毒エピソード

毒親炸裂の報

このころ従妹が休みで祖母に会いに行くというので、私の写真を実家からもらってきてもらうようにお願いしていた。

父親の問題が母親に影響していた」で書いた通り、過去の傷を癒やすために、子供のころの記憶を思い出す必要があった。本来なら親に話を聞いたりすればいいことなのだけれど、それはもちろん不可能だった。叔父や叔母もだめだった。子供のころの写真でも見れば出て来る記憶もあるかもしれないと思い、従妹がうちの実家に行くタイミングでもってきてもらうことになっていた。

従妹が写真のことをうちの母親にたずねると、「アルバムがあるから送る」と言い出したらしい。いやいや私がKelokoちゃんに送るよう頼まれているからちょうだいと言えば、「倉庫にしまってあるからすぐには出せない」と返してきたそうだ。

「Kelokoは住所もわからないし」
 同居の祖母に毎年年賀状を出していたのを横取りしているので知っているはず

「国際電話もどうやってかけたらいいかわからないし」
 従妹がタイにいたときは国際電話をかけていた

「メールもよこさないし」
 いつからそんな連絡を取りあうような仲になったのでしょうか

というのが始まったので、「じゃあ温泉行ってくるねー」と従妹は出たらしい。温泉から戻ってきてもアルバムは出てなかったので、「Kelokoちゃんに必要なんだよ」「カウンセリングに必要なんだよ」と念を押して、残念ながら手ぶらで帰ってきたとのことだった。

毒親は、荷物を送ることが好きだ。自分の好きなものを送りつけて、それに感謝されること。ただそれがやりたい。だから従妹にアルバムを送らせたくない。私に連絡をよこさせて、お願いしてもらい、感謝してもらう。それがほしいのだ。私のためになにが必要かは、まったく関係がない。

これは、被災地にいらないものを送りつける人たちと同じ原理だと私は思っている。自分たちがいらないものを送ってありがたがってもらえるチャンスなので、逃さない。相手に必要なものをリサーチし調達することはない。あくまで、自分たちがいらないものをありがたがる人たちを探している。自己肯定感を埋めてくれる道具を探しているのだ。

「Kelokoはアルバムがほしいのだ」というのを聞いてしまうと、母親はもう他にはなにも聞くことができなくなる。「自分が簡単に用意できるものをKelokoがほしがっている!」、「これはチャンス!!」となり、なにも見えなくなる。そこまで自己肯定感が飢餓状態になっている。砂漠で水を求める人のように。

従妹は何度も念を押してくれたみたいだったが、もう聞こえてないだろうなと思っていた。十中八九、やつはアルバムを直接送ってくるだろう。いらないものをたくさん詰めて。そしてそれに私が感謝しないと「送ってやったのに!!」と文句を言うだろう。勝手に。

化粧水」事件の再来を思わせた。

でも、その荷物は届かないだろう。なんとなくそう思った。

化粧水ふたたび」で書いた通り、最後に実家にいったときのこと。ネットで化粧水を買って、実家に送っておいた。母親がうずうずして「送ろうか」と何度も何度も言ってきたけれど、「また割れちゃうから」「日本に行くから自分で持って帰るから」「絶対に送らずに置いておくように」と何度も何度も念を押した。確実に伝わったと思っていた。これだけ言えば、送りたくても送れないだろうと思っていた。

なのにやっぱりやつは荷物を送っていた。従妹も愕然としていた。日本に行って「化粧水は?」と聞いてみれば、「えっと、どこにしたかな?」「送らないように、ここに置いておいたんだけどな?」と夫婦で白々しい演技をしていた。「都心に行くならこれで買ってきな」とお金まで渡された。

私も夫も、心底白々しいと思っていた。日本語のわからない夫でさえ、「探している演技の時間がもったいないから、送ったなら送ったと言えって言えば?」とまで言っていた。

そして、やはりそれは本当だった。「化粧水を送った」と、このとき従妹に話したそうだ。あんなに念を押され、白々しい演技をするほど本人にも「送るな」と言われた認識があったにもかかわらず、送ったのだ。「浴衣と一緒に送っちゃったんだ」と言っていたらしい。

話はここで終わらない。なんと、その荷物は返送されてきたらしい。

どうせ送ったのだろうと思っていたから、いつまでたってもイギリスに届かないことにおかしいと思っていた。だが、返送されていたとは。

どの住所に送ったかは知らないけれど、こちらには届かずに、日本に送り返されていたらしい。以前住んでいた町に行く用事があったので、今そこに住んでいる人に聞いてもみたのだけれど、そんな荷物は届いていないと言っていた。郵便事故だろうか。それとも私の「死んでも関わりたくない」オーラが、荷物のブリテン島上陸を阻んだか。

そして、ここからが毒親の真骨頂。なんと、「Kelokoが受け取り拒否をしやがった!!」と。

せっかく高いお金をかけて荷物を送ってやったのに、受取拒否をしやがった、なんてやつだと、怒り心頭だったそうだ。

「送るな」と言っていたものを勝手に送り、戻ってきたら「受取拒否しやがった」と勝手に怒り。

自分で思うのだけれど、どうやってこんな女と20年も一緒に暮らしていたのか、本当にわからない。こんなのと一緒にいたら、誰だって気が狂うだろう。現に狂ったわけだ。こうしてあそこを脱出してみて、いかにあの空間が異常で歪んだものかということが、十分すぎるほどよくわかった。あんな人たちに頼らないと生きていけなかったなんて、どれだけの地獄だろう。

今の私は大人で、自分で生きていけるのだ。あんな頭のおかしい人たちに頼らなくても、生きていけるのだ。なんと素晴らしいことだろう。

これがあって、少しは凹んだ。でもなんだかもう、「救いようがない」ということを深々と体感した感じだった。「あそこになにをやっても無駄なのだ」、というような。あれらは人間ではないから、人間だと思って接してはいけないのだと。

服についた墨汁が落ちないのと、同じだった。墨汁がついてしまった、ではこれは捨てましょう。新しいものを買いましょう、と。そう思えば、あれらがああでも、私には関係ないのだと思えた。

どうにもできないものをどうにかしようと思うから大変だし、どうにかしなければ生きていけなかったから大変だった。でもどうにかしなくても大丈夫なら、なんの問題もない

私は好きな服を着たいから、ブータンのような民族衣装しか着れない国に住めと言われたら嫌だし、もしそこに住まなければならなかったら大変だろう。でもなにを着てもいいイギリスに住めるわけだし、こうして毎日好きな服が着れる。それならば、違う国で毎日民族衣装を着ていて幸せな人たちがいても、なんの問題もない。そういうことが体感できた。

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父親の問題が母親に影響していた

ところがその同僚のおばさんだけかと思いきや、そうではなかったのだ。

久しぶりに実家に行くと、「もうお父さんと一緒に寝てないんだよ」と母親が言うのでなにかと思えば、父親が今度はバードウォッチングにはまっていて、たびたび車中泊で出かけていくのだという話だった。その際にクッションやコップなどを二人分持って行くのだと。それに対し父親は、「そんなことねえよ…」とゴニョゴニョと小さい声で反論していた。

あんなにいつも自分が正しく優秀だという顔をして、人を見下して威張りくさっていた父親は、浮気をしていた。どの面下げてだ、と心底思う。

母親は、それを追求したのかどうかはわからない。でも離婚することはなかった。それを見過ごして、一緒に生活していくという道を選んだのだ。

私が思うに、父親はたぶんそのおばさんのほうが好きだったのだと思う。経理という「賢い」仕事をしていて、学校も出ていて、話もあって、仕事で頼りにもなり、都会風の人だった。息子たちもいい大学を出て、設計士など賢い仕事をしていた。それをなぜか、父親は誇らしげに話していたりもした。

きっと彼女といると、知的な話をしたり、大人のつき合いができたのだろう。

でも、彼女と一緒にいるには、自分でお茶もいれたりと、対等でいなければならなかった。紳士を演じていなければならなかった。私にはわかる。あの男には、それを年中することなどできない。

うちの母親のように、学もなく、自分を持ち上げてくれて、妻らしく夫にいろいろやってあげることで自分を満たしているような、自分からなんでもやってくれるような女がよかったのだ。ラクだったのだ。でもそれではやはり物足りない、だから浮気をしたのだろう。

父親の完全なる弱さが、ここでようやくつかめてきた。

そしてこれによって安心感を失った母親は、愛情飢餓で自分の幸せを追い求めることに精一杯になり、子供のことをきちんと見てやれなくなっていったのではないか。ちょうど「夫の母親」のように。

それまでは「妻」として、妻らしいことをして夫に尽くすことが、母親の幸せだった。でもそれが崩れてきたとなっては、「妻」としての幸せを築けない。するとそこから「母」として幸せを築こうと、「夫」から「子供」へ依存先をシフトチェンジせざるを得なくなったということも考えられる。私がいい成績をとり、大学へ行き、「成功」することが、母親のすべてになってしまったのだとも。

一番よくわかるのが、についての話だ。

結婚して三年目くらいだろうか。「子供を作れ」とうるさく言ってくるので、「もし私が子供ができない体だったらどうするのだ(だからそういうことをむやみやたらに言うべきではない)」と言い返したことがあった。すると母親は、「それでも頑張るんだよ!私だってやったんだよ!」と耳を疑うことを言ってきた。

驚愕した。それまでは、ここまで馬鹿なことを言う人間ではなかったのだ。両親も妹も、常に自分がどれだけ思いやりがあり清く正しい人間かを主張してくるクズであって、こんなに自分勝手でまったく正当性のないことを言うようなクズではなかった。毒はどんどん悪化していたのだ。

このとき、はっきりと認識した。

こいつは自分の娘がどれだけつらい思いをしようがどうでもよく、自分さえ幸せならいいのだ、と。

それまでは、馬鹿な女だけれども、親として頑張ってみたこともあったのだろうと思っていた。でももうそんなことは微塵も思わなくなった。自分の幸せのために、自分の娘を踏みにじるような女。100%の悪魔だと、認識した。

自分で自分を満たし、幸せを味わうことができない。だから孫を産ませようとする。「親と自分の境界線」で書いたように、子供の成功を自分のものとする。子供がいい学校に行ったことを自慢する。いい会社に行ったことを自慢する。しかも夫に浮気されたとなっては、本当に子供しか自分を埋めてくれるものがない。

そう考えると、すべての辻褄があってくる。

父親の問題がどこからきているかというのは、またのちにとんでもない話が出てきて理解が進むことになる。このときわかっていたことは、18歳のときに実母がなくなっているのが、もしかしたら関係しているのかもしれないということだった。

そして、こういう家庭の問題がにどう影響しているのか。

カウンセラーは、たぶんもっとつらくて悲しい記憶があるのではないかと言っていた。私が父親を気持ち悪いと思うのは「自分のことばかり」という怒りがあるわけだけれど、そう思うに至った「自分がないがしろにされている」という出来事があるのではないかと。そして「夫の記憶の扉が開いた」で書いたように、記憶を閉じ込めているのではないかと。だから、親にかける言葉がなく、「馬鹿で哀れ」と見下していることしかできないために、「手紙を書く宿題」ができないのではないかと。

なのであればその記憶を思い出したいと思ったが、いかんせん私には年上の兄姉もおらず、叔父や叔母も「叔母と絶縁」や「相変わらずの毒一族」で書いた通りひどい様子だったので、話を聞くことはできなかった。

ヒプノセラピーの「退行催眠」にまた挑戦してみようかと言うと、カウンセラーは「あまりお勧めしない」と言ってきた。これをやったところ実父に性的虐待を受けていた記憶が突如蘇ってしまい、死ぬようなパニックに襲われて大変だった人がいるとのこと。なのでそうやって急に思い出さずに、「エネルギーセンター」で書いたようなヨガニードラをやりながら、ゆっくり思い出すのが一番だと言われた。

あとでわかったことだけれど、このときカウンセラーは私が父親から性的虐待を受けたのではないかと疑っていた。今も記憶にはないけれど、100%まったくなにもなかったと言うことはできない。確かに子供のころから、私は父親が気持ち悪いと思っていた。のちに別の記憶が関係しているのかもしれないとわかることなのだけれど、もしかしたらなにかあったのかもしれない。

カウンセラーは、どれだけ小さい赤ちゃんでも、親が自分を見ていてくれているかどうかというのは全部わかっているのだと言っていた。子供が親の目を見たとき、親がきちんと見返してくれることが、健康的なメンタルの成長につながると。安全基地」の構築ということだろう。

ただ、母親から聞いた話だけれど、父親は自分の好きなときだけ好きに子供をかわいがり、おむつなど替えたこともなかったそうだ。これだけでも、私の中に「父親にないがしろにされてきた」という感覚があって当然だった。

私がこのカウンセリングを始めた当初から、「自分が空っぽで生きている感じがしない」と言っていたことも、実家がただ家を回しているだけの演劇のような「家族ごっこ」だと感じていたことも、もしかしたらここにあったのかもしれない。

外で恋愛をしていて、家にはただお金を持って帰ってくる「父親」
浮気を無視して、ただ家庭を運営しているだけの「母親」
それにただ乗っかっているだけの「妹」

全員、本体はのところにあって、時間がくると舞台の上にあがり、劇をし、またバラバラに帰っていく。そんなお芝居のような、中身のない家族。そんな家だったのだ。

父親の問題に気づいた

私がまだ日本にいたころのこと。

運転しているときだったから、まだ実家に住んでいたころのことだったのかもしれない。なぜそのときに思い出したのかはまったく不明だけれど、突如として子供のころの記憶が蘇って、ものすごい衝撃を受けたことがあった。

覚えている妹の姿が二〜三歳だから、私が四〜五歳のころだろうか。なぜか母親がいなくて、父親が私たち姉妹と一緒にいたことがあった。父親と三人で車で出かけて、なぜか父親の同僚のおばさんの家に遊びに行った。

父親は社員三〜四人の小さい会社で働いていて、その同僚は経理のおばさんだった。家は新興住宅地のようなところにあり、引っ越したばかりなんだよと父親が言っていた。静かな晴れた日で、家にはそのおばさんしかいなかった。

玄関に着くと、父親がさっさと上がり込み、テンションが上った感じで「なにしてるんだ、早く上がれ」と私たちに言った。人の家なのに、まるで自分の家のようにふるまう父親に違和感を覚えた。「お茶でもいれるわね」と台所に立ったおばさんのあとについて、「俺がいれるよ」と立ち上がり、棚からお茶を出して二人で楽しそうにお茶をいれはじめたのがまた異様だった。

人の家なのに、どこにお茶があるか知っている父親。普段お茶なんて絶対いれたりしないのに、楽しそうに自分から立ち上がる父親。それまでまるで見たことのない父親が、そこいはいた。

当時の私にはなにが起こっているのかまったくわからなかったけれど、おばさんの家に入るところから「なにかがものすごく変だ」ということは感じていた。自分の父親が、私の全然知らない家で、さも自分の家のように振る舞っている。なぜだかわからないけれど、おばさんが「お母さん」のように感じる。お母さんじゃないのに。どうしてだろう。

今ならわかる。「父親が仲良くしている女性=自分の母親の立場の人」と感じていたのだ。

でも明らかにこのおばさんは「お母さん」ではない。なのになぜ自分がそんなことを感じるのか。なにがなんだかわからなかった。そして、怖くなった。着いたばかりなのだけれど早く帰りたくなった。一刻もそこを出たかったのだ。

父親は、私がぐずっているのだとでも思ったのだろう。おばさんに「悪いね」と言って、そこを出た。

家に着くなり、私は母親に駆け寄った。父親が車を回して駐車している間に、母親に会ってこれを言わなければと思っていた。早く、お父さんが来る前に。

母親の膝にすがりつき、「おばさんがお母さんみたい」と訴えた。母親は「なに言ってんの、私がお母さんでしょ」と言って聞いてくれなかった。違う、そうではない。

「『お母さん』というポジションにあのおばさんがいる」ということで、
「目の前のお母さんあなた自身があのおばさんに変身した」ということではないのだ。

そう言いたかったのだけれど、なにしろ子供だったのでそれは説明することができなかった。ただただ「おばさんがお母さんみたいになっちゃった」と繰り返した。でも父親がすぐやってきて、私が言っていることを「なに言っているんだ」と否定し続けた。The Endだった。

これを運転中に突然思い出した私は、雷に撃たれたような衝撃を受けて思わず叫んだ。

あのときはなにが起こっているのかまったくわからなかった。でもその子供の記憶を大人の自分の頭で再生すれば、すべてはっきりと理解できる。父親は浮気していたのだ。本当に、浮気していたのだ!!

天地がひっくり返るほどの衝撃だった。子供のころに見た映画の意味がわからなくて、同じ映画を大人になってから見たときに「そういうことだったのか」と思うような。でもそれが映画ではなく、自分の記憶。ずっとこの頭の中にあったであろう、この記憶。でもずっと忘れていた、この記憶。突然電気が走って、子供のころの頭に時空を超えてアクセスしたようだった。

その後ずっと忘れていたのだけれど、カウンセリングに通い始めてからまた思い出した。カウンセラーは、「子供の感覚というのはすごい」とうなっていた。「なぜだかよくわからない、でもおばさんがお母さんのように感じる」。これはものすごい真理だと。

そのときの気持ちを聞かれたので、よく思い出してみた。なぜだかよくわからないけれど、なんだかよくないことが起こっているような気がして怖くて、周りに黒い雲が降りてきたような感じがしたと話した。なにが起こっているのかはわからなくても、子供は「父親の存在が自分の家からいなくなる」ことを感知して、自分の世界が崩壊するのを感じるのだと言われた。

子供は賢いのだ。それを自分の身をもって体感した。

そして当時母親は私の前では否定していたけれど、実際は子供の私が言ったことが十分に伝わっていた

カウンセリングでこの話をしていて、あることに思い当たった。たぶんこの事件のあとだ。母親は昼間に突然父親の職場に行くという奇妙な行動に出たことがあった。思い出せる限り、最低でも二度。一度目は妹も連れて、二度目は私と二人で。

買い物に出かけたところで、「近くまで来たからお父さんの会社に行ってみようか」と母親が言った。そんなことを母親が言うのは初めてだったし、母親の様子が完全におかしかったので、なんだか嫌な感じがしていた。よくない理由からきていることが、子供の私にはわかっていたのだ。

職場に行くと、父親はなぜか恐ろしいほどの満面の笑みで「おお!!」と出迎えてくれた。見たことのない笑顔だった。ものすごく強張っていて、貼りつけたような異常な顔だった。でも母親が「いきなり行ったらお父さん喜ぶよ」と言っていたので、きっと突然娘に会えて嬉しいのだろうと思うようにしていた。でもなぜかはわからないけれど、はっきりと「そうではない」という感覚があった。

そして同僚のおばさんも、まったく同じ笑顔だった。満面の、貼りつけたような笑顔。二人とも怖かった。きっとこれで、母親が浮気を疑っていることがわかったのだろう。ごまかそうと必死だったに違いない。

二度目に母親が行こうと言ったときは、私は行きたくなかった。なぜかわからないけれど、そんなことはしたくなかった。でも母親が何度も「お父さん喜ぶよ」と言うので、しかたがないから同意した。でも父親が喜んだりしないことは感覚としてわかっていた。

着いたらなんと父親がおらず、同僚のおばさんもいなかった。どうでもよかったのだけれど、母親がなぜかものすごく焦っていた。他の同僚に「さっきそこで仕事していたからすぐ出てくるよ」と言われたのだけれど、母親は「早くお父さんに会いたいよね」と私に捜索させた。異様だった。

けっきょく父親は隅のほうで仕事をしていたのですぐ見つかったけれど、今度は心外そうな顔をしていた。母親の焦りと、奇妙な行動。それがおばさんに関することだということもわかっていた。「父親とおばさんが一緒に見つかったらいけない」ということまで、当時の私はわかっていたのだ。子供の感性には驚嘆するばかりだ。

でも私はそんな記憶はすっかり忘れていて、父親がこのおばさんの話をするたびに、母親が「不倫しているのかしら」と言うので、なんでそんなことを言うのか不思議でしかたがなかった。父親のように、自分勝手で自分が大好きな一人が大好きな男、女性に興味があるとは到底思えなかった。「あんな自分の趣味しか興味のない男がそんなことをするわけがない」と笑い飛ばしていた。あほだった。

母親は、あれからずっと浮気を疑っていたのだ。父親に対して、疑心暗鬼の塊だったのだ。