バーチャル

新しい過去を作る

アダルト・チルドレン癒やしのワークブック」第七章の「親に言いたいことを言う手紙を書く」作業に取り組めないため、第八章の「新しい過去を作る」作業へ進んでみた。

ここでは、まずトラウマとなった過去のできごとが起こったときのことを心の中で再現し、次に「どうなってほしかったか」をイメージして、記憶を塗り替えていく。

そんなことができるのか、癒やしにつながるのかと思っていたのだけれど、やってみることにした。

「どうなってほしかったか」というのをまず書き出すのだけれど、まったく出てこなくて大変だった。というのも、なんだかもう怒る気持ちもどっかに行ってしまっていたのだ。

というのも、親がああいう人間だった理由が私にはよくわかっていたからだ。古臭い田舎のあのような家に育って、祖父は酒飲みで仕事もせず遊び呆けているような人だった。嫁に来た祖母は祖父の分まで働く働き者だったのだけれど、彼女はそうやって働くことしか知らなかった。これは子供にとってネグレクトになっただろう。

私が会いに行ったときも、「相変わらずの毒一族」で書いた通り最初は「時間がねえ」と言っていたのだけれど、次にはすぐ「うち(実家)に泊まるんだろ?」と言ってきた。顔が引きつったのを今でも覚えている。

祖母は普段はとぼけたフリをしているけれど、私が親と仲良くないことも充分わかっている。なのに、こうして私を親と仲良くさせようとする。実家などもう私の家でもなんでもないし、行ったとしても状況が悪くなるだけでなんにもならない。それでも親子をやってほしいという非現実を求めてくる。

けっきょくこの人も、あの毒母を作った毒親なのだ。

「家族が仲良くしてほしい」という気持ちはわかる。でも私たちがこうなったのは、祖母の責任でもある。なのに私に我慢をさせ嫌な思いをさせて、あの家に行かせたいというのか。こうしてはるばる会いにやってきた私に、楽しい思いではなく、嫌な思いをさせ我慢をさせたいというのか。

私はいったい、祖母にとってなんなのか。悲しかった

私があの家に行けば物理的に家族がそろうことにはなるけれど、そんなことになんの意味もない。やはりこの人も、物理面しか見えない人間だったのだ。

けっきょくのところ、あんなに頭の足りない一家に、こんなに敏感な私が生まれてきてしまったのが運の尽きだったのだと思った。敏い子供が理解できないから、「お前は悪魔だ」と言って子供が悪いということにする。自分が馬鹿なだけなのに、それを認められない。現実を認められない。

父親など、そういう人を最も馬鹿にする人だった。なにも考えずに古い慣習をただ続けて生きているような人のことを、ものすごく見下して馬鹿にしている人だった。そのくせに自分がまるでそうだったのだ。

やはり、そんな馬鹿な親だったからしかたがないということになってしまう。すると「どうしてほしかったか」と聞かれても、なにも出てこなかった。彼らがやってきたこと以外のことが、起こりうるはずがないとしか思えないからだ。1+1がわからない人間に、3+4を聞いてもわかるわけがない。

ということで、とりあえず以下のようなことを書き出してみた。

  • 自分たちの頭の悪さを、私を「悪魔」とすることで解決するのではなく、自分たちの頭の足りなさに気づき、自分自身をかえりみてほしかった。
  • 自分の都合や勝手な思い込み、欲望ではなく、私を優先して、私のために行動し、私のために生きてほしかった。

書き出して読んでみると、こんなにも普通なことができない人は、人の親になる資格はないだろうなとしみじみ思った。

これを、イメージの中で親にやらせてみた。これが意外にもすっとした。

特に、イメージの中で母親に「私が馬鹿で知能が足りないから、あなたのこと理解してあげられなくてごめんね」と言わせたら、なんだか本当にすっとした。本に書いてあるような「感動的な作業」とはならなかったけど、それでもなにかが変わった気がした。「こんなことで」と思ったけれど、こんなにも効果があってびっくりした。

人間のメンタルというものは、意外にも単純なものなのかもしれないと思った。

広告

冷え性が改善

次のヨガでは、ストレッチのようなポーズを主にやった。

セッションの最初に、下半身の冷えのことを相談してみた。私は上半身の血の巡りがすごくよくて、暑いとすぐ汗をかいてベタベタになる。でも下半身は、お風呂に入ってもサウナに入っても汗ひとつかかずにカラカラ。ひどいと、サウナに入っても脚だけは冷たいままだったりする。

この脚の血流の悪さが腰痛になり、さらには肩こりや首のこりに出ているというのは、前にも「再び指圧へ」で鍼灸の先生に言われていた。

これをヨガで先生に言ったところ、かなり下半身に集中したセッションになった。ふくらはぎを伸ばすようなものだったり、腰を伸ばすようなものだったり、体全体をねじるようなものなど、かなりのストレッチを行った。

すると翌日、なんと靴下をはいているだけで足があたたかいことに気づいた。家にいるときはモコモコの靴下をはいていてもそれだけでは寒く、これに毛布を巻いて過ごしていた。それが靴下だけで大丈夫になった。びっくりした。

これをSNSに書いたら、「どこのヨガ行ってるの?」「私もヨガやる!」とたくさんコメントがきて、またびっくりした。それまで私がヨガでいろいろな変化がありメンタルの上で回復してきていることにはまったく興味がなかったのに、「冷え性改善」という物理的な現象が出てきたとたんに急にたくさんの人が飛びついてきたことに驚いたのだ。

私にとっては、どちらも等しく発生したことだった。でもみんなには物理現象しか見えていない。人というのは現実の半分しか見ないで生きているのだ、ということにあらためて気づいた。

人間は、の二つでできている。どちらかだけでは生きられないし、体と心が相互に関係しあって、一人の人間が成り立っている。体だけが具合が悪かったり、心だけが具合が悪いということはありえない。体の具合が悪ければそれは心にも影響するし、心の具合が悪ければ体にも影響する。

私の冷え性が改善したのも、それまでにカウンセリングやヨガでメンタルが回復してきていたからこそだ。それがなかったら、単にこのストレッチをやっただけでは冷え性はよくなかっただろう。

でも誰もそんなことは知らない。当たり前だ。私も以前は知らなかった。

私と同時期に同じく日本で育っている人たちは、多かれ少なかれ私と似たような問題をメンタルに抱えている。だから同じく冷え性という問題がに出ているのだろう。でもメンタルの回復は彼らには見えない。これではきちんと回復していけない。

誰しも歯が痛くなったら、歯医者に行って治療をしてもらう。鎮痛剤を飲んで終わりにする人はいない。鎮痛剤でその場はしのげたとしても、根本的な解決にはなっておらず、また痛みが出てくることを知っているからだ。

冷え性も、あたためればその場はしのげる。ストレッチである程度改善できることもあるだろう。でも根本的な問題は解決されない。本当に一時的な運動不足だけが理由の人であれば、ストレッチでよくなるかもしれない。でもなにが原因かを総合的に見て分析して、そこを解決していくことが大事だ。

どうにかして伝えたい。その気持ちが、のちのちこのブログを書き始める原動力にもなっていった。

日本的な会社が苦手な理由」でも書いたように、日本では欠勤の連絡をすると「病院行った?」などと言われることがある。イギリスでは、風邪を引いても医者に行く人はいない。仕事を休んで家で寝込む。医者に行って薬をもらっても症状が止まるだけで、風邪自体は治らないからだ。

でも私も以前はそうしていた。風邪を引いたらすぐ医者に行って、大量の薬をもらって飲み、症状を抑えて仕事へ行っていた。熱も下がるし、咳も鼻水も止まるし、一見治ったように見える。でも治ってはいない。当たり前のことだ。そんなことも知らずに生きていた。

そもそもどうしてそんな非現実的なことをし始めたのか。がそうしていたからだ。

高度経済成長期を過ごした親の世代は、世の中がどんどん便利になる時代を生きてきた。冷蔵庫ができて、洗濯機ができて。それと同様に、以前なら寝込まなければならなかった風邪も、薬を飲めば症状がすぐ治まって働けるような便利な世の中になったと勘違いした。

そうして目先の利便性だけ追求して、現実に生きるということを忘れてしまった世代なのでは。人が生き物であるということを忘れて、薬を入れて修理するだけの入れ物になって。子供は親の持ち物で、社員は会社の持ち物で。

そうして、世の中がおかしな方向へ暴走してしまったのではないか。

そのほころびが徐々に出てきているのが、なのではないか。心身ともに病気になる人たちが出てきて、生きられない人たちが出てきて。その人たちが問題を見つめ解決していくことで、暴走から次々に抜けて、本来の現実に生きる生きかたを取り戻していく。

現実に生きるには、一人一人がどうどういう人間なのか、一つ一つがどういう状況なのかを見つめ、考えなければならない。面倒だ。みんな同じにして、周りと同じことをやっていればいいのだと思えば、考えなくていい。誰でもいい大学を出ればいい暮らしができて、それが誰にとっても幸せなのだと思い込んでいれば、ラクでいい。

でも実際それでは生きていけなかった。なぜなら、いい大学を出ることと幸せになることは、実は本来まったく別の話だったからだ。現実に生きるということは、一人一人にとって今この状況でなにがベストなのか、それをいちいち考えて生きていかなければならない。面倒だ。でもそれが実は人間本来の生きかたで、唯一の生きかたなのだ。

そこに気づく人たちが多くなることで、世の中が本来の方向へ戻っていく。今はそういう時期なのだと思った。

Authenticな人生の始まり

でも考えてみたら、「Authenticに生きる」ということはすでに私の中で始まっていた。

「Authenticに生きた」結果、「大騒動の前夜」にSNSに自分の言いたいことを書き、「大騒動の襲来」があっても自分を通して謝ったりしなかった。ここにはっきり書いてある。「どれだけ悪く思われてもいい」と。筋の通ることだと思っていても、謝ることだけはできなかった。Authenticに通したのだ。

「従妹に「夫の悪口を書いて騒動になった」と言ったら、「行って謝って来い」と言われた。でも、どうあってもそれだけはできなかった。それが筋が通ることだとわかっていても、できなかった。夫と電話で話したときも、「Kelokoが来て謝るのが一番いい」と言われたけれど、それだけは嫌だった。どれだけ悪く思われてもいい。なぜかそれだけはしたくなかった。」

その結果、「大どんでん返し」で「大騒動から見えてきたこと」があり、夫の家族に「毒親の予感」が出てきて、夫の問題が表面化してきて紐解かれていくこととなった。

私が黙っていたら、お姉さんの言うがまま夫の実家に行って謝っていたら、なにもわからなかったことだ。

前の会社でも、日本人が残業をする中で「私は定時で帰りますよ」という態度を出してたら、「Kelokoさんはイギリス人と同じく定時で帰る人」という認識が定着して、必ず定時で帰れていた。「仕事に熱心じゃない」と思う人もいたかもしれないけど、いなかったかもしれない。いたとしても、別にどうでもいいことだ。定時で帰ってゆっくりできることが、私の人生にとっては重要だった。

考えてみると、他の様々なところでもすでにそれが始まっていたことに気づいた。

この一〜二年前くらいから、だめだと思う人、一緒にいて自分が傷つくと感じる人がどんどん出てきた。その人たちとは無理をして付き合うことができなくなり、相手にどう思われるか考える余裕もなく、連絡を断ったりフェードアウトしていくしかなかった。自分がみんなと仲良くできないダメ人間のような気がして、とても苦しかった。

でも、そんなことはなかったのだ。

自分が傷ついてまで一緒にいなければならない、仲良くしなければならない人など、いないのだ。そういう人とは離れていいし、「私はあなたによって傷ついてます」と言っていい。普通なら、理解して対応してくれるはず。万が一理解してもらえないことがあったら、それまでだ。

というのも、「それをすると痛いからやめてくれ」と言ったときに、それでもやめない人、「そんなことが痛いわけがないだろう」「それを痛いと思うことが間違っている」などと言ってくる人がいたら、その人は現実を把握できず妄想に生きているという相当致命的な問題を抱えている。が痛いかどうかは、世界中で私だけが知っていることだ。

相手にとっても妄想に乗ってあげない私と仲良くすることはつまらないだろうし、私にとっても害があるので、必要以上に接しなくていい。そもそも全人類と仲良くすることは不可能だ。

このころネットで、以下のような文を読んだ。

世界中の二割の人は、あなたがどんな行動をとってもあなたの事を嫌いになる。
六割の人は、あなたの行動によって好き嫌いが分かれる。
でも残りの2割の人は、あなたがどんなヘマをしてもあなたの事を好いてくれる。
世界はそういう比率でできてるらしい。

なるほど、と思った。どれだけ頑張っても私のことを嫌いな人もいるし、どんだけヘマしても好いてくれる人もいる。とすると、別に自分を押し殺してまで頑張る必要など、最初からどこにもない。「大騒動で学んだこと」のように、「落ち着かないから嫌だ」と言っていいのだ。

私の場合、まず「自分がどう感じてるかがわかっていない」という問題があったので、そこから取り組む必要があった。自分がどういう気持ちなのかを把握する、ということ。これができると判断しやすい。それには、

①なにか違和感があったら、それを無視せずにまずそこで立ち止まる
②なぜ違和感があるのかというところを、掘っていく。
③それで自分の気持がわかったら、それを出す。

この練習だった。カウンセラーいわく、最初は時間がかかるし、だめだと感じる人に対しては突然連絡を断ったりなどうまく対応できないけど、できるようになってくるとどんどん加速していくしうまく対処できるようになっていくから、大丈夫だとのことだった。そして、本当にその通りになっていった。