気にしすぎる

カップルカウンセリング開始

二人でのカウンセリングが始まった。

「Marriage Counselling(結婚カウンセリング)」とも言うし、結婚してない人や同性同士のカップルで受ける人もいる。要は、「Relationship(パートナー関係)」での問題を扱うカウンセリングだ。

1回目はイニシャルカウンセリングで、「状況の把握」という感じだった。あとでよく考えてみると、基本的な質問を普通の会話の中でランダムにやっていたようだった。話をしていたのに、急にまったく違うことを聞かれたりということが何度もあり、面食らうことが多かった。

カウンセラーはきっと、とても頭のいい人なのだと思った。

以前のカウンセラーもよかったけれど、思えば初めから少しだった。カウンセリング室に入っても、なにも言わずに黙っている人だった。なにも始まらないから、椅子に座りなおしてみたり、ノートを出してみたりしたのだけれど、なにもなく。しばらくたってから、「あ、私はなにも言わないので、話したいことを話していってください」と言われた。

もちろんそういう「手法」であり、こちらに自主性を身につけさせる目的もあるのだろうけど、それを初めから説明しておくとか、まずは挨拶をしたりだとかして、あんな放置ではなく、もう少し話しやすい雰囲気を作ってくれてもいいのではないかと思った。

CBTのセラピストも、今度のカウンセラーも、そういう居心地の悪さは一切なかった。そして私がなんの心配もしなくていいところが、とてもよかった。

私の場合、どんな場所に置かれても、その場を回そうとしてしまうのだと思う。だから場が沈黙したりすると、どうにかしなければいけないと思って、もうフル回転してなにを言ったらいいかを探したりしてしまう。そんなことを常にやっている。

特に夫といるときは、なにもかもを私が考えて回している。夫は私がのせてくれる通りに好きなことをしゃべって、私のことは一切考えなくてよかった。私がのせてくれる通りに生活して、私が言うことをやって、なにも考えずに生きていた。二人乗りの船を、私が一人で漕いでいた。それで私が疲弊することになったのだ。

でもCBTのときも、今度のカウンセラーも、私がなにも考えなくても回してもらえた。それがとても心地よかった。なにも心配しなくても会話を回してくれて、私はただそれに乗っかってるだけで解決に少しずつ近づいていけるという。

だからもう会話の内容を考えたりせず、その場で適当に話したいことを言うだけにしようと決めた。

その中で、夫が「彼女(私)の家族の問題がもとになっていて」と言った。するとカウンセラーがすかさず「これは彼女だけの問題じゃないでしょ!これは二人の問題、50%50%(フィフティ・フィフティ)なの」と言った。

この時点では私も自分の問題がもとになっていると思っていたから、眼から鱗だった。

確かに私には、傷つきやすく、夫に依存しているという問題があった。でもその私と一緒にいるわけだから、私の問題は夫の問題でもある。その辺の認識が、まだまだ甘かったと思った。そして当の私がこんな認識だったから、夫はそれより格段に甘い認識だっただろう。

とにかく任せておけばいいと思った。生まれてから今まで何十年も、私はそうやって周りのことや相手のことを考えて世話して生きてきたのだから、私はもう考えない。そう思った。

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わけもわからず傷つく毎日

毒親がだめだった私にとって、古い日本的な考えかたがだめなのは当然だった。今のこの日本社会を作ったのは、そのまま毒親の世代だからだ。

別に、なにも「古い」ことが悪いわけではない。悪いのは、実情に合わなくなってきているからだ。孝行するに値しない人物なのに「親孝行」を子供に押し付ける毒親たちは、海外に出ても日本の考えかたのまま仕事をしている人たちそのままだ。どちらも実情に合わず、バーチャルだ。だから現実とのギャップでひずみが出る。

そのひずみに気づけない人が「毒親」になる。そしてひずみの原因を、自分の子供や若い世代のせいにする。家族での毒親、社会での毒親。そういう人たちのなんと多いことだろう。

今、社会のひずみの原因がこの旧世代にあることに気づく人が増えている。今までは旧世代から言われたことを鵜呑みにしてきた謙虚な若い世代が、「それは違う」と気づき始めている。多くの人が気づくことによって、実情に則した暮らしやすい社会を作っていけるようになると私は思っている。

そこに行き着くまでは、旧世代のやりかたや考えかたをスルーし、押しつけられそうになった場合のみ意見を言って、変えられるところから変えていけばいい。会社で会う人がどうであれ、「自分は自分」としていればなんの問題もない。

でもそれができない。毒親育ちで旧世代のやりかたや考えかたがトラウマになってしまっているから、それに直面したときにどうしてもかわせず刺さってしまう。自分がないから「人と人との境界線」がなく、相手のやりかたや意見がそのまま自分の中に入ってきてしまう。

普通なら「自分はこう思うけど、相手はこう思っているみたいだ、じゃあこうしよう」と、自分の考えと相手の考えの二つを目の前に置いてみて、どうするか考える。どちらか一方を採用してもいいし、それぞれをどれくらいずつ混ぜたらいいか考えてもいい。
kangae futsuu
でも私の場合は「自分はこう思う」の部分がないため、「相手はこう思っているみたいだ、じゃあそうしよう」と相手の考えを自動的にそのまま取り入れることになる。
kangae watashi
でもそれにだんだんと違和感を覚え、傷つくようになってきた。「自分はこう思う」の部分が存在を主張し、見えるようになってきたからだ。なんだかわからないけれど、なんだか傷つく。なにかがそこにある。

そこでその違和感を無視せず見つめてみると、「自分はこう思う」を認識できるようになってくる。そうすると、「自分はこう思うのに相手の思う通りにやってしまっているから傷つくのだ」とわかるようになってくる。

すると当然「相手の思う通りにしたくない」と思うようになる。自分の思いを察してくれない相手を責めたり、イライラしたりするかもしれない。でもどうやって「自分はこう思うので」を相手に伝えたらいいのかわからない。最初はとにかく相手の考えを打ち消し自分の考えだけを残すことしかできなかったりして、相手をびっくりさせたり失礼になってしまうかもしれない。

でもそこであきらめてはいけない。自分の気持ちを見つめ続けていくことで、もっと早い段階から自分の気持ちに気づくことができるようになり、しだいに相手に失礼にもならずいいタイミングで自分の考えを上手に伝えることができるようになってくるはずだ。

でもこのときの私は、まだそんなところまで到達できていなかった。会社で自分の考えを伝えることもできず、日本的な考えかたをスルーすることもできずに、ただひたすら傷ついていた。なんでこんなにもただ会社で仕事をするだけのことができず、苦しいのかわからなかった。

失敗から得られるもの

スピリチュアルカウンセリングの、最後。

このときのミスは、金曜日の終わりに起こった。作業をして東京へ送らなければならないものが残っていて、それが何度やっても成功せず、これをやっては他の仕事が入ってきて、それが終わってはまたやってみて、でも成功しないうちにまた他の仕事がやってきて、というのを一日中繰り返していた。

最後には、プリンターが詰まったりしてパニックになり、終業時間も迫ってきて、それで考えずにそのまま送ってしまったのだ。

送ってしまってオフィスを出てから、なんであんなことをしたんだろうとまたパニックになった。冷静なときだったら、絶対しないことだった。でもいろいろなことが重なって、ふいに送ってしまった。月曜日に東京が開いたら、すぐこれを見つけるだろう。返信で注意されて、それを上司も見るはずだ。パニックになった。

こういう状況があったとき、できることは二つ。

 ①やりかたを聞く
 ②その場に聞ける人がいなかったら、誰かに連絡して聞く

このとき、聞ける人が周りにいた。それでも聞かずに送ってしまった。

今考えてみると、この仕事は「会社のやりかた」を覚えるところが重要なため、なんでも細かいところまで確認する癖がついていた。社外から来た私には、まったく知識がないからだ。でも、周りの「社会人経験=勤続年数」という人たちからすると、そんなことは聞くまでもないことだ。だから「そんな当たり前のことまで聞くのか」と言われたことがあった。

だから「馬鹿だと思われたくない」という気持ちがあったのかもしれない。「あー嫌だなーまた聞かなきゃいけないんだー」という気持ちがあったのかもしれない。そしてそれが無意識に出てしまって、このとき人に聞かずに送ってしまったのかもしれない。

何年も働いたあとでは、聞けなくなる。新入りの今だからこそなんでも聞けるというのは、人間として自然なことだ。「小さいことも大きなことにつながっていると思うので」と言えば、「ああ、小さいことだとわかっているのだな」と理解してもらうことができる。その人の性質的に、私のことを「なんでもかんでも確認する人」と思ってしまったのかもしれない。でも私の意向は違ったわけで、そこを説明しさえすればいいのだ。

それプラス、起きてしまった今、できることは二つ。

 ①やりかたを確認しておくことと、連絡できる人を用意しておくこと
 ②起きたことをどう受け止めるか

まずは①、「きちんとしていたい」という自分の気持ちのために、次のために用意しておく。「念の為に同じことがあった場合に」と連絡先を聞けば、「ああこの人はミスはしたけれどもきちんとしていたいんだな」と理解してもらうこともできる。

そして②、そうしていくことで、「馬鹿だと思われたくない」という気持ちが解けていって、「自信」になっていく。失敗をする、すると覚える、それが自信になる。失敗するのが怖いからではなく、「明日できることだけど今やっておこうかな」くらいの気持ちで準備をしておけばいい。

前世療法で見たことの解説」でも書いた通り、私は「人がどう思っているか気にしすぎてつらい」という問題があった。この「気にしすぎる自分」がなくなったら、ものすごくラクになれる。「馬鹿だと思われる」と思っている、この自分、これを消すのではなく、他のものに「変換する」。「自信」にだ。

あるものを「なくそう」とするのではなく、変換して「違うもの」にする。同じエネルギーでも、周りを気にして悩むのではなく、進歩的に考えを進めていく。それによって、仕事だけでなく、「あれもできるようになった」「これもできるようになった」ということが増えていき、自信になる。そして、「自分」でいられるようになる。

そういう環境が今、用意されている。始めたばかりではあるけれど、この1ヶ月の間にもう何歩も進んでいる。これを有意義な機会として、できる限りのものをもらおうとすればいい。今回のことで大きなことが得られたので、このミスは大きな問題ではない。得られたもののほうが大きければ、それは自分にとって問題ではないからだ。

自信をつけて、自分でいられるようになる。たしかに、これがここでの課題だった。

最後に、歯軋りについて聞いてみた。これは、肉体的な構造上のものと、休んでいても力が入ってしまうというもので、心身両方からくるものだとのこと。肉体的には、気づいたら力を抜いたり、頭のマッサージをしたりすること。精神的には、気になっていることをほどいていくことで、これはすでにそこに向かって進んでいて、ヘルプもあるとのことだった。