今ここ

今を生きる

では、「今を生きる」とはどういうことなのか。

今を生きるということは、過去でもなく未来でもない、「今のため」に、「今生きる」こと。今自分が置かれている状況に、「意味」を見出すこと。「今持っているもの」で、楽しむこと。今まで頑張って手に入れたものが今の幸せで、これを維持していくことが、「今へ力を注ぐ」こと、すなわち、「今を生きる」ということ。

だから、「今の幸せを認識する」ということ。

なので、「未来」は「今」の積み重ねであり、「今の充実」が「未来の充実」につながる、と言われた。これは、びっくりして固まってしまった。本当だろうか?という感じ。「将来こうなりたいから、今これをやる」というならわかる。「後でラクしたいから、今は大変でも頑張る」というような。でも、そうではないのだとのこと。

「今の充実が未来の充実」にはならないのではないかと言うと、では「昔は充実してたけど、今は充実していないこと」はどんなことか、と聞かれた。

私が一番充実していたと思うのは、最後に東京で働いていたとき。とても忙しい職場だったけれど、いいチームの中で次から次へとやってくる無理難題をみんなで協力してこなし、とても充実感を感じていた。でも、このカウンセリングを受けていたときは、日本語教師の仕事もどっちつかずで、充実とはかけ離れていた。過去は充実していたのに、今は充実していない。

では、その過去が充実していたのはなぜか。

そのときは、信頼し合える仲間がいて、自分の役割りにも自信を持って働けていた。きちんと評価をしてもらえる上司で、仕事の面でも評価の面でもとてもやりがいがあった。会社もおもしろい会社で、やりたいことを言えば任せてもらえた。

では、今そのときの仲間と同じ会社に戻って同じ仕事をしたら、どうなのか。

あれからみんなそれぞれ別の仕事をしたり違う経験を得て、当時とはすっかり変わってしまっているし、会社もいろいろあってすっかり変わってしまっている。独立してもっと充実した仕事をしている人だっているし、今当時と同じ仕事をしても、まったく同じ充実感を得られることは絶対にない

これは、どういうことか。

状況というのは、毎日毎日少しずつ変わっていくのだ。だから、今日は充実感を得られても、明日またまったく同じことをしても、同じ充実は得られないかもしれない。このように、充実するポイントは毎日変わっていく。
jujitsu point 1
ということは、毎日その動いていく「充実ポイント」に合わせて、自分もアップデートしていく必要がある。充実ポイントが右にズレたら、同じように右にズレる。左にズレたら、左に。そうしていくことで、毎日が充実し、さらに、充実ポイントからの乖離が防げるため、将来も充実し続けていくことができるわけだ。
jujitsu point 2
これは驚きの発見だった。「今の充実」は、本当に「将来の充実」につながっていた。

たとえば、今日カレーを作って満足したとする。次の日も作って、まあまあおいしかった。でも3日目にもなると、なんだかちょっと製作過程にも味にも飽きてくる。確実に、充実ポイントは動いている。毎日同じことをしていても、同じ充実感は得られないことは明白だ。でもここで、毎日ずっと同じカレーを作って食べていたら、確実に充実ポイントからどんどん乖離していってしまう。

仕事も、同じ。経験がついてくれば、同じ仕事はあきてくる人もいる。同僚が変わったり、組織が変わったり、会社の状況が変わったり、まったく同じ日は一度もない。充実ポイントは、毎時毎日刻々と変化しているのだ。

なので、その「今」の状況の中で最大の充実を見つけて、その日その日を充実しようと生きることで、未来の充実につながっていくのだ。

このころ私は、「ハッピーノート」というのを知った。友人がブログで勧めていたもので、毎日ひとつ、よかったことをノートに書いていくこと。このことをカウンセラーに話すと、書きとめる時間がなくても、1日1回自分の中で、その日によかったことをまとめてみたり、せっかく同居人(夫)がいるのだから、それを話してシェアしてみたらどうでしょうと。夫のよかったことも聞ければ、よりお互いの理解も深まる。

禅問答のようでまったく理解できなかったことが、解明できた。これはとても大きな発見だった。

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今を見つめる

カウンセリングを通して、なんとなくいろいろなことがわかりかけてきたものの、では今自分はなにをしたらいいのかがわからなかった。

空っぽな人生」のところで書いた通り、「なにをしたいか」と聞かれても答えることができず、でも現状はつらくて、どうにか抜け出したかった。でも、目標を持つということは、今ここにない「なにか」をほしがっているということで、現状に満足していないということだから、よくないということは勉強した。

でも、「目的を持って生きること」と「ほしいと思うこと」は違うのではないだろうか。新しい目的を持つことで、私は復活できるのではないだろうか?と思った。

するとカウンセラーは、 

「目的」「目標」って、「」のことしか考えてませんね。「」を見つめましょう。
人間には、「過去」も「未来」もない、自分が生きてる「今」しかない、

だから今を生きることが重要です。

と。

理解不可能だった。

「今」を「見つめる」…?しっかりと目標を持って行動することは、いいことではないのだろうか。確かに人間は「今」を生きているけど、過去もあったし未来もある。そりゃあ人間いつ死ぬかわからないから、未来がどれくらいあるかはわからないけど、過去はちゃんとあったはず?

このときはこんな感じだったので、詳しく解説してもらった。

①「今」について

実は、人間には「今」しかない。過去も未来も存在していない。というのも、自分が生きているのは「今」であって、「過去」にも「未来」にも存在することはできない。「未来にどうなりたいから今どうする」ではなく、「未来」は「今」の積み重ねだから、今を見つめて今を生きることが大事。

確かに、自分が存在するのは「今」しかない。「過去」は、「経験」として「今」の私の中に存在はしているけど、でも確かに私は「過去」には存在できない。「未来」が、「今」の積み重ねだということは、すぐ理解できる。でも、「今を見つめて今を生きる」とはどういうことなんだろうか。だって、将来を考えないと、今を生きられなくはないだろうか。将来どうしたいから、ではこの時期までにこれをやって、今はこれをやって、と考えられるわけで、そのは難しいのでは?

②それには「足元を見る」

童話「青い鳥」で、チルチルとミチルという兄弟が、幸せの青い鳥を探しに旅に出る。家を出て、暗い森を彷徨い、世界中を旅したけれど、青い鳥は見つからなかった。がっかりして家に帰ってくると、なんと自分たちの「家」に青い鳥はいたという。これが、「足元を見る」ということ。

だと言われたけれど、まったくわからなかった。言ってることはわかるけど、では具体的に自分はどうしたらいいのか。自分の家を見ればいいのか、自分のパソコンでも見ればいいのか。「遠くばかりを見てるけど、答えは自分の中にあります」と言われた。

③ネガティブな燃料からポジティブな燃料へ

今までは、「実家から逃げる」という「目標」を持ってそこに向かっていたが、これがまったく違う方法に変わるときなのかもしれない。「実家から逃げる」が達成されて、人生の最初の30年を終えて、そろそろ今を楽しんでもいい時期になってきているのではないか。今までは「逃げる」というネガティブな燃料だったけど、そういう生き方ではなくて、もっと「ポジティブな燃料」で生きるのが本来なのかもしれない。

確かに、毒親のもとに育つと、そこから抜け出すところにエネルギーを使い果たしてしまい、本来の人生のスタートが人より大幅に遅れてしまう。自分の人生をスタートしたと思っていても、「親のもとでできなかったこと」や「親が嫌がるからこれをやる」といったように、実はまだまだ毒親の影響下にあることに気づいてしまったりもする。

だからこの影響をなくして、「本来の本当の自分の人生を歩み始める」ということは大事だ。これはよくわかるけれど、では「ポジティブな燃料」とは?「目標」がだめだとしたら、なにがポジティブな燃料になるのだろう。

このときは本当に禅問答のような感じで、クエスチョンマークが飛び交い、カウンセラーが言っていることが未知の物語のようだった。今でも、②番はまだよくわからない。どういうことなのかというのはわかるけれど。今のカウンセラーにも、まったく似たようなインドの話をつい先日されたけど、やっぱり「これだ!」というものには出会えなかった。ここはまだまだ勉強が必要なところ。

空っぽな人生

このころ、カウンセラーのホリデーのために、1か月ほどカウンセリングがお休みになった。

このころはなんだかすべてが空っぽに感じていて、先のことを考えると面倒で、死ぬなら今だなと思うようになっていた。なにをしたらいいのかもわからず、なにをしなければいけないと考えるのも面倒で、事故か病気でぽっくりいかないかなと思っていた。自分が空っぽで、なにもなく、ただただ毎日食べて寝て生きるだけだった。食べるために働かなくてはならないなら、面倒だからもう死んでしまいたいと思っていた。

夫のことは、頭になかった。人間関係はすべて、損得で成り立っているように思えていた。夫にも人にも、なにかをしてもらうからしてあげたり、してあげるからしてもらっているだけで、そのすべてが面倒に思えた。「絵画療法」のところで描いた絵の通り、私の中には誰もいなかった。

怒りのあとに、なにもかもが面倒になってしまったのだ。この薄ぼんやりとした「死にたい」という気持ちは、この後かなり長いこと続くことになる。

もう満足して空っぽになっているのだと思うと言えば、カウンセラーに「では次はその満足した状態を維持していかなければなりませんね」と言われた。「もうここで人生終わりがいい」と不穏なことを言ったから、これはまずいぞと思ったのかもしれない。

でも、この状態は維持したいと思えるようなものではなかった。確かにこのときの状況は、家で時間のある仕事をして、広い部屋に住んでと、環境としては満足だったけど、そのまま維持したいとは到底思えなかった。ということは、本当の満足ではないのだろうと思った。

なにか目標が必要なのかもしれないと言えば、なにかを「ほしい」という状況もよくないと言われた。「ほしい」というのは、今はないから「ほしい」なのだと。ということは、現状に満足していないということを示している。

心理学では、「Be here now」という、「今ここにいること」が大事なんだそうだ。今ここでの平穏や幸せを追求し、将来や過去はないと考えるのだとか。このときはまったく理解できなかったけれど、この考えかたはとても大事で、のちにいろいろなところでもっと詳しく学ぶことになる。

カウンセラーに「なにをしたいですか」と突然聞かれて、言葉につまってしまった。自分はなにをしたいのか。考えてみると、すべきことやしなければならないことは次々と出てくるのに、「したいこと」はまったく出てこなかった。ショックだった。

「夫に悪いから会社勤めを始めればいいのだろうか」と言えば、「それは解決にならないし、人に頼ることを許せるようになるのも自分を受け入れる一歩だ」と言われた。人に頼れば、自分もなにかをしてあげなければならない。それが面倒だから、すべてを自分でやろうとする。自分を受け入れられていなかった。人から親切にされても「借り」になってしまうので、なるべく「借り」を作らないように行動していた。これはもちろん、親に「借り」を作ることで散々嫌な目にあってきたことが染みついているからだ。

それに、会社勤めを始めることで、私の夫に対する「悪い」という気持ちは解消できるけど、実際はなんの解決にもならない。

カウンセラーは、「まだ見えてはいないけれど、新しい芽が出てくるときなのかもしれない」と言ってくれた。人の人生というのはたいてい、30年周期で回っていると。

 最初の30年:生まれ、学校に行き、働き、結婚し、子供を産む、といったひと通りの経験をする。
 次の30年 :最初の30年で経験したことをもとに、生きてみる。
 最後の30年:余生を過ごす。

私は今、「最初の30年」が終わったところで、「次の30年」の始まりにさしかかっているところなのではないかと。そう考えると、次があるような気もしてきた。

私が最初の30年でしてきたことといえば、「実家から逃れる」ということただひとつだった。一人で生きていけるよういい仕事を見つけるために大学へ行き、経済学というつぶしの効く学部を選択し、英語を身につけ、経験を身につけ、結婚もして、二度とあそこに戻らなくていいように。

今まで私は、その「あそこに戻りたくない」という気持ちを燃料にして走り続けてきたのだ。そして、いざ自分の人生をどうしたいかと考えたとき、どうしたらいいかわからなかった。なにを糧に生きていったらいいかわからなくなっていたのだ。

毒親のもとに育つと、毒と戦うために労力をフルパワーで費やさなければならないため、自分のために使える力が残らない。残らないどころか、自分のために使わなければならない力もすべて持っていかれるからマイナスだ。戦うことや逃げること、そしてその後に治療し自分の人生を取り戻すことにどんどん時間と労力が吸い込まれていく。普通の親のもとに育った人たちとは、人生のスタートが何十年も違ってしまう。

私は、これが毒親のもっとも許せないところだと思う。

私の最初の30年は、毒親と戦い毒親から逃れるところに目的が置かれていた。自分の人生がまるでなかった。普通の人なら、親からサポートを受けて育ち、完成された大人になって、今度は自分の子供を育てる段階に入るところだ。でも私は、今から赤ちゃんの状態の自分を育てていかなければならない。しかも、自分で。30年というのは、けして埋めることのできない途方もなく大きすぎる差だ。

嘆いていてもなんにもならないが、あまりの理不尽さに呆然とするしかなかった。自分には本当になにもなく、ただただ広がる虚無感に打ちのめされるばかりだった。