愛着の修復

愛着障害の克服2:愛着の傷の修復

次に、「愛着の傷」について。

2)愛着の傷を修復する

(1)未解決の傷を癒す

愛着障害の人の多くが、以下のような未解決の愛着の傷を抱えている。

 回避型→心を凍りつかせ、傷に向かうことを避ける
 不安型→見捨てられる不安が、日々の生活を脅かす
 統制型→周囲の存在をコントロールし、不安に対応しようとする

安定したバランスの良い愛着スタイルを手に入れるためには、未解決の傷を修復する必要がある。

愛着の傷には様々なものがある。

 ・幼いころに親に捨てられた
 ・親と死別した
 ・親と離れ離れに暮らさなければならなかった
 ・親から放っておかれたり虐待された
 ・親の離婚や喧嘩を目の当たりにした(=夫)
 ・親が自暴自棄なふるまいをしたり自殺を図ろうとした
 ・再婚などにより親の愛情が他の存在に奪われた
 ・親が自分よりも他の兄弟ばかりを可愛がった
 ・親からいつも否定された(=私)
 ・親の都合や期待ばかり押し付けられた(=私)

ただこれを自覚して認知的な修正をほどこせばいいという単純なものではなく、強いブロックがかかっていたり激しい抵抗が起きてはねのけられてしまいやすい(=夫)。またいくら本人が前向きに認知的な修正に取り組んでも、それだけでは愛着の傷は癒やされない(=私)。もっと大事なプロセスとして、幼いころに不足していたものを取り戻すことがある。

(2)幼いころの不足を取り戻す

愛着障害の修復過程は、ある意味「赤ん坊のころからやり直す」こと。幼いころの状態や問題を順次再現しながら、児童期→思春期→青年期と成長を遂げていく。この過程で、幼いころの心理状態が再現され、駄々をこねたりわがままを言ったり親を困らせたりなど幼児化することがある。当時に得られなかった愛情を今与えてもらうことで、傷を癒やそうとしているため、周りには後退したように見えるかもしれないが、回復にはこの状態が出現することが前提となり、これが第一歩となる。

しかしここで突き放すようなことを言ったり拒絶すると、癒やすどころか逆に再び傷つけてしまうことになる。実際の親とはこうした修復行為が難しいことが多いため、恋人やパートナーがもっともふさわしいが、治療者や教師、宗教者、先輩や仲間といった援助者が担ってくれることもある。

(3)踊り子体験と愛着の修復

川端康成、ジャン・ジュネ、伊達直人の愛着修復の例。愛着障害の人は「自分が他人から受け入れてもらえる」と信じることができず、根源的な自己否定を抱えやすいので、自らの価値を肯定してもらえるという体験が重要となる。川端は踊り子から無条件の根源的な肯定をもらい、ジュネは盗癖さえも受け入れてくれた仲間によって泥棒を止め、伊達はちびっこハウスの子供たちが寄せてくれる純粋な愛着が守るべき絶対の価値となって、修復が行われたと見られる。

私の場合、まさしく「ひとりじゃなかった」で書いたことがこれに当たるのだと思う。私に対してなんの利益もない人たちに肯定されていると気づけたことで、少しずつ自分の価値が見えてきた。

(4)ままごと遊びと子ども心の回復

子ども心」を取り戻すことが、愛着障害を修復する鍵を握る。川端は本当の子ども心で暮らしたことがなく、7歳年下の初代と一緒になって遊ぶことで、埋もれた子ども心を取り戻そうとした。彼が初代との間で思い描いていた結婚生活は、「二人が二人とも子供になること」であり、「子供心で遊び戯れること」だった。二人とも幼いころに家庭をうしない、「ほんとうの子供心で暮らしたことがない。だから二人で力を合わせてその埋もれた子供心を掘り出したかった」のである。

幼い少女に執着を抱く、いわゆるロリータ・コンプレックスの男性は、ほぼ例外なく愛着障害を抱えており、満たされることなく失われた子供時代を取り戻そうとしている。「伊豆の踊子」にも無垢な子ども時代へスリップバックする感覚が描かれているが、それが癒やしとして愛着の傷に作用する。

日本のように社会全体がロリコン的で幼い国は、それこそいかに子供時代を思いっきり子供として過ごせた人が少ないかの現れだと思う。

(5)遊びが持つ意味

川端の「子ども心の回復」という願望は、愛着障害を癒やす方法として一つのヒントになる。人は愛着障害の回復の過程で、子ども心を取り戻すという段階を経験するのだ。

夏目漱石は不安定な時期によくを描き、小説では解消しきれないなにかを非言語的な証言行為によって解消しようとした。ある20代の青年は、幼いころにそういう雑誌を読ませてもらえなかったと、幼児向けの「めばえ」という雑誌を購読し、さらに「よいこ」「幼稚園」「小学一年生」と進んでいって安定を回復していった。最後には「どんなものかわかったから納得した気がする。もういいかなと思う」と語った。

人は子どものころになかったものを補うことで、成長の偏りを自ら修正しようとする。不足を知らず育った人からは奇妙に思えるが、できるだけ早い時期、青年期までに満たしてやればある程度の回復が可能。ただ、強い回避型と強い不安型には、安心の得方や癒やし方に大きな差がある。回避型の川端と不安型の初代では、最終的にうまくいかなかった。

漱石が絵を描いていたというのは、驚きだった。私も以前のカウンセリングで「絵画療法」をやったけれど、言語に頼らない表現方法で子供心を解消するという方法はとても有効だと思う。

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