自己表現

日本語カウンセリングを始める

喉の違和感に気づく少し前に、私はカウンセリングを始めた。「前世療法の対面セッション」でお世話になったセラピストが、個人でだけではなく、病院でカウンセリングもしていたのを見つけたのだ。落ちていく日々の中で、もうどうにもいられなかったので、夫にも相談して、通うことになった。

そこはチャリティ団体だったので、お金のない人も収入に合わせて受診できた。私はそのとき固定収入がなかったので、夫の収入は加味されたものの、かなり格安で受けることができた。回数が決まっていて、全部で20回程度のコースになっていたけど、それで十分だった。日本語もだけど、他にもいろんな言語があった。英語でのカウンセリングに自信がなかったのもあり、日本や日本人の様子を知っているカウンセラーのもとで、日本語で受けられることがとてもよかった。

当時は、「安いし、とりあえず」みたいな気持ちだった。でもこの一歩で、こんなにも多くのことを学べるとは思ってもいなかった。

初回は、基本的な情報や自分の精神状況に関する問診票を埋めて、それをもとに、このカウンセリングを通してどうなりたいか、どういうところを治したいか、などをカウンセラーと話した。私の場合は、このカウンセラーと前世療法などでもひと通り話をしていたので、話が早かった。とりあえず、当時気づいていた以下のことを治す目的とすることにした。

  ①自己表現が下手で、人とコミュニケーションがうまくとれない
  ②常に不安で、リラックスできない

当時のカウンセリングの記録を読み返して、このときすでに「不安」という単語が出てきていたことに驚いた。もっと後だと思っていたんだけど。

のちのちいろんな問題が出てくるけれど、けっきょく私の問題はすべてこの「不安」からきていたことを最終的に発見する。私が毒親から受けたの根源はこの「不安」で、そこからいろんな問題が派生していたのだ。

上記の問題二つに対して、このときカウンセラーと話した理由は、以下の通り。

  ①親からされたことが原因で、自分の感情を出さないようにしている?
  ②その親が自分の中に入り込んでしまっていて、常に自分を監視している?

①に関しては、まず相手に言葉が通じず、そして感情を出せば出すほど突き放され孤立していったので、話をしたり感情を出したりしなくなったということになる。これはたぶんされないとわからないと思うけど、人間は社会性のある生き物なので、こういうことをされると気が狂う。

例えば、今から英語も日本語も話さないどこかの辺境の部族の中に放り込まれたとする。しかもその部族の人たちは、日本人が嫌いだ。日本人が嫌いな日本語を解さない部族の中で、誰になにを真剣に訴えても、誰も親切に理解しようとなどしてくれない。つらくて泣いたり叫んだりすれば、お前は凶暴だ攻撃的だと攻められる。いいことがあって嬉しそうにしていると、なにかあやしいと疑われたり、調子に乗っていると思われて痛めつけられたりする。常に、相手の望むとおりにしていなければならない。しかも、相手がなにを望んでいるかもわからない。

前にも書いたけど、私が生まれ育った環境は、こんな感じ。

言葉がわからなくても、お互いに「相手の意図を汲もう」という意識がある場合はコミュニケーションが成り立つが、そうじゃない場合はいくら同じ言語を話すことができてもコミュニケーションはできない。そういう環境では、いくらご飯をもらえるからといっても、どうにかして逃げ出そうと思うし、自己表現なんかするわけなくなるし、そのうち自分の意思感情さえも失っていく。

②は、そういう親に育てられるうちに、自分の中にも親が入り込んでしまい、親がいなくても自動的に自分の感情を出さないようにしたりするようになっているんじゃないかということ。上にも書いたけど、そうやって生きているうちに、自分の感情を見失っていってしまうし、最終的には自分そのものがなくなっていってしまう。

人間にとって「感情を無視される」ということは、「存在を無視される」ことになる。例えば、「イチゴのかき氷が食べたい」と言ったとする。そこに「じゃあ麻婆豆腐食べよう」と言われると、「イチゴのかき氷が食べたい」と言った自分の発言がまるでなかったかのようになり、自分の存在そのものもなかったように感じるからだ。

そうしているうちに、自分の感情もわからなくなっていくし、自分の存在もわからなくなっていく。これが、毒親育ちが空っぽになって、バーチャルに生きるようになってしまっているメカニズムだと思う。

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前世療法で見たことの解説

「自己表現」が人生のテーマというところで、前回の前世療法(「前世療法の対面セッション」参照)の間にセラピストが感じたことがピッタリきたというので、教えてもらった。メモには、こう書いてあったそうだ。

  Can I be myserlf?(私自身になってもいいだろうか?)
  Is it ok to be myself?(私自身でいてもいいだろうか?)

これを聞いたときに、固まった。

このとき思ったことは、たぶん私は「自分自身でいることに対して自信がない」のだ、ということだった。自分に自信がなくて、いつも「人がどう思うか」「人からどう見えるか」を考えてばかりいたのはこのときもうわかっていて、それがすごく嫌だと思っていた。

だからこれを聞いて、きっと自分自身を出すことへの抵抗疑問があるのだろうと思った。衝撃だった。

思い当たることは、数え切れないほどあった。私の親は、私が「こういう人間だ」と勝手に思い込んでいて、そういう人間だからと、私を見下していた。子供の私は、「自分は違う」と思うんだけど、「でも大人の言うことだし、自分の親が言うことだから、もしかしたら私はそういう人間なのかもしれない」と、スーパー謙虚にいつも疑問を持ちながら生きてきた。

でも、今こうして大人になって、大人の教養と常識で当時のことを思い返してみても、やっぱり私は私が思った通りの人間で、それが正しかった。

まとめると、次のようになる。

  「自分自身」でいることを阻害されて育つ
     ↓
  「自分」がなくなり、わからなくなっていた(「自分がわからない」参照)
     ↓
  挙動不審になり、コミュニケーションがうまくできなくなっていた

自分があり、コミュニケーションがうまいと思っていたけど、それは違った。本当は、自分がなくて、自分自身でいることができない人間だった。

でもこのとき思っていた理由は、「人がどう思うかを気にしすぎて自分がなくなっている」だった。

セラピストには、

  「人に気を使わせている」と思っているということは、
  「必要以上に人に気を使っている」というのと同じことです。

と言われた。

細かいところでわけのわからない変な気を使い、それが余計に人に気を使わせて、もうデフレスパイラルみたいになって、抜け出せなくなることがよくあった。これが「親から自分自身を否定されて育ったからだ」というところに気づくのは、もっとずっと後になってからになる。

それでも、なにがなんだからわからなかったところから、自分の問題は「人がどう思うかを気にしすぎていて自分がなくなっていること」で、それを治していくには「自己表現を頑張らなきゃならない」というところまでわかったのは、大きな進歩だった。

あと、あとから見てみると、この時点で前世療法というヒプノセラピーをやってみたことで、潜在意識がどういうものかを体験し、そこからのメッセージを捉える方法を学習できたのは、大きな意味があった。これはのちのちに、人間の心理というものがどういうもので、人間は総合してどうやってできているのかというのを理解するのに役立つことになる。

前世リーディング

前世療法は、自分の潜在意識に問いかけて、過去生と言われる映像を見て、癒やしにつなげるというものだったけど、前世リーディングとは、単なる「リーディング」だった。要は、セラピストが、私の過去生について、見えるものをどんどん話してくれるというものだった。

これはちょっと、微妙だった。スピリチュアルリーディングになるんだろうけど、亡くなった家族など、知ってる自分の身の回りの話が出るならまだしも、自分も知らない話を延々と聞くだけなので、ピンとくるものがまったくない。

とりあえずここでは、「自己表現」が人生のテーマになっているんではないかということが出てきた。

言われた順に書き出してみると、

・守護霊

江戸から明治くらいの日本人男性。刺青師で、看板などの商業系デザインを行っていた。そのときの私は、その人の弟子。

・私と夫が一緒にいる過去生

私は、13〜14世紀のトルクメニスタン人男性。インテリア用テキスタイルのデザイナーで、かなり遅くに独立してからは、プロモーション系の仕事をしていた。夫は、ヨーロッパの女性で、少し身分の高い、きちんとした格好をしている。親に結婚を反対されたが、二人の意思を貫いて、最終的に認められて結婚した。

・すぐ前の過去生

ドイツ語圏の、頭にバンダナを巻いた女性。家が嫌で飛び出すが、スキルがないので、住み込みで子供の面倒をみたりする仕事しかない。

・来世

マッチョな男性。体格を活かして、原始人のような衣装を着て、俳優をやっている。

こんな感じ。ね、微妙でしょ…

夫婦の場合、過去生で見える映像では、男女が逆になっていたり、夫婦の特徴が逆になっていたりすることが多いらしい。なので、他にも特徴を聞いたんだけど、それがほとんど全部真逆だった。

これから見える私の性質としては、「商業とデザインの融合」や、「ビジュアルに関する才能」とのことだった。でも、事務系数字系ど真ん中の私には、もっとも当てはまらない言葉だ。デザイナーといえば、夫だ。単に、この日デザイン系チックな服を着ていたので、そんなことが出てきたのかと思わせる。

ただ、「自己表現」が課題なのではと言われたときに、ピンとくるものがあった。前述の、「挙動不審」と、「コミュニケーションができない」という問題だ。

自己表現がうまくできないから、挙動不審になってしまって、コミュニケーションがうまくできない。それはそうだ。当たり前か。

人生のテーマというものは、自分の中でもっとも苦手と思うものが出てくることが多いらしい。簡単だったら、課題にならないからだ。

例えば、60歳まで独身で子供を持たない女性に、「母性」というテーマがきたりする。子供を持っていれば、「母性」というテーマはわりと学びやすいかもしれない。でも、こうして難しい条件下に置かれるからこそ、本当の学びがある、といったような。

私も確かに、自己表現が全然できない。まず、「自己」そのものがない。この年で、ここからスタートなんて。

「自己」をつぶされて生きてきて、ここでそれに気づく。そしてまず「自己」を探し見つけ、そしてそれを表現していく。イギリスという異文化圏で、日本のことを知らない、理解できない人たちに囲まれるという、逆境の中で。確かに、この難易度を考えると、これが人生の課題なのかもしれない、とも思う。

そして、今まではものを使って自己表現していたものが、次の段階には、「俳優」という、自分そのものを使って自己表現をするようになる。これもなるほどと思った。でも、マッチョ嫌いだから、もう絶対に来世には行きたくない。死ねない。なぜだ、なぜマッチョ。俳優なら、他にももっとなにかあるだろうに…

余談だけど、ドイツ語圏の女の子は、私が自分でCDで見た過去生に似てると思った。頭にバンダナを巻いているのも、同じ。この人からのアドバイスは、「計画的に生きること」だった。自分が無計画に家を飛び出して、嫌な仕事しかできなかったから。私はそれが嫌だったから、家が嫌だったものの、大学卒業まで待った。これは「過去生からの学習」だったと言われれば、そうなる。

こんなことがわかったものの、私にとって前世リーディングは、あまり実になるものではなかった。興味のある人は、いろんなことが聞けておもしろいかもしれないけど。ただ、行ってよかったと思うのは、前回の前世療法の解説が少し聞けたのだ。