潜在意識

エネルギーセンター

このころ夢にやたらと「」が出てきた。ちょうど「喉に問いかける宿題」のころと同じだった。

ひとつは、白い靴下の夢。白いコットンで編んで作られている靴下が一足、左向きに重ねてあった。白くて、新品。たぶん女性用だ。

もうひとつは、白い教会。きれいな木造の教会で、ワックスのかかった新品の体育館のような床を、裸足で歩いて行く。ちょうどチャペルの祭壇の裏側にたどり着いて、そこは白い小部屋になっていて、白い十字架の後ろにこれまた白いドアがある。ドアを開けると祭壇からコンニチハ、チャペルで礼拝をしている人たちをびっくりさせてしまう。私から向かって左側に白人系の人たち、そして右側に神父と黒人系の人たちが集まっている。全員ガンジーのような白い布をまとっていた。

さらに、ヨガの瞑想中にも同じような白い布を巻いた、それこそガンジーのような眼鏡をかけた男性が出てきた。仰向けに横になっている私を起こすように、屈みこんで右肩をポンと叩いてきた。それでびっくりして覚醒してしまった。

終わったあとに先生にこのガンジー(仮)の話をすると、少し話をしてくれた。

それにどのような意味があるのかはわからないけれど、その夢や夢の中の人に対して、私がどう感じたのかが重要だと教えてくれた。

右肩を叩かれた人に対しては、特に怖い印象はなく、ただびっくりした。だって、横になって瞑想しているときにそんな突然人が出てきて、びっくりしないわけがない。瞑想中はヒプノセラピーのような催眠状態で、夢と覚醒してる現実との間を行ったり来たりしているような感じだ。その中でこういう短い夢みたいなビジョンをいくつも見るのだけれど、まさか人が出てきて起こされるとは思わなかった。

先生いわく、このヨガニードラは「ヨガの睡眠」という意味で、「脳のリラクゼーション」だとのこと。

人は寝ているとき、体はリラクゼーション状態だけれど、脳は少しではあるものの動いていて完全には休まることがない。ヨガニードラは、この寝てもリラックスできていない「脳」をリラクゼーション状態にもっていくものらしい。

そうして脳がリラックスしている状態のときに、もしかしたら潜在意識が出てくるのかもしれない、それでそういった夢のようなものを見るのかもしれない、と言われた。ヒプノセラピーのようなものかと聞いたところ、それとは違うとのこと。英語だったのでよくわからなかったのだけれど、体の中にあるものは「感情」として記憶され、「エネルギー」として存在していて、これが潜在意識が開けたときに出てくるのではと。

感情 = エネルギー

このときはよくわからなかったけれど、これだけはなんとか理解した。「感情」というものは、目には見えないけれど、存在しているのだということ。電気というエネルギーも、目に見えないけれどもちろん存在しているし、それと似たようなものだとのことだった。

たとえば「悲しい」という感情は、「悲しい」エネルギーを持って存在している。その「悲しい」エネルギーが多くなると、体にも影響が出てきたりする。ストレスで胃腸が弱ってものが食べられなくなるなども、このせいだ。

だから普段生活している中でいろいろな感情が出てきて、それがエネルギーとして体の中に記憶されている。それが「夢」などの形で潜在意識から出てくるのではないか、ということだ。

最近やたらと夢に「白」が出てくるという話をすると、先生は「チャクラ」の話をしてくれた。

人体には「チャクラ」と呼ばれるエネルギーセンターが無数にあって、中でも大きなものが背骨に沿って7つあり、それぞれが特定の色と同じ波動で鼓動している。一番下の尾骶骨の辺りにあるチャクラは「赤」で、赤い色と同じ波動で鼓動しており、一番上の頭のてっぺんにあるのが「白」のチャクラだとのことだった。

この白のチャクラは、「すべてとの一体感」や「ニルヴァーナ」を意味しているとのことだった。

なんのことだかさっぱりわからなかった。でもなんとなく、もしかしたら私の頭と心が一体化してきているのだろか?と考えた。

「頭」ということで思い出したのは、このころ頭皮がひどく荒れていて、にきびもたくさんできてひどかった。そんな状態が、半年か1年くらい続いていた。私は界面活性剤を使わないシャンプーを使い、お酢のリンスで髪を流しているのだけれど、それにもかかわらずとにかく頭皮がひりひりとして止まらなかった。オイルケアをしても、ヘナをしてもだめだった。確かに、頭のてっぺんでなにかネガティブなエネルギーが発散されていたのかもしれないと思う。

とにかく、できることはいろいろな感覚に「Aware(知覚している)」でいることかなと言われた。難しいけれど、なにかわかっていくだろうかと期待していた。

今思うと、このころしょっちゅう出てきた「白」は、「これから色がついていく状態」だったのだろうと思う。一度まっさらになって、そこから自分をまた創り出していくところ。ガンジー(仮)に起こされたのも、ここから新しい人生、新しい一歩が「始まるよ」という気持ちの現れだったのではないかと思った。

実は、人間がなぜ毎日睡眠を必要とするのかは、今だ解明されていないらしい。物理的に、体自体はそんなに休まなくても別にいいらしい。ということは、やはり脳の休息のために睡眠が必要なのではないか。20分のヨガニードラが4時間の睡眠に相当すると言われるのも、頷ける。

日本で未来療法

日本で受けたヒプノセラピーの続き。

退行催眠で見えたものを使って、潜在意識に働きかけ、記憶の塗り替えのような作業を行った。とは言っても、本当の記憶を塗り替えられたわけではなく、そういう作業をすることで、心理的に癒やされようということだと思う。要は、イメージトレーニングと同じだ。

この方法は、のちに読んだアダルトチルドレンのワークブックにも同じ内容が載っていたので、きっとよく使われる手法なのだと思われる。なんだか幼稚に聞こえる方法だけれど、本を読んでやってみたときも驚くほど癒やし効果があって、びっくりした。人間の心というものは、意外と単純にできている。

最後に、「じゃあ未来を見てみましょう」と言われ、「え、未来?」と思ったものの、集中してみた。

山と森を背にした花畑の中に私は座ってて、蝶々がたくさん飛んでいる。何歳ぐらいかと聞かれてよく見てみたところ、びっくりした。今より若く、ほっそりした女性になっていたのだ。大喜びした。セラピストは「そういうこともあるかもしれませんね」と言っていた。

髪は黒いおかっぱのような感じで、白いワンピースのような服を着ている。五歳くらいのがはしゃいで周りを走り回ってて、まるで元気になった小さい私のようで、よかったなと嬉しかった。

私「でも私、男の子がいいんだけどなあ…」
セ「まあでも流れに身を任せるしかないですよ。じゃあ、未来の自分が近づいてきて、今のKelokoさんにメッセージをくれます。なんと言っていますか?」

ここで未来の私が立ち上がると、その後ろには、なんとハイハイしてる息子が現れた。思いが通じたのだろうか。そして、そばにがいたのも見えた。

未来の私からのメッセージは、「幸せに」というたったのひとことだった。

もっとなにか言ってくれると思っていたので、拍子抜けしてしまった。

セラピストに、「この幸せな感覚と場面をしっかり焼き付けるように」と言われた。やはり、イメージトレーニングということだろう。理屈ではなく、感覚で覚える。すると、その感覚が現実になる。私はいつも心配ばかりしててすぐ悪いイメージを鮮明に描いてしまうので、それが現実になってしまう。もっと幸せなイメージを描き、幸せな記憶を刻みつけないといけない。

セ「光が流れる滝があります。そこに入ると、ネガティブなものが体から出て、光の滝の中に溶けていきます。それが、パチっと弾けて消えていきます」

なんと、セラピストにそう言われる前に、私は勝手に滝に入っていた。黒いものが光の滝に溶けていくところも、パチっと弾けて消えてくところも、言われる前にそうなった。そこから潜在意識を閉じて、セッションは終わりになった。

1時間くらいだろうかと思っていたら、なんと1時間50分も経っていた。最長の、4時間セッションだった。本当にいろんなものがつまっていたのだと、しみじみと感じた。

この光の滝に入る瞑想は、また自分でやってもいいと思った。とにかくリラックスして、嫌なことがなくなるところをイメージし、安心すること。ここで見た「幸せな未来」を信じて、それがあるのだからなにも心配することはないのだと、信じる。夫もいるから大丈夫だと、信じる。思い込みが重要だ。

このセッションを受けてみて思ったことだけど、本当に言われる通り、過去のトラウマうつに効果的だろうと思った。「自分を変えたいと思う人全般」というか。潜在意識が見せてくれるヒントをしっかり見つめ、イメージでそれに働きかけ、新しい自分を作っていく。たぶん、慣れたら自分ひとりでもできると思う。

カウンセリングもいいけれど、問題は見つけられても、それを解決するのはまた別だと、このときは思った。でものちにカウンセリングをやってみて、やはりカウンセリングでなければできないこともあると思うようにはなった。ヒプノセラピーでも、日本に滞在してここで何度も受けられれば、完治できたかもしれない。ただ、私の場合は自分だけでなく夫の問題も出てきたため、ヒプノセラピーだけではどのみち解決にはならなかったかもしれないとは思う。

ヒプノセラピーは、問題の発見から解決まで使える。この一度ですべて片付いたとは思わなかったけれど、ある程度の問題もここでわかった。大きな自分で小さい自分を客観的に見ることにも使えるし、思い込み瞑想法など、今後に自分でできそうなことも学んだ。この「大きな自分」と「小さな自分」の考えかたは、のちに「アダルトチルドレン」という言葉を知ることによって、「インナーチャイルド」の考えかたを理解する上で、大きな意味を持つことになる。

これで使いかたとやりかたがなんとなくわかったから、セラピストに言われた通り、今後またなにか行き詰まることが出てきたら、「こういうことを見たいんです」と言って、イギリスでやってもらってもいい。少しずつでもいいし、ある日突然たくさん降ってくるかもしれないけれど、ひとつひとつ治していきたいと思った。

以前の「前世療法」も、このときにやった「退行催眠」と「未来療法」も、すべて同じなのだと思う。潜在意識に問いかけ、必要なものを見せてもらい、それを見つめ、イメージを使って変えたいところを変え、伸ばしたいところを伸ばして、癒やす。かなり効果的で、実践的な手法だということがわかった。

親に関してはますます怒りを深めたものの、それでも今はもう私には夫がいて、毒親にすがって媚びへつらわなくてもいい人生があるのだということに、改めて感謝の気持ちがあふれた。まだ歯軋りは続いているけれど、小さい自分の気持ちを理解し、潜在意識に働きかけて傷を埋めること、そしてこういう方法を知ったことで、新たな一歩になった。

日本で潜在意識に働きかける

日本で受けたヒプノセラピーの続き。

<場面4>の海で、小さい自分を引っ張って、誰よりも遠い沖まで連れて行った。大きい波がきたからそれに乗り、海岸へザッパーンと打ち上げた。砂が目に入ったものの、私がこの日セッションに持ってったペットボトルの水を出して洗ってあげて、痛くなかった。海の家に連れていって、かき氷と焼きそばを食べさせ、気の済むまでずーっと話を聞いてあげた。

それまでに出てきた小さい私はまったく話もしなかったのに、これがとてもよくしゃべった。劇的な変化に、びっくりした。

セ「小さいKelokoちゃんの表情、どうですか?」

生き生きとしていて、とても楽しそうだった。さっきとは大違いだった。やっと子供らしくなったという感じだった。こんなにしゃべりたいのを我慢していたのだと、驚いた。しみじみと感じさせられた。

こうしていつも自分を後回しにして、親や周りを優先し、それがさらに親を助長させた。ついには、話を聞いてあげて優越感をくすぐってやらないと、不満に思って私を攻撃してくるまでになってしまったのだ。小さい子が、どんなに大変だったことか。そりゃあ壊れるだろう。

日が暮れるまで話を聞き、それからようやく車に戻った小さい私は、疲れて寝てしまった。

セ「よく眠っているKelokoちゃんを、ぎゅって抱きしめてあげてください。『それでいいんだよ、あなたはあなたのままでいいんだよ、やりたいことどんどんやっていいんだよ、いつも私がついてるからね』って言って、抱きしめてあげてください。眠ってても聞こえると思いますから」

言われた通りに、小さい自分に語りかけた。「小さいKelokoちゃんを胸の中に入れてあげてください」と言われ、胸の中にきゅっと入れて、完了。

セ「じゃあ、さっきのテニスクラブに戻ってみましょう」

<場面2>に戻り、「お母さんのところに行きな」と小さい自分をけしかけると、コートの真ん中を突っ切って母親の元へ走って行った。

セ「たぶん怒られないと思いますよ」

本当に、怒られなかった。衝撃だった。母親は「あら、帰ったの」と、なんでもない様子だった。

セラピストに言われ、「小さい私が親の言いつけを守って我慢していたこと」「母親が楽しそうにやりたいことをしているのを邪魔したくなかったこと」「すごくいい子なんだよということ」を母親に伝えたら、母親が「ごめんね」と小さい私を抱きしめて泣いた。

テレビだったら、感動のシーンだったかもしれない。でもそれを見ている私は冷静に、「やっぱりけっきょくこいつに『理解してやりたい』という気持ちがなかったから、私はこんなに苦労することになったんだな」と、ふつふつ湧いてくる怒りをこらえていた。

セ「Kelokoさん、わかりますか?この子、寂しかったんですよ。でも、我慢してたんですよ。お母さんの邪魔をしたくないって、お母さん大好きなんですよ」

「私って本当にお利口でいい子だな」と思いつつ、そんな私を裏切り続けたやつが、本当に許せないと思った。確かに私を思う気持ちは本物なのだろうけど、どうしてそれが私のことを思いやることにつながらず、私に満足させてもらうことを期待する方向へしかいけないのだろう。しかもなぜ、それが叶えられないと私を攻撃さえしてくるまでになるのだろう。

セラピストにも、「Kelokoさん、子供なのにこんなに我慢してたらそりゃあ歯軋りしますよ」と言われた。幼稚園の先生である従妹にも、なぜ親が私の歯軋りを無視したのか、信じられないと言われた。三歳の園児が歯軋りをしていると聞いたら、家庭での様子を確認したり医者に相談するように言うそうだ。

そしてここでも小さい私を抱きしめて、「いい子だよ、頑張ったね、私がいつでもいるからね」と言い聞かせ、胸の中にきゅっとしまって、病院の場面へ戻った。

<場面3>では、病室のカーテンを開けて、パーティ仕様に飾り付けをし、人をたくさん呼んでケーキをあげた。でも小さい私は、怖くはなくなったようなものの、まだ遠慮してケーキに手をつけようとしなかった。困ったな、どうしたらいいのだろうと、たぶんセラピストさんも思っていたところ、驚愕の事件が起こった。

なんと、病室に突然が入って来たのだ。

やってきた夫は、いつもの調子でなにも考えてない人のいい笑いを浮かべながら、「食べちゃっていいんだよ、食っちゃえ食っちゃえ」と、本当になにも考えてない調子で小さい私にケーキを勧めた。最初は突然ガイジンが入ってきてびっくりしていた小さい私も、この調子に感化されて遠慮が吹っ飛び、おいしそうにバクバク食べ始めた。びっくりした。

私はもう感動して、びっくりしたのと嬉しいので突如号泣し、セラピストになにが起こったかもしばらく伝えられなかった。

セ「よかったですね!そっかー、旦那さん来てくれたんですね。よっぽど結びつきが深いんですね」

これは、たとえ自分にできないことがあっても、夫が助けてくれるから大丈夫なんだよと、安心するようにということなのだろうかと思った。配偶者が出てくることはなかなかないとのことだったので、結びつきが深いのだろうことは確かだった。でも今思うと、それはいいこととは限らない気がする。

ここでも、「大丈夫なんだよ、我慢しなくてそのままでいんだよ、私も夫もいつもいるからね」と伝えて、小さい私を胸にきゅっとしまい、最初の家の場面へ。

<場面1>では、さっきはわからなかったけれど、「Kelokoさん、この子どう思ってますか?」と聞かれ、「外に出たいのかな」と答えた。

セ「それと?」
私「それと…?なんだろう…」
セ「寂しいんですよ、この子。わかりますか?」

そう言われて、やっとわかった。私は、寂しかったのだ。

みんな外で遊んでいて、私だけ暗い家の中。一人で、寂しかったのだ。そんなことにも気づかないなんて、自分が恐ろしかった。

喉に問いかける」に書いた通り、カウンセリングで「感情」を挙げさせられたとき、最後まで「怒り」が出てこずに驚いたことがある。「喜哀楽」と言うように、人間の一番基本的な感情だけれど、けっきょくカウンセラーが言うまで出てこなかった。これも、怒りという感情を常に押し込めて生きてきたからだと言われた。

同じように、「寂しい」という気持ちを誰にも受け取ってもらえずに生きてきたから、わからなかったのだ。映画で同じシーンを知らない役者が演じていたらすぐわかるだろうことなのに、それが自分だというだけで、まったく気づけなかった。恐ろしかった。

こんなにも、自分の気持ちを押し込めることに慣らされてきたのだ。本当に毒親が許せないと思った。小さい子供にこんな思いをさせて、自分たちの満足だけ追求して、それを抜けようとする私をわがまま扱いして、本当に人間とは思えなかった。