子供

パリの不思議な人

契約満了で辞めると決めた仕事だったけれど、それからはプレッシャーと不安もなくなり、気持ちもラクになって楽しめるようになっていた。

言いたいことも気負わず言えるようになって、最初からこうできていたらもっと違った仕事生活が楽しめたのにと残念な気持ちになった。夫の仕事が安定していなかったとはいえ、「私がこの仕事を失うわけにはいかない」というプレッシャーを感じすぎていたのだと思った。そんな必要はどこにもなかったのだ。

何度も出張で行ったパリでは、仲良くなった人もできた。とても不思議な人だった。深い話をしてみたいとずっと思っていたんだけど、最後の出張のときにそれが叶った。

彼女は子沢山のお母さんで、とてもあたたかい人だった。私がパリに行くようになってよく話すようになったのだけれど、それまでほとんど個人的な話はしたことがなかった。

仕事のあとにオフィスを出てすぐ、「ねえ、子供を持とうと思ってる?」と突然聞かれた。青天の霹靂だった。

「なんでわかったの?!」と思わず聞き返してしまった。はっきりと子供を産もうというところまではいってなかったけれど、そのころはずっと仕事のことや年齢のことを考えていて、子供をどうしたらいいのだろうと思っていた。

仕事はあとからでもどうにかなるだろうけど、年齡ばかりはそうもいかない。でも、かといって準備ができているかと言われると、けしてそうではなかった。ほしいわけでもないし、将来ほしくなったときを考えると今産まなければいけないと思うけれど、精神的にも安定していないし、できれば今はほしくなかった。

そんなときに、このひとこと。どう受け取ったらいいのかわからなかった。なんでこんなことを言い出したのかもわからなかった。

お店に入ってからは、なぜ契約満了で辞めるのかという話や、総務経理部長のセクハラの話、今は日本の会社が合わないことなどを話した。勤続20年の彼女が仕事を始めたときのこと、最近の会社は変わってしまったこと、彼女の家族のこと、子供のこと、これからのことなどもたくさん聞いた。

帰りにまた子供の話になったのだけれど、そのときには私の気持ちが緩んでいて、親のことがあって精神的に不安定で、子供にも同じことをするかもしれない不安もあって、などということを話してしまった。すると、

「大丈夫、あなたはそんな風にはならないわよ」

と事も無げに言われたのだ。

「私のなにを知っているというのだ」と思う間もなく、がぶわーっとあふれてきてしまった。

仕事で半年ほど密に関わっただけで、彼女が私のことをよく知っているとも思えなかった。一度だけ、彼女がロンドンに来たときに、「子供は持たないの?」と聞かれたことはあった。でも「まだわからないんだ」と言って終わりだった。よくある会話だ。こちらの人たちは日本人のようにプライベートな話には突っ込んでこないから、そのときもそこまでだった。

彼女ももちろん普段はそうらしいのだけれど、なにかピンときた人には思ったことを言うのだそうだ。私にはずっとこれを話そうと思っていたらしい。

彼女は自分でも不思議がっていたけれど、なにかを必要としている人がわかるらしい。以前も別の人に「子供ほしいんじゃない?」と突然聞いたことがあって、全然知らなかったのだけれど、なんとその人は子供ができなくて悩んでいたらしい。それで仕事を辞めるよう勧めて、その人は辞めたんだけれど、数か月後にその人から連絡があって、仕事を辞めて本当に子供ができたとのことだった。

またある人が会社の求人に応募してきて、彼女が面接をしたのだけれど、どうもその人の居場所はここじゃないと感じたので、いい人だったけれど「あなたの仕事はここじゃないから、別のこういう仕事を探したほうがいい」とアドバイスをして帰したらしい。すると数か月後にその人から連絡があり、彼女の言う通りにすごくいい仕事に出会えたと感謝されたそうだ。

私にも、もしかしたらそう言ってくれる人が必要だったのかもしれない。突然だったしよくわからなかったけれど、涙が出てきたということは、なにかに大きく刺さったのだと思った。

彼女は、「誰にでもそう言ってるわけじゃないし、会社の別の人は子供がいないけど、その人はまだ自分が子供だから子供を持つのはまだまだだと思う、でもKelokoちゃんは大人だから大丈夫」「Kelokoちゃんはたぶん12歳くらいからもう大人だったんじゃないの」と言ってきた。

たしかに私はカウンセリングでもわかってきた通り、「子供」でいた経験がほとんどない。12歳というより、たぶんもっと早くから大人でいることを押しつけられてしまっていたのだと思う。だから自分がまだまだ子供だし、そんな自分は子供を持つことはできないだろうと思っていた。

彼女が言うには、問題は「母親になりたいか」であって、「子供を持ちたいか」ではないとのこと。母親になる準備ができているか、そこを考えるんだということだった。

どうするかわからないけれど、じゃあもし母親になってなにか困ったことが出てきたら、また相談させてと言ってみた。「今からパリに行くから!」って電話かけちゃうよと。すると彼女は、「みんなそうやって私のところに戻ってくると言うけど、誰も戻ってきたことはないよ」と、楽しそうに言った。「え、なんで?」と聞くと、「みんなハッピーになったからよ、問題がないから戻ってこないの」と。

それで自分はハッピーなんだ、きっとその人たちもまた誰かに必要なことを伝えて、それで誰かをまた幸せにして、そうやって巡り巡って世界は成り立ってるんだよ、と。

小さいころにフランスに移住してきた彼女は、きっと大変な子供時代を過ごしている。でも今はそうやって家族を持って、幸せな人生を歩んでいる。だから人のことを思って、人のことを考えて、人に必要なことを伝えて、その幸せを人に伝えていっているのだと思う。

自分もこれを乗り越えたとき、人に幸せを伝えてあげられるようになりたいと思った。

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江戸時代風過去生の考察

前世療法の続き。

母親との関係性」は見れたものの、父親はまったく出てこなかった。セラピストにも「父親と思われるような人はいませんでしたか?」と聞かれたけれど、感じるものはとくになかった。第一幕に出てきた男二人も、どちらも現実の誰と思われる人はいなかった。

いつも「目はいつの人生でも同じなので、を見てみてください」と言われるのだけれど、私は目を見てもあまりよくわからない。目よりも雰囲気でわかるほうなのか、姿形がなくなって雰囲気だけになる、要するにの状態になって出てくると、誰かということがわかりやすいかもしれない。

私はこのとき、もう「親との関係性」は見なくてもいいのだということだと解釈した。もうこれに関してはなにもない、終わってしまったことなのだと、潜在意識が言っているのだろうと。母親のことが少し見れたのは、毒親のメカニズムの一種を見れたということで、それ以外はもう必要がないのかもしれないと思った。

第一幕から三幕まで通してうっすらと見えてくるテーマが、「バランス」なのかもしれないとセラピストに言われた。私もそんな感じを受けていたので、そう言われてとても納得した。

まず第一幕で、男二人が出てくるけれど、この二人が両極端だ。一人は頼りがいのある正直な男、でもそれを貫いて処刑されてしまう。かといって、もう一人のお調子者の男も、やがてボロが出て処刑される。それを見た過去生の私は「どうしたらいいのだろう」と思っているわけだけれど、「なにごとも極端ではいけない」ということなのではないか。

この後に「毒親」という単語に出会い、毒親のもとに育った人が「白か黒かの両極端で生きるようになってしまう」というのを読んで、ここで出てきた「バランス」の意味がよくわかるようになる。世の中のほとんどのものは、白でも黒でもないグレーでできている。それを知らせるために見たものではないか。

第二幕でも、ご主人にばかり極端に気持ちを傾けて生きた結果、妻の嫉妬をかぶってしまうことになった。仕事も完璧を求めすぎて、9割できても残りの1割のミスが許せない。それが原因で、心残りのある人生を送る。確かに極端すぎる。要はバランスが大事だということなのだろう。

第三幕でご主人にもらったアドバイス、「そのままでいろ」というのも大事だ。わかっていても、このころはまだまだ全然できていなかった。世話になったご主人の娘さんだからといって、すごく好きでもなかった人を妻にもらったりなどしなくていいのだ。たったひとつの失敗に、そこまでこだわらなくてもいいのだ。

そんなことをしなくても、そのままの私をご主人は拾って、愛情を持って育ててくれた。そこを大切に思うことが必要だ。

それでも、毒親育ちにはそれは本当に難しい。生まれてからこのかた一度も、そのままの自分を受け入れられたことがないからだ。実の親にも受け入れられないと、「ではいったいこの世で他の誰が自分のことを受け入れてくれるのか」と子供は思ってしまうことになり、それを一生体の奥底に抱えて生きる。でも、このときはまだそこまでわかっていなかった。

なので、二回目は「なぜこんなに今でも自分の失敗が受け入れられないのか」を見てみることになった。

ちょうどこのころ、電車の中や友達の家で子供を見たりして、「子供とはあんなに親に甘えるものなのか」ということを知って驚愕することがあった。日本とイギリスでは違いがあるのかもしれないし、年代の違いもあるのだろうとは思うけれど、私はあんなにママママ言ったり、両親にくっついたりなどあり得なかった。

あんなに親にぴったりくっついて、「疲れた」とかなにも考えずに言う子供を見て、本当に衝撃だった。疲れた自分を親が気づかうことに、なんの疑問もない。確かに親の立場になってみれば、そんなことは当たり前なのだけれど。

そういう子供を見て思うのは、自分と違ってちゃんとケアされてて羨ましくて悲しい思いもある反面、この子の好きなようになんでもしてやってほしい ということだった。自分とはなんの関係もない電車の中の子供でもそう思うので、とても不思議だと思っていた。

特に、夫が友達の娘と遊んであげていたり、優しくしていたりするのを見ると、なぜかとても嬉しかった。女の子だと自分を投影しやすくて、小さかったころの自分に重ねているのだろうと思った。子供と過ごすことで、子供である経験をして、解毒につなげると聞いたことがあったけれど、子供が夫や他の人から優しくされて大事にされているのを見ても、こうして癒されるのだなと思った。

きっとあのように親から受け入れられてこなかったから、こうなってしまっているのだろうということは、うすうすわかっていたのだ。

日本で未来療法

日本で受けたヒプノセラピーの続き。

退行催眠で見えたものを使って、潜在意識に働きかけ、記憶の塗り替えのような作業を行った。とは言っても、本当の記憶を塗り替えられたわけではなく、そういう作業をすることで、心理的に癒やされようということだと思う。要は、イメージトレーニングと同じだ。

この方法は、のちに読んだアダルトチルドレンのワークブックにも同じ内容が載っていたので、きっとよく使われる手法なのだと思われる。なんだか幼稚に聞こえる方法だけれど、本を読んでやってみたときも驚くほど癒やし効果があって、びっくりした。人間の心というものは、意外と単純にできている。

最後に、「じゃあ未来を見てみましょう」と言われ、「え、未来?」と思ったものの、集中してみた。

山と森を背にした花畑の中に私は座ってて、蝶々がたくさん飛んでいる。何歳ぐらいかと聞かれてよく見てみたところ、びっくりした。今より若く、ほっそりした女性になっていたのだ。大喜びした。セラピストは「そういうこともあるかもしれませんね」と言っていた。

髪は黒いおかっぱのような感じで、白いワンピースのような服を着ている。五歳くらいのがはしゃいで周りを走り回ってて、まるで元気になった小さい私のようで、よかったなと嬉しかった。

私「でも私、男の子がいいんだけどなあ…」
セ「まあでも流れに身を任せるしかないですよ。じゃあ、未来の自分が近づいてきて、今のKelokoさんにメッセージをくれます。なんと言っていますか?」

ここで未来の私が立ち上がると、その後ろには、なんとハイハイしてる息子が現れた。思いが通じたのだろうか。そして、そばにがいたのも見えた。

未来の私からのメッセージは、「幸せに」というたったのひとことだった。

もっとなにか言ってくれると思っていたので、拍子抜けしてしまった。

セラピストに、「この幸せな感覚と場面をしっかり焼き付けるように」と言われた。やはり、イメージトレーニングということだろう。理屈ではなく、感覚で覚える。すると、その感覚が現実になる。私はいつも心配ばかりしててすぐ悪いイメージを鮮明に描いてしまうので、それが現実になってしまう。もっと幸せなイメージを描き、幸せな記憶を刻みつけないといけない。

セ「光が流れる滝があります。そこに入ると、ネガティブなものが体から出て、光の滝の中に溶けていきます。それが、パチっと弾けて消えていきます」

なんと、セラピストにそう言われる前に、私は勝手に滝に入っていた。黒いものが光の滝に溶けていくところも、パチっと弾けて消えてくところも、言われる前にそうなった。そこから潜在意識を閉じて、セッションは終わりになった。

1時間くらいだろうかと思っていたら、なんと1時間50分も経っていた。最長の、4時間セッションだった。本当にいろんなものがつまっていたのだと、しみじみと感じた。

この光の滝に入る瞑想は、また自分でやってもいいと思った。とにかくリラックスして、嫌なことがなくなるところをイメージし、安心すること。ここで見た「幸せな未来」を信じて、それがあるのだからなにも心配することはないのだと、信じる。夫もいるから大丈夫だと、信じる。思い込みが重要だ。

このセッションを受けてみて思ったことだけど、本当に言われる通り、過去のトラウマうつに効果的だろうと思った。「自分を変えたいと思う人全般」というか。潜在意識が見せてくれるヒントをしっかり見つめ、イメージでそれに働きかけ、新しい自分を作っていく。たぶん、慣れたら自分ひとりでもできると思う。

カウンセリングもいいけれど、問題は見つけられても、それを解決するのはまた別だと、このときは思った。でものちにカウンセリングをやってみて、やはりカウンセリングでなければできないこともあると思うようにはなった。ヒプノセラピーでも、日本に滞在してここで何度も受けられれば、完治できたかもしれない。ただ、私の場合は自分だけでなく夫の問題も出てきたため、ヒプノセラピーだけではどのみち解決にはならなかったかもしれないとは思う。

ヒプノセラピーは、問題の発見から解決まで使える。この一度ですべて片付いたとは思わなかったけれど、ある程度の問題もここでわかった。大きな自分で小さい自分を客観的に見ることにも使えるし、思い込み瞑想法など、今後に自分でできそうなことも学んだ。この「大きな自分」と「小さな自分」の考えかたは、のちに「アダルトチルドレン」という言葉を知ることによって、「インナーチャイルド」の考えかたを理解する上で、大きな意味を持つことになる。

これで使いかたとやりかたがなんとなくわかったから、セラピストに言われた通り、今後またなにか行き詰まることが出てきたら、「こういうことを見たいんです」と言って、イギリスでやってもらってもいい。少しずつでもいいし、ある日突然たくさん降ってくるかもしれないけれど、ひとつひとつ治していきたいと思った。

以前の「前世療法」も、このときにやった「退行催眠」と「未来療法」も、すべて同じなのだと思う。潜在意識に問いかけ、必要なものを見せてもらい、それを見つめ、イメージを使って変えたいところを変え、伸ばしたいところを伸ばして、癒やす。かなり効果的で、実践的な手法だということがわかった。

親に関してはますます怒りを深めたものの、それでも今はもう私には夫がいて、毒親にすがって媚びへつらわなくてもいい人生があるのだということに、改めて感謝の気持ちがあふれた。まだ歯軋りは続いているけれど、小さい自分の気持ちを理解し、潜在意識に働きかけて傷を埋めること、そしてこういう方法を知ったことで、新たな一歩になった。