仕事

ブランド嗜好

「お金」に関する話の続きで、自分がいかに洗脳されていたかを理解することになった。

これはもう自分でもはっきりと自覚があったし、狙ってやっていたことだったけれど、私はそうしてお金を失うことに対する恐怖心が必要以上に大きい。だから親が嫌でも実家に居座って大学を出たり、有名な会社に勤めたりしていたのだろうとカウンセラーに言われた。中学生、高校生の段階で、自立することを計算に入れて、そんな状況の中でも学費を親に出させるために我慢して実家にい続けたというのは、相当な計算づくめの人生だと。

当時本当に勉強をしたかったのは、語学だった。でもそれではあまりつぶしが利かないからあきらめた。そして経済学部を選んだ。それもこれも、実家を出て一人で生きていけるようになるためだ。これだけの思いをさせられてきたのだから、親のカネを使って大学を出たかった。だから辛抱してそこまで実家にいた。自立してからは、実家に戻るような羽目には絶対になりたくなかったから、できるだけスキルを身につけたかったし、大きな会社に勤められてよかったと思った。もちろん自分の好きな方向性というのも多少あったけれど、これはイギリスに来てからも本当に役に立った。

これが変わるのは、こちらに来て勤めていた部署がつぶれたときだった。私はつぶれる前に早期退職したけれど、「社員というのは会社がなければただの人」ということを思い知らされた。それもあり、手に職をつけたいと思って、日本語教師の勉強をすることになった。

要するに、「会社」や「ブランド」に依存していた。それもこれも、「実家に戻るようなことになったら死ぬ」という恐怖心からだった。「お金」や「社名」という大きなものがなければ、安心して生きていくことができなかったのだ。

そしてそれは、親から刷り込まれた洗脳が原因だった。「お金は大事だ」「お金がすべてだ」…ケチくさい妹を見てアホだと思っていたにもかかわらず、この洗脳は完全に私の心の奥深くに刷り込まれてしまっていた。子供の心というのは恐ろしいものだ。あれだけ嫌だったにもかかわらず、スポンジのように親の考えを見事に吸収してしまっていた。

自分はそういう人間だという自覚はあった。それにもかかわらずだ。

学歴だの、偉い人とのつながりだの、そういう政治政治した小さい人間が嫌いだった。そういうものに頼らず自分の腕一本で生きている人に、いつも魅力を感じていた。夫に魅力を感じたのもこれだろう。でも自分は腕がないから、そういう嫌いな部類の人間みたいに、大学を出たりしてやっていくしかないのだと思っていた。でもそもそもそういう考えがあったというところが間違いだったのだ。

もちろん人間誰しも仕事をしてある程度の収入を得ないと生活していけないし、そのためによりいい仕事に就けるよう努力をすることはいいことだと思う。でもそれが「恐怖心」から来てしまっているというのは、不健康だ。

たとえば、もう中学生のころには死んだような生活を送っていたわけだから、辛抱して大学を出、自力で稼げるようになるまで実家にいなくてもよかったのかもしれない。学歴はつけられなかったにしろ、そこで自分が楽しめる仕事に就けて、幸せな道を進めるようになっていたかもしれない。もしくは後から勉強して大学も出れたかもしれない。辛抱して自分を殺して10年以上も生きてしまったからこそ、今のこういう状態ができ上がってしまったのかもしれない。

そこで思い出したのが、「前世リーディング」だった。5)の、直近の過去生と言われた話だ。若くして家を飛び出し、行き当たりばったりで手に職もなく、住み込みで嫌な仕事をしていたと。だから今度は計画性を持って生きてほしいというのが、現世への願いだった。なんだか本当にここに話がつながってしまったと思った。

これが本当に過去生だかどうかは別として、自分の中にそういう恐怖心があるということは事実だった。それがこの「リーディング」と言われる話に現れたことで、はっきりと把握することができた。心理学ではたぶん「そういう理由でこうなってしまっているのか」と、自分で自分の問題を受け入れられるようになることが問題を解消する鍵となる。自分の問題というのは通常どうしても否定したり拒否してしまうけれど、これを前世療法では「自分ではないけれど自分の状況をよく反映している」と思える「過去生」という形で客観的に物語として見ることで、自然と問題を受け入れ解消していけるのだろう。

私の場合も、まさにこれだった。行き当たりばったりの人生で苦労をしたから、計画性を持って生きなければいけないと思ったのだ。だからしかたがない。自分を責めず、受け入れる。問題の原因がわかれば、治していくことだって可能だ。

ここでまたつながってきたのが、ヒプノセラピーの「江戸時代風過去生の考察」で出てきた「バランス」だ。過去生では計画性がなくて苦労をし、現世では計画しすぎて自分の心を殺してしまった。「計画はほどよく」ということ、「バランスをみて生きましょう」ということではないのだろうか。

たったひとつの親の洗脳に、仕事から結婚から人生のすべてにおいて影響されてしまっている。本当に恐ろしいことだった。

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就職活動で進歩

自己発見」で書いた通り、以前の仕事の契約が終わり、就職活動を開始していた。

このときは細かい数字を扱うような仕事がいいと思っていたので、経理的な仕事へシフトしていけないかと考えていた。ただ経験がないので本格的な経理職には応募しても引っかからず、今までやってきた総務的な事務を兼ねた仕事へ応募になることが多かった。そしてそういうところは給料が断然低かった

会社勤めに復帰」でも書いた通り、前職は給料で失敗している。「安くてもラクな仕事」と思って就いたばかりに、仕事内容がラクではなかったので「こんな給料でこんなに使われている」感が拭えず、毒親から利用されてきた過去とダブり、ネガティブな一年を送ることになってしまった。

決めたこと」でまとめたことを念頭に、今度は認識をしっかり持って仕事探しを始めた。

ひとつすぐ受かったところがあって、会社のやっているビジネスはとてもおもしろそうだったのだけれど、そこも前職と同じ給料で、またオフィスに日本人しかおらず、英語が上達しなさそうだった。とりあえず練習で受けたのだけれど、会社の人にとても気に入られて、私だけが最終面接に呼ばれた。

人材会社の担当に、ものすごいプッシュをかけられた。

英語が上達しなさそうと言えば、「外部とのやり取りを全部任されるし、オフィスでの日常的な会話よりもそのほうが上達しますよぉ」と。給料が安いからと言えば、「今は正直、買い手市場ですからねぇ」という常套句。

私にその仕事をつかませることでコミッションを得たいだけなのは明確なのに、なぜそんなにも「あなたのため」みたいな言いかたができるのか、まったく理解に苦しんだ。本気で人を乗せようとしているなら、もっと人が乗りそうな言いかたがあるだろう。

こんなレベルで人材会社というのは本当に務まるものなのだろうか。ゲンナリした。

今ならよくわかる。こういう人が刺さるのは、と同じことをしてくる人だからだ。「あなたのため」と言い、現実的でない「正論」を振りかざして、自分の都合通りに私を動かそうとしてくる。こういう手段でコントロールされることが、私にとってはなによりの苦痛だった。

このときはまだ「そういう人が嫌いだ」ということしかわかっていなかったけれど、それでも大きな進歩だ。それまではまったく気づかなかった。それが刺さるようになってきた。さらにもっと解毒すれば、そういう人でも刺さらずにコミュニケーションが取れるようになるだろう。

人材会社の言うことは自分とはまったく関係がない。自分の気持ちに向き合おう。そう決めた。

そしてまた、以前だったらこういうときでも「せっかく私を気に入ってくれたところがあったのに」「他に仕事はないかもしれない」と落ち込んだ。自己肯定感が低かったからだ。でももうそんなことは思わなくなっていた。その給料で以前に大失敗をしている、同じ過ちは繰り返さない、そういう強い意思が出てきた。これも進歩だった。

横柄で人のあら探しばかりするあり得ない面接官が出てきたところや、また日本的できちんとはしていてもあまり内容が感じられないところも、落ちても「よかった」で済んだ。給料が高くても、将来性がありそうでも、未練は感じなくなった。

新しい発見だったのは、日系なのに面接がすべて英語のような、ほぼ英系の会社のほうが、最終面接まで残りやすいというところだった。それまではやはり日本的な会社のほうが自分を活かせるのだろうと思っていたけれど、その思い込みが覆された。自分に制限をかけず、もっと可能性を広げてみようと思った。

またそんなにも面接に受かるほど、英語も上達しているのだということが自信になった。それまではずっと英語で話す機会があると怖気づいていたけれど、前職で1年間また英語のオフィスで生活したのだ、そりゃあ上達していないわけがないだろうと、そんな当たり前のことに気づけた。

また、面接を受けていく中で「データサイエンス」という言葉を知り、「データアナリスト」という仕事があることを知った。細かい数字を扱うのが好きな自分にぴったりだと思った。近くの大学でもコースがあったので、勉強してみてもいいかなと思った。

就職活動を通して、いろいろな気づきと成長をとげていった。

自己発見

避難生活開始」から二週間ほどして、やっとどうにか落ち着いてきた。

少しずつ家事をやるようになった。それまではもうなにもやる気が起こらなかったし、夫と一緒に住んでいたときも、私のほうが家にいたのに、夫のほうが家事をやっていた。相当やばかった。

不安症のアンケートにも、「仕事や家事、人と会ったり出かけたりということが、どれだけできなくなっているか」という項目があった。私の場合、仕事に行けなくなることはなかったけれど、家事や人と会うことはできなかった。

たまっていた洗濯物を片づけて、料理もするようになった。そして掃除を始めたときに、カードが出てきた。一年契約満了の最終日に、会社でもらったカードだった。同僚全員のメッセージが書かれてある、日本の色紙のようなものだ。

不安症の個人セッション2回目」のすぐあとに、ちょうど契約終了がきていた。

当時は仕事も最後のぎりぎりまで忙しく、「日本の会社」の嫌なところが刺さっていて、さらには「自分の問題と夫の問題」で爆発し、体調も悪かったときだった。だからもらったカードも置きっぱなしになっていたのだけれど、改めて手にとってよく眺めてみると、しんみりした。

仕事自体はわりと好きなことだったし、楽しかったことやおもしろかったこともたくさんあった。私にもっとちゃんと境界線があってしっかりしていたら、なにも刺さることもなく普通に楽しく過ごせたと思うし、条件さえ合えば延長させてもらっていたと思う。

カードにはいいことがたくさん書いてあった。私の仕事が早くて正確で助かったとか、私がいたから乗り切れたとか、またいつでも戻ってきて、など。

ありがたかったけれど、私が在籍している間に出しておいてほしかったとこのときは思った。「師匠と弟子」のような、厳しく言ってはいたけどそれもお前のため、本当は温かい目で見守ってたんだよと。そういうのはやだなあ、と思った。毒親の自己正当手段を思わせるからだ。

でもきっと、境界線があったら人が言うことに左右されないから、こんなことも気にならないのだと思う。でも当時はしかたがなかった。境界線のなかった私は「辞めて正解」だった。馬鹿にされていると感じたり、給料も低くて虫ケラのような扱いだと感じていて、それが苦しかった。そんな状況では続けていても悪化するだけだっただろう。

それでもびっくりしたのが、「ムードメーカーがいなくなると寂しくなる」ということが書いてあったこと。「ムードメーカー」というこのキーワード、これは実は私が今までで最大のパフォーマンスを出せたときの上司に言われたこととまったく同じだった。

その上司も、私をチームの「ムードメーカー」というポジションに捉えていた。もちろん私にはそんな認識はなかった。「積極的に盛り上げよう」などと思ったことは一度もなかったのだ。

そのときの会社とこのときの会社ではまったく社風も業種も異なるし、上司もまったく違うタイプの人であったにもかかわらず、まったく同じことを言われて驚いた。

これも、ひとつの自分発見かもしれないと思った。

どんな場所でどういうことをしていても、「私」という存在は変わらず在り続けているということ。少し「自分」という存在に気づく一歩になった気がする。人から言われることではなくて、自分から気づけるようになるともっといいとは思ったけれども。

空っぽすぎた「私」という入れ物に、とりあえず薄っすらとなにかが入った感じがした。