コントロール

不安症の症状とストレスジャグ

不安症の症状はいろいろなで現れ、以下のような種類があるとのことだった。よく聞く障害だけれど、これもみな不安症の一種として考えられている。ということは、治療の方法もすべて「身につけてしまった癖を取る」になるのだ。

・一般的な不安症
・パニック・アタック
・恐怖症
・社交不安障害
・強迫性障害(OCD)
・心的外傷後ストレス障害(PTSD)

不安症の症状は、以下のようにいろいろなところに出る。
anxiety symptomsこうして見てみると、ほとんどのものに自分が該当していることがわかるけれど、毒親もかなりのものに該当していることがわかる。日本人に多い「状況をコントロールしようとする」のも不安の現れというのは、大きな発見だった。「しっかりしている」というわけではないのだ。

もちろん、状況を適度にコントロールしようとする人なら問題はないはずだ。でも、例えば台風で新幹線が止まって駅員を怒鳴りつける人のように、自然までコントロールしようとするのはおかしい。人間はだれでも予期せず病気になるのに、仕事を病欠すれば「自己管理がなっていない」と言われたりする。

ところ狭しと注意書きが並べてあって、それを見ない人がいると「ちゃんと読め」と言うような空気も同様だ。コントロールしたい「しっかりしてる人」が多く、またそれがよしとされているからだと思う。「日本人はロボットだ」などと言われるのは、こうして人間であることを無視して100%コントロール可能な社会を目指しているからだ。

でも、それがだんだん無理だと気づく人が増えていると思う。コントロールを極め続けた結果、それが破綻しか産まないことがわかってきたからだ。コントロールを重視した結果、常に自分がミスをしないように自分を見張っていなければならなくなり、毎日がただそれに追われるだけで本来の人生を生きられなくなってしまった。

今では「子供を産み育てる」という、人間として当たり前のことすらおいそれとできなくなってきてしまっている。バーチャルな旧世代がコントロールをし尽くして作り上げたものは、人間が生きていけない社会だった。そこから人が生きていくための社会を取り戻さなくてはならないと思う。

それには不安症から脱却して、コントロールをしない、しっかりしていることだけがよしとされない価値観を受け入れていくことが大事だ。

water jug人間は、無尽蔵にストレスを溜め込めるわけではない。ちょうど水差しのように、入れられるストレスのは決まっている。水差しが満杯に近いほど、不安症の症状は如実になる。通常なら対応できる事態でも、この水差しが満杯になってしまうと、まったく対処できなくなってしまう。

お金や病気、家族など、生きていく上で避けられない不安要素というのもは必ずあって、水差しが空だという人はいない。大きなストレス要因があって水差しが満杯になってしまうと、必ず他のことに影響が出てくる。例えば仕事でストレスがある場合、それをうまく回せたとしても、家庭やその他のところが回らなくなってしまう。

でも毎日少しずつ水を抜いていけば水があふれ出すのを防げるし、症状が出ずに済む。ストレスの主原因にすぐ対処することができずとも、他のストレスの原因を減らすことで、主原因に手を付けられるようになったりする。

なので、以下のようなやりかたで、日常的に水差しの水を抜いてあげることが大事だとのこと。

  • ストレス要因をよく見て、ストレスレベルを低くすることができないか、また別の方法を取ることによって対処できないか見てみる。
  • そのストレスフルな状況は、本当に自分のせいなのかを見てみる。違うとしたら、誰に責任があるのか、またその分のエネルギーを他で使うことができるのではないかを見てみる。
  • リラックスする時間を作る。スポーツや友達と会うなどで、定期的にリラックスする習慣をつける。

このリラックスの方法はあとでもっと詳しく勉強する。

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大きな一歩

伯父のところ(「父方の祖母のところへ」参照)を出て、やっと毒親から離れられた。

こういう環境にいたから、私は壊れたのだなと思った。逆に、私は壊れて当然だと思った。

あの家を出て十数年、普通の人たちと普通のコミュニケーションをとって過ごし、普通の感覚が身に染み込んだ今、久しぶりに毒親に接してみると、いかにあの人たちがあり得ない人間か、自分のいたところがどれだけあり得ない環境だったかということがよくわかった。

私がつらい思いをしてきたことも真実で、私はなにも悪くなかった。親不孝でも、人の気持ちがわからない思いやりのない人間でも、自分勝手でわがままな人間でもなかった。私は、ただの普通の感覚を持った普通の人間だったのだ。

まだ毒親のコントロールの支配下から完全に抜けられてはいなかったけれど、それでもこれは大きな一歩だった。

1.毒親は普通の人間ではない。頭がおかしかったのは、私ではなく、毒親。
2.普通ではない人間と右も左もわからないころから一緒に暮らしていた私は、壊れて当然。
3.毒親と話して理解し合うことは不可能。

これを理解するにも、友人のサポートがとても大きかった。どんな目にあったのかを聞いて、「ひどい!」「あり得ない!」とみんなが言ってくれた。これで、「よかった、やっぱりひどいことなんだ」と、自分の感覚に確信自信を得ることができた。

毒親育ちは、生まれたときからあり得ない目にあっているため、感覚が麻痺している。そこで、普通の感覚で「それはおかしい」と言ってもらえると、「ああやはりそうなのか」「私が思っていたことは普通だ」と安心できるのだ。

でもそこで、「親なんだからきっとあなたのことを思ってやったんだよ」「なにか理由があるんだよ」などと言われてしまうと、脱出どころかますます毒親の支配下に陥っていってしまう。日本では「親」という存在をなぜか盲信する風潮があるため、毒親育ちはなかなか解毒へ進むことができず、どんどん毒に侵食されていく一方だ。

その点、イギリスだと「親」に対する盲信がなく、きちんと客観的な感想がもらえる。儒教的な考えかたがなく、キリスト教的な「個人」対「神」という考えかたで、神の前では親も子もなく、それぞれがどう生きるかということが重要視されているということだろうか。それとも、単に「あり得ない親」が多いからだろうか。「親=思いやりのある正しい人」という感覚はあまりない。

「親」ではなく、たとえば「上司」として考えてみたら、どこがどうおかしいのかがよくわかるかもしれない。

ただ、もうひとつここでわかったこととして、「夫の言動の違和感」があった。

「なんで私ばかりこんな目にあうんだろう」と泣く私と一緒に泣いてくれたりしたけれど、そんなことなどなにもなかったかのように、毒親に対しては普通に受け答えしていた。私をこんなに傷つけているのは毒親なのに、その毒親とにこやかに話をしたりしているのを見て、またショックを受け、傷ついた。

これは、「夫の言動に傷つく日々」で書いたことともつながっていた。これがのちのち「夫も毒親育ちだった」という発見につながっていく。

父方の祖母のところへ

次の日は、父親の車で、父方の祖母に会いに行く予定だった。

もうそんなことはお構いなしに、大荷物でもなんでも自分で持って、大変でもなんでも電車で行けばよかったのだ。今ならそう思えるけど、当時は今よりも毒親に支配されていたのと、当時は寝不足と怒りで思考回路がめちゃくちゃになっていた。本当に、心底嫌だったけれど、車に乗ってしまったのだ。私さえ我慢すれば、と思っていた。

行く前に、母親が私の運転免許証を貸せと言ってきた。私の名義で入っていた保険が満期になったので、降ろしたいらしい。でも、そんなの私には関係ない。毒母が勝手に入った保険だ。私のIDを貸さなきゃいけない理由はない。なにより、私の持ち物に対して、自分のもののように貸せなどと言われるのはおかしい。

「なんでそんな言いかたされなきゃいけないの?」と言えば、「なにがそんなに気にくわないのよ」と言われた。

目の前が、真っ赤になった。

自分たちの好きに振る舞い、それで私が怒れば、自分だけ大人であるかのような顔をして「なにがそんなに気にくわないの」。自分たちのしたことは、なんだ。自分たちがすることはすべてなかったこととなって、私ばかりが責められる。本当に、刺してやりたかった。殴りつけて、メッタ刺しにしてやりたかった。

私が怒ることで、自分の力を確信し、コントロールできていることに安心するのだ。だから怒ってはいけないことはわかっていたけれど、こうも犬扱いをされて、怒らずにはいられなかった。

毒母は、すごい態度で「貸してください、お願いします」と言ってきた。言葉ばかりは丁寧だったけれど、中身はまったくともなっていなかった。

言葉」は丁寧だけれど、「真実」は丁寧ではない。毒母は「言葉」で私をコントロールしていたのだ。どれだけ私のことを虫けらのように扱い、自分の好きにしていたとしても、「言葉」上できちんとしていればもちろんいいのだと毒母は思っていた。それが、毒母のいる中身のないバーチャルな世界だった。

それでも、当時はまだ「形式」が見えてしまっていて、人は「真実」で行動しなければいけないということを知らなかった。「お金」や「言葉」、そんなもので世界ができていると思っていた。

貸すことはなかった。でもしぶしぶ出してしまった。マリアナ海溝より深く後悔するばかりだ。

父親の兄のところへ行き、一緒にお昼を食べることになった。どこがいいだろうと伯父に聞かれたとき、私たちにはなにも聞かず、「イギリス人だから蕎麦とかは食べないよ、ピザとかがいい」と勝手に言っていたのが聞こえたが、無視した。仲良く一緒にお昼なんてできなかったので、一応車は降りたけれど、気持ち悪いと言って夫と車に戻って寝ていた。

父方の祖母の施設では、前を歩くでかい態度の毒親が本当に醜くて気持ち悪く、連れだと思われたくなかった。

祖母と夫と三人の写真を撮ってもらったが、カメラを持つ毒母の前で笑えもせず、死人のような顔をしていた。せっかく夫と三人で撮った写真だったけれど、プリントしなかった。夫に撮ってもらった祖母と二人の写真は、まったく違う楽しそうな表情をしていた。

祖母と話していると、「私も撮ろう」と、毒母が携帯のカメラで勝手に私と祖母を撮り始めた。いいとも言っていないのに、「娘と祖母」という銅像でも撮るかのように、パシャパシャといろいろな角度から撮っていった。嫌だから顔をそむけても、別の方向に動いてカメラを近づけて至近距離で撮ってきた。

目の前が、ふたたび真っ赤になった。

まるで、見世物だった。私に人権はなかった。「撮るな」と言われないから、好きに撮っていいのだ。私がどう感じているか、どう思っているかは、まるで関係がない。言われない限りは、撮っていい。たとえ言われても、「なにが気にくわないのよ」と返せばいい。なにが気にくわないか、きちんと説明できるものならしてみろと。

楽しくもなんともなかった。祖母の話など、まったく聞こえなかった。早く帰ることしか頭になかった。

伯父が、「うちに荷物を置いて、この辺りを観光していけ」と言ってくれた。私も大賛成した。そうするつもりだったからだ。でも毒親は「悪いから」と、なぜか必死に止めさせようとした。

伯父の家に着くと、伯父のいないところを狙って毒父が私に近づいてきた。気持ち悪かったので、逃げた。すると「おい、話を聞け」ともっと近づいてきた。「近づかなくても聞こえるから!」と、必死に逃げた。私が近づかないと思った毒父は、その場でどえらい態度で最終兵器を吐いた。

  「お前がそんな態度なら、次回から歓迎できない」

私は食い気味に「はい」とだけ短く返事して、伯父の家に逃げた。毒父は、拍子抜けしたようだった。

私が泣いてすがるとでも、思ったのか。「もう実家に行けないなんて!」「どうしよう!」なんて、思うとでも思ったのか。こんな犬扱いを受けて、「また来たい」と思うとでも思ったのか。というか、本気で「次回」があるとでも思ったのだろうか。

このときだって、実家に行きたくて行ったわけではない。祖母に会いたかったからしょうがなく行ったのだ。祖母がいなかったら、あんなとこ行くわけがない。私が自分たちに会いたくてやってきたとでも思っているのだろうか。あんなに気持ちの悪い空間が、そんなに素晴らしいお家だとでも思っているのだろうか。

宇宙レベルの勘違いに、驚愕しすぎて気を失いそうだった。

その後は、二人で伯父に名産の蕎麦をおごってもらい、短かったけれどやっと楽しい時間を過ごした。伯父は、「なんだ蕎麦が好きなのか」と夫に言っていた。蕎麦が特別に好きなわけではないが、日本にまで行ってファミレスのピザなど食べるわけがない。そんなことも考えず、聞きもせず、ただただ自分がいいと思ったものを毒親は与えてくるだけだ。

ひどい滞在だったけれど、毒親のほうから自ら「次回から歓迎できない=もう来るな」と言ってもらえたので、行かない口実ができた。これで「会いにもこない親不孝」と言われることはないだろう。とはいえ、どうせそう言い始めるだろうけれど。私にはもう関係のない人たちだ。