友人

ひとりじゃなかった

私には忘れられない一杯がある。

okayu

なんの変哲もないおかゆだ。でもこれが私の人生に差してきただった。

夫にサポートしてもらうばかりか、逆に崖から突き落とされるようなことをされて、もう死ぬしかないのだと思っていた。せっかく親から逃げて自分の人生を築いてきたと思っていたのに、また同じ目にあうなんて思いもしなかった。

自分を産んだからも、自分で選んだからもこうも立て続けに必要とされない自分には、どこへ行こうと安住の地はない。誰にも必要とされることはない。悲しさのもとはそこだった。

相手の思う通りに振る舞えば、喜ばれるし、必要とはされる。でもそのためには自分を殺して、常に相手の思い通りにしなければならない。今まではそれができていた。でもそれではもう生きていけなくなっていた。

つらかった。今までの人生で一番つらかった。実家にいたときも死ぬほどつらくて、もう一生でこれほどつらいことはないし、今後なにが来ても大丈夫だと思っていた。でも、それよりもっとつらかった。なにがどううまくいかなくても、こんなにつらいことはなかった。

を出して寝込んでいたのだけれど、届け物を受け取りに行かなければならなかった。小さい子供がいる人だったので、移さないようにとも思い、申し訳ないけれどうちに届けに来てもらった。

すると、届け物と一緒におかゆをくれた。テレビで見たレシピで作ってみたのだと。

うまく言葉を発することができなかった。なにがあったか詳しくは話していなかったけれど、私がひどい状態にあることを気にかけてくれて、おかゆを作って持ってきてくれた。本当に驚いたし、信じられなかった。があふれて止まらなかった。

この世に、なんの利益がなくても私を心配してくれる人がいた。

心配して連絡をくれた友人、泊めてくれた友人、話を聞いてくれた友人、助けようとしてくれたメンタルヘルスの人、涙までしてくれたCBTのセラピスト。私を助けてくれようとする人がいた。気持ちをわかってくれる人がいた。よくわからないけどなんかしようとしてくれる人もいた。

今までずっと一人だったのに。私がどうにかしなければ、どうにもならなかったのに。でも、私の代わりになにかをどうにかしてくれる人たちがいた。

ものすごくほっとした。

私はずっと一人だった。生まれてから今まで、ずっと一人だった。一人だと思っていた。でも一人ではなかった。

「ひとりじゃなかった」

たったこれだけ。どうでもいいことを書いてる、と思う人もいるかもしれない。どこにでもある一文だ。

でも、この意味を本当にわかっているひとはどれだけいるだろう。頭で状況を理解することと、心でものごとを理解することはまったく違う。もう何度かそういう経験はしてきたけれど、このとき本当に心からそう思った。一人ではなかったのだということがどういうことなのか、本当にわかった。

人間は、いろいろな人に支えられて生きていた。本当だった。

親や夫には恵まれなかったけれど、私にはこんなにもいろんなところでいろんな方法で助けてくれる人たちがいた。私も捨てたもんじゃないかもしれない。そう思えたことで、親や夫に頼らない自分の価値が芽生えてきた。

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久しぶりの友人との再会

来英した友人と、イギリスの北からやってくる友人と、三人で久しぶりの再会。

ほとんど寝ていなかったし、こんな状況ではあったけれど、この三人での再会は楽しみだった。飲みに行ってもいつも話が長くなってしまうから、宿を取ってゆっくり話そうということで、お泊り会になった。

ここで、イベントが二つあった。

一つは、一人が遅れてきたことだった。私と彼女の二人で待ち合わせをして、先に宿に行っているということだったのだけれど、私も20分ほど遅れたのだけれど、彼女はけっきょくもっともっと遅れてきた。しかも連絡が取れなかった。

時間通りに来たことが一度もない人だったけれど、このときはもうそれを許せる余裕がなかった。

私は寝れるだけ寝ておきたかった。遅れてくるならその通り連絡をくれれば、あとからゆっくり来てもらうことにして、寝てしまえる。でも連絡もつかず、どこでなにをしているのかもわからなかった。

私はついに、人に合わせて自分の行動を決めることを放棄した。

「こういうことがあって、このところほとんど寝ていないので、今から寝ます。もう一人と一緒に後から来てください。」とメッセージを入れて、返事も待たずに寝た。

私は寝たい。寝たいから寝る。彼女だって、遅れた上に連絡もつかなかった。その程度の待ち合わせだ。だったら私だって自分の都合で行動していいはずだ。私ばかりが時間を気にして、寝不足でもう回らない頭で起きて待ってる必要はない。そうしなければならないと思い込んでいるから、つらい。それを取ってしまえば、つらくもない上に、寝れる。

これがたぶん、人のことを考えずに、自分の都合のいいように行動した一歩だったと思う。

再会の最初がそんなだったので、三人で落ち合ってからは私の状況の話になった。親のことや今までのことを聞いてもらって、少しは気持ちが落ち着いてきたところだった。

そんな中で、一人がこう言った。

  「でも、親がいない人なんていくらでもいるでしょ。」

私はこのとき、なにも言い返せなかった。彼女の言っていることは事実だ。でも絶対に違う。生まれたときから親がいない人はたくさんいる。でもそれと私の問題はまったく違う。

今ならなんとでも説明できる。でもこのとき私はまったく無力だった。これが二つめだ。

毒親育ちの人なら、きっとこういう経験を山ほどしていると思う。というか、こういう経験しかしていないと言ってもいいかもしれない。私もそうだったし、たぶんこれからもそうだと思う。だからこういうときにきちんと説明できるようになりたい。そう思ったできごとだった。

また、解毒すればするほどこういう発言が刺さらなくなってくるし、相手がわからないところを補う説明が的確にできるようになってくる。こういう発言に「理解がない」と怒りを覚える場合は、まだ毒が体の中に残っているということなので、解毒のバロメーターにもなると思う。

久しぶりの再会だったのに、私の話ばかりになってしまった。申し訳ないと思ったけれど、二人とも暖かく受け入れて、親身になって聞いてくれた。「出してもいいのだ」と思った。自分を抑えてその場のための話をするのではなくて、自分のことも出していいのだと。

それが「友人」ということだ。考えてみれば当たり前のことだった。

あんなことがあったのに、こうして二人と話していると、なんだか現実感がなくなってきた。あれが夢だったのか、今こうして二人と飲んでいる自分が夢なのか。フワフワした感覚のまま、夜が更けていった。

避難生活開始

不安症の個人セッション3回目」で言われた通り、夫と離れていなければならない日々が始まった。

セッションのあとに私は面接に出かけ、帰宅すると同時に泊まり用の荷物を持って家を出た。仕事に行った夫が帰宅して来る前に、出なければならなかった。そこから数日友人の家にお世話になり、そこから来英した友人のお泊り会に行き、そのあとはどうするのかまだわからなかった。

友人の家で、話をたくさん聞いてもらった。自分の妻が「飛び降りようとした」とか言ったら、すぐ1階の家に引っ越そうとか普通はするだろう、と言われた。確かにそうだなと思った。やはり夫は周りの世界が見えていなかった。

こんなにも「人間」ではない人とは、これ以上一緒にいてはだめだ。でないと自分の生命が危ない。これからどうなるんだろうと思った。途方もない不安に襲われていた。

夜に、夫から電話がかかってきた。それくらいはできるのだなと思った。

でもそれは間違いだった。最初は神妙に話していたのに、少し話したらまた調子づいて冗談を言って笑ったりし始めた。信じられなかった。

自分の妻が自殺しようとして、公的機関から「あなたと一緒にいたら奥さんが自殺するかもしれないから離れているように」と言われて、人の家にも泊めてもらって迷惑をかけている。そこで、なぜ冗談が言えるのか。なぜ笑えるのか。なぜそんな普通の心理状況でいられるのか。

夫はまるでテレビでも見ているかのようだった。なにが起こっているのかはわかっている、でもそれが自分の現実の人生に起こっているのではなく、電源を消したら終わるものかのようだった。夫はこの世界に生きていなかった。

夫にそれを言うと、また怒り始めた。

大変なことになっているのはわかっていると。だから心配しで電話をかけたのだと。でもわかっているわけがなかった。今思えば、夫はどうもこの事態から逃げようとしているようだった。積極的に、人の「感情」から逃げている。まるで自分のいるこの世界から逃げてしまいたいように。

お世話になった友人のところを出て、お泊り会に行く前に、一度家に戻って着替えを取ってくることになった。家に入ることになるから、その間だけに出ていてくれるよう、夫に連絡を入れた。

でも返事がなかった。それで心配になった。

もしかしたら、この状況に絶望して自殺でもしたのでは。

電話をかけてメッセージも入れたけど、まったく返事がなかった。電車に乗って家に向かう間も怖くなって、共通の友人に連絡をとってもらうよう頼んだり、夫のお姉さんに連絡をして、夫に連絡してくれるよう頼んだりした。

義姉に直接連絡をしたのは、初めてだった。詳しい状況は話している時間はないけど、とにかく夫に連絡をとってくれと頼んだ。義姉は「私は弟をよくわかってる、彼はきっとヘッドフォンでもしてゲームをしてるから携帯の音が聞こえないのよ」と言っていた。でも連絡をとろうとしてくれた。

駅に着いて、心臓がばくばくした。血みどろで真っ赤になっている部屋が頭に浮かんだ。

震える手で鍵を開けて家の中に入ると、夫が普通にパソコンの前に座っていた。私が突然帰ってきたので、びっくりしたようだった。

がどっと吹き出した。しばらくその場から動けなかった。

私は自分が極度の不安症であることをはっきりと認識した。「大丈夫だろう」と思いつつも、「まさか」「もしかして今回こそ」と思う気持ちのほうが強かった。9割は夫の自殺を考えていた。異常だった。

夫と二人きりになってはいけなかったけれど、とりあえず荷物を持って出るだけだったので、別の部屋にいてもらって支度をした。週明けからは、夫は唯一の友達のところに泊めてもらうことになったとのことだった。私が連絡をとってくれるように頼んだ人だ。

こうして私はお泊り会へ行き、翌日から夫は友人のところに泊めてもらい、私は家で暮らすという、避難生活が始まった。でもこのときはまだ、私は一人になってはいけないと言われていたので、今後どうなるのかまったくわからなかった。