気づき

愛着障害のカウンセラー

GPと相談」して、NHS(国保)で心療治療に回してもらったのだけれど、同時に念のため個人のカウンセリングも探し始めた。NHSは無料だけれど、始まるまでにどれくらい待つかもわからないし、しかも始まったとしても愛着障害に詳しいかもわからないし、時間に融通がきくかもわからない。

夫婦で無職になるのに、自費で週に二つもカウンセリングをするなんて狂気の沙汰と思われるかもしれないけれど、もうそんなことには構っていられなかったし、とにかく最善を尽くすことしか考えられなくなった。

お金のことは、よくなってから考えればいい。よくならないと死ぬかもしれないのだから、そうしたらどうせお金は要らなくなる。なら今使うしかない。そう思った。

愛着障害」が主要な問題だと思っていたので、それを専門にしているカウンセラーで、通える範囲にいる人を探した。迷ったけれど、よさそうな人を一人選んで、予約してみた。1時間50ポンドと、よくある金額だった。

初回は状況の説明も兼ねて、とりあえず二人で行ってみた。でもこちらでは私の問題をやって、relateのほうで二人の問題を続けてやっていくことになった。必要な際は、こちらに夫にも来てもらうという形だ。

メンタルヘルスの報告書をメールで送っておいたのだけれど、それにもかなりきちんと目を通しておいてくれたようで、嬉しかった。もちろんこれだけでは全容はわからないだろうけれど、そのときの私の認識を把握してもらうという意味では、かなり時間が省けるだろうと思った。

このカウンセラーのスタイルは、「Interactive(対話式)」だと言っていた。カウンセラー自身の体験も話してきて、「自分も問題があってそれを乗り越えたから大丈夫」と言っていた。「乗り越えられるのだ」という希望が持て、「この人も似たような経験をしているからわかってもらえる」という安心感が少しできた。

こういうスタイルは初めてだったし、自分に合っているかはわからなかったけれど、何度か通ってみようと思った。

この日に話をしてみて、ポイントは「癒やし」なのかと思った。

実家から出て「自分の人生」を歩み始めたと思ったこと、夫と出会って結婚して本当の家族ができたのだと思ったこと、でもそうではなかったのだと絶望したこと、親にされていたことと同じことを夫にしていたと気づいてショックだったことなどを話した。

私の気づき」の前の私は本当にひどかったので、そのことを思い出すと、当時の私は涙があふれて止まらなかった。イギリス生活での理不尽なことや、うまくいかないことを全部夫にぶつけ、そんな理不尽なことをされてるにも関わらず、私を放り出さずに頑張ってくれていた夫に、またひどいことをして。

でも、「そうしてしまうのは当たり前」と言われて、びっくりした。

「あなたと同じ環境で育ったら、私だって旦那さんだって誰だって、あなたと同じようにしてしまう、あなたが悪いわけではない」と言われたのだ。そこで気づくことが重要で、そこからが変化になるわけだから、それがあってよかったのだと。自分を許して、進んでいく、というようなことを言っていた。

そんな風に考えたことがなかったし、確かに私はこれをずっと引きずって生きていた。こんなところまで解きほぐしていけるのかと思い、希望が持ててきた。

私がひどい人間だったわけではなかったのだ。しかたのないことだったのだ。

もちろん、被害を受けた人にとってはたまったものではないだろう。けれど、私にとってはそう思うことが解毒のためにすごく大事なのかもしれない。「毒親というワードに遭遇」したときもそうだったけれど、自分は少しも悪くなかったのだということ、そこに気づくことで、癒やされ回復していくのだ。

「あなたは病気ではないのだ、単に育った環境からそうなってしまっただけで、誰だってあなたと同じ環境で育てば同じ問題を抱える、誰だって同じなのよ」とも言われた。私はこれが自分のせいだと思ったことは一度もなく、親のせいだと思っていたけれど、でも自分は人と違っていると思っていたということは、けっきょく自分のせいにしていたわけだ。

そうではなく、私が変わっているわけでもなんでもなく、誰だって私の環境になれば私と同じような問題を抱えるということ。このとても重要なポイントに気づかされた。

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「愛着障害」

共依存」を教えてくれた友人から、「愛着障害」という本が届いた。

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「愛着障害 子ども時代を引きずる人々」岡田尊司著

「はじめに」のところを読んで、仰天した。

「なぜ、人に気ばかりつかってしまうのか。なぜ、自分をさらけ出すことに臆病になってしまうのか。なぜ、人と交わることを心から楽しめないのか。なぜ、本心を抑えてでも相手に合わせてしまうのか。なぜ、いつも醒めていて何事にも本気になれないのか。なぜ、拒否されたり傷つくことに敏感になってしまうのか。なぜ、損だとわかっていて意地を張ってしまうのか。」

読み始めて3ページで、当時の私のことがすべて書かれていた。恐ろしくなった。

と同時に、「ドンピシャなものに行き着いた」という興奮にも包まれた。

「愛着」という単語がわかりづらくてピンとこなかったのだけれど、英語を確認してみてわかった。英語では「Attachment Theory(アタッチメント・セオリー)」と言うらしく、これを日本語に訳したのだろうと思った。「愛着」と日本語で言うと、対象が「もの」であることが多い気がするけれど、それと似たものを「人」に対して持つということなのだと思う。

「Attachment」には「メールの添付ファイル」という意味もあったりするので、なにかにくっついている感じ、また執着に近いような感じ、くっついていて離れられないようなニュアンスもある気がする。

簡単に言うと、安定した「愛着」は、主に生まれてからの母親との「適切な関係」で生まれるとのこと。生後6か月から1歳半くらいまでが重要らしく、2歳くらいまで母親のもとで適切な関係でいられると、安定した愛着形成がされるらしい。

適切な愛着形成がされると、子供の中に「安全基地」が確立できて、その後の人生において人とのコミュニケーションがうまく取れるようになる。「安全基地」が確立できている人は、外界のストレスにも強く、仕事でも対人関係でも積極的に取り組めるとのこと。

これはまさに「アダルトチルドレン」のところで書いたことと同じだ。

子供は「小さな体の大人」ではなく、「ペットボトル」のようなものと考える。最初は空っぽで、生まれてから適切な愛情をどんどん入れていって、満たされたところで完成する。完成したら、一人できちんと立っていられるようになる。完成しないままでいると、いつまでたっても少しのことでグラついてしまって立っていられない。

bottle

久しぶりの再会」で友人が言っていたことの問題は、ここだ。

ラベルも貼ってあってフタも閉まっていて、見た目はしっかりとしていてお店に並べられるけれど、実際は中身が少ししか入っていない。足の先から首元までラベルが貼ってあるから、見た目にはまだ完成品でないことがわからない。ちょっとぶつかっただけで倒れてしまうものとは思わない。

人間も同じで、中身がまったく満たされていないこともあるけれど、親が生存していたり、体が大人になっていると、見た目ではまったくわからない。「いい大人なのに今さら親の愛情を問題にするなんて子供みたいな」と思われるし、「もっと大人になれ」と言われたりする。見た目は普通の大人だからだ。

一番問題なのは、本人が中身が少ないことに気づかず、「私は乗り越えた」「大人になった」と思い込んでいる場合だ。そうすると解決の道を求めることもないから、どんどんはまっていってしまう。

この「愛着障害」は、そんな人の気づきになるような本だと思う。野口英世からオバマ大統領まで、いろいろな例を出して解説もしてあり、それだけでもおもしろい。「へーあの人が」「確かになあ」と思いつつ、読み進めていった。

共依存

久しぶりの再会」で会った友人から、「共依存」と「愛着障害」という言葉を聞いていた。

聞いただけではなんのことだかまったくわからなかったけれど、私の話を聞いていて非常に該当するとのことで、本を貸してくれることになった。ありがたかった。

家に戻ってからネットで調べてみたら、「共依存」というのは、「アルコール依存症」などさまざまある依存症のひとつで、依存の対象が「」のものらしかった。相手に必要とされることで、自分の存在意義を見い出す。また相手をコントロールして自分の望む行動を取らせることで、心の平安を保とうとする。

まさにうちの親だった。「人」と「カネ」を使って私を思い通りにし、自分を満足させようとする、「腐りきった毒親」だった。自己肯定感が低く、私を使ってそれを満たしていかないと生きていけないのだ。

実家は全員がそうだった。両親と妹の三人は考えがほぼ同じで、それとは違う考えの人間が許せない。三人の中で考えが違うところが出てきても、お互いにカバーし合って生きている。「祖母のいない実家」でも書いた通り、嘘までついてなんと「現実」のほうを自分たちのバーチャル世界に無理やり合わせて生きている。一般人にはついていけない。

だから、それに協力しない私が許せない。私は「常識がなく思いやりのない子」なのだそうだ。あの家の勝手な都合に従うのが「常識」であり、間違っていることでも嘘をついてやるのが「思いやり」だとしたら、大正解だ。よくできました。

親と共依存だった妹は、私と同様に、それを旦那との間にも当然持ち込んだのだろうと思った。だから旦那が自分の思い通りにしてくれないと別れ、思い通りにしてくれるようになると復縁し、思い描いていた結婚とは違うことをされると離婚しなければならないくらい許せなかったのだろう。

私もまったく同じだったけれど、自分の悪いところに気がつけて、受け入れて、どうにかしようと頑張った。まだまだ終わってはいないし、苦しい思いをしてはいるけれど、それでも前に進みたいから、よくなりたいからと、自分の問題を見つめて、乗り越えようとした。

それもこれも、私には「実家に戻る」という選択肢が完全になかったからだ。「この結婚をどうにかしなければ実家に戻ることになる、それでは生きていけない」と思ったからだった。夫とは共依存関係にあったものの、実家との共依存からは抜けていた。

でも妹は親と共依存で、「自分は悪くない」という思い込みと、「実家に戻る」という選択肢があった。だから離婚ということになったのだと思う。

タバコを吸う、それ自体は確かに健康にいいことではない。できれば吸わないほうがいい。だから「旦那にタバコを辞めさせる」ということは、一見すると正しいことだと思ってしまう。だから辞めるよう約束を無理やりする。確かに言ってることは正しいから、旦那も約束してしまう。

でも約束したからって、すぐに辞められるものではない。そこで話し合って、禁煙までどうもっていこうかをお互いが納得する形で決めればいい。もしくはまだできそうになければ「子供がいるから家の中では吸わない」に留めるでもいい。

しかし妹は「自分は正しい」と思い込んでいるから、禁煙を強行する。約束したのに守れないやつが悪い。言ってることは正しいから、それを親も後押しする。状況もなにも考慮に入れず、ただただバーチャルに「しっかりしている娘」を支持してしまう。だって、自分たちもそうしてきたからだ。

でも重要なのは、果たしてそれで幸せかどうか。

親は働いてコツコツお金を貯めてと「正しい」ことをやってきて、大きな家を建てて住んでいる。家にはポツンと二人だけで、長女は連絡もしてこず、飼い犬はがんになって死んだ。父親は休みは必ず自分の趣味のために出かけ、母親は放置。妹はしなくてもいい離婚をして、一人で子育てをしている。

確かに自分たちの満足に協力しない=共依存でない私や妹の旦那を追い出して、そのときはスッキリしたかもしれない。でもそうしたらいったいどうやって自分を満足させるのか。自分で自分を満足させることのできない人たちが、どうやって生きていったらいいのか。

「共依存」は居心地がいい。「常識的に」とか「普通は」とかいう言葉を多用して、自分の考えを正当化し、他の考えをすべて排除し、それがまた支持される。なかなか抜け出せない。でもいくらそれを続けていても満たされることはなく、幸せにはなれない。

そして「共依存」の一番の問題は、その外にいる人たちとうまくやっていけないことだ。両親も親族の中で浮いており、妹も外からきた旦那とうまくやっていくことができなかった。

私はそれでは嫌だった。自分にできることがあるならやりたかった。

スピリチュアルリーディングへ」でも言われた通り、確かに自ら苦労を選んでしているようだけれど、でも一時的なスッキリ感のためにすべてを手放してしまうことはできなかった。ものすごい嫌だったけれど、自分を見つめた。頑張った。

自己肯定感が生まれてきた。

確実に、あの人たちとは違う道を歩み始めていることを認識した。もしかしたら、本当に向こう側に行けるかもしれないと思った。しかも、もうすぐ。あきらめないでここまで来てよかったと思った。支えてくれていた人たちに、大きな感謝の気持ちがあふれた。

行ける。行けそうな気がする。私はもう「かわいそうな子」ではない気がする。眼の奥が明るく、光が見えたような気がした。たぶん、新しい世界がすぐそこまで来ている。そう感じた。