気づき

ネガティブなセルフイメージを書き出すワーク

ネガティブを書き出すワークの効果」だけれど、本当に思い違いでもなんでもなかった。ワークをやってから一か月以上がたった今でも、それまで私に対して何か月もすごい態度をとってきた彼女が、家の中ですれ違えばにこっとしてくる。普通に接してくる。そのたびにびっくりして、持っているものを落としそうになる。

それからも、仕事や私生活でなにかあるたびにこのワークをやっている。なにかなくても、気持ちが落ちたりネガティブな思いに振り回されそうになったときに、やっている。何度も同じものが出てくるときもあるし、まったく新しいものが出てくることもある。カウンセリングでやったことが出てくるものだろうと思っていたけれど、これがびっくり、カウンセリングでやったことのないものもどんどん出てくる。すごい。

「本当のスピリチュアル」に出会う階段」を読んでもらうのが一番だけれど、どういうワークなのか、私がやったことを具体的に書いておく。

ネガティブを書き出すワークの効果」で書いた、私とそのシェアメイトの状況。言われのないことで悪人扱いされて、何か月もひどい扱いを受けてきた。家にいるのがつらく、友人のところに泊めてもらいに行ったり、どうにか家で過ごさずにいられるようにしていた。自分の家に、安心して滞在していることができない。これほどきついことはない。

この状況で、このワークをやってみる。

まず、①自分に向き合ったことがなく、メンタルの仕組みを知らない人の場合。そういう人たちは、相手(このシェアメイト)がきちんとしていないことを批判するだけで終わる。こいつ、信じられない。あり得ない。態度を改めるべきだ。謝るべきだ。相手がどうしてそうなっているのかはわからず、とにかく相手を批判し、「こうすべき」を押しつけようとするだけでなにも変わらない。

②多少メンタルの仕組みがわかる人の場合だと、相手がどうしてこうなっているのかがわかる。このシェアメイトの場合、「人から丁寧にお願いされたら必ずOKしなければならない」と学習させられて育ってきたのだろう。だから、たとえ自分が嫌だったとしても、自分の気持ちは無視して「もちろんいいですよ」と言わなければならない。日本人のように。だから自分も人にお願いするときに丁寧に言って、必ずOKがもらえるものと思い込んでいる。OKしないやつは悪人だから、なにをしてもいいと思いこんでいる。そういう、相手の背景がわかる。

③もう少し進んでいると、自分の気持ちが沈んでいることに踏み込んでいく。こんなにきちんとして生きているのに、人から「ちゃんとしてないやつ」と悪人扱いされるのに耐えられない。悲しい。人として尊重されず、「あいつにはなにを言ってもやってもいい」と思われているのが許せない。そういうやつの存在を感じていたくない。消えてほしい。そういう自分の気持ちを認識できる。

④さらに進んでくると、どうしてそういう気持ちが出てくるのかまでわかるようになる。親から悪者扱いされてきて、「I am the world!」や「人間としてつき合う」で書いたように、世界から隔離される恐怖をずっと抱えて生きてきたからだ。人から誤解され、それが正しいと認識されてしまうことに、大きな恐怖がある。誰になにを言っても信じてもらえない、そういう状況に死にそうになる。どういう条件下において、自分はどういう気持ちが出てくるようになっているのかがわかる。

⑤そこからさらに進んで、ではそういう過去から自分は自分のことをどう認識するようになってしまっているのか。自分のことをどういう存在だと思っているのか。それを書き出していくことが、このワークになる。

私が書き出したことは、

  • 私は、人の言いなりにしていないと、人から疎まれ批判される存在だ。
  • 私は、人のしてほしいことを汲んでその通りにしてあげないと、愛されず必要とされない存在だ。
  • 私は、人の都合に合わせなければ価値がない。
  • 私は、人の喜ぶことをし続けていないと、存在する意味のない人間だ。
  • 私は、自分の都合で生きてはならない。

これはもちろん、親からそうされてきたことによる。なので、

  • 私は、親の言いなりにしていないと、親から疎まれ批判される。
  • 私は、親のしてほしいことを汲んでその通りにしてあげないと、親から愛されず必要とされない存在だ。
  • 私は、親の都合に合わせなければ価値がない。
  • 私は、親の喜ぶことをし続けていないと、存在する意味のない子供だ。
  • 私は、自分の都合で生きてはならない。

というところが根っこになる。シェアメイトに八つ当たりされる状況下で、なぜ自分がこんなにもつらいのか。その根っこは、過去の経験から身につけてしまっていた、ネガティブな自己認識に起因している。

というのも、これがなければ、人が自分のことをどう思っていようがなんとも思わないのだ。シェアメイトがどんな態度をとってこようが、私をどう扱おうが、なんとも思わない。大家ならまだしも、職場の上司でもなんでもない、自分に対してなんのパワーもないただのシェアメイトが自分のことをどう思っていようと、なんでもない。私に危害を加えてくるわけでもなく、どちらかといえば私のことを避けて、向こうのほうこそびくびくしている。そのせいで、強がりで私をメッセージ上で叩いてくる。弱いからこそ、叩こうとしてくるのだ。

もちろんこれだけでなく、書き出してみれば次々に多くのネガティブなセルフイメージが出てくる。それをばーっと書いていく。一番いいのは、「私は(   )だから、親から愛されない」というテンプレート。これで頭に思い浮かぶものを次々書き出していく。

なので、最初の「「本当のスピリチュアル」に出会う階段」でも書いたけれど、親への怒りの吐き出しがまだ終わっていない人は、このワークは向いていない。①のように、親を批判するだけになってしまう。でもこの段階はとても重要なので、親への怒りを書き出しまくるワークをやるといい。カウンセラー相手にぶちまけるのが一番ではあるけれど(共感もしてもらえるから回復が早い)、人に話すことができない人は書き出すことでもそれができる。

⑤より手前の段階ではあっても、そのときに思い浮かぶネガティブなセルフイメージでも、ネガティブな思いでも書き出してみていいと思う。⑤の段階で出てくるような根っこのものでなく、もっと表面の部分のものであっても、その段階での効果は確実にある。

⑤の段階であっても、書いているうちにもっと深いものが出てくるようにのなってくる。同じ状況下に陥っても、違うものが出てきたりする。今までに出てきたことがないものが出てくると、テンションが上がる。こんなものがあったのか!!という発見が、だんだん楽しくなってくる。もちろん、違う状況下で同じものが出てくることもある。本当に、おもしろい。

書き出すと、その気持ちが自然になくなっていく。これはどういう仕組なのかわからないけれど、「感情」という目に見えない存在感のない物体を書き出すことによって視覚化し、物質化することによって、その存在が明確に認識できるようになる、という感じ。認識できるようになると、感情は消えていく。

これは、「怒りを癒す」で書いたことと同じ。感情は、認識され、共感されることで癒やされていく。怒りをカウンセラーに聞いてもらい、その気持ちの存在を認めてもらって、共感してもらうと、消えていく。それと同じで、自分の中にこういうものがあるのだと認識することで、それが消えていく。その仕組みを使ったのが、このワークなのだ。

ただもちろん、そのときは消えても、また別の状況下で同じものが出てくることもある。出てくるたびに、書き出していく。あー、ここでも出てきたかと。でも、モヤモヤが出てきたときになにかできることがあるのは全然違う。そればかりをずーっと考えて、ときには寝れずに苦しむようなことがなくて済む。なにか失敗して「うわー!!」となったとき、何年も前の失敗を突然思い出して「うわー…」となったとき、書き出せばそこで消えていく。ノート一冊とペンがあればいい。なければ、携帯に書き出しておいてもいいと思う。

本には、カウンセリングを受けたことがないような人でも書き出しができるように、詳しいやりかたが載っている。例もたくさんあるので、取り組みやすいと思う。悩みがあったときにどう書き出していったらいいかや、親子関係、夫婦関係、職場や友人関係、こんな状況ではだいたいこういう原因があるなど、状況に合わせた見本もある。慣れてくればどんどん自分でもできるし、たまにカウンセラーなど第三者に見てもらっても、また新しい発見ができる。

セルフワークが好きな人は、「アダルト・チルドレン癒しのワークブック」もおすすめ。こちらは解毒を始めたばかりの人から、新しい人生を踏み出そうとする段階の人まで、幅広く使える。

ネガティブを書き出すワークの効果

なぜ、私がこのワークをやってみようと思ったか。

別居して住み始めたシェアハウスで「落ち着いた日々」を送っていたのだけれど、そこに嫌なシェアメイトが出現した。最初は、よかったのだ。でも、あるとき突然問題が起こった。

うちは一軒に四人のシェアメイトで住んでいて、当時、二人は男性、残りの二人は私とその問題の彼女だった。男性二人は自分の部屋にバスルーム(トイレとシャワー)がついていて、私とその彼女は一階の私の部屋の目の前にあるバスルームをシェアしていた。

今思うと、彼女が越してきたときから、私は違和感を感じていた。最初に入ってきたのが、おじさんだったのだ。それは彼女のお父さんだとわかり、次にお母さんが入ってきた。二人が荷物をどんどん運び入れて、最後に彼女が入ってきた。

大人になっても親に引っ越しを手伝ってもらうということは、私にとっては違和感だったけれど、そこはまだいいだろう。親が車を持っているからなのかもしれないし、実家暮らしから引っ越して来たのかもしれない。問題は、親にほとんどの荷物を運び込ませて、最後に入ってきたこと。子供の引っ越しを、親が率先してやる状態。自分の引っ越しを、親の引っ越しのようにやらせてしまう状態。ここでちょっと違和感を感じてはいた。

引っ越してきてからすぐ、彼女は掃除を始めた。自分の部屋だけでなく、みんなが共有で使っているキッチンや、私とシェアしているバスルームも。共有の場所は毎週クリーナーが入るのだけれど、彼女はクリーナーの仕事が気に入らず、文句を言いながら掃除していた。

そのときはまだ、きれい好きな人が来てよかったくらいに思っていた。しっかりしているのだなと。

問題は、夏だった。

みんなが入っているSNSのメッセンジャーに、彼女から書き込みがあった。いわく、「ホリデーで友達(男性)が二週間来るのだけれど、彼を泊めてもいいですか」とのこと。コソコソすることはしたくないので、大家にも聞いたし、みんなに確認するよう言われたから正直に言ってほしい、とのことだった。

ああ、さすがしっかりした大人な人だなと思い、「知らない男性とバスルームをシェアするのは私は嫌だけれど、その人があなたの部屋に泊まるのはまったく問題ないです」と返信した。そしたら他の男性のバスルームを貸してもらうとか、シャワーだけどこかで浴びてくるとか、なにかするだろうと思っていた。

が、まったく違う答えが返ってきた。いわく、「バスルームを使わずにどうやって泊まるっていうの?!」と。

驚愕した。「正直に言って」と書かれていた。正直に言った。すると激怒。これはいったい????

その後もいろいろと驚愕のメッセージを送りつけてきたので、スクリーンショットを撮って大家に送り、こんな問題はごめんだと伝えた。大家は「自分が簡単にOKしたから悪かった」と彼女と話をしてくれたのだけれど、それも「大家に言いつけやがった」と取られて、彼女の怒りが増しただけだった。ちなみに、大家は「二週間」だと知らなかったらしい。彼女はそこを明言していなかったのだ。

けっきょく彼女はそれを敢行し、その友達は早朝に出かけ夜遅くにコソコソ帰ってくるという一週間半を過ごし、帰っていった。それ以降、私に対する彼女の態度はものすごいことになった。私がなにか書き込めば、必ずそれに対して反抗する回答が書き込まれた。私に会いたくないからか、ほとんど彼氏の家に寝泊まりするようになって(ホリデーで来て同じベッドで寝ていた男友達とは別に彼氏がいた)よかったものの、もうこんな子供が住む家は出ていきたいとずっと思っていた。

他の部屋を探しもしたけれど、けっきょくいいところも見つからず、そこからずっと嫌な思いをしながら住んでいた。いつ彼女が来るかもわからないので、ゆっくり料理もできない。帰宅してすぐキッチンで用事を済ませ、部屋にこもる。別に出くわしてもいいだろうとは思うのだけれど、彼女がそこにいるだけで本当に嫌だった。早く一人暮らしできるくらいの給料が、切実にほしかった。

そして、新年。今年こそはあの家を出よう。そう思って、部屋探しを再開した。

そんなころ、この「「本当のスピリチュアル」への階段」という本に出会った。MOMOYOさんの動画で彼女の摂食障害が終わるまでの話を聞いていて、最後の二年間ほどずっとこのワークをしていたという話が出てきた。ネガティブなセルフイメージを書き出して、冷蔵庫やら壁に貼っておく。二週間くらいそれを眺めながら暮らしていると、それがすーっと消えていくのだと。

シェアメイトのことはもうずっと嫌だと思っていて、もちろんその間何か月も自分で分析はできていた。周りがどうであろうと、自分の好きなときに部屋から出て、自分の好きなように暮らす。それができない自分に向き合うという課題が来ているのだと、わかっていた。

でも、できなかった。カウンセリングでも聞いてもらったけれど、それ以降その話は避けていた。向き合いたくなかったのだ。仕事で大きな変化があったり、夫のことでまたちょっと事件があったり、また自分の中で進んできていることもあったりして、その話はまったくしていなかった。でもずっと心の中には、毎日毎日それがあった。彼女の歯ブラシがなくなっている(彼氏の家に泊まりに行くときには歯ブラシを持っていく)と、「今日は帰ってこない!」とほっとして、歯ブラシが戻ってくると「やつが帰ってくる…」と重い気持ちになる。もうこんな、人の言動に振り回される毎日は終わりにしたいと思っていた。

そんなときにこの本を知り、自分でできるこのワークを知った。とにかくやってみよう、そう思った。

やってみて、本当にその翌日。事件が起こった。

私がキッチンで洗濯物を干していたとき、玄関がノックされた。出てみると、スーパーのデリバリーだった。すると上からダダダダと彼女が階段を降りてきた。あ、彼女宛のデリバリーだったのか、出なきゃよかったと思っていると、彼女が「ああ、いいよ、それ私の」とニッコリ笑ったのだ。

びっっっっっっっっっっっくりした。彼女の笑顔など、もう半年以上見ていなかった。怖かった。

衝撃で固まりつつも、とにかく洗濯物を終わらせ、部屋に戻った。あれはいったい、なんだったのか。まあでももしかしたら、ものすごく待ってたデリバリーが来てご機嫌だったのかもしれない。デリバリーが好きな人なのかもしれない。あの大量のデリバリーを受け取るときに、デリバリーのお兄さんから「荷物の詰めかたうまいね」と言われて、「これが専門だから」(彼女はアパレル系のお店で働いている)と嬉しそうに得意気に言っていたので、自分が得意になれるこういう作業が楽しみだったのだろう、と思っていた。

だがしかし、衝撃は続いた。

彼女が、連続で家に帰って来るようになった。週の半分以上は彼氏の家に泊まりに行っていたのに、急にうちに入り浸るようになった。新しいシェアメイト(女性)とも顔を合わせないようにしていたのに、キッチンで話す声が聞こえてきたりし始めた。彼氏とキッチンで料理したりするようにもなって、なんと一度もやったことがないゴミ出しをしたりもしていた。あれを見たときは、びっくりしてまた固まってしまった。

極めつけは、聞こえてきたシェアメイトとの会話。いわく、「今はここにいるけど、探し続けてはいるんだ」と。

え、引っ越すの?!?!?!?!!!

その瞬間、膜がとれたようにぱあーーーっと部屋の中が明るくなった。

わからない。もしかしたら仕事の話かもしれない。「今はStayingだけど、Keep looking」としか聞こえなかった。なにを探しているのかは、わからない。でも、今いるところから出るために、なにかを探していると。これはもしかして、冬休みの間に、彼氏にプロポーズされたとか、同居を打診されたのでは???

おめでとう!!!早く出てしあわせになって!!!!!

心からそう思った。彼女もハッピー、私もハッピー、みんなハッピー。

ずっと、そうすればいいのにと思っていた。なぜ彼と住まないのかと。なぜいつも、歯ブラシを持って泊まりに行って、なぜ持って帰ってくるのだろうと。友達にその話をすると、「家族がいる人なんじゃない?」と。だから奥さんがいないときに泊まりに行って、自分の荷物を置いておけないのではと。でも、それにしては頻繁だ。

わからない、もしかしたら今だけのことで、またご機嫌が悪くなるのかもしれない。でももう、私は家の居心地のよさを思い出した。本来の、この家の居心地のよさを。彼女が来る前は、空気も明るくて、素敵な部屋だったのだ。好きに料理をして、楽しく暮らしていたのだ。その空気を、身体で思い出した。彼女がいようがいまいが、本来こうであっていいのだ。

今だに、彼女には出くわしたくはない。彼女がキッチンにいるときは避けたいし、なるべく見たくない。でももうすぐ、彼女は出て行く。出て行くということにする。気にする必要はない。なにかが確実に変わっている。私の中の気持ちが以前よりずっと、ラクになっている。

これは、すごい。こんなに効果が、しかもこんなにすぐ出たのは、初めてだった。びっくりした。

もちろん、偶然だろう。でも、偶然でいいのだ。私の中にあったネガティブは、なくなった。それでいいのだ。

進歩を実感

オステオパシーの施術を受けたとき、一つ素晴らしい進歩に気づいた。

このセッションの目的は、「歯ぎしりの治療」と「リラックス」だった。ところが施術前の問診票には、具合が悪い身体の部分にもチェックを入れるようになっていたので、腰や首、背中などにもチェックを入れた。

すると、それを見た先生が「それでは足から始めて、腰をやりますね」と言ったのだ。

今回の目的は、歯ぎしりとリラックスだ。腰痛ではない。

そう思った瞬間、「腰ではなくて、リラックスを焦点に置きたいんです」と私はとっさに言った。

そう、とっさに言えたのだ。

たぶん以前だったら、ここで「腰を中心にやります」と言われても、そのままお願いしていただろう。「専門家が言うのだからそれでいいのだ」と自分に言い聞かせたり、「腰ではなくてリラックスをしにきたのに」と思っても言い出せなかったりした。それでもやもやしながら施術を受けて、最終的に偶然にも自分の満足いく結果が出ればいいのだけれど、そうでなかったときは「言えばよかった」と後悔しまくり、落ち込むのが常だった。

カウンセラーにこの話をすると、以前はそもそも「自分はリラックスをやりたいのだ」というところにも気づかなかったのではと。「腰をやりますね」と言われて、なんだかわからない不安感を抱えて始まり、結果がよければよくて、悪かったときは落ち込むと、そういうことだったのではないかと言われた。

たしかにそうだ。ここには、

①「自分はこれをしたいのだ」とわかること
②相手にそれを伝えることができること

二段階がある。以前は①ができていなかったので、②もできなかったのだろう。たぶん、最初から①ができていれば、②もできていた可能性がある。だからまず問題なのは①、以前は「自分がなにを求めているか」がわからなかったのだ。

①ができていなかった原因はもちろん、親にそうされてきたからだ。親(人、相手)がしたいことを優先させてきたために、自分がなにをしたいのか、なにを求めているのかがまったくわからなくなっていた。「人といるとなぜ疲れてしまうのか」でも書いた通り、人と自分のどちらの主語で話しているのかわからなくなっていた状態だ。

人間だれしも最初は、ちゃんと「こうしたい」というのがある。でもそれを無視され続ける環境にいると、いずれ自らそれをすることをやめ、ついにはそれがあったことすら忘れる。さらにそれが進むと、自ら自分の気持ちを無視されることを期待して行動するようになる。そういう環境を自ら求めていくようになるらしい。

これが、ついこのころまでの私だった。

自分では気づけていなかったけれど、だれでも「自分の気持ち」はどこかにきちんと存在している。でもその存在に気づかないようになってしまっていたから、「相手の気持ち」の存在しか認識できず、それに沿う行動をとる。結果的に、「自分の気持ち」を無視していることになる。「わけもわからず傷つく毎日」で書いた通りだ。

「相手の気持ち」と「自分の気持ち」がたまたま合致しているときは問題ないのだけれど、そうではない場合、「なんだかわからないけれどもやもやする」というような状態になる。自覚なく「自分で自分を無視している」状態になっており、「よくわからないのだけれど落ち込む」ことになる。これが悪化すると、身体に出る。いわゆる「ストレスがたまって身体に出る」というやつだ。

たぶん、これがいわゆる「うつ」なのではないだろうか。「自分の気持ち」と「頭」と「言動」が一致していない不調和状態で出る、ガンのようなもの。

また、①ができていても、②をしない場合もある。

カウンセラーいわく、②の「自分の気持ちを相手に伝える」ができない場合というのは、「自分の気持ちは重要ではない」「自分はその場にEntitleされていない(エントリーされていない=権利がない)」と思い込んでいる場合に起きると。

父方の祖父母のところへ」行ったときの免許証事件のように、それまでずっと私の気持ちは親から無視されてきており、場をコントロールする権限が一切なかった。人権がなく、人として尊重されていなかったのだ。だから私は、嫌でも免許を親に貸さなければならなかった。私の免許証なのに、だ。

でも、もうそうではない。今は、子供のころとは違う。大人になった今、親にすがらなくても自分で生きていけているわけで、彼らの理不尽な要求を突き返しても、命に別状はない

解毒には、これを心の底から体感する必要があった。そうでないと、似たような状況になると同じ結果を招いてしまう。

親でなくとも、親のように自分に対して権威がある相手=先生や上司などを相手にしたときに、自動的に「子供の自分」が出てきてしまい、昔と同じ心理状態に陥り、同じことになってしまう。自分はその場で発言する権限がないと感じ、自分の気持ちを無視し、(相手が本当にそれを求めているかどうかは関係なく)相手がこれを求めていると思い込んでいることをやってしまう。それにより気持ちと頭が分離し、身体に影響が出る。

この癖から脱出するためには、まずこの仕組みを理解する必要があった。

子供のころはどんな理不尽なことでも、親に従わなければ生き残れなかった。親に従い親から好かれることが、生き延びるためにもっとも重要なことだったからだ。そういう環境から身についた癖が、「サバイバルテクニック」と言われる。だがもう時代は変わり、自分は大人に成長し、そういう昔のテクニックは必要がなくなった。しかも、昔は自分を生き延びさせたそのテクニックも、今では逆に自分の人生を生きにくくしてしまっている。

ここに気づくことが、スタートになる。

夫との間に起こっていたことは、まさにこれだったのだ。「自分はEntitleされていない」と思い込んでいるから、自分の気持ちを言えない。夫が自ら気づいてくれないと、怒りになる。自分の気持ちを汲んでくれないことを「無視されている」と感じて、自分を消したくなってしまう。というよりもまず、そもそも自分の気持ちがわかっていなかった。だから伝えることもできなかったのだ。

たぶんこれが、日本のように「お互いの都合を常に推測し合う」ことが前提とされている社会であれば、まあまあうまく回って生きていくことができていたのだろうと思う。でもそうではない社会に来れば、もちろん生きてはいけない。

というよりもたぶん、日本でももううまく回ってなどいないのだと思う。高度成長期のときのように、みんながうまくいっていてみんなが同じ生活をして同じ人生を目指し「こういうものだ」で生きていたときは、相手の意図をまだ把握しやすかったのだろうと思う。違っていたとしても「これが正解」と押しつけることもできただろう。みんながそう生きるものだという前提があったからだ。

だが経済も落ち込み、人々の生活も多様化してきた今では、自分と違う人間のことなどわかるわけもないし、「こういうもの」と押しつけられることも受け入れられない。「人と自分は違う」という前提で、お互いに口に出して伝える必要がある社会にどんどんなっている。というか、これからはそうしていかないと回らなくなっていくだろう。

カウンセリングでこの話をしたとき、夫も「そうそうそう!!」と激しくうなづいていだ。

たとえば、レストランに入る。私は、なにが食べたいのかわからない。でも、なにかいいものが食べたい。どれを頼むか、ものすごく迷う。いろいろ頭で考えて、「お店はこれが有名だ」とか、「ここに来たらこれを食べなければ」とかで、とりあえず絞って決める。出てきたものがたまたまそのときの私の気持ちに合っていれば大丈夫なのだけれど、そうでなかった場合はものすごくがっかりする。

同様に、なんらかのサービスを頼んでも、「自分はこうしたい」ということがわかっていないので、とりあえず基本的なものを頼んで、不安を抱えたまま最後まで待つ。でもやってきたものがまったく違ったりして、がっかりする。

この「最後まで待つ」というところが、ポイントだった。「出てきたものを見てみないと、それが自分が求めていたものかどうかわからない」から、最後まで待たなければならないのだ。自分がなを欲しているかが、わかっていないからだ。

だからこのとき先生にこう伝えられたのは、すごい進歩だった。「今日はリラックスをやりにきたのだ」「腰の治療なら鍼灸でやってもらえるから、オステオパシーではリラックスをやるのだ」ということがきちんとわかっていたのは、ものすごい快挙だった。症状をまとめて準備をしたのは、本当によかったと思った。

自分でもこのとき「ちょっと成長した」と思ったけれど、カウンセラーと話をしてみて、それがどれだけ快挙だったかがよくわかった。①自分の気持ちがわかっていて、 ②それをきちんと相手に伝えられた。心配を抱えたまま最後まで待ち続けて結果にがっかりするのではなく、最初から自分の心配を口にして、不安を解消することができた。これがまさに、「自分が状況をコントロールする」ということだった。

少しずつだけれど、確実に進んでいる。

「いつ終わるのだろう」
「本当に落ち着いた人生を生きられるようになるのだろうか」
「そんな日は本当にくるのだろうか」

と、どこまでも落ちっぱなしになることばかりだった。でもこうして進んでることが目に見えてくると、きっと落ちることも少なくなっていくのかもしれない。もしかしたら、本当に歯ぎしりも治って普通に生きられるような日がくるのかもしれない。

なんだか泣けてきた。希望が出てきたのだ。