挙動不審

GPの判断

GPと相談」してつけてみた、「Mood(気分)」の記録を持って行った。

全体的にプラマイゼロのときが多く、そこまで私の状態がひどくないということで、抗鬱剤は飲まずに様子を見ることになった。私が落ちるのは夫がいるときだったから、夫といなければ大丈夫だった。

relateのカップルカウンセリングのほうはどうかと聞かれたので、「よくある国際結婚の問題だと思われているみたいで、なかなか進まないから、愛着障害を専門にやってる人を見つけたのでそこに行ってみようかと思ってる」という話をした。「愛着障害」とはどういうものか聞かれたので、私と夫は「不安型と回避型」で、これは最悪の組み合わせだから、いろんな問題が生じてしまうらしいと話した。

ではその愛着障害を専門にやってる人のカウンセリングをやってみて、様子を見ましょうということになった。1か月くらいしたらまた報告に来るように、とのことだった。

話が終わると、「あなたはIntelligent lady(賢い女性)ね」と言われた。

びっくりした。びっくりしすぎて、なにも言い返せなかった。

この先生も女性なのだけれど、そんな医者のような正真正銘頭のいい人に「インテリジェント」などと言われるなんて。こんな問題を抱えて、抗鬱剤の処方をどうするか話しているような患者に対して、「賢い」とは。青天の霹靂だった。

ありがとうと言ったほうがよかったのかなと思ったのだけれど、でも別に褒めようとして言ったわけではなかったのかもしれないし、だったらそこでお礼を言うのも変かなと思った。どうしたらよかったのか、なんと返したらよかったのか、まったくわからなかった。普通ならどうするのだろう。

私はほめられるのが苦手だった。「満足できない」で書いた通り、「いいことを言われて喜んではいけない」というトラウマがあったからだ。だから人からそうされるとどうしたらいいかわからなかった。けなされてイジられているほうが、笑いにもなってよっぽどラクだった。

でも自己否定は「よくないこと」だと読んだから、なにかいいことを言われたときは、まずそれを「否定してはいけない」と考えるようにはなったのだけれど、だったらどうすればいいのかがわからなかった。これは今でも課題だ。

子供のころに褒められて育っていない人は、「自分なんて褒められるような対象ではない」という刷り込みがあり、大人になっても褒められたときにどうしたらいいかわからない。それで変なことを言ってしまい、卑屈だとか態度が悪いと思われたりしてしまう。

安全基地」でも書いた通り、「甘やかしたらいけない」「厳しくしつけなければいけない」という根拠のない子育て論が、私のような生きづらい人たちを量産してしまっている。

とりあえず、言われたことは否定せず咀嚼してみることにした。

「そうか、私は賢いのか」
「医者が『賢い』と言うのだから、きっと賢いのだろう」
「自分が今こうして考えて進んでいるのは、きっと賢いやりかたなのだろう」

それまではいいことを言われても完全にスルーして生きてきたけれど、少しずつ引っかかるようになっていった。そしてこうして受け入れて咀嚼してみることで、少しずつ自信になっていった。

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妹の結婚

このころ、ちょうど実家近くの友達がイギリスに遊びに来たので、一緒にロンドンを回ったり、ご飯を食べたりした。友達といっても、親と同世代くらいの人。親同士が友達だったんだけど、私が学生のころに初めてイギリスに来たときに、こちらに住んでいる親戚を紹介してくれたりした。うちの難しさも少し知っていてくれていて、私個人とも仲良くしてくれている人だ。

彼女から、実家の近況を聞いた。話は尽きなかった。

私には妹がいて、小さいころは仲もよく、喧嘩もしたけれど、普通の姉妹だった。妹は、高校生のときに彼氏ができた。そのときはまだ、とても仲がよかったので、彼氏を紹介してもらったりした。

はたから見た推測でしかないけれど、妹はたぶん、この彼がすごく好きだったんだと思う。特に、見た目がすごくかっこいいと言っていた。それで、今まで夢に見ていた恋愛が現実になるときがきたと、舞い上がっていたんだと思う。だから、彼の中身が自分の思い通りの人間じゃないことで、イライラしたんだと思う。好きだけど、思い通りにならない。別の人間だから当たり前なんだけど、妹も毒だから、思い通りにならないことは許せないし、受け入れられないのだ。

それでとうとう、一度別れた。「一度」というのは、その後また付き合うことになったからだ。たぶん、別れて数年経ち「彼も成長した」と思ったんじゃないだろうか。それで、この彼と結婚することになる。

私が独立しても、妹とはたまに連絡を取り合っていたんだけど、あるとき態度が急変して、絶縁された。妹はたまにこうして私を悪者にして悲劇のヒロインになり、友達や周りに私の悪口を言いまわり、私に対して突然口をきかなくなったりすることが何度もあったので、また始まったと放っておいた。

結婚するらしいということも、風の噂で話は聞いていたものの、特に本人から連絡はなかった。すると、ある日突然、知らないアドレスからメールが一通届いた。

 「今度、結婚することになりました。あなたは第一親等なので、
  式に出てもらうことになると思います。よろしく。」

そんな一方的なただの独り言メールだったので、放っておいた。

それから一年以上だろうか、そんなことも忘れたころ。壊れて放置していたポストを久しぶりに開けてみると、たくさんのジャンクの中に、一枚の葉書が入っていた。妹からの、結婚式の招待状だった。式の日取りは、三週間後

身内に招待状を送るという行為と、ぎりぎりの通知ということで、「お前は出席するな」ということだと悟った。自分の晴れの日に、姿を現すなということだ。そこで、ご希望通りに「欠席」に◯をつけて出した。

すると、しばらくしてから連絡が来た。二人そろって、私に会いに来ると言う。

会ってみたところ、「妹の結婚式に出なくていいのか」と言ってきた。親のメンツがあったのだろう。「妹はお前に出てほしいんだよ」とか言っていたが、本人からなにも言ってこないところを見れば、明らかだった。当時の私は派遣社員だったから、休めばその分給料がもらえない。出るなという式に、さらにお金をかけて遠くまで出かけていっても、誰も得をしないのは自明だった。だいたい私には、もうこの一家の行事に参加するほどの所属感もなかった。

けっきょく、親は二度も会いに来た。普通の親だったらもちろん、妹に「姉に自分で直接話をしろ」と言うだろう。でも、親は二度目も自分たちがのこのこやってきて「本当に出なくていいのか」と前回とまったく同じことをしていた。親でもなんでもない、ただの使い走りだった。親だというの認識はかけらもない人たちだった。

けっきょく式には出なかったけれど、招待されて出れない場合は電報を打つのが常識なので、これだけはやっておいた。すると、なんと親から「電報ありがとうね、妹も喜んでたよ!」と心を弾ませた電話があった。興奮に紅潮している顔が見えるようだった。驚愕だった。

還暦になろうという人間が、妹の結婚式に、姉が出席せず電報で済ましたことについて、なにも考えていない。驚愕というより、ここまでくるともう恐怖だった。たぶん、あの式で電報なんて送ったのは、私くらいだったんだろう。「電報」なんて日常にはないフォーマルなものをもらって、心がうきうきしてしまったんだろう。恐ろしい。しかも妹からではなく、親から「ありがとう」とお礼を言ってくることからも、自分がもらったと思っていて自分が喜んでいるのは明らかだった。

あとで叔母から聞いた話、親類の間ではこの式は不評だったようだ。妹は、両親と私、そして自分と旦那の友人を教会の式に招待し、親類を食事会に招待したそうだ。常識的に考えると、どちらかといえば親類を式に呼んで、食事会は友人とやるべきだと。確かにそうかもしれないが、あの一家に「常識」を求めるほうがお門違いと思われる。

のちのちつながる話だけど、こんな家で育ったから、私の「常識」やものごとの「概念」は歪んでしまっている。毒親育ちの典型で、親が自分の都合でいいことと悪いことを変えるために、それに右往左往させられて、いつも「いい」か「悪い」かが判断できぬまま、常にびくびくしていなければならなかった。「常識」は「親の都合」であり、その場その場の親の気分や立場によってころころ変わるからだ。同じことをしても、「いい」こともあれば、「悪い」こともある。また、親がしてもいいことなのに、私がすると悪いことに変化したりする。

結果が予想できないから、「安心感」が育たない。大人になっても、安心して人とコミュニケーションすることができず、人がどう思うかばかりを考えながら行動し続けてしまう。これが、私が挙動不審になってしまい、常に勝手に自分を守る作業をしている原因だった。

女性性と男性性

では、女性と男性に対するコミュニケーションに違いがあるのはなぜか。

男性に対しては緊張することなく、嫌われても平気だし、気にしない。でも女性に対しては、嫌われたくないあまりに気をつかいすぎ、挙動不審になってしまう。これはいったいどういうことなのか。

ということで、私が考える「男性性」と「女性性」について、思いつくイメージをリストアップするという宿題を出された。これをもとに、男性と女性に対するコミュニケーション方法の違いを見るのだ。
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これだけ見ても、私が「女性性」に対するイメージはすこぶる悪いことがうかがえる。私の中の「女性性」とは、ほぼこんな感じの嫌な部分ということだった。ただ「男性性」でも、「結論を早く出したがる」などのように、好きではない部分もあるにはあるけれど。

しかも、たとえ男性が上の「女性性」に挙げられていることをしても、「女みたいなやつ」とか「女の腐ったやつみたい」とかいう表現をする。「女らしいこと」が、かなりネガティブなイメージなのだ。

どういうことなんだろう、と思っていたところで、カウンセラーからひとことが。

 「このリストはこれでいいと思うんですけど、問題は、この二つがぱっきり分かれてしまっていて、対話していないってことなんですよね」

これを聞いたときは、頭が真っ白になってしまって、まったくよくわからなかった。なぜって、この二つは私の中では相容れないものだったし、「対話」なんて考えられなかったからだ。でも普通なら、この二つが自分の中で対話してネゴして、着地点を決めるということらしい。ちょうど、自分の中の「天使と悪魔のささやき」みたいな感じで。でも私の場合はぱっきり分かれてしまっていて、まったく歩み寄っても話し合ってもいない

たぶん普通は、男性性と女性性でまったく違うようなことを書くのかもしれない。たとえば、

 男性性=強い
 女性性=気が利く

とか。私の場合は、

 男性性=強い
 女性性=弱い

と、相反する二つを並べて書いていた。別に、強いのが男性的だと思っても、では強くないのが女性的なのかといったら、そうではない。でも私の場合はきっぱりと、「男性性の反対=女性性」となっていて、大半は女性性の方がネガティブなものを並べている。ぱっきりと分かれてしまっているのだ。

これを聞いたときに、なぜかが出てきてびっくりした。衝撃だった。自分ではまったく泣く理由もわからず、どのタイミングでなにが刺さったのかもわからないのに、なぜか涙がどばどばあふれて止まらなかった。カウンセラーは、「頭では理解できなくても、なにか深いところで感じるものがあるんでしょうね」と言っていた。

今思うに、たぶん私の中の女性性が、自分にちゃんと認められてうれしかったのだ。

つまり、今まで私は自分の中の女性性を否定していたのだ。女性であることが、嫌だったからだ。男の子と遊んでいても、周りからは変な目で見られる。子供のころからセクハラにも何度もあった。私の外見が女の子だからだ。

 「でも、それって違いませんか?悪いのは、そのセクハラしてくる男性ですよね?」

カウンセラーにそう言われて、びっくりした。確かに、変な目で見てくるやつらや、セクハラしてくるやつらが悪い。私はちっとも悪くなかった。でも、私は自分を責めていたのだ。

 ・女性であることで、嫌な思いをしている
 ・それについて、外に怒りを向けず、女性である自分に怒りを向けている
 ・さらに、男性っぽくしようと努めることで、自分の中の女性性を消そうとしている

女性性に対してネガティブなイメージを持っていることで、対外的にも女性に対して臆病になり緊張してしまう。これが、男女に対するコミュニケーションの違いだった。自分の中にあるものが、外にも出てきてしまう。これを、「投影」というらしい。

そして同じく「投影」の現象で、自分の中の女性性を否定し消そうと攻撃することで、外からの攻撃も呼び込んでしまい、セクハラを受けるようになる。この辺りは今だに明解ではないんだけど、どうも心理学ではそういうことらしい。確かに、私はなぜかそういうものを呼び込んでしまうことが多い。ここでもあそこでも、となって、ますます女性性を消そうと務めることになる。

でも、そうしてさらに自分の中の女性性を攻撃することでは、外からの攻撃も増やすだけなのだ。自分の中の女性性を認め、大切にし、自信を持つことが、それを解決する手段になるんだと思う。