変化

自分自身で生きるということ

新しい仕事が始まって半年以上。変化についていけなくなりそうなほど、なにもかもが違う環境にいる。

メンタル的には本当に何度も何度も波があって、正直なところ今でも落ちることはある。でも以前住んでいた駅を通ったり、夫を思い起こさせるものをなにか見るたびに、夫のことを思い出して凹むというようなことはもうなくなった。

それもこれも、今の仕事に出会えたことで本当に救われたからだと思う。こんなことがあるなんて思いもしなかった。

それまでの私は、「手に職」にものすごいあこがれがあった。会社などに頼らず、自分の能力で稼いでいける人たち。かたや、大学を出て企業に就職した「普通」の自分。だから「デザイナー」である夫がかっこよく見えていた。独立して食べていけるような職業。たぶんそんなところに強烈にひかれていた。自分もそうなりたいと思うようになっていた。

日本語教師の勉強をして、自宅で教えるようになった。でも「次のつまづき」で書いたように、二年でやめてしまった。毎日会社に行けばお金がもらえる会社員。そのよさがだんだんとわかってきた。

それでも通いやすい会社はなかった。日本より日本的な環境で動いている「日本の会社」。解毒しようと思っているのに、それを思いっきりはばんでくる。こんなところでは生きていけないと思っていた。やっぱり自分で仕事をし、生きていくべきなのか。そうすることでしか自由になれないのか。

夫はいつも言っていた。「自分が自分のボスになる環境で仕事をしたい」と。独立して、自分で自由に仕事をしたいのだと。

それがいいのだろうと私も思うようになっていた。儲かれば儲かっただけ自分のお金になる。でも好きなことをやっても、それで食べていこうと思うことはなかった。短期の学校に行ったりと、気になることを片っ端らから試して、ものを作ってマーケットに出店することもやってみた。売れれば嬉しかった。自分の作ったものを喜んでくれる人がいる。それでも、それを毎日毎日やっていこうとは思えなかった。

あのとき気づけばよかったのだ。マーケットに行く朝、いや前日からもう気が重い。なぜかはわからない。好きなことをやっているはずなのに、気が重くて重くてしかたがない。朝、家を出るときなど、もう嫌で嫌でしかたがない。あれはいったいなんだったのか。

今ならわかる。私の潜在意識が「こんなことはしたくない」と叫んでいたのだ。

自分でもよくわかっていなかったけれど、私が自分の好きなことを見つけ、それを仕事にしようとして進めていくと、夫はとてもうれしそうだった。すごく応援してくれた。Kelokoはこんなことができる、こんなこともできると。私がなにか興味を持ってそれをやってみると、「すごい才能だ!」「絶対売れるよ!」と言っていた。

そして言われるまま、マーケットに出したり、オンラインで売ってみたりした。夫からは「みんなが買うようなものをリサーチするといい」「こんなものが売れるんじゃない?」といろいろ言われていた。たしかにそうだと思っていた。

でも、私はそんなものを作りたいのではなかった。私は自分が作りたいものを作りたかったのだ。

だんだんとそれがわかってきて、これは趣味でやっていくべきものだなと思うようになっていた。そうすれば売れるかどうか関係なく、好きなものを好きに作っていればいい。仕事をして給料があれば、これは趣味として自由にできる。お金もかけられる。

そうして、就職活動を再開した。最初は、趣味をやりながらできるパートの仕事を探していたけれど、そのうちフルタイムでも探すようになった。ロンドンへの通勤がいらない、近所の英系の企業で。経理の経験があったので、そういう方面にたくさん応募した。

それでもまったく見つからなかった。地元の企業では、外国人であることが本当にネックだった。何年も経験があったり資格があったら違っただろう。どちらもない私、さらに日系でしか働いてこなかったおかげで、英語にまったく自信のなかった私。人材会社に登録に行くところでもう、こちらの人のようにすらすらとコミュニケーションが取れないことで自信喪失、挙動不審を繰り広げ、落ち込んで帰ってくるばかりだった。

もうあきらめかけていたころ。今の会社のリクルート部から直接コンタクトがあった。

地元で、日本の会社でもなくて、日本人を探していると。そんな会社が本当にあるのか。

でも、本当に、本当だった。日本の部門がものすごく伸びていて、日本語がわかる人をこちらのオフィスにも置きたいのだと。こちらの企業で、オフィスには日本人が一人もいない。お金関係の部門なので、経理の知識か経験がある人が望ましい。日本の企業で働いたことがある人なら、もっと望ましい。まさに私にぴったりの仕事だったのだ。

それでも、迷った。経理の経験を活かしていけば、これで食べていけるようになる、どこでも仕事ができるようになると、当時は思っていたからだ。せっかく少し経理をやったのだから、ここでまた別の道に行ってしまっては、また中途半端な経歴になってしまうと考えていた。

でも正直なところ、もう勉強などしたくなかった。特に会計関連など、まったくもって興味がわかなかった。数字の扱いなら得意だったし、興味はそこそこあった。でも会計経理を勉強したいなどとはこれっぽっちも思わなかった。

大きな会社だったから、三次面接くらいまであるだろうと思っていた。それが一次面接と、10分の面談だけで、ものの二週間で受かってしまった。面接合格ですと言われ、次の採用スケジュールを聞いたとき、「これで終わりですよ」と言われて本当にびっくりした。そんなんでいいのだろうかと思ってしまった。

とにかく仕事に就いて家を出たいと思っていたのもあり、これも縁だと思い、就職した。

入ってみてわかった。本当に、私のための仕事だった。

面接で「会計経理の資格を目指すのか」と聞かれたとき、きっとここで「目指して勉強しています」と答えたほうがやる気を見せられていいのだろうと思っていた。でもやっぱり「はい」と言えなかった。「実際の仕事をしながら経験を身につけていきたい」と、いつも通りに曖昧な答えかたをした。今まで受けた経理系の仕事は、これでどんどん落とされていた。

でもこの会社のこの仕事では、せっかく雇ってトレーニングをしても、そうやって勉強して資格をとったあとに経理に異動してしまったり転職してしまう人がいて、みんなから残念がられていた。実際に、私と同時期に入った資格を持っている人も、試用期間で辞めていった。資格を持つような人がやるような仕事ではないのだ。だから、資格を目指さない私のような人のほうが向いていたのだ。

そしてなにより、私は日本でもイギリスでも企業に務めたことがあり、渡英してからは日本とヨーロッパの間を取り持つ仕事をずっとしてきている。どちらでも生活経験があり、ビジネス環境の特性も理解していて、どういうところでつまづくやすいかもわかっている。今までずっと、なんとなくそのときそのときで見つかった仕事をしてきただけだったけれど、そのすべての経験が一本の線でつながった瞬間だった。

今までのことはすべて、私がしてきた経験はすべて、どれももれなく意味のあったことだったのだ。

それがわかったとき、身震いがした。勉強して新しいことを身につける必要もない。自分の新しい才能を探す必要もない。

このままの自分で、というより、このままの自分が、この仕事にはいいのだ。

そんなものが、しかも会社員で、見つかることなどないと思っていた。みんな会社員から始まって、最初は楽しいけれどだんだんつまらなくなってきて、自分のやりたいことを見つけ、手に職を見つけ、それで独立していく。そんな考えにはまり込んでいた自分に気づいた。

そんなもの、まったくの思い込みだったのだ。みんながみんな、手に職をつける必要はない。「会社員」という形態の中にだって、やりたいことや自分を思いっきり広げられる人もいるはずだ。

と同時に、きっとみんな誰しも、こういうスポッとはまるポジションがあるのだろうと思った。

誰もが、そのときのそのままの自分で、スポッとはまるところがある。

私も、今の自分で今のところはこの仕事がスポッとはまるけれど、これからまた経験を身につけていったら、違うところにこの「スポッ」が出てくるかもしれない。そうしたらそちらに移っていけばいい。そのときのそのままの自分でスポッとはまる場所。それがどこであろうと、常にそこにはまっていけばいいのだ。

これは以前やった「今を生きる」ということだった。この「スポッ」は、この記事でいうところの「充実ポイント」になる。充実ポイントは常に移動している。それに合わせて自分を移動させていく。そうすると常に自分を満たせていられて、将来も満たされたところへ行けるのだ。

今を生きるということ。自分自身で生きるということ。同じことだった。それがわかった。

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自分を信頼するということ

落ち着いた日々」を送っていても、引っ越したばかりのころはまだまだ気持ちに波があり、以前お世話になったオンラインカウンセリングのCotreeの先生のセッションを毎週受けていた。

私がお世話になっている先生はアメリカ在住なので、ちょうどイギリスが閉まるころに開く。仕事が終わって帰宅しゆっくりセッションを受けることができるので、以前の英人カウンセラーのところのように日中仕事を休んで電車に乗って行く必要がない。「自分のために仕事を休む」「自分を優先する」という練習も必要だけれど、まだそれができない段階の人や、そこまで深刻ではないけれど話を聞いてもらう必要がある人にはちょうどいい。

夫に対する気持ちは、依存愛情の中で揺れに揺れていた。「親から見捨てられたくない」というインナーチャイルドと、「これが二人にとって適切な進路なのだ」という大人の自分からくる気持ち。

今ならあの「夫ともとに戻るのが一番いいのだ」「夫のすべてを受け入れるべきなのだ」「これが私の愛情なのだ」という気持ちは、私の中のインナーチャイルドが騒いでいただけなのだとはっきりとわかる。当時も、「これはインナーチャイルドなのだろう」「インナーチャイルドが親に見捨てられたくない気持ちを夫にかぶせているのだ」という認識はあったけれど、それでも暴走しそうになることばかりだった。

暴走せずに済んだのは、タイミングが一度も合わなかったからだ。特にお酒を飲んだりすると、「もう夫の家に押しかけて、泣いて謝ってすべて元通りにすればいいのだ」と突如として思うことがあった。これは愛情なのだと、やっぱりこれが正しいのだと。でも出る支度をしようとするとシェアハウスの大家さんがうろうろしていて、夜中に外に出ることがためらわれたり、あるいはそういうときに限って夫は用事で帰宅が遅かったりした。本当に、神様がいるのだと思うほど、あれもこれもタイミングがまったく合わなかった。

ネットでも、依存と愛情についていろいろ読んだ。チェックリストをやってみると、依存よりも愛情のほうが多かった。たしかに今までのカウンセリングと解毒をへて、そこまでひどい依存ではもうなくなっていたのだろう。そもそもこれがもし本当に依存だったら、「これは依存だろうか?」などと考えることも迷うこともないはずだ。

離婚をするべきか迷っている人のために書かれた記事も、いくつか読んだ。こういうときは離婚がいいかもしれないという項目の中に、なんと「タイミングが合わない」というものがあった。「やはり一緒にいよう」と思ってもタイミングが合わずに伝えられない、なにか言っても驚くような受け取りかたをされてしまい意思の疎通ができない、など。まさに私と夫の間で、過去ずっと起こっていたことだった。ここ数年はそれが激しくなり、私が家を出てからはもっぱらそんなことしか起こらなくなっていた。

すべてのことが、「やはりここは離れるのが一番なのだ、そういう時期になったのだ」と言っていた。でもそれがわかっていても、あの暴走しそうになるときにぐわーっと全身からわき上がってくる気持ちは、とてもではないけれど嘘などとは到底思えない。その気持ちを抱えながら「これが嘘なのか本当なのか」と考えを巡らせるも、そのときは判断もつかない。

いったい、自分の中のなにを信じたらいいのか。なにもかもがわからなくなり、世界がぐらぐら回っていた。

Cotreeの先生にも「これってDV夫と別れられない人と同じやつでしょうか」と何度も質問して、笑われた。もちろん先生は回答をくれない。友達も、誰にも正しいことはわからない。先生は回答を出すために私の気持ちを整理する手伝いはしてくれるけれど、回答はくれない。自分で出すしかないのだ。

わかってはいるけれど、本当にきつかった。もう誰か偉い人や神様に「これが正解だ!」と言ってほしかった。なんでもいいから、ズバッと回答をくれる人がほしかった。

そんなアップダウンの続く生活の中で、またCotreeの先生のセッションを受けた。冒頭に先生から「お花ですか?」と聞かれた。私の画面のバックに、スーパーで買ったチューリップが写っていたのだ。

引っ越してから、初めて買ったお花だった。昔は、花など一度も買ったことがなかった。食べられもしないし、水を変えたりなども面倒で、「こんなものにお金を使うなんてもったいない」と思っていた。それがカウンセリングを受けるようになって、「カウンセリングという目に見えないものにお金を使っていいのだ」という大きな意識の変革があり、自分のためにお金を使うことを覚え始めた。

「きれいだな」と思ったものを買うこと、「きれいだ」という気持ちで行動していいのだということ。靴下なんてたくさん持っているけれど、「これかわいいな」と思ったら買っていいのだということ。お花も買うようになり、趣味にお金を使うようにもなった。

そんな話を先生にしながら、「お花いいですよね」という話をした。カラフルなものが好きなので、本当は色の鮮やかなガーベラが一番好きなのだけれど、ガーベラは高かったのと、チューリップが安くて二つで5ポンドだったので、それにしたんですと。

なんでお花が好きなのかという話になったので、なんとなく「時間が動いていることを感じられていいですよね」とポロッと口から出た。

ちょうどこのとき、仕事から帰ってきたらチューリップが開き始めていて「ああ、自分の知らないところでも時間は動いていて、世界は動いているのだな」と思ったのだ。それを話すと先生は、「おもしろい理由ですね」と言っていた。たしかに私も、自分で言ったのに「変わった理由だな」と思った。

セッションでは、気持ちのアップダウンのことを話した。でもそれってしかたがないですよ、人生でもっともストレスがかかることの上位に、離婚引っ越し転職も入っている、だからそれが一度に来ているKelokoさんはアップダウンがあって当たり前だ、それくらいに思っていたほうがいい、と言ってもらった。

たしかに、今すぐなにかできるわけではない。時間がたって、気持ちが落ち着いてくるのを待つしかない。「わかっているんですよね、早く時間が流れてほしいって、いつもいつも思っているんです」と。

そこで、はた、と気づいた。そうか、だから私はチューリップに手を伸ばしたのか!!!と。

ガーベラは最初から開いているから、時間の流れは感じられない。チューリップはつぼみの状態で売っていて、だんだんと花が開いていく。だから時間の流れが感じられる。「自分の知らないところでちゃんと時間は流れている」というところにひかれた自分、その理由は、時間が早くたってほしいと思っていたからなのだ。

衝撃だった。私は自分が必要なものを潜在的にわかっていて、きちんとそれを実行しながら生きている。

なにも考えていなかった。それでもこうして無意識に、必要なものを必要なときに手にして生きている。もしかしたら、気づいていないだけで、こういうことが他にももっともっとあるのだろう。無意識に、自分にとって必要なことをしながら生きているのだろう。

「すごい!!!」そう思った。無意識にこんなことができてしまうなんて、私はなんてすごいのだろうと。どうするべきなのかをたくさんの人に聞きまくっていた。でも私は、ちゃんと自分でわかって行動できていたのだ。

目の前の小さいテレビの画面しか見えていなかったのが、急にテレビがなくなって、視界がぐわんと360度に広がったようだった。テレビの外で、こんなことが起こっていたなんて。

先生は「そういうのって、自信になりますよね」と言ってくれた。たしかにそうだ。

衝撃とともに、急に自信がわいてきた。考えていなくてもこんなことができるということは、考えていなくてもきちんとやっていけているということだ。もっと自分を信頼していいのだ。「こういうときにこうやった」という目に見える案件がなくても、私はきちんとやっていっている。理由などいらない。

「自分を信頼する」とは、こういうことだったのか。なにか理由があるわけでもなく、自分の無意識を信じている、無意識でも自分は大丈夫なのだと信じられている状態。なにをやったかではなく、別にそこにいるだけでいいのだと信じられること。これが、自分を信頼するということなのだ。

急に安心感がわいてきた。感動した。すごい経験だった。

引っ越しに心を躍らせる

ところが、部屋探しは難航した。

毎日毎日内見に行く中で、日本好きで、三週間かけて日本を縦断したという大家さんがいたりして、これはもう決まったかなと思うこともあった。条件を満たしていたので引っ越したい旨を告げたのだけれど、それから連絡が途絶えたりした。他にもいくつかよさそうな家はあって、でもしっくりこなくて、同じところに二回も内見に行ったりもしたのだけれど、やっぱりしっくりいかない気持ちが拭えず、あきらめることにしたりしていた。

なんで見つからないのだろう。こんなにたくさん部屋はあるのに。

不安でたまらなくなった。このまま見つからなかったらどうしよう。夫には私の引っ越し先が見つかるまではそこにいてくれと言ってあるので、見つからなかったら一度夫のところに戻ることもできた。でも不安で不安でしかたなくなった。あんなに日本が好きな大家でも、だめだったのだ。このまま一人でこの国で生きていけるのだろうか。

そんなころ、お米のストックが残り少なくなってきて、隣町のことをふと思い出した。

隣町は、今の町に引っ越してくる前に、一年ほど住んでいたところ。「突然の引っ越し」で書いた、退去願いをもらって慌てて引っ越したところだ。

隣町は城跡や大聖堂があり、この辺りでもっとも古い町になる。お金持ちが多いので、私の好きないいスーパーもあり、お店が一通りそろっている。大きなアジア食品店もあり、手芸のお店もあるので、ロンドンに行かなくても食材も趣味のものも一通りそろう。ないのは納豆くらい。客層も全然違う。ロンドンのいいところにいるような体型やファッションの人たちがたくさんいる。健康に関心のある人も多いから、ナチュラルフードのお店もある。

ここは今の町よりロンドンから数駅奥まったところにあるので、ロンドンに通うなら今の町がいい。今の町は南からくるたくさんの路線が集まってロンドンに向かうため、本数がぐんと増えるのだ。

でも。もうロンドンに通うことはない。念願の、地元の仕事を見つけたのだ。地元の企業の。ロンドンの日系企業に通う必要はない。

それならば、隣町に住んだほうが断然便利なのではないか。休みの日にわざわざ駅まで20分歩き、そこから電車に数駅乗ってお米を買いに行くのなら、隣町に住んでいつでもお米が買えたり、毎日いつでもお豆腐が買えたり日本ハムのソーセージが買えるほうがよくはないか。手芸のお店に毎日通って、いいハギレが出てないか見ることもできるし、お気に入りのスーパーで様々な食材を買って料理を楽しむこともできる。

なぜ、これを思いつかなかったのだろう!!

それまでたぶんまだ、夫に対する依存心が抜けきっていなかったのだと思う。一人で暮らしていくことの不安、「親(夫)に見捨てられる」ことに対するインナーチャイルドの恐怖。夫にすぐ会える距離だから、今の町を出ることを思いつかなかったのでは。でも夫が家を出ることになってきた今、その依存が抜けてきたのでは。

難航して苦しくなってきていた家探しも、ここで一気にやる気が出てきた。それまでは、今の家よりいいところなんて見つからないだろうと思っていた。手入れの行き届いた広くてきれいなおうち、天窓のあるお風呂。でも隣町に引っ越せば、電車に乗らなくても必要なものがなんでも手に入る環境になる。今の家より断然いい暮らしができる。

猛烈に、隣町での部屋探しを始めた。仕事のあとに、5軒の内見を入れた日もあった。隣町はやっぱり大きいから、駅からすぐ近くに家がない。最低でも15分は歩く。それで五軒も歩いて回ると、クタクタになった。

それでも。最初に行った内見でまず、すごい好印象を受けた。大きな家が並ぶ、お金持ちが住んでいるところで、B&Bもやりながらマダムが運営しているシェアハウス。今の家も、今の町の中ではそういう場所にあるし、お金持ち。でも格が違った。家の大きさも、大家さんも。全然違う。

今の大家さんでもお金持ちだとびびっていたけれど、隣町のマダムはそんなものではなかった。格の違いは、メンタルの違いだと思った。今の大家さんはやはり毒々しくて、その程度という感じになる。でも隣町のマダムは毒が抜けていて、その分視野が広かった。遺産が入って必要がなくなったから一度はシェアハウスを畳んだのだけれど、なんだか寂しくなってまた再開したのだと言う。だからお金にはまったくこだわっておらず、部屋も小さいけれど駅近なのに安かった。

趣味で手芸をやっていると言うとどんなものを作っているのか見せてと言われ、写真を見せた。すると「まあああなんて素敵なの!!」と感激してくれた。こういうものの良さを見れる人というのも、毒の抜けている人だと感じた。毒のある人は効率で生きている部分があるので、手作りのものに興味や敬意を示さない。今の時代、なんでも買ったほうが安くて効率がいい。毒のない人は、そうではないところに価値を見い出せる。

これも趣味を通じて、自分が変わってきたことからわかったことだった。買ったほうが断然早く、安く済む。でも自分で作る楽しみや、好きなものを作る楽しみ。効率ではなく、そういうものにも意味を見い出せるようになってきた。「私もやったことあるけれど、あんなに時間をかけたのに買ったほうが安くて嫌になってやめちゃった」と言われることがとても多い。効率は大事だ。でも重視しすぎていると、自分の好きなこと=自分の気持ちは見えてこない。

もちろんいろいろな人がいるとは思うけれど、隣町にはこういう感覚の人がもっと多いだろうなと感じた。古い町だから様々なイベントもあるし、アートも充実している。今の自分の感覚にマッチしていると確信した。今の町はエネルギーが合わなくなっていたのだ。だから部屋が見つからなかった。そういうことだったのだ。

そう納得して、隣町で探し回って部屋を見つけた。

そこはそんなにきれいでもなく、大して期待していなかった。一階だし、お風呂もなく、荷物もたくさんは置けなそうだった。見た目も大してよくない。なのに。なぜか。部屋に入ったときにものすごくひかれてしまったのだ。

別に住んでいる大家さんが案内してくれたのだけれど、この人のひと言もピンときてしまった。いつ引っ越す必要があるのかとか、どういうところを探しているのかと話していて、最後に「早くいいところが見つかるといいわね」と言ってくれたのだ。

この人は、自分の持ち物と同化していない。自分の持っている家と私に合う家は別、ということがわかっている。その上で私がこの家を選ぶ可能性もあるけれど、選ばないこともある、そしてそれは自分が嫌いなのだということではない、ということがよくわかっている。普通だ。

大家さんと二人暮らしになるけれど、もっときれいでお風呂のある家もあった。アート系の仕事をしている大家さんで、興味深かった。でも家で仕事をしているからいつも家に大家さんがいて、リラックスできそうになかった。

なによりそういう人たちは、家や町をほめるととても嬉しそうだった。今の家は荷物を置けないし、今の町もなにもなくて不便だしと言うと、そうだろう、うちはいいところだろう、うちの町は自分もすごく気に入って子供のころからずっと住んでいるんだ、と誇らしげに語る。「帰国報告」で書いたうちの親と同じだった。私にほめたつもりはない。正直な感想だ。でもそれをPersonalにとっていた。自分がほめられたように感じている様子だったのだ。

以前の私なら、こういう人たちにひかれていたかもしれない。扱いやすそうだし、お家をほめておけばきれいな部屋に住める。おもしろそうな仕事もしているし、そういう世界に自分も足を踏み入れられるのではと思ったりする。

でも、私は学習したのだ。こういう人たちは、突然機嫌を変えることがある。私の言っていることが本当かどうか疑い始めて、途端に態度を変えてくることがある。私の思う通りに反応してくれなくなったり、私が「ほめた」ことをとんでもない方向に受け取って暴走したりする。そうなったとき、私はとても苦しくなる。親と一緒に住んでいて、まさにそうだったではないか。

どれだけ素敵な家でも、こういうところは却下することにした。中には、住むとひとことも言っていないのに、私が自分の家を気に入っていてここに住むのだと思い込んでいた人もいた。恐ろしい。ものごとを一般的にとれずPersonalにとってしまう人たち。どれだけ面倒か。

決めた部屋は、「いつ来てもシーンとしているのよね」と大家さんが言っていた。その通り、内見に行ったときも誰もいなくて真っ暗だった。夜の8時、ロンドンに通っている人でもとっくに帰宅していていい時間だ。

大家さんいわく、看護師で夜シフトの女性や、博士号の学生さんが住んでいて、なぜかあんまり家に人がいることがないのだと言っていた。それに強烈にひかれた。今の会社はフレックスで、早く出社すれば4時に退社することが可能なのだけれど、買い物をして家に着いて3時間以上も誰もいないなんて。自由に料理をしたり、ゆっくりすることができる。

あれだけこだわっていたお風呂がなくても、全然気にならなかった。なんだ、お風呂はそこまで重要ではなかったのだ。それよりも、誰もいないところに住みたかったのだ。一階で引っ越しがラクで、キッチンにも庭にもすぐ出れて、ゆっくりできるところ。そういうところがよかったのだと、わかってきた。

なにより衝撃だったのは、駅から徒歩9分というところ。この町でいいところに住みたかったら、もしかしたら今のところよりもっと歩かないといけないかもしれないと思っていた。それが、今の半分以下。町には5分で出れる。全然便利になる。

大きい町だから、イベントも多い。今まではそういう趣味や友達づくりのイベントを見てもなかなか参加できなかったけれど、歩いて行ける。

引っ越しと、それに続く新しい生活、新しい人生。やっと楽しみになってきた。