サバイバルテクニック

透明人間

12月半ば、年末最後のカウンセリングになる予定だった。

この翌日から、私は一人で日本へ行くことになっていた。祖母の具合が悪くなり、迷ったものの、会いに行く決心をしたのだ。ちょうど一年前に実家へ行き、「予期すらしていなかった大災害」にあったばかりだった。それでもこのときは祖母に会いたかった。

このころ、夫との間は最悪な状態だった。「不安症の個人セッション3回目」に夫を連れて行き、これは私の問題だけではなく夫にも問題があるのだということを初めて認識した。そこからも何度も何度もそれを忘れてカーっとなっては、すべてを私のせいにしたりしていたけれど、「夫とヨガ師匠のカウンセリングへ」行くと、自分の問題をきちんと認識して話すようにはなっていた。それでもやはりこの「否定」は根強く残っていて、今でもカーっとなることがある。

そうなると今でも耐え切れないほど頭にくるけれど、当時は「怒り」ではなく「絶望」だった。だから「あの世とこの世の狭間」で揺れていたし、生きていられなかった。今はそこから抜けて「怒り」になっただけでも、私は大きく成長した。頭のおかしい人に理不尽な目にあわされても、死ななくて済むようになったのだ。

でもこのときはまだ、自己肯定感がそこまでは成長しきれていなかった。危ない状態だった。

夫はなにかを言われるとカーっとなって必要のない自己弁護で私の攻撃に走るため、手が付けられなかった。なにを言っても無駄だし、話はどんどん逸らされていった。とにかく「飛んでくるものをすべて打ち返さなくては」と思い込んでいるようだった。しかも本人にはその自覚がない。やっとわかってくれてきたと思ったのに、また何度も何度も永遠に振り出しに戻されて、私は絶望からさらにまた絶望するばかりだった。

でもこのときは今のカウンセラーがいた。なにがあっても、このカウンセラーのところへ行けばどうにかしてもらえるかもしれないと思えた。それだけが私の希望の光だった。

実家にいたときも、弁護士のようにきちんとした第三者に入ってもらえたら絶対に私が勝てると思っていた。でも子供の私にはそれができなかった。だからなにも変えることができなかった。でも今は違う。専門家に頼り、話を判断し、調整してもらうことができる。アドバイスをもらうことができる。

それでもつらかった。カウンセリングでも言葉につまり、泣き出してしまった。すると夫はそれをきれいに無視して、笑顔でカウンセラーに自分の話をし始めた。

カウンセラーはそれを見逃さなかった。「She is crying(泣いているよ)」と夫に返した。

今までにも何度もこういうことはあった。でも気づかなかった。その事実に愕然とした。

このごくごく最近になって、気づいてきてはいたのだ。「頭のおかしい夫」に書いたことがそうだった。夫には「私が泣いている」という現実が見えない。それが大きな問題であることに気づいた。

化粧水ふたたび」や「毒親対策」でも書いた通り、感情を無視されるということは、存在を無視されるということだ。私はすっかり親と同じことをしてくる人と結婚してしまっていた。

考えてみたら、夫に無視されてきたことはたくさんあった。私はずっと自分の存在を消されて生きてきた。透明人間だった。

たとえば私が「今日変な夢を見たんだ」と言えば、「あ、俺も見た!」とそこから自分の夢の話をしてしまう。私の「夢について話したい」という気持ちが見えず、「夢」というワードから自分の夢につながり、話し始めてしまう。私はそこで、自分の話したいことを抑えて夫の話を聞いてしまう。たとえ自分の夢の話をし始めたとしても、夫がつまらない素振りをするので手短に終わらせてしまう。

それはけっきょく、そうやって親の話を聞いてきたからだった。親の親になって、親のやりたいようにさせてきてしまったからだった。自分の話をしても、きちんと聞いてもらえなかったからだった。いらない突っ込みをされて、自分の気持ちをつぶされるだけだったからだ。

もちろん子供の自分には、それに従うことでしか生きていくすべがなかった。サバイバルテクニックだ。でも大人になってもうそんなことをしなくてもよくなった。それでも子供のころに身につけさせられたこのテクニックを、ずっとやり続けてしまっていた。これはもう必要がないのだ、「無視するな」と言い返していいのだ、そう認識することが必要だった。

夫は私が泣いているのを認識したが、なぜそこで無視をしたのか聞かれてもよくわからないようだった。私が泣いていて、心を乱しているから、自分の話をしようと思ったと言った。

それは私にもよくわかっていた。今まではそれを「笑いにしたり、つらい状況に触れないことで、ポジティブにもっていこうとしてくれている」という夫なりのやりかたなのだと思って、無理やり受け入れていた。でもそれは間違っていた。自分の妻が自殺しようとしたその後に、それを笑いにすることはどう考えても頭がおかしかった。

二人きりでいたら、こんな指摘はできなかった。カウンセリングに行って公平な第三者の目にさらされたことで、問題をズバリ取り上げることができたのだ。

周りの人に相談しているだけでは、これは絶対にできなかったことだ。夫は見た目にはとても優しい風貌をしているし、私のことをとても大事にしているように見える。夫自身にもひどいことをしているという自覚はまったくないし、「自分はポジティブなのだ」と思い込んでいる。周りにもそう捉えられてしまう。それでは問題は解決しない。

夫は、私が見えない。

私は、それがつらくて死にたくなる。

これがわかってきたことだった。「新たにわかってきた夫のこと」や「もっとわかってきた夫のこと」「自分の問題と夫の問題」でも書いた通りだ。

では「どうしたらいいのか」そこが問題だった。それには「どうしてそうなってしまっているのか」を解明することが先決だった。でもこのときはまだそこまで考えることはできなかった。

「こうしてKelokoが泣いて、どう思う?」とカウンセラーに聞かれた夫は、なにも答えることができなかった。ただただ泣いている私を見ているだけだった。その上、あろうことか自分も泣き出した。血の気が引いた。そして思い出した。こういうことは何度もあった。「なにもできない夫」だった。こいつは本当に異常だと思った。死んでくれと思った。

傷ついているのは、だ。夫ではない。泣くのはだ。夫ではない。

なのに夫が泣いて、つらい私を放置し、自分に注目を集めようとしている。信じられなかった。夫がつらければ、私はケアできる。でも私がつらいときでも、夫をケアしなければならない。実家で起こっていたことと100%同じことが起こっていた。まさに地獄だった。

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Job Centreにて

就職活動を休止することにしたので、JSA(Job Seeker’s Allowance)の受給を申請することにした。「就職活動費」、日本で言う「雇用保険」だ。

夫いわく、申請しても面倒なことが増えるだけで、やりたくもない仕事をつかまされたりするので、申請しないほうがいいとのことだった。でも友人の中に最近申請して受給していたという人がいたので、話を聞いてみたところ、そこまで大変な手続きはなかったと言われた。調べてみたらオンラインでも申し込めて、週に70ポンドの手当てが出るとのこと。月に280ポンド出れば、カウンセリング代の足しにもなる。申し込んでみることにした。

けっきょくオンラインではできず、Job Centre(ジョブセンター、職安)に行って申請と手続きをすることになった。

担当になった女性は、会うなりすぐ「You are 5 minutes late, lady(お嬢さん、5分遅刻よ)」と言ってきた。そんなこと気にしなければいいのだけれど、また「よく思われなければならない」という自分が出てきて、相手の優越感をくすぐる対応をし始めた。

東アジア人、特に日本人は、こちらでは見た目が異常に幼いので、子供のように扱われることがある。その上私は、しっかりした服装で行かないといけないと思いスーツに近い格好で行ったので、ちょうどこちらの中高生の学生服のように見えたかもしれない。先輩風を吹かせたい人にとっては、恰好のターゲットだった。

私はこういう人たちに出会うと、よく相手を持ち上げていた。このときも大したことでもないのに「そうなんですか!」とことさら感心し、手続きのしかたや職探しの方法などを教えてもらいながらありがたがってみせた。就職活動は中止してカウンセリングに集中することにしたから、職探しはどうでもよく、ただ手当てがもらえればよかったのだけれど、仕事のない自分を下げて、仕事がある彼女を持ち上げるような言いかたをしたりした。

本当にどうしようもないことをしていた。でもそれが、私が身につけさせられたサバイバルテクニックだったのだ。実家にいたときは親を持ち上げうまく乗せて、必要なことをしてもらわなければならなかった。それでも裏をかかれることばかりだったし、少しも気が抜けなかった。いろいろな人を味方につけて、親に頼らなくても生きていけるようにしなければならなかった。親よりも自分の言ってることが正しいと人にわかってもらうために、「いい子」であること、「しっかりしている」ことを見せ続けなければならなかったのだ。

担当は喜んでいるように見えた。私の学歴が大卒であることを見ると、「あなたすごいじゃない!すぐ仕事見つかるわよ!」と楽しそうにしていた。気に入られたと思っていた。上から目線で嫌いだったけれど、我慢して気に入られていればいいのだと思った。

申請後、まだ受給できるかどうかはわからなかったけれど、とりあえず隔週でJob Centreに行って、就職活動内容を詳しく記録した書類を見せなければならなかった。どの会社のどんなポジションに応募し、担当のなんという人に連絡をとったか、返事はどうだったかなどの記録を、最低でも週に8つ、計16個記入し、それを細かくチェックされた。今までの分も含めていいとのことだったので、仕事を辞める前の夏にやった面接分から記入して持っていった。

仕事を探していたわけではないから面倒だったけれど、受給のためならしかたがなかった。少しでももらえるお金はもらっておきたかった。

ところが数回行くと、担当がなにかと理由をつけて面談をキャンセルするようになってきた。一週間引き延ばしたり、最後には「トレーニングがあって遅れるので」と別の人と予約させられた。担当が嫌でしかたがなかったから、別の人にやってもらえることになってよかったと思った。

別の人のデスクに行ってみると、担当のだった。そして待ち時間の間に担当も帰ってきた。担当がいるすぐ隣で、別の人と面談をした。その人は私の書類を見るなりすぐ、古い記録を持ち出してくるのはだめだと言ってきた。古いものも入れていいと言われたと伝えると、初回はいいけれど、その後からは面談後にやった就職活動分を書かなければだめだとのことで、その場で全部消されて、新しい記録をつけさせられた。二週間分の活動なんてもとからなんにもないから、携帯を見ながら昔の活動を引っ張り出してきて、日付けを最近のものに変えてとにかく埋めた。

私がそれをさせられている隣で、担当は見えない聞こえないふりをしていた。彼女は、もしかしたらこれが言えなかったのかもしれないと思った。あんなに先輩風を吹かせているのに、私がにこにこして埋めてきた記録に文句をつけられなかったのかもしれない。先輩風を吹かせられて気に入られてると思っていたのに、もしかしたら彼女にとって私は扱いにくい人だったのかもしれない。

上から目線だと思っていたのも、自分の思い込みだったのかもしれない。私が毒親育ちの刷り込みから勝手に上下関係を作ってしまったけれど、そんなことをする必要などなかったのかもしれない。当時はまだわかっていなかったけれど、毒親のもとでは有効だったサバイバルテクニックが、大人になってから人間関係の構築を邪魔してしまう典型的なパターンだった。

けっきょく該当年次に収入がなく雇用保険を納めていなかったことから、JSAは受給できなかった。だからJob Centreへ通うこともやめてしまったのだけれど、この担当とのことは新たな気づきをもたらした。

ヨガで夢について話す

ヨガ開始」してから、毎週通っていた。

先生は、まず最初に「How are you feeling?(今どんな気分?)」や「How was your week?(今週どうだった?)」と聞いてくる。私はこれをただのイギリス的挨拶だと思っていて、「I’m alright(元気です)」などといつも通りに返していた。教科書にも載っているような、「How are you?」「I’m fine, thank you」というやつだ。

だが先生はそこで終わらず、何度も詳しく聞いてきた。どうも、本当に私の様子を知りたいようだった。そのうちだんだんと、先生はこの回答をベースにセッションを組み立てているらしい、ということがわかってきた。

穏やかなのか、悲しいのか。つらいのか、ラクなのか。嬉しいのか、怖いのか。

この先生との毎回のやり取りが、自分の気持ちを把握するのにとてもいい練習になった。その日そのとき、自分がどういう気分なのか、なにを感じているのか、どんなことが心の中にあるのか。最初はとても難しかったけれど、先生の家に着く前に電車の中でじっくり考えておくようにしたりして、練習していった。

のちには「今日やりたい気分のポーズ」も聞かれるようになっていく。先生はそれを組み込んで、セッションを組み立ててくれた。自分の気持ちを100%取り入れて、動いてもらえる。そのことがとても新鮮だった。

ちょうど2回目のヨガの日。その朝に「悪夢に夫が追加」されたのを見たので、かなりぐったりしていた。なのでこのことについて、先生に話してみた。

家族にいじめられてなにもやり返せずに、体がどんどん動かなくなって恐怖で飛び起きる悪夢があり、これを数か月に一度見る。今朝もちょうどこれを見て、今回はがそこに加わっている夢だったと。

この話をしている際も、怖かったところを話すときに「ハハハ」と笑いながら話している自分に気づいた。先生は真剣に聞いてくれていたのに、怖いところはどうしてもごまかしてしまう。「喉に問いかける」で「怒り」を押し殺していたのと同じだ。

こうして笑いながら話してしまうと、人によっては「そんなに深刻ではないのだ」と思ってしまう。夫のような回避型は特にスルーしてしまうので、私が抱える恐怖や怒りが見えない。人には「シリアスなことでも笑い飛ばす器の大きい人間」ととられてしまったりもする。そしてますます私の気持ちが誰にも理解されず、無視されていく。

これをとめなければならなかった。

このときはまだよくはわかっていなかったけれど、これも私が子供のころに身につけたサバイバルテクニックのひとつだった。親は私の気持ちを無視してくるから、無視される前に笑っておけば自分が傷つかなくて済む。凹んでいる自分を見せて、「なにそれ」とあしらわれてしまったときのつらさや怒りを考えると、先に自分から笑い話にしておくほうがいい。

私が「怒り」と「不安」を無視しているのは、それを認識してしまうと生きていけなかったからだ。まさに夢の中のように親にそれをぶつけても、効き目がない。

夢のことを話したからかどうかはわからないけれど、1回目とはかなり違うポーズをやった。最後のヨガニードラでは、なんといくつも夢を見た。そのひとつがなんだかおかしいもので、内容はまったく覚えていないのだけれど、「フフフ」と笑って覚醒してしまった。黙って続けたけれど、なんだかおかしくて顔がにやにやしてしまった。

値段は高いけれど、やはり私のようにメンタル重視の場合は1対1のセッションがいいと思った。先生は昼間しかできないから、仕事が始まってしまったらできない。お金は仕事が見つかればどうにでもなる。今できることを十分にやっていこう。そう思った。