毒メカニズム

降板しました

ここでやっと、父親への手紙が書けた。カウンセリングで父親について話をしたことで、父親へ言いたいことがやっと出てきたようだった。

手紙を書く宿題」を出されてから一か月ほど。早いほうだったかもしれない。カウンセラーから他のクライアントの手紙(人に見せることを了承済みのもの)を見本としてもらったのも大きかったと思う。言葉が出てこないから書き出しが一番難しかったのだけれど、そこを人のを見てそのまま真似して書き出したことで、書き始めることができた。書き終わりも真似をした。

この見本としてもらったものは、10ページに渡って母親にされたことを書き綴っていた。このクライアントは実際にこれを母親に送ったそうだ。もちろん母親が素直にこれを受け入れるわけがなく、絶縁となったそうだ。でも本人はスッキリして、自分の人生を生き始めたとのことだった。

このとき私の一番の問題は、父親に対して「傷つけられた」という気持ちがまったくわいてこないことだった。「あれだけ正義漢面しておいて」という糾弾は山のようにあふれてきても、「傷つけられた」「ひどい」「許せない」という気持ちは出てこなかった。「子供のときの自分」と「今の自分」がつながっていないようだった。

書いた手紙を、眺めてみた。出そうか、出すまいか。

出したいと思ってはいたけれど、カウンセリングで相談してからにしようと思っていた。父親が読まなかったり捨ててしまったりする可能性を考えて、親戚中に送りつけてやろうかとも思った。でもそれをやって自殺でもされたら嫌だなと思っていた。あんな人間いつ死んでもよかったし、昔から殺してやりたいと思っていた。でも自分が引き金を引くのは嫌だった。あんなクソのせいで、自分の人生をこれ以上失いたくなかったのだ。

今思えば、出しても自殺などするような人間ではない。毒親育ちで不安が強い人は、親に仕返しをしたら自殺するのではという不安をもしかしたら抱えているかもしれない。でもそれは絶対にないと今では理解できる。そんな人間ではないから、毒親をやっているのだ。

だいたい、父親が浮気をしていた(いる)ということは、妹や他の人が知っているかどうかは別として、夫婦の間ではもうオープンなことのように思えた。それならばそこに私の子供のころの記憶が付け加えられたとしても、別に自殺するほどの話でもない。たぶん離婚もしないだろう。そう思ったので、インパクトを出すために親戚中にも配ろうと思ったのだ。でも「よくできた従妹」も自殺の可能性を考えたと言っていたので、今はやめておこうと思った。

でもこれで、またなにか問題を起こしてきたらいつでも言い返せるネタが手に入った。それでよかった。

この宿題では自分の中でかたをつけるのが目的であって、本当に送る人はほぼいない。「聞いてもらえない」「また言い返される」という恐怖心を乗り越えて、「自分の言いたいことを自由に言う」こと自体が目的なのだ。相手に対して言わなくてもよくて、紙に書くだけでいい。これで吐き出すことが重要なのだそう。カウンセラーもきっと、送ることに賛成はしなさそうだと思っていた。

とにもかくにも、これで宿題ができた。やっとだった。

カウンセラーは、「まだすごくつらくて思い出したくない記憶が眠っているのではないか」と言っていた。その可能性もなきにしもあらずだけれど、これでも十分ではないかという気もしていた。「自分を守ってくれるはずの親にひどいことをされる」という意味では、浮気で十分だし、それを放置した母親を含めて、完成に近い感じがしていた。

あとは、つらかった気持ちを思い出すだけだった。カウンセラーにも浮気を見たときの気持ちを聞かれたのだけれど、辺りが暗くなって、怖くて早く家に帰りたかったときの気持ちを思い出した。父親が車から出てくる前に、早く母親に告げ口したかったことも。うしろから迫ってくる父親が本当に恐ろしかった気がする。

このときは、これで全部説明がついた気がしていた。私があの家を「家族ごっこ」だと思っていたのも、自分の気持ちや考えがあの家の「台本」に合わないと攻撃されることも、母親が自分のことしか考えられない人間なのも、父親がなにごとも「われ関せず」状態なのも、「妹の離婚」で書いたように妹がどうでもいい理由で離婚していることも、すべて説明ついた。

すべては、あそこが「毒劇場」だったからだ。

・スポンサー、兼脚本家、兼舞台監督の父親
・助監督の母親
・劇中で生まれ育ちそれを知らない妹

全員が舞台の上で生きていた。そう考えると、すべてに説明がつくのだ。こんな見かたがあったとは、思いもよらなかった。

手紙にも書いたけれど、私はそこを降りた。もともと絶縁したつもりでいたけれど、「舞台を降りる」と考えると、まさに自分がしようとしていたことがはっきりとわかった。

私はそれまで、極力降板させられないようにお芝居を続けながら、自分で稼げるように学校に通い、社会人となって自活できるようになってはいたものの、まだ「自立した娘」というたまに出てくる役柄、「海外へ嫁いだ娘」の役だった。まだまだ舞台の上だったのだ。

でももうここで、私はこの舞台を完全に降りた。「長女」の役は、もういない。

完全にあそこの脚本から抜けて、自由の身となった。降板のお知らせを送って、監督に知らせよう。私はもうあなたのお芝居には出られません、あとはお好きなかた同士でお続けくださいな。そういう気持ちで、手紙を締めくくった。

これを書いたら、なんだかすっきりした感じがあった。本当の「新しい一歩」という感じがした。分厚いコートを抜いだような。追いすがるものがぷつりと切れたような、霧が晴れたような、そんなさわやかな感じだった。本当になにかが脱げたのだろう。

あとは、それまでの傷を癒やしていくだけだった。ここからは早いだろう。そんな気がした。

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新しい過去を作る

アダルト・チルドレン癒やしのワークブック」第七章の「親に言いたいことを言う手紙を書く」作業に取り組めないため、第八章の「新しい過去を作る」作業へ進んでみた。

ここでは、まずトラウマとなった過去のできごとが起こったときのことを心の中で再現し、次に「どうなってほしかったか」をイメージして、記憶を塗り替えていく。

そんなことができるのか、癒やしにつながるのかと思っていたのだけれど、やってみることにした。

「どうなってほしかったか」というのをまず書き出すのだけれど、まったく出てこなくて大変だった。というのも、なんだかもう怒る気持ちもどっかに行ってしまっていたのだ。

というのも、親がああいう人間だった理由が私にはよくわかっていたからだ。古臭い田舎のあのような家に育って、祖父は酒飲みで仕事もせず遊び呆けているような人だった。嫁に来た祖母は祖父の分まで働く働き者だったのだけれど、彼女はそうやって働くことしか知らなかった。これは子供にとってネグレクトになっただろう。

私が会いに行ったときも、「相変わらずの毒一族」で書いた通り最初は「時間がねえ」と言っていたのだけれど、次にはすぐ「うち(実家)に泊まるんだろ?」と言ってきた。顔が引きつったのを今でも覚えている。

祖母は普段はとぼけたフリをしているけれど、私が親と仲良くないことも充分わかっている。なのに、こうして私を親と仲良くさせようとする。実家などもう私の家でもなんでもないし、行ったとしても状況が悪くなるだけでなんにもならない。それでも親子をやってほしいという非現実を求めてくる。

けっきょくこの人も、あの毒母を作った毒親なのだ。

「家族が仲良くしてほしい」という気持ちはわかる。でも私たちがこうなったのは、祖母の責任でもある。なのに私に我慢をさせ嫌な思いをさせて、あの家に行かせたいというのか。こうしてはるばる会いにやってきた私に、楽しい思いではなく、嫌な思いをさせ我慢をさせたいというのか。

私はいったい、祖母にとってなんなのか。悲しかった

私があの家に行けば物理的に家族がそろうことにはなるけれど、そんなことになんの意味もない。やはりこの人も、物理面しか見えない人間だったのだ。

けっきょくのところ、あんなに頭の足りない一家に、こんなに敏感な私が生まれてきてしまったのが運の尽きだったのだと思った。敏い子供が理解できないから、「お前は悪魔だ」と言って子供が悪いということにする。自分が馬鹿なだけなのに、それを認められない。現実を認められない。

父親など、そういう人を最も馬鹿にする人だった。なにも考えずに古い慣習をただ続けて生きているような人のことを、ものすごく見下して馬鹿にしている人だった。そのくせに自分がまるでそうだったのだ。

やはり、そんな馬鹿な親だったからしかたがないということになってしまう。すると「どうしてほしかったか」と聞かれても、なにも出てこなかった。彼らがやってきたこと以外のことが、起こりうるはずがないとしか思えないからだ。1+1がわからない人間に、3+4を聞いてもわかるわけがない。

ということで、とりあえず以下のようなことを書き出してみた。

  • 自分たちの頭の悪さを、私を「悪魔」とすることで解決するのではなく、自分たちの頭の足りなさに気づき、自分自身をかえりみてほしかった。
  • 自分の都合や勝手な思い込み、欲望ではなく、私を優先して、私のために行動し、私のために生きてほしかった。

書き出して読んでみると、こんなにも普通なことができない人は、人の親になる資格はないだろうなとしみじみ思った。

これを、イメージの中で親にやらせてみた。これが意外にもすっとした。

特に、イメージの中で母親に「私が馬鹿で知能が足りないから、あなたのこと理解してあげられなくてごめんね」と言わせたら、なんだか本当にすっとした。本に書いてあるような「感動的な作業」とはならなかったけど、それでもなにかが変わった気がした。「こんなことで」と思ったけれど、こんなにも効果があってびっくりした。

人間のメンタルというものは、意外にも単純なものなのかもしれないと思った。

手紙を書く宿題

カウンセリングではたびたび、「なんでも叶うとしたらなにをしたい?」という質問をされることがあった。

初めてこのカウンセラーに会ったときも、これを聞かれた。でもそのときになんと答えたのかはもう覚えていない。でもカウンセリングが始まって二〜三か月くらいたったこのころに聞かれたときは、「ひ孫を産んで祖母に会わせてやりたい」と答えていた。

なんとなく「それは素晴らしい」と言われるだろうところ、カウンセラーはいつも通り答えに対してなにも言わなかった。たまに聞かれるから、きっとなにかの指針にしてるのだろうとは思ったけれど、いったいどういう答えが正しいのかはわからなかった。

今ならよくわかる。自分のためではなく祖母のために子供を産みたいなどと言っていた私は、明らかに「祖母」という外的要因に依存している。自分がしたいことではなく、人がなにを求めているかを考え、それを埋めることで自分を満たそうとしていた。「人と人との境界線」がなかった。

このころはまた、「アダルト・チルドレン癒しのワークブック」も出てきた「親に手紙を書く」という宿題にとりかかろうとするもできない、という困難にぶつかっていた。

カウンセラーからは、別のクライアントが書いた見本を送ってもらっていた。それを読んでみて書こうと思ったのだけれど、なかなか一歩が出ない。

カウンセラーが言うには、書き始めたときと書き終わるときでは、文章のタッチも違ってくるかもしれないと。最初は子供時代の感覚に戻ってしまっていることが多いけれど、手紙の最後のほうには一人の大人として親と向き合う姿勢が見えてくるようになると言っていた。

ワークブックにもこの課題は載っていて、各段階で何度か書くようになっていた。例を見てみると、初めのほうでは怒りの爆発のような文章になっていて、最後のほうになると割りと落ち着いて自分について語り、親に対する感謝も述べられるような、長い文章になっていた。

このころはまだ、怒りでそんな例文をきちんと読んでみることもできなかった。でも嫌なら(まだ)やらなくていい、そう思うことができた。今後どうなるかはわからない、でも今は嫌なのだから、無理せず嫌でいい。かなり学習できてきたと自分でも思った。

カウンセラーにもらった見本と、白紙のWord文書と、にらめっこが続いた。

でもやはりできなかった。実際に出すわけでもないし、親のもとにこれが届くわけでもないのだけれど、もうその「親に言葉をかける」という行為そのものがだめだった。

きっと解毒の段階というのは、以下のようなものだろうと考えていた。

①まず、親が「毒親」であると認識する
②親からされたことに対して怒りを持ち、ぶつけるorぶつけられる
③怒りがぶつけられない、またはぶつけても通じないことこから拒絶に入る
解毒(ここにどういう段階が入るのか当時は不明)
⑤なんの特別な感情もなくなり、一般的な対応ができるようになる

身体的な虐待のように物理的な毒を受けてきた人と、精神的な虐待のように真綿で首を絞めるような毒を受けてきた人とでは、認識のステップと解毒の方法が変わってくるのかもしれないけれど。当時の私はたぶん、にいると思われた。

年末に「相変わらずの毒一族」に会ったとき、母親は従妹に「Kelokoはなにを怒ってるんだろうね、私はなんとも思ってないのにさ」などと言っていたらしい。「私はKelokoに連絡したりしないから、(祖母の危篤を)伝えてくれてありがとうね」と言われたと言っていた。

こうしてこの女がまるでそこになにも問題がないかのように振る舞うたびに、私は怒りで全身が震えた。ハンマーで頭をかち割って、その存在を粉々にしてやりたいという怒りに駆られた。

こうして常に私の気持ちを、存在そのものを、ずっと無視し続けてこられた。真面目に殺してやりたかった。捕まらないならもう何千回も殺していただろう。夜中に家に火をつけて逃げようと思ったことも何千回もある。親を殺す人のメカニズムはよくわかるし、日本はきっとこんな殺人予備軍であふれている。

だから、③の拒絶の段階が強く長くなる。怒りをぶつけたとして、それを無視されてもっとひどい目にあうことがわかっているからだ。今度こそ殺人罪になる。それがわかっているから、離れて距離を保っていることしかできないのだ。

カウンセラーは、この課題の主旨はまさに「相手がどう思おうと自分の意思を表明する」というところにあるのだと言っていた。でも私にとっては、まさにそれがもっともできないことだったのだ。境界線がなかったから、相手の返答にすべてが依存されていた。相手が聞けば自分の存在が確認できて、相手が無視すれば自分はいないことになっていた。これでは生きていけるはずがなかった。

カウンセラーは、母親が「なんとも思っていない」というのはだと言っていた。そんなことは私もわかっていた。本当に「なんとも思っていない」人は、祖母の危篤を「連絡したりしない」わけがない。思いっきり矛盾していることを言っているのはよくわかっている。

問題は、なぜそれを認めたくないかということだった。なぜ娘が自分を嫌っているということを認めないか。「早く死んで」と面と向かって言ったことだってある。「Kelokoは私が嫌いなんだよ、私はわかってる」と従妹に言っていたことさえあるのにだ。

カウンセラーが言うには、それを認めてしまうと自分が「悪い親」になってしまうから認められないのだとのことだった。娘に嫌われている「悪い親」である事実を認めたくない、だから親子関係に問題があることを否定する。否定して、なにも問題がないように振る舞う。私が勝手に理由もなく怒っているのだと思い込むことで、なにもないのに怒っている「悪い娘」に問題をすり替えるのだと。

これが毒母の無視のメカニズムだった。本当に早く死んでくれないかと思った。手紙なんて書けるわけがなかった。頭の中に思い浮かべたくすらなかった。