人生

変化と引っ越しについて

「スピリチュアルカウンセリング」続きます。

全部載せずに、少しまとめて書こうと思ったんだけど、この話は、話されたそのままを残しておくのが一番わかりやすくていいと思ったので、少し整えるだけでほぼ全部を載せることにする。私の心情と状況が実に明瞭に表現されていて、今読んでも驚くばかり。

ここしばらく「私っていったい…?」と思っていた。でもそれがなんなのかはわからない。次の少しの間で人生の風向きを変えて、あちこちから自分を見てみて、自分に気づく。「私ってほんとはこんなだったんだ」と自分を取り戻し、そうすると歩き方が見えてくる。

たとえば、運動が好きだったはずなのに、しばらくやってないと体が凝ってきて「動きたーーーい!」となる。今はこの「動きたーーーい!」という気持ちを取り戻すための作業。たぶん1〜2年、弱、くらいの期間だけど、あっという間で、「気づいたら私はここにいる」という感じになる。

でも、別に今までのことが間違っていたわけではなく、これは人生の中のタイミングであって、この辺りで少し変化が出てくるということ。

確かにこのとき、私は本当の私じゃないように感じていた。以前の私は、緊張しいだけど、元気明るいのが取り柄だった。それがこのころは、うつっぽく暗くて、いつもビクビクしていて、オドオドと挙動不審な人間になっていた。理由はあとからわかるけど、初めての海外で1か月も出かけたり、知らない会社に転職しまくったり、イギリスに移住するような以前の私とは、まったく違う人間になっていた。

ここで、「今の生活スタイルになったのは、どれくらい前ですか」と聞かれた。前の会社を辞めたのが2年半前で、そこから日本語教師の生活ですと言ったら、2年半よりももっと長い感じがすると言われた。確かに、もっと長い期間、5年とか、レッスンをやっていた気がする。時間というのは気持ちによって伸びたり縮んだりするから、たぶん実際よりも長く感じるのはよほど停滞していたのでしょうと言われた。

だからやっぱり、ここでなにかを変えたいんだと思う。なにか変えたくて、変えたときに「気づくこと」があるということが重要。動き始めてくると、頭の中も動いてきて、そこでなにかに気づく。だから、次の段階は「あ、これだ」というところに行く前に「経由」をするだけのところ。自分にとってベストなときにベストな状況に向かうための、風向きを変えるとき。これはとても素晴らしいと思うものでも、今じゃなくてもう少し後だとよりぴったりくることがあるのと同じ。今は体の中に流れるエネルギーが少し重いから、これを動かしたい。歩き始めてくると拍車がかかってくる。

というように、今の人生においてタイミング的に「動き」が出てくる時期。でも焦らせるというよりは、背中をトントンとされて「そろそろですよねー?」という感じ。「どうしたらいいかなー」と思っていて、「でもここじゃないなー、どこか移動しないといけないんだろうなー」と自分で思っているときに、「あーすいません、こっから出ていってください」と突然人から言われることがあったりする。最初は「えー今そんなこと言われてもー」と思うけど、「そういえば、出ていきたいな、移動したいなって確かに思ってたかも」と気づいたりする。こうして後ろから押してくれたら、いずれにしても前に足を出さなきゃいけないし、するとある意味これはヘルプだったんだなということがわかって、そこからは意識的に動けるようになってくる。

ここで、突然引っ越しすることになったことを話すと、「じゃあもう外から振ってくれたんですね」と言われた。

じゃあ既にひとつは大きく動いていて、まず心地のよい「ベース」が用意してもらえた。家というのは、毎日をそこで過ごしているから、それが心地のよいものになると元気になる。そうして、次の段階、家から出たり入ったりするということ、そこを考え始めることができるようになる。なにか風向きが変わらないとと思っていても「じゃあなにが?」となるけど、そこで環境が変わると「動かないと」ってなる。引っ越しの場合、「片付けないと」「荷物詰めないと」「これは要る」「これは要らない」といった具合に自動的に次々動いていくことができる。「人生」が手伝ってくれたんだと思う。

この、「人生が手伝ってくれた」という表現に、私は感銘した。きっとこれは、日本では「ご先祖様が助けてくれる」だし、西洋では「神様がお救いになる」なんだと思う。でも、私はこの「人生」という表現がすごく気に入った。人が助けてくれたような気もするし、自分で切り開いたような感じもある。「自分を信じて生きる」という感じがした。

でも今すぐどうこうということではなく、とりあえず少しあたためてみて、オプションを広げてみると、新たな発見があるかもしれない。自分の足取りで、テクテクと、焦らずに。「今ちょっとなにかを変えるときで、これからどういう風にしていくかってことを決めていくことになるんだなー」ぐらいの気持ちで。この作業は、自分のエネルギーを「改めて確認」するためのもの。「そうだ私ってこんな風だ」となると、全身で自信が持てるようになる。それで、そうなった私がどうしたいのかというところになり、「あ、こうしたいんだ」というのがそろってくる。

今のままだと、まあそれなりに楽しいし問題はないけど、思いっきりとは言えない。だから、これを変える作業。「1〜2年」か「半年」とか、もっと短いかもしれない。でもこの作業はとても必要で、でも暗く重ーい悲しい道などではない。「おっとっとっとーここの筋肉も使ってなかったなー」ということに気がついて、元気になってくる。忙しくはあるけどいろんなことを考えてるから、エネルギーがどんどん出てきて「なんか回ってきたな」となる。

それが楽しければ、プラスになるからずっとそのことを続けていてもいい。私が向かう方向へ、必ず向かっていくはず。今は「これからの作業が多くてどうなるのか見えない」という感じだけど、引っ越しのように、なにかがやってきて後ろから押して協力してくれて、押し出してもらえた。この例があるから、これからも「来るものに乗って行こう」という感じでいてみる。時が来てるのに動かないでいると、必ずなにかが起きて押してくれるから、あまり「自分で全部しないと」と思わずに、「わからないことは教えてくださいね」くらいの気持ちでいればいい。

直感というか、「そうだこれだ!」というのも増えてくる。直感はずっと私を支えてきた大事なものだったのに、ここしばらく「私って最近…」という状態だった。でも動いていくと、ロックが外れるように自然と出てくるので、心配せずに。「これでいい」「満足」と思うと、人生はそこで止まる。でもそこから出てみると、新しいものが見えたりして、見た瞬間に「あっ、こういうこともあるんだ!」って、「止まってなくてよかった」と思う。そんなことにも気づくはず。

これから違う仕事をして、そこで本来の元気な自分を取り戻して、それで子供を持とうとか考え始めるんじゃないかなと、このときは思っていた。それか、次にやることや出会う人、聞く話によっては、なにかまったく想像もできない方向に行くかもしれないのかなと。

とにかくこのときは、「今はこういう時期で、引っ越しを皮切りにこれからいろんなことが変わっていくんだ」ということがわかって、本当に嬉しかった。自分でもそんな気はしてたけど、永遠にあのウツウツした状態が続くわけではなく、これから変わっていくんだということがわかって、すごく安心した。かといって今まで自分がやってきたことも間違いではなく、ここで変わるということでいいんだということも。カウンセリングだと、こういう「今はこういう部分の中のこういう時期」というのはもちろん聞けないから、これを聞けて本当によかった。行った目的の半分は、ここで達成された気分だった。

しかもこの、「満足と思うと人生がそこで止まる」というのは、まさしく「人生もうここで終わりがいい」とか言ってたときそのもの。でもここで一歩出るわけなんだと認識した。そして、セラピストの言う通り、このあとに短期のアルバイトを経て、1年間会社生活に戻ることになる。

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今を見つめる

カウンセリングを通して、なんとなくいろいろなことがわかりかけてきたものの、では今自分はなにをしたらいいのかがわからなかった。

空っぽな人生」のところで書いた通り、「なにをしたいか」と聞かれても答えることができず、でも現状はつらくて、どうにか抜け出したかった。でも、目標を持つということは、今ここにない「なにか」をほしがっているということで、現状に満足していないということだから、よくないということは勉強した。

でも、「目的を持って生きること」と「ほしいと思うこと」は違うのではないだろうか。新しい目的を持つことで、私は復活できるのではないだろうか?と思った。

するとカウンセラーは、 

「目的」「目標」って、「」のことしか考えてませんね。「」を見つめましょう。
人間には、「過去」も「未来」もない、自分が生きてる「今」しかない、

だから今を生きることが重要です。

と。

理解不可能だった。

「今」を「見つめる」…?しっかりと目標を持って行動することは、いいことではないのだろうか。確かに人間は「今」を生きているけど、過去もあったし未来もある。そりゃあ人間いつ死ぬかわからないから、未来がどれくらいあるかはわからないけど、過去はちゃんとあったはず?

このときはこんな感じだったので、詳しく解説してもらった。

①「今」について

実は、人間には「今」しかない。過去も未来も存在していない。というのも、自分が生きているのは「今」であって、「過去」にも「未来」にも存在することはできない。「未来にどうなりたいから今どうする」ではなく、「未来」は「今」の積み重ねだから、今を見つめて今を生きることが大事。

確かに、自分が存在するのは「今」しかない。「過去」は、「経験」として「今」の私の中に存在はしているけど、でも確かに私は「過去」には存在できない。「未来」が、「今」の積み重ねだということは、すぐ理解できる。でも、「今を見つめて今を生きる」とはどういうことなんだろうか。だって、将来を考えないと、今を生きられなくはないだろうか。将来どうしたいから、ではこの時期までにこれをやって、今はこれをやって、と考えられるわけで、そのは難しいのでは?

②それには「足元を見る」

童話「青い鳥」で、チルチルとミチルという兄弟が、幸せの青い鳥を探しに旅に出る。家を出て、暗い森を彷徨い、世界中を旅したけれど、青い鳥は見つからなかった。がっかりして家に帰ってくると、なんと自分たちの「家」に青い鳥はいたという。これが、「足元を見る」ということ。

だと言われたけれど、まったくわからなかった。言ってることはわかるけど、では具体的に自分はどうしたらいいのか。自分の家を見ればいいのか、自分のパソコンでも見ればいいのか。「遠くばかりを見てるけど、答えは自分の中にあります」と言われた。

③ネガティブな燃料からポジティブな燃料へ

今までは、「実家から逃げる」という「目標」を持ってそこに向かっていたが、これがまったく違う方法に変わるときなのかもしれない。「実家から逃げる」が達成されて、人生の最初の30年を終えて、そろそろ今を楽しんでもいい時期になってきているのではないか。今までは「逃げる」というネガティブな燃料だったけど、そういう生き方ではなくて、もっと「ポジティブな燃料」で生きるのが本来なのかもしれない。

確かに、毒親のもとに育つと、そこから抜け出すところにエネルギーを使い果たしてしまい、本来の人生のスタートが人より大幅に遅れてしまう。自分の人生をスタートしたと思っていても、「親のもとでできなかったこと」や「親が嫌がるからこれをやる」といったように、実はまだまだ毒親の影響下にあることに気づいてしまったりもする。

だからこの影響をなくして、「本来の本当の自分の人生を歩み始める」ということは大事だ。これはよくわかるけれど、では「ポジティブな燃料」とは?「目標」がだめだとしたら、なにがポジティブな燃料になるのだろう。

このときは本当に禅問答のような感じで、クエスチョンマークが飛び交い、カウンセラーが言っていることが未知の物語のようだった。今でも、②番はまだよくわからない。どういうことなのかというのはわかるけれど。今のカウンセラーにも、まったく似たようなインドの話をつい先日されたけど、やっぱり「これだ!」というものには出会えなかった。ここはまだまだ勉強が必要なところ。

空っぽな人生

このころ、カウンセラーのホリデーのために、1か月ほどカウンセリングがお休みになった。

このころはなんだかすべてが空っぽに感じていて、先のことを考えると面倒で、死ぬなら今だなと思うようになっていた。なにをしたらいいのかもわからず、なにをしなければいけないと考えるのも面倒で、事故か病気でぽっくりいかないかなと思っていた。自分が空っぽで、なにもなく、ただただ毎日食べて寝て生きるだけだった。食べるために働かなくてはならないなら、面倒だからもう死んでしまいたいと思っていた。

夫のことは、頭になかった。人間関係はすべて、損得で成り立っているように思えていた。夫にも人にも、なにかをしてもらうからしてあげたり、してあげるからしてもらっているだけで、そのすべてが面倒に思えた。「絵画療法」のところで描いた絵の通り、私の中には誰もいなかった。

怒りのあとに、なにもかもが面倒になってしまったのだ。この薄ぼんやりとした「死にたい」という気持ちは、この後かなり長いこと続くことになる。

もう満足して空っぽになっているのだと思うと言えば、カウンセラーに「では次はその満足した状態を維持していかなければなりませんね」と言われた。「もうここで人生終わりがいい」と不穏なことを言ったから、これはまずいぞと思ったのかもしれない。

でも、この状態は維持したいと思えるようなものではなかった。確かにこのときの状況は、家で時間のある仕事をして、広い部屋に住んでと、環境としては満足だったけど、そのまま維持したいとは到底思えなかった。ということは、本当の満足ではないのだろうと思った。

なにか目標が必要なのかもしれないと言えば、なにかを「ほしい」という状況もよくないと言われた。「ほしい」というのは、今はないから「ほしい」なのだと。ということは、現状に満足していないということを示している。

心理学では、「Be here now」という、「今ここにいること」が大事なんだそうだ。今ここでの平穏や幸せを追求し、将来や過去はないと考えるのだとか。このときはまったく理解できなかったけれど、この考えかたはとても大事で、のちにいろいろなところでもっと詳しく学ぶことになる。

カウンセラーに「なにをしたいですか」と突然聞かれて、言葉につまってしまった。自分はなにをしたいのか。考えてみると、すべきことやしなければならないことは次々と出てくるのに、「したいこと」はまったく出てこなかった。ショックだった。

「夫に悪いから会社勤めを始めればいいのだろうか」と言えば、「それは解決にならないし、人に頼ることを許せるようになるのも自分を受け入れる一歩だ」と言われた。人に頼れば、自分もなにかをしてあげなければならない。それが面倒だから、すべてを自分でやろうとする。自分を受け入れられていなかった。人から親切にされても「借り」になってしまうので、なるべく「借り」を作らないように行動していた。これはもちろん、親に「借り」を作ることで散々嫌な目にあってきたことが染みついているからだ。

それに、会社勤めを始めることで、私の夫に対する「悪い」という気持ちは解消できるけど、実際はなんの解決にもならない。

カウンセラーは、「まだ見えてはいないけれど、新しい芽が出てくるときなのかもしれない」と言ってくれた。人の人生というのはたいてい、30年周期で回っていると。

 最初の30年:生まれ、学校に行き、働き、結婚し、子供を産む、といったひと通りの経験をする。
 次の30年 :最初の30年で経験したことをもとに、生きてみる。
 最後の30年:余生を過ごす。

私は今、「最初の30年」が終わったところで、「次の30年」の始まりにさしかかっているところなのではないかと。そう考えると、次があるような気もしてきた。

私が最初の30年でしてきたことといえば、「実家から逃れる」ということただひとつだった。一人で生きていけるよういい仕事を見つけるために大学へ行き、経済学というつぶしの効く学部を選択し、英語を身につけ、経験を身につけ、結婚もして、二度とあそこに戻らなくていいように。

今まで私は、その「あそこに戻りたくない」という気持ちを燃料にして走り続けてきたのだ。そして、いざ自分の人生をどうしたいかと考えたとき、どうしたらいいかわからなかった。なにを糧に生きていったらいいかわからなくなっていたのだ。

毒親のもとに育つと、毒と戦うために労力をフルパワーで費やさなければならないため、自分のために使える力が残らない。残らないどころか、自分のために使わなければならない力もすべて持っていかれるからマイナスだ。戦うことや逃げること、そしてその後に治療し自分の人生を取り戻すことにどんどん時間と労力が吸い込まれていく。普通の親のもとに育った人たちとは、人生のスタートが何十年も違ってしまう。

私は、これが毒親のもっとも許せないところだと思う。

私の最初の30年は、毒親と戦い毒親から逃れるところに目的が置かれていた。自分の人生がまるでなかった。普通の人なら、親からサポートを受けて育ち、完成された大人になって、今度は自分の子供を育てる段階に入るところだ。でも私は、今から赤ちゃんの状態の自分を育てていかなければならない。しかも、自分で。30年というのは、けして埋めることのできない途方もなく大きすぎる差だ。

嘆いていてもなんにもならないが、あまりの理不尽さに呆然とするしかなかった。自分には本当になにもなく、ただただ広がる虚無感に打ちのめされるばかりだった。