感情ネグレクト

夫の記憶の扉が開いた

そして、週末。

お姉さんとお母さんの家に乗り込んで行った夫が、帰ってきた。帰ってくるなり、私に抱きついてそのまま固まった。泣いていた

どうやらいろいろあったらしかった。結果がどうであれ、聞いてやろうと思った。

なんと夫は、記憶を取り戻した。夫は海外で生まれ、数年そこに住んでいたらしいのだけれど、そのときの記憶が一切なかった。夫の人生の記憶は、イギリスに引っ越してきたところから始まっている。このときに4〜5歳のころに引っ越してきたことが判明したのだけれど、お姉さんと初めて子供のころの話をして、その前の記憶を今回思い出したとのことだった。

この家族の歴史はこうだった。

夫の両親はイギリスで結婚し、夫の姉が生まれた。その後二人目(夫)を妊娠しているとき、お父さんは海外で仕事を見つけ、家族を置いて先に渡航した。家を見つけ、仕事を始めてから、お腹の大きいお母さんとお姉さんを呼んだのだけれど、そのときにはすでにお父さんには他の女性がいた。夫はそこで生まれたのだけれど、生まれる前から両親は喧嘩ばかりだった。お姉さんが言うには、お母さんが突き飛ばされてガラス戸を破って倒れ込んだりしたらしい。壮絶な喧嘩だったそうだ。

その後、お母さんは義理のお父さんになる人と出会い、両親は離婚することになった。お父さんと義理のお母さんに連れられて、夫は姉とイギリスへホリデーに来た。初めてお父さんの実家で過ごし、お父さんと海のある町へ旅行へ出かけ、釣りを一緒に楽しんだ。こんなことは初めてだった。

そんな楽しいホリデーだったのに、ある日突然世界が暗転した。

お父さんの実家にいたとき、突然車の音がした。お父さんが出かけるようだった。自分も急いで支度をして、荷物を詰めて外に出た。お父さんと義理のお母さんが車に乗り込む。自分も乗り込もうとするのだけれど、おばあさんは自分を抱えて離してくれない。お父さんがいってしまう。わけがわからなかった。泣き叫んだのだけれど、届かなかった。お父さんは行ってしまった。海外へ帰ってしまったのだ。

お姉さんからこの話を聞いて、夫はこのときのことを一瞬で鮮明に思い出したそうだ。このとき持っていたおもちゃ、詰めたカバン、お父さんの車、自分を抱きしめる祖母。イギリスでのホリデー、お父さんとの釣り、楽しい毎日。それが一瞬で崩れた瞬間。

夫は、なにが起こっているかまったくわからなかったのだそうだ。お父さんが出かけるから、もちろん自分も出かけるつもりだった。車の音がするから、早く早くと思って、荷物を詰めた。なのにお父さんは行ってしまった。小さい子供にとっては生死に値する衝撃だっただろう。カウンセラーにそう言われていた。

きっと、相当つらい思い出だったのだろう。だから記憶から消されていた。人間の防衛本能というのは、本当にすごいものだと思う。自分を守るために、つらい記憶を消しさえするのだ。テレビの中の話のようだが、本当のことなのだ。

お姉さんは大きかったので、もうなにが起こっているかわかっていたそうだ。お父さんが出かけてしまうときも、追わなかったらしい。このあとお母さんと義理のお父さんが迎えに来て、一家はイギリスで生活を始めることになる。お母さんがイギリスで住む家を探している間、お父さんが子供たちを預かっているという話だったらしい。

あとから聞いた話だけれど、義理のお母さんははじめ、お父さんが結婚していたことを知らなかったらしい。お母さんもお姉さんもみんな、お父さんが自己中心的でひどい男だったと言っている。夫もこのときは二人に同調していた。

でも、そうだろうか。本当に、それだけだろうか。

確かに、子供がいたのにも関わらず浮気をしたのは許せないことだと思う。でもそもそもお母さんも重すぎたのではないだろうか。「毒親の予感」でも書いた通り、自分は望まれた子ではなかったと今でも傷ついており、それを満たすためだけに生きている。それをお父さんとの結婚生活で求め、お父さんは逃げたのではないだろうか。

ちょうど、私と夫のように。

お母さんは「愛着障害不安型なのだろう。そしてお父さんは、回避型

そしてきっと、義理のお母さんは安定型だったのではないだろうか。

彼女もかわいそうな人で、子供がほしかったのにも関わらず、お父さんがいらないと言って、子供を作らなかったらしい。お父さんはそのくせに自分はたばこを吸ってお酒を飲んで、心臓の手術を二回もして、早くに亡くなってしまった。残されたのは、彼女一人。お父さんはきっと、最後まで回避型だったのだろう。のちにお父さんのこの心臓の問題は、遺伝ではなく突然変異的なもので、生まれつきだったということを知った。もしかしたらそれが、お父さんが回避型だった一因なのかもしれない。

そして夫は、お姉さんとお母さんに私となにがあったのかもきちんと話してきた。話をしたら、わかってくれたようだった。夫がいかに私に対してひどかったかということを話したら、「Kelokoでなかったらとっくに離婚されてたよ」とため息をついて言っていたと。いつも問題をどうにかしようと頑張るのは女だ、男はまったく、と言っていたそうだ。

お姉さんとその旦那さんも似たような問題があって、一時期大変だったという話も聞いてきたそうだ。二人とたくさん話をして、三人でたくさん泣いてきたと言っていた。これで家族に謎がなくなってよかったと思う。もし知らないことが出てきても、これからは聞くのになにも抵抗がないだろう。

夫は、「作家がどうして小説を書けるのかがわかった」と言い始めた。びっくりした。人にはいろいろな感情があって、どこからそういうものが出てくるのがわかったと言っていた。小学生か!と思ったけれど、今までこんなにも大きな感情を押し込めてきた夫が、やっと人間らしくなってきたのだろうと思った。

それまでは自分の感情から目をそらすため、ひたすら仕事と趣味しかしてこなかったのだろう。それでこんなにも空っぽな人間になってしまったのだ。そしてここでその今まで押し込めていた感情の蓋を開けた。これからどんどん変わっていくだろうと、カウンセラーも言っていた。

夫の新しい仕事が始まり、少し緊張しながら出かけて行った。

新しい年、新しい月、新しい人生。よかったなと思った。

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怒りという感情のメカニズム

年始に「Authenticに生きた」ことから、「勇敢な私」を発見した。

このときの夫についてカウンセラーは、なかなかカウンセリングを予約しなかったこと、そして私がキレたときに自分もキレたこと、そこには「恐れ」があったのだろうと言った。

いったい「恐れ」とは。

このとき夫は私の誤解を解くために、お母さんとお姉さんのところへ話をしに行かなければならなかった。その話とは、両者の反感を買い、反論を受けるであろう話だ。自分と自分の妻が問題を抱えている、その原因は自分の生い立ちにある、となれば、お母さんの育てかたを批判することになる。

それを言わなくてはならない。なことだ。できれば逃げたい。カウンセリングに行ったら、これを話し合わなければならない。話したくなどない。だからなかなか予約をしなかったのだろうと。

その上、予約しなかった夫を私が責めた。口では謝ったけれど、それは通じなかった。嫌だけれど、やらなければならない。Kelokoからのプレッシャーが嫌だ。自分にこんな嫌なことをさせようとするKelokoが嫌だ。なんでそんなことをさせようとするのだ。嫌だ!!怒る!ということだろうと。

そこで「怒る」ことは、私にも理解できる。でもなぜそれが「恐れ」なのだろう。

カウンセラーいわく、「怒り」というのは二次的な感情なのだと。他の感情が膨れ上がりすぎてどうしようもなくなったときに、それを怒りに変換して破裂するのを逃れるためにあるのだということだった。

たとえば、「悲しみ」。悲しすぎてどうしようもなくなったとき、それ以上悲しみを味わうと破裂してしまうから怒りに変える。親にひどいことをされたとき、怒ることによって「実の親にひどいことをされた」という悲しみが極限を超えるのを逃れる。

「怒り」というのはいわば、人間が生きていくためのサバイバルテクニックのひとつだった。

「怒り」を解決するには、その下に隠れている感情がなんであるかを見る必要がある。夫はこのとき、「不安」だった。嫌なことをしなくてはならない、それはやったこともないことだったし、極度の不安を抱えていた。それが大きく膨れ上がり限界を超えかけたので、怒りに変換して生き延びたのだった。

私にとっては至極理不尽な理由ではあるけれど、このわけのわからない夫の爆発は解明できた。

というのも、私は夫がどれだけこれをやりたくないかということがもちろんわかっていたのだ。だからお母さんのところへ行っても、高い確率でなんの話もせずに帰ってくるだろうと思っていた。仕事の話だとか、家を買う話だとか、これからの世の中これがはやるだろうとか、そういうどうでもいい話だけをしてくるだろうと。

このころ夫はまだ、前進し始めたところだ。自分たちが取り組んでいることがどういうことなのかを、あまり理解できていない状態だった。だから今中途半端に話をしに行ってもまた反論されまくり、最終的に向こうの意見を鵜呑みにして帰ってくるだろう。それよりも、もっとしっかりしてから行ったほうがいいのではと思っていた。

だがカウンセラーは、何度もやればいいのだと言った。びっくりした。たぶんこういう壁は一度で壊せるものではないだろうと。今やって、たとえ逆流してしまったように思えても、何度かやって少しずつ進んでいけばいいだろうと言った。

はっとした。確かにそうだった。一度でなくてもいいのだ。今回少しでも話をすることで、「おや?」と相手に思わせることが重要なのかもしれない。「今までになかったことが起こっている」と気づかせることが。

夫の一家には、「メンタル的なことを話さない」という闇の掟のようなものがあった。どの家族にも「暗黙の了解」というものはある。この一家は仕事やお金の話はよくするのだけれど、「メンタル的な問題は自分の中にしまっておかなければならない」という暗黙の了解があった。

その中で育った夫。大学生のときにバイト先に刃物を持った強盗が入ってきたことがあったけれど、そのことも誰にも話していなかった。小さいころにいじめにあっていたらしいけれど、それも親に話さなかったらしい。私もこのときカウンセラーから初めて聞いた。

夫はそれほど、自分のことを見つめたり話したりしないようになっていた。

お姉さんもそうだった。「大騒動の襲来」の通り、「いつでも話しにおいでね」などと言っておいて、いざ私が問題を持ち上げたら叩いてきた。夫いわく、お姉さんだっていろいろと問題があるはずなのに、そういう話は一切したことがないと。集まれば毎回楽しくお食事をして終わりだった。

考えてみたら、このお姉さんもよっぽどおかしいと思い始めた。

大騒動の前夜」で私がSNSに書き込んだところにコメントをしてきたのだけれど、そこには「ママが面倒をみてくれるわよ」と書いてあった。私はてっきりこれを「まあひどい旦那ね、かわいそうに、ママが面倒をみてくれるわよ!」だと思っていた。お姉さんはわかってくれたのだと。でも実際は「ママが面倒みてくれるのだから黙っておけ」ということだったのだ。

確かに、お母さんが面倒をみてくれるだろう。でもポイントは、誰かが面倒をみてくれるかどうかではない。「自分の夫」が、その「」である自分が床に倒れているときに「無視をする」という状況に対し、これでいいのかというところだ。

お姉さんは自分が倒れたときに、旦那さんがそれを無視してもいいということだろうか。旦那さんは倒れたお姉さんをスルーして普通に生活していて、お母さんがやってきて面倒をみてくれるということでいいのだろうか。そんなわけはないだろう。

そう思ったら、耐えられない怒りがわいてきた。まさに、「慕っていた義理の家族にないがしろにされて悲しい」という気持ちが限界まで膨れ上がったものだった。携帯のメッセージでとっさにあんなに平謝りしてしまったことが、死ぬほど後悔された。

夫もきっと、お姉さんからこういう目にあわされて生きてきたのだ。私が毒親に会いに行くのと同じように、今回気づきがあった上でお母さんのところに行くのは嫌だろう。その気持ちはよくわかった

カウンセラーいわく、夫はそういう「嫌だ」という気持ちを出していいのだということさえわかっていないのだろうとのことだった。「行ったあとでカウンセリングで話したいと思っていた」と言いわけするのも同様。「嫌だと思っている」ということを私とシェアしない、自分の頭の中だけで思っている。

「一緒に生きている感じがしない」「夫は一人で生きている」と私が感じるのも当然だった。私の気持ちだけでなく、夫は自分の気持ちも出さなかったのだ。

では、どうしたらいいか。

カウンセラーは、「How do you feel about visiting your mum?(お母さんのところに行くことについてどう感じる?)」と聞いてみろとアドバイスをくれた。そうやって、夫の気持ちを出してやるのだと。出していいのだと思わせていくのだと。そして帰ってきたら「How did you feel?(どう感じた?)」と聞いてやるのだと。

この「Feel(感じる)」という単語が決め手だった。「How was it ?(どうだった?なにがあった?)」ではなく、「How did you feel?(どう感じたか)」。これを意識的に使うといいと。

私はいつも夫がカウンセリングから帰ってきたときは「どうだった?」「なにを話したの?」と聞いていたのだけれど、夫はいつも「忘れた」「たくさんありすぎて思い出せない」だった。そういうメンタル的なことを人とシェアすることに慣れていないのだと。「そういうことは出してはいけない」という暗黙の了解の中で育ったからだ。

だから、その植え付けられた暗黙の了解を破ってやらなければならない。「嫌だ」「やりたくない」という気持ちを出していいのだということ、そうすることは別に悪いことでも弱いことでもなんでもないのだということを、理解させなければならなかった。

そもそも夫は、自分は強い人間だと勘違いしていた。夫の家族がそうだったのだ。メンタル的な話をするのは「弱い人間」のすること。

It’s alright(大丈夫)
It’ll be fine(放っておけばいい)
Time heals all wounds(時が解決する)

男気で放置することが、「強い人間」だと思い込んでいる。きっとこれは多くのイギリス人の根っこにあるものだと思う。

でも実際はそれこそが「弱い」ということなのだ。現実を見つめられない、対峙できない。それをするだけの勇気がない。なのだ。

きっと、たとえば仕事の面接などであったら、夫も準備をして勇敢に出陣できるのだろう。でも「メンタルなことは持ち出さない」という家庭で育った夫が、その家庭に「メンタルなことを持ち出さなければならない」となったとき、そのプレッシャー恐れはいかほどだろう。確かに思った。

でも、少しずつでいいのだ。千里の道も一歩から。

殺され続ける自分

夫の実家にいたときに、メールでカウンセラーに連絡をしていた。

もうどうしたらいいか、本当にわからなくなってしまっていた。このまま同じことの繰り返しで、夫はずっとこのままで、別れるしかなくて、どうなってしまうのだろうと思っていた。頭がガンガンしてなにも考えられなかった。

カウンセラーからは、真摯な返信がすぐ返ってきた。日本に行ったことで私が無意識下にダメージを受けているだろうということ、その上で今、精神的に限界になっているだろうことは容易に推測できるとのことだった。今は大変だけれども大丈夫だと。今でも、すでに初めて会ったときより確実によくなってきていると。もっとよくなれば、夫や周りの人との関係だってよくなるから、心配しないようにと言ってくれた。

果たしてそんなことが本当に起こるのか。カウンセラーの言葉は理解できたものの、そんな未来はまったく想像できなかった。

必要なら次の予約の前にもう一つカウンセリングを入れると言ってくれたので、とにかく帰宅のしてすぐの予約を入れていた。大晦日の前日だ。

カウンセリングの前日、夫と電話で話をした。普通だったらそれも、これだけ参ってる私のことを気づかって、自分から連絡をくれるだろうにと思った。自分はぬくぬくと実家で家族に囲まれて過ごしていて、私からのメッセージにも返信はない。これが本当に自分のと言われる人なのか。

やっと夜にメッセージが入った。いわく「新年はこっちで過ごすことにした、予定通り新年二日にそっちに戻る」とあった。

最初に夫からメッセージがあったときは、「遅くなってごめん、大晦日前に戻る」と言っていた。会いたくはなかったけれど、このまま話をしないでいるのもなにも進まないと思ったから、来て話し合うつもりなのだろうと思ってた。でも私がお母さんに悪いことをしたわけだからと思い、「新年はお母さんと過ごしてやれ」と返していた。

ただそこから返事もなかったし、帰ってきてきちんと話をしなければならないだろうなとも思っていたから、夫は大晦日前に帰ってくるのだろうと思っていた。電車のチケットも、大晦日前日のものにもう変更してしまったと言っていた。

なのに、当初の予定通りにお母さんのところで新年を迎えることにしたと言われた。こんなになってる自分たちのことを放置するのだと。信じられなかった。

絶望に突き落とされた。

それでもとにかく電話をかけた。いつも私だと思った。いつも私が二人のために、絶望の中から死ぬ思いでアクションを起こす。自分の気持ちもなにもかもを抑圧して、二人のためを考えて行動する。

話を聞くと、私が残れと言ってたと言ったらお母さんが喜んだから、残ることにしたとのことだった。Kelokoがこっちに来て、みんなに謝ったら一番いいのにと言ってきた。

心臓が破裂するかと思った。

今までこれだけ死ぬ思いをしてきたのに、まだまだ人のために私は死ぬ思いをさせられるのだ。のために自分を殺されて、のために自分を殺されて、今度は夫の家族のために自分を殺されて。

どこまで殺され続ければいいんだろう。なんで私はいつも殺されなければならないないのだろう。

そうやって「私が残れと言うから」残る。「お母さんが喜ぶから」残る。自分がまったくない。自分で「どうしたらいいか」「どうすべきか」を考えて行動できない。すべて人が言うことをやってるだけ。この世界に生きていない。

それもだけれど、ここで夫が残ることを喜ぶお母さんもどうなのだろうと思い始めた。

息子とその嫁に問題があって、カウンセラーに別に暮らすようにまで言われている状態で、嫁が突然帰ってしまって。追いかけようとした息子が「やっぱり残ろうか」と言い始めたら、普通の親なら「追いかけろ」と言わないだろうか。少なくとも、残ると言い始めた息子に対して「お前本当にそれで大丈夫なの?」と心配するひとことくらいあるのではないか。

そうでなくとも、息子が明らかに自分の家庭に問題を抱えている状態で、「もうずっと新年を一緒に過ごしていなかったから嬉しい」などと言って、喜びはしないだろう。

この家族、なにかがおかしい。

従妹の言う通り、日本に帰ろうと思った。こんな状態で年越しを一人で過ごすのは嫌だと思った。調べてみたら、大晦日発のフライトが買えなくはない値段であった。

帰りの日付けをどうしようかと考えたけれど、本当にまたイギリスに戻ってくることになるのか、まったく想像がつかなかった。従妹と暮らして、日本で仕事を見つけていく自分が見えた。そのほうがいかにも現実的だった。

とりあえず安い二月の便で取っておいて、落ち着いたら帰りのチケットを捨ててしまえばいいと思った。もしくは片道でもいい。とりあえず日本へ行こう。年越しを機内というのもいい。従妹の生活を手伝いながら、しばらくゆっくりすればいい。

夫に「年越しは日本へ行く」とメッセージを送った。すると「今日そっちに戻る」と返事があったけど、もうどうにでもしろと思った。

こいつはいったいなんなのだ。

私が言うこと、お母さんが言うこと、お姉さんが言うこと。人が言うことばかりをやってる空っぽな入れ物。いろいろなリモコンから電波を拾って右往左往と意味なく動く、ハードディスクのない空っぽなロボット

とにかく悲しかった。私には誰もいなかった。