自己肯定

自分自身で生きるということ

新しい仕事が始まって半年以上。変化についていけなくなりそうなほど、なにもかもが違う環境にいる。

メンタル的には本当に何度も何度も波があって、正直なところ今でも落ちることはある。でも以前住んでいた駅を通ったり、夫を思い起こさせるものをなにか見るたびに、夫のことを思い出して凹むというようなことはもうなくなった。

それもこれも、今の仕事に出会えたことで本当に救われたからだと思う。こんなことがあるなんて思いもしなかった。

それまでの私は、「手に職」にものすごいあこがれがあった。会社などに頼らず、自分の能力で稼いでいける人たち。かたや、大学を出て企業に就職した「普通」の自分。だから「デザイナー」である夫がかっこよく見えていた。独立して食べていけるような職業。たぶんそんなところに強烈にひかれていた。自分もそうなりたいと思うようになっていた。

日本語教師の勉強をして、自宅で教えるようになった。でも「次のつまづき」で書いたように、二年でやめてしまった。毎日会社に行けばお金がもらえる会社員。そのよさがだんだんとわかってきた。

それでも通いやすい会社はなかった。日本より日本的な環境で動いている「日本の会社」。解毒しようと思っているのに、それを思いっきりはばんでくる。こんなところでは生きていけないと思っていた。やっぱり自分で仕事をし、生きていくべきなのか。そうすることでしか自由になれないのか。

夫はいつも言っていた。「自分が自分のボスになる環境で仕事をしたい」と。独立して、自分で自由に仕事をしたいのだと。

それがいいのだろうと私も思うようになっていた。儲かれば儲かっただけ自分のお金になる。でも好きなことをやっても、それで食べていこうと思うことはなかった。短期の学校に行ったりと、気になることを片っ端らから試して、ものを作ってマーケットに出店することもやってみた。売れれば嬉しかった。自分の作ったものを喜んでくれる人がいる。それでも、それを毎日毎日やっていこうとは思えなかった。

あのとき気づけばよかったのだ。マーケットに行く朝、いや前日からもう気が重い。なぜかはわからない。好きなことをやっているはずなのに、気が重くて重くてしかたがない。朝、家を出るときなど、もう嫌で嫌でしかたがない。あれはいったいなんだったのか。

今ならわかる。私の潜在意識が「こんなことはしたくない」と叫んでいたのだ。

自分でもよくわかっていなかったけれど、私が自分の好きなことを見つけ、それを仕事にしようとして進めていくと、夫はとてもうれしそうだった。すごく応援してくれた。Kelokoはこんなことができる、こんなこともできると。私がなにか興味を持ってそれをやってみると、「すごい才能だ!」「絶対売れるよ!」と言っていた。

そして言われるまま、マーケットに出したり、オンラインで売ってみたりした。夫からは「みんなが買うようなものをリサーチするといい」「こんなものが売れるんじゃない?」といろいろ言われていた。たしかにそうだと思っていた。

でも、私はそんなものを作りたいのではなかった。私は自分が作りたいものを作りたかったのだ。

だんだんとそれがわかってきて、これは趣味でやっていくべきものだなと思うようになっていた。そうすれば売れるかどうか関係なく、好きなものを好きに作っていればいい。仕事をして給料があれば、これは趣味として自由にできる。お金もかけられる。

そうして、就職活動を再開した。最初は、趣味をやりながらできるパートの仕事を探していたけれど、そのうちフルタイムでも探すようになった。ロンドンへの通勤がいらない、近所の英系の企業で。経理の経験があったので、そういう方面にたくさん応募した。

それでもまったく見つからなかった。地元の企業では、外国人であることが本当にネックだった。何年も経験があったり資格があったら違っただろう。どちらもない私、さらに日系でしか働いてこなかったおかげで、英語にまったく自信のなかった私。人材会社に登録に行くところでもう、こちらの人のようにすらすらとコミュニケーションが取れないことで自信喪失、挙動不審を繰り広げ、落ち込んで帰ってくるばかりだった。

もうあきらめかけていたころ。今の会社のリクルート部から直接コンタクトがあった。

地元で、日本の会社でもなくて、日本人を探していると。そんな会社が本当にあるのか。

でも、本当に、本当だった。日本の部門がものすごく伸びていて、日本語がわかる人をこちらのオフィスにも置きたいのだと。こちらの企業で、オフィスには日本人が一人もいない。お金関係の部門なので、経理の知識か経験がある人が望ましい。日本の企業で働いたことがある人なら、もっと望ましい。まさに私にぴったりの仕事だったのだ。

それでも、迷った。経理の経験を活かしていけば、これで食べていけるようになる、どこでも仕事ができるようになると、当時は思っていたからだ。せっかく少し経理をやったのだから、ここでまた別の道に行ってしまっては、また中途半端な経歴になってしまうと考えていた。

でも正直なところ、もう勉強などしたくなかった。特に会計関連など、まったくもって興味がわかなかった。数字の扱いなら得意だったし、興味はそこそこあった。でも会計経理を勉強したいなどとはこれっぽっちも思わなかった。

大きな会社だったから、三次面接くらいまであるだろうと思っていた。それが一次面接と、10分の面談だけで、ものの二週間で受かってしまった。面接合格ですと言われ、次の採用スケジュールを聞いたとき、「これで終わりですよ」と言われて本当にびっくりした。そんなんでいいのだろうかと思ってしまった。

とにかく仕事に就いて家を出たいと思っていたのもあり、これも縁だと思い、就職した。

入ってみてわかった。本当に、私のための仕事だった。

面接で「会計経理の資格を目指すのか」と聞かれたとき、きっとここで「目指して勉強しています」と答えたほうがやる気を見せられていいのだろうと思っていた。でもやっぱり「はい」と言えなかった。「実際の仕事をしながら経験を身につけていきたい」と、いつも通りに曖昧な答えかたをした。今まで受けた経理系の仕事は、これでどんどん落とされていた。

でもこの会社のこの仕事では、せっかく雇ってトレーニングをしても、そうやって勉強して資格をとったあとに経理に異動してしまったり転職してしまう人がいて、みんなから残念がられていた。実際に、私と同時期に入った資格を持っている人も、試用期間で辞めていった。資格を持つような人がやるような仕事ではないのだ。だから、資格を目指さない私のような人のほうが向いていたのだ。

そしてなにより、私は日本でもイギリスでも企業に務めたことがあり、渡英してからは日本とヨーロッパの間を取り持つ仕事をずっとしてきている。どちらでも生活経験があり、ビジネス環境の特性も理解していて、どういうところでつまづくやすいかもわかっている。今までずっと、なんとなくそのときそのときで見つかった仕事をしてきただけだったけれど、そのすべての経験が一本の線でつながった瞬間だった。

今までのことはすべて、私がしてきた経験はすべて、どれももれなく意味のあったことだったのだ。

それがわかったとき、身震いがした。勉強して新しいことを身につける必要もない。自分の新しい才能を探す必要もない。

このままの自分で、というより、このままの自分が、この仕事にはいいのだ。

そんなものが、しかも会社員で、見つかることなどないと思っていた。みんな会社員から始まって、最初は楽しいけれどだんだんつまらなくなってきて、自分のやりたいことを見つけ、手に職を見つけ、それで独立していく。そんな考えにはまり込んでいた自分に気づいた。

そんなもの、まったくの思い込みだったのだ。みんながみんな、手に職をつける必要はない。「会社員」という形態の中にだって、やりたいことや自分を思いっきり広げられる人もいるはずだ。

と同時に、きっとみんな誰しも、こういうスポッとはまるポジションがあるのだろうと思った。

誰もが、そのときのそのままの自分で、スポッとはまるところがある。

私も、今の自分で今のところはこの仕事がスポッとはまるけれど、これからまた経験を身につけていったら、違うところにこの「スポッ」が出てくるかもしれない。そうしたらそちらに移っていけばいい。そのときのそのままの自分でスポッとはまる場所。それがどこであろうと、常にそこにはまっていけばいいのだ。

これは以前やった「今を生きる」ということだった。この「スポッ」は、この記事でいうところの「充実ポイント」になる。充実ポイントは常に移動している。それに合わせて自分を移動させていく。そうすると常に自分を満たせていられて、将来も満たされたところへ行けるのだ。

今を生きるということ。自分自身で生きるということ。同じことだった。それがわかった。

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人を尊重し受容する

インターナショナルで様々な人たちがいる会社。それはまた、言葉だけでなく、様々な違いが受容されているということでもあった。

新人の私を含めた数人に、チームの人がシステムの使いかたをレクチャーしてくれることになった。ところがその人が、何度も同じことを言ったり、今すぐには必要のないところまで説明したがったりするのを見て、私は嫌になってしまっていた。自分が普通にやっていることがいかに大変で難しいかというスタンスでとうとうと語るので、またこんな面倒な人に出会ってしまったと、内心落ち込んでいた。

だが、そのレクチャーの終わりに。私と同じ日に入社したマネージャーが、その人に向かって「あなたの説明はとても丁寧ですね」「これからもどんどん人に教えることにチャレンジしていってください」と言ったのだ。

びっくりした。思わずまってしまった。

確かに、その人の説明はしつこい。でもたとえばコンピューターがわからない人からしたら、丁寧ともとれる。

マネージャーは、この「コンピューターがわからない人」でもまったくない。そういう人なのに、こういうポジティブな受け止めかたをして、ポジティブなコメントを本人にフィードバックしている。本人もうれしそうだった。たぶんこれからも頑張っていくだろう。

自分はなんてネガティブな人間なのだろうと、私は思った。

「しつこい」けれど、「丁寧」。私は「しつこい」しか見えず、すぐそこをダメ出しする。ここでほめてしまったら、ますますしつこくなっていってしまうのではと危惧すらする。教わる人がなにを求めているかを察知して、それをさっと出せるようでなければだめだと思う。

でもそんなところは、本人が伸びていく上で学んでいけばいいことだ。最も大枠で見たときに必要なことは、本人が前向きに進んでいけること。

最初から正解を出す必要はない。誰にでも段階というものがある。学んでいく課程がある。だったらやる気を伸ばすために、ここはほめるだけにしておいてもいいのではないか。本人が幸せで、頑張ろうという気持ちが出るほうが、本人のためにも周りのためにもなる。これが口座番号を間違えて一億円の損失を出すとかなら別だけれど、今絶対に注意して気をつけていかなければならないことでもなんでもない。

この職場では、「Learning Curve(ラーニング・カーブ)」という単語をよく聞く。なにか新しいことを始めるとき、最初からすべて完璧ということはない。カーブの角度は様々であれど、徐々に徐々に完璧に近づいていくもの。カーブの角度を決める要因もたくさんあって、もちろん本人の特性もあるだろうけれど、仕事の内容や、環境もすべてが影響してくる。

最初は試行錯誤でゆっくりと上がっていって、だんだん完璧に近づいていく。その余裕がきちんと考慮されている。

イギリスへの不満ばかりだった私」でも書いた。無駄を受け入れ、現実に生きる。

”人生はギリギリでは生きられない。常に無駄が必要だ。「無駄」とはなるべく排除しなければならないと教わって生きてきた。でも現実では無駄がなければ生きていけない。世の中は有用なものだけで構成されていない。洋服も体にぴったりで無駄がないものは着られない。”

そして、そういう人が受け入れられるということは、私も受け入れられるとういことだった。

上記のようにすぐ「しつこい」をピックアップする私は、自分に対しても常にダメ出しをしている。メールを出してから少しして返信がないと、言いかたが悪かったのではないか、気分を害してしまったのではないかと考え始める。なにをやっても、もっとこうやったらよかったのではないか、こういう誤解をされたのではないか、そんなことばかり考えている。

なのに、みんな「Kelokoが来てすごく助かっている」と言ってくれる。いつも。「確実に失敗した!」「今度こそやばい!」「これは無理だろう!」と心底確信したときでさえ。

衝撃の世界へ来た。今まで自分がいた世界が、がらがらと音を立てて壊れていくのを感じた。

きっとこれが、大人の世界なのだ。大人が活動している、現実の世界。

他にもわかりやすい例でいえば、勤務時間。フレックスなので、①一日八時間働くこと、②コアタイムには勤務についていること、の二つが条件。この条件さえ満たされていれば、遅くこようが早くこようが、いつも早く来ているのにたまに遅くこようが、完全に自由。自分で勤務時間を管理して、それが完全に尊重されている。

なにかの理由でコアタイムの出勤に間に合わなくても、会議が入っているとかなにかなければ、いちいち「あいつはどこだ」ということにもならない。出勤してきたときに「なにかあったの?」と聞いてくる人もいない。話好きな人は「今日電車遅れてるの?」などと聞いてくることもあるけれど、完全なるただの興味本位。みんなスルーなので、ちょっと寂しいくらい。

人にどう見られているか気にする人もいないし、人をいちいち気にしている人もいない。仕事が回っていればいい。

時間だけでなく、すべてにおいてこうなっている。本当に大人の世界だった。

日本的な会社が苦手な理由」で書いたことと比べてみると、びっくりするだろう。今久しぶりにさらっと見てみたけれど、本当に子供の世界。こんな会社ばかりではないと思うけれど。日本の政府や役所などは、これ以上にひどいところがありそうな気もする。でももう関係ない。ということにする。

イギリスの他の会社や組織がどうなのかは、わからない。たまたまここが、こういうところなだけなのかもしれない。日系企業でないからか、インターナショナルだからなのか、余裕のある会社だからなのか、理由もよくわからない。ただ、今までイギリスで何十社と面接で行ったけれど、こういう雰囲気をかもし出している会社は他にはなかった。たった一時間の面接ではわからない、ということもあるかもしれないけれど。

でもここが、今までずっと私が求めてきた環境であり、行きたいと思ってきた世界であることは間違いない。

わずか半年前にはまったく考えていなかった仕事だけれど、こんな偶然に驚きの毎日を過ごさせてもらっている。感謝の気持ちとともに。

人は、「感謝しなさい」と言われようが「感謝しなければ」と思おうが、頭からでは感謝することはできない。気持ちというのは自然に出てくるもので、頭で意識してできるものではなかったりする。「不安のサイクルと破りかた」でも習った。だから、感謝の気持ちが出てきたときが、感謝のとき。

今までずっと自分は「感謝のない人間」だと思ってきた。あまり感謝の気持ちというものがわいてくることがなかったのだ。でもこの環境で過ごし始めてからというもの、小さなことでいちいち感謝の気持ちがわいてくる。

「返信くれてありがとう」
「小さなことを気にしないでいてくれてありがとう」
「今の、悪いようにとらないでくれてありがとう」
「私のLearning Curveを尊重してくれてありがとう」

自分が気にしている細かい「間違い」が指摘されずに、自分がそのままで受け入れられる。もしくは、人がそのままで受け入れられ肯定されているのを見る。すると、普段みんながどれだけ人を受容して(=スルーして)生きているかがわかる。そうなってくると、普段自分がどれだけ細かいことを気にして生きている小さい人間かもわかってくる。そうすると、周りの人に対しても「こんなこと気にしててもしかたないな」とでも思えてくる。

また、そういう「ふところの深い」人たちに囲まれていると、自分を受容されて安心し、認めてもらえたと感じることもあってうれしくなる。感謝の気持ちが出てくる。そうすると、人のことも受容できるようになってくる。これがすごい。

頭への作用と、気持ちへの作用。毎日この両方が積み重なっていって、だんだんポジティブな人間になってくる。

そうするとまた、「私がこんなに変われるなんて」「こんな環境をくれてありがとう」と周りに感謝の気持ちが出る。そして周りに感謝をあらわしていくから、またそれが私に対する周りの感謝も呼んで、どんどんポジティブな連鎖を生み出していく。そう、ポジティブの連鎖。すごい。

ようやく、こんな世界へたどり着けた。ここからはどんどん伸びていくだけ。ポジティブの連鎖を広げられるだけ広げていきたい。

焦りの原因

十分味わう」で落ち着いたあと、なぜこんなにも落ちているのだろうと考えてみた。

それまで何度も焦ることはあっても、なぜだかよくわからなかった。でもこのとき初めてなんとなく理由がわかってきた。「子供を持つ」ことに対する焦りではと思ったのだ。

夫に「将来子供がほしいか」と聞いてみた。すると「50%50%」「どっちでもいい」という回答だった。そうではなくて、あなた自身はどうしたいのだと聞いてみた。すると「いらない」と答えたのだ。

それまでは、「できたらできたで」などと言っていた。自分が就職したときなどは、「これで家も買えるし、Kelokoは子育てすればいいよ」というようなことを言ったりしていたのに。あのときは正社員の仕事に就いて、なんとなく安心して大きくなってしまっただけなのだろう。夫は、本当はやはりほしくなかったのだ。私が思った通りだった。

夫は旅行が好きだし、きっと私さえうんと言えば、世界中を旅行して過ごすような人生を送りたいのだろうと思っていた。そういうことも言っていた。子供はお金もかかるし、自分たちのやりたいことだけやっていられなくなる。夫いわく、「人生は短いし、自分は自己中だから」と。

以前だったら「なんて子供みたいな男なんだ」と思っただろう。でもこのときは少し違った。確かに嫌な気持ちはあった。今は二人とも過去からの脱却中であって、きちんとした「大人」になっていないし、だから今はほしくないという気持ちはわかる。でも将来二人がきちんと「大人」になったときにどう思うだろうか、くらいのことは考えてほしいと思った。イラッとする気持ちはあった。

でも、と。だったら、別にそう「ほしくない」と言ってもいいのではと。

将来がどうと考えるのではなく、「今」自分たちはまだメンタルが子供の状態で、解毒して大人になっていく道を進んでいる途中。であれば、「」の気持ちをきちんと表現していいのではないだろうかと。

そう考えると、このころに落ちていた理由がなんとなくわかってきた。たぶん、めちゃくちゃ焦っていたのだろう。解毒を。4月になり、新年度にもなっていた。一年ももう1/4が終わっていた。早く治療をしなくてはと。早く大人にならなくては、そして家を買って子供を産まなくては、歳をとって不可能になる前に、と。自分がほしいかどうかもはっきりしていないのに。

だから、カウンセリングがもっと進んでいかないことにイライラしていた。自分が歳だと感じることにもイライラしていたし、子供を持つことを考えたら今のうちに行きたいところに旅行にも行っておかなければならないし、好きなものを食べたりお酒を飲んだりできなくなるから今のうちに日本にも行ってやっておきたい。早く家を見つけなければならないし、早く仕事にも就いておかないといけない。Etc、Etc…

そういう「制限」や「期限」があって、ものすごくすべてのことに焦っていたのだ。

でも、そうではない。もちろん、子供を産むには期限がある。でもはそういうことを考えている場合ではないのだと、改めて考えた。

なによりもまず、自分を確立することが課題だった。「自分がないということ」の花の図のように、自分がなく自分を支えるためにその他のものに頼っている状態というのは、とても不安定なのだ。自分を持って、ここをしっかり安定させることが先決だった。

そりゃあ子供を産めば、「子供がいないから親の気持ちがわからないのだ」と言ってくる親や妹に対して、言い返したりできるようになるだろう。愛情を注げる対象もできて、そこからいろいろな経験をもらうこともできる。

でもこのときの状態でそれをやってしまうと、「自分を支えるもの」を一つ増やすだけで、「自分を埋める」ことにならないかもしれない。きちんと自分を埋めてから、その先に、子供なり仕事なり友人なりと、「自分がやりたいこと」をしていくのが健全な人生を歩んでいく上で大事だと考えた。人生の手順を順に踏むのではなく、自分がやりたい人生を。

もちろん結婚して配偶者を得え子供を得て、その関わりの中で自分を回復していくということもできる。自分に「毒親育ちである」という自覚があれば。カウンセラーにもそう言われた。でもこのときの私にとっては、夫も私も回復途中という段階で子供を持ってしまったら、どんどん悪い方向へ向かってしまうだけなのではないかという恐怖が拭えなかった。そんな中で子供を持ったとしても、不安で自分がつぶれてしまうと思ったのだ。

そんなことでは心身ともに健康な人間を育てられるわけがない、と思った。自分一人だって安心して存在していられないのに、その上にもっと不安なものを担げるわけがない。これで夫が安定型ならまだいいけれど、夫などもっと不安定な存在だった。これでは無理だと感じるのは当然だった。

なにより、自分は子供がほしいわけではない。なぜそこを無視してしまうのか。馬鹿だ。

それならば、「今はいらない」でいいではないか。

ということで、もう子供とか考えないことにした。それまでも、考えなくていいと思っていた。でもやはり新しい年になり、新しい季節になって、焦りが出てきてしまったのだろう。なにかしなくては、次に進まなくては、と。

とにかく、自分を埋めること、自分の人生を回復することに集中しようと思い直した。回復した後に、子供がほしいと思ったらそれでいいし、年齢的に無理になっていたらもうしかたがない。無理になっていたとしても、回復さえしていれば、他に楽しい道を見つけられるだろう。だからけっきょく、焦る理由はなにもないのだ。

今を生きる」。それだけだった。

そう思ったら、なんだか少しずつラクになってきた。もちろん焦りはどこかしらにあった。試しに子供がいない人たちの話をネットで見てみると、理由はそれぞれだけれど思ったよりもたくさんいて、それも全然ありなんだなと思うようになってきた。イギリスでは特に、未婚だから子供がいないからでなにか言われることもない。今のメイ首相も、子供のいない既婚者だ。

子供を持っても、親の自分より早く亡くされた人もいた。夫だって、自分だって、同じだなと思った。結婚して一緒に暮らしているけれど、なにかあってお互いを亡くしてしまうことだってないとは限らない。なにかを支えにして生きることも幸せではあるだろうけれど、まずやはり自分を埋めてからの話だと思った。

子供より、夫より、仕事より、まず自分だ。自分がなにをしたいかだ。今はもうそれでいい。とにかく自分が回復しないと、なにも始まらない。年齢は失ったけれど、得られたものはたくさんある。それを大事にしていこうと思った。

人生はすべてオリジナル。私は私の人生を歩むしかできないのだ。そう思った。