしなければ、そう焦っていた。本人に自覚はまったくないけれど。毎回なにか目標を持って、そこに向かっていく。「成功する(かもしれない)」という考えがないと、生きていけない。そうやって自分をどうにか支えていた。

それが苦しい人生だと、私はようやくわかったのだ。

目標を持って生きていることが、いいことなのだと以前は思っていた。でも夫を見ていてわかることだけれど、けっきょくその目標というのも、人がやっているのを見て「自分もやりたい」と思ってやっている。自分の中から出てきたものは、一つもなかった。

バンやボートで世界中を旅したり、オフグリッドで生活したり、自然の中でサバイバルをしたりして、その動画を上げて生活している人たち。脱サラして都会の中で野菜を作り、それをレストランに売って生活し始めた人たちの話も。そんな動画を次々あさって、毎日毎日動画漬けになっていた。

「普通のつまらない生活」をしているくせに、そういうエキサイティングな人たちの動画にお金を払ってサポートして、自分もそこに参加している気分になっているだけのやつらになりたくない、自分も動画を上げるほうの人間になりたい。自分の生活をみんなが見て、いいなと思われるほうに自分もなりたい、と。夫はいつも言っていた。

私も、昔はその部類の人間だったと思う。世界中を旅行したり、いろいろなことをしたいと思っていた。でも私はもう、そんな生活はだった。

イギリスへの不満ばかりだった私」でも書いた通り、そんなことをしていても自分を満たしていくことはできないのだとわかってきた。海外ばかり行っていたのが、国内で自然の中をウォーキングするようになり、グランピングで火をおこして食事を作ったり、薪ストーブの前で暖をとりながら火を眺めたり、自然の中でただゆっくりしているだけで満たされるようになってきた。

ずっと、感じていた。ホリデーに行かなければ満たされないのであれば、年に数回しか満たされないことになる。人生の大半が、満たされない時間となる。生きていく上で、それはおかしくないだろうか。

私はどこかへ行くと必ず、お土産を持って帰ってくる。写真も大量に撮ってくる。そのときの感覚を、環境を、雰囲気を、エネルギーを、少しでも日常生活へ持ち込みたい。「ホリデーから帰ってきても満たされた感覚を感じ続けていたい」ということの現れだった。

でもそんなことは不可能だった。ホリデーはホリデー。買ってきたお土産も、毎日毎日出して眺めているわけにもいかない。

日常生活を思いっきり楽しんでいる人たちこそ、幸せな人たちなのだ。そんな風に日常で満たされているには、どうしたらいいのだろう。

家を買いたい。落ち着ける場所がほしい。もう引っ越す必要もない、追い出される必要もない、自分だけの家を買いたい。そこで趣味をしたり仕事をしたり料理をしたりと、落ち着いて日々の生活を楽しんでいきたい。家を好きなように改修したり、庭をいじったり、植物や野菜を育てたりしながら、毎日を楽しみたい

今はシェアハウスだけれど、それが叶えられている。整理された部屋で、システマティックな生活ができている。ハウスメイトはみんな自立していて、キッチンなどの共同エリアは使ったらきちんと片づけられている。ルールもないけれど、ゴミも気づいた人が出して、うまく回っている。週に一度クリーナーが来て、共同エリアは掃除をしてもらえる。庭もあるので、さっそく料理に使えるハーブを植えた。夏にはBBQもできる。

前のようなマンションではなく一軒家が並んでいるところなので、周りは家族連れが多く、若い人が騒いでいるようなこともない。偶然にも警察署が目の前なので、パトカーと警察官がしょっちゅう行き来しているせいか、治安もよさそうだった。

ここにいると、ほっとする。安心感を感じた。おもしろいのが、引っ越しする前日、前のシェアハウスで寝ていたとき、今のこの部屋で寝ている夢を見ていた。起きたらまだ引っ越していなくて、時間の前後がわからなくなった。それほど感覚的に訴えかけていた部屋なのかもしれない。引っ越してからも、習慣でたびたび部屋探しのサイトをチェックしていたのだけれど、ここよりいいと思う部屋はついに出てこなかった。前回は、部屋を決めた直後にもっといい部屋が出てきて、失敗したと思うスタートだった。やはりここは合っていたのだと思う。

徐々に料理もするようになって、英国スーパーとアジアスーパーで材料を買ってきて、お弁当を作ったり晩酌のおつまみを作るのも楽しくなってきた。まだ趣味を再開するところまでは回復していないけれど、これからここでやりたいことがたくさんあって、毎日が楽しい。

仕事も充実していて、ますますできることも広がり、ますます頼りにされることもできてきた。自分にぴったりの仕事で、こんなところがあるとは思いもしなかった。ここにこれたのも、解毒が進んだ自分にふさわしい場所がやってきたということなのだ。

私が夫と結婚したように、人は自分と似たような人がいるところに入っていく習性がある。だから今まで、どうしようもない上司のもとに就職してしまったたびに、がっかりしてきた。またこんなところに来てしまった、自分はまだこんな状態なのだと。でも今の会社に来れたことで、そしてここで尊敬できる人たちと働いていることで、自分もこの人たちと同じところにいる人間なのだと思うと、本当にうれしかった。そして、感謝でいっぱいになった。

やっと、普通の世界に来れた。そう感じる日々。それだけのことが、なんと素晴らしいのだろう。

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