クリエイティビティ

違うことを試してみる

そんな「日本の会社」の中でも、自分でできそうなことはやってみた。

向いていること」で書いた通り、私にはやはり「工夫をしたい」という気持ちが強かった。また、人にはそれぞれ個性があるので、たとえ前任者に適していたやりかたでも、私にとってそれが最善であるかというと、そうでもなかった。

ノンネイティブと話す」で書いた通り、前任者は自分のやりかたに自信を持っている人だったので、引き継ぎの間はとにかく前任者の言う通りにすべてを行った。産休が始まり、また自分も会社と仕事に慣れたころ、違うやりかたを試し始めた。

「毎月の会議の前に各国から必要な情報をもらって集計する」という業務があったのだけれど、ここでもっとも面倒だったのが、ドイツから情報をもらうことだった。

それまでにもヨーロッパ各国の人たちと仕事をしてきたけれど、ドイツ人というのは日本人並にきちんとしていて、一番仕事のしやすい人たちだった。どこに行ってもそれは常識で、ドイツ人にわずらわされたことなど一度もなかったし、面倒なのはいつも、自分勝手なフランス人や、口ばかりのイタリア人、ルーズなスペイン人だった。

なのに、この会社ではそれが真逆だった。ドイツ以外はどこもきちんと締め切りまでに情報を出してくるのに対して、ドイツだけは必ず遅れたり、言われるまで出してこなかったりするようだった。

前任者には、「ドイツは必ず締め切りの数日前に電話を入れて、また締め切りの日の午前中にも電話を入れるように」と言われていた。電話をすると「ああ、わかってます」とは言うものの、締め切りの日にこちらが催促するまで提出はしてこなかった。

担当者は「忙しい」ぶっていて、特別扱いを期待している「かまってちゃん」のようだった。このときドイツはオフィスを移転したばかりで、確かに忙しかったのだけれど、それでも何年もやっている月例の仕事を忘れるわけはない。明らかに、提出してこない理由は「忙しいから」ではなかった。毎月催促をし続けても、いつかきちんと提出してくるようになるとは思えなかった。

いいタイミングだと思ったので、引き継ぎが終わって私が後任としてスタートしてから、ドイツに催促の連絡を入れるのをやめた。

どうなるか少し気にしてはいたものの、出してこなかった場合は「他の国にも同じように連絡を入れているのに、なんでドイツだけ出してこないんですか」と普通に聞けばいいと思っていた。

すると、なんとその月からきちんと自ら提出してくるようになったのだ。

しかも、他のところよりも早く出してきた。

前任者から言われていたのに、私が全然ドイツに連絡を入れていないのを、上司はずっと見ていたようだった。「ドイツに電話したの?」と詰められてびっくりした。そこで、ドイツはとっくに提出済みの旨を伝えると、今度は上司がびっくりしていた。

業務には、もちろん変えてはいけないもの、変えようがないものはいくらでもある。でも、改良できるものは改良するほうがいい。同じことを同じように続けていなければならない理由はない。

私は、変えられるものをどんどん変えていった。これは、「全体のため」に動く日本の会社では喜ばれた。でも業務をいくら改善しても、持っているスキルで有益なことをする人がいても、給料などに換算されることはなく、「会社のためによくやった」で使われるだけで終わるのが、日本の会社だった。

こういう環境で、私の自己肯定感はますます落ち込んでいった。

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過去の失敗を忘れるには

スピリチュアルカウンセリングの続き。

最後に質問はと聞かれたので、「過去の失敗を忘れるにはどうしたらいいか」を聞いてみた。これは私にとって非常に難しいことで、もう何年も前の失敗をたびたび思い出しては眠れなくなることがざらにあったからだ。これがとてもつらかった。

今思えば、これは毒親育ちにある「過剰な完璧主義」ということだった。これもカウンセリングでもやったことだったけれど、そのときはまだ「満足できない」のところで書いた通り、「自分にダメ出しをしている」という話だったので、この時点ではまだ「過去の失敗を忘れられない」と「自分にダメ出し」が結びついていなかった。

なにかを言ってしまった後で、「あー、ああ言えばよかったのにー」とか、レッスンで「ああ教えればよかったのにー」と思うことは、話のすぐ後やレッスン中にでも、すでに「クリエイティビティが働いている」ということ。

この回答は、今思えば単なる逃げ道だった感じもあるけれど、この考えかたを教えてもらったことで、このときは確かに本当に救われた。

たとえば、「素晴らしいナイフ」があったとする。使い方によっては大変な間違いをしてしまったりするけれど、使い方によっては素晴らしいものが作れる。このように、自分が持っている道具(言葉やエネルギー)を、どういう風に使うのかと考えてやってみて、後になって「あー、ああいう風に使えばよかったんだー」と「発見」しているということ。

道具というのは、「これはよい道具なんですよ」ともらっても、最初はなかなか使いこなせなかったりする。でも使っているうちに、だんだん自分の道具になっていって、自分とその道具がお互いに交流し合っていくうちに、そのうち目を閉じていても使えるように馴染んでくる。なので、「失敗」ではなく、うまく使えるようになっていく作業の「途中」ということ。

「道具は持っている、でも持っていると言われてもそれがなんだかわからなかった、使ってみたら間違ってしまった、じゃあこの次はこういう風に使えばいいんだ」、もしくは、「道具箱を開けたけれど、なにが入っているかわからなくて、とりあえず使ったけれど、これじゃなくてこっちを使えばよかったんだ」というような。「工夫をしようとしていたんだな」と思えばいい。

でもやはり、使えなかった場合はフラストレーションを感じたり、自信がなくなってしまったりする。「それが原因でレッスンがキャンセルになっちゃったのかなー」とも思ってしまうと、またそれでさらに自信がなくなってしまったりする。

でも、ただ「なにを持っているんだろう」「どうやって使ったらいいんだろう」ということに気づきましょう、ということ。振り返ってみて、「そうか、あのときあんなにショックだったのは、私はこの道具を持っていたにもかかわらず、こっちを使ったからだったんだー」というような。すると、「じゃあこの次からはこれを使えばいいんだ」としていけばいい。こういうことが、教えることや日々の会話の中でも、少しずつあたためられていたんだろう。

この、「持っていたけれど使えなかった」というところに、衝撃を受けた。

今までは、「ああすればよかったのに」というのは、後から「外的な要因で気づいたのが悔しかったのだ」と思ってたのだけれど、「自分で持っていたのに、別のものを出してしまった悔しさ」だと思うと、すごく納得できた。

「気づいた」というのは、持っていたから気づいたわけで、最初から持っていなければ気づかない正しい道具も持っていた、でもこのときは判断が少し違っただけで、次からは正しいのを使えばいいと。

そう思うと、ほっとした。この考えかたは、画期的だった。今までいろいろな解決方法を模索してみたけれど、これだけ納得がいって、解決の光が見えた考えかたはなかった。

ここからは、勇気を持って、道具箱を開けてみる。「うわーこんなのもあった」「あ、知らなかったけどこんなのもあったんだ」というように、「自分の持っているエネルギー」に気づき、それを少しずつ使っていきながら「あ、そうかそうか」と、なににでもそれを用いていって、練習していくうちにだんだん上手になっていく。

子供のころは、はさみを与えられても、手が上手に動かなくてうまく切れなかったりする。大人の人が切ってくれるのを見て、「なんで私はああいう風にできないんだろう」と思ったりする。でも使っているうちに、だんだん手も大きくなってくるし、うまく使えるようにもなってくる。

これと同じく、まず「なにを持っているか」に気がつくこと。「あ、これを持っているんだ」「じゃあこれを上手に使ってあげよう」と。そのうちにいろいろな人に会ったりすると、当然いろんな道具を使うようになり、関わる作業も多様になる。その中で道具の使いかたを身につけながら、毎日毎日夜には「ありがとう」と道具箱を閉めて、ゆっくり休む。道具も休んで、次の日に備える。

だから、寝ることは私にとってとても大事。また次の日にその道具を十分に使えるように、十分に休むということ。食べることも大事で、これは道具に必要な油をさしたり磨いてあげたりするということ。

たとえが本当に上手で、とてもわかりやすく、本当にありがたかった。

向いていること

スピリチュアルカウンセリングの続き。ではどんなことをしたらいいのだろうと思ったので、自分が向いていることを聞いてみた。

どんな仕事でもなにか動きがあったり「クリエイティブ」な作業が含まれるといい。この体に充満するクリエイティブなエネルギーは、放っておくとかわいそう。

これを言われたときは、衝撃だった。私は、自分がまさか「クリエイティブ」な人間だとは思ったことがないからだ。

なにか考えるにしても、「これはこの色じゃなくて、こっちの色の方がなんか効果的だ」とか、「普通はこうだけど、これをこっちに置いたらなんかすごくいい」など、たとえ事務的なことであっても、なにか調整しながらやっていて、その調整がとても役立っているというのは、「クリエイティビティ」。たとえば経理でも、ただ数字を追うだけじゃなくそのバランスの取り方とか、日本語を教えるにおいても、クリエイティビティはいろんなところで活かせる。ただ「ものを作る」とか、「芸術家になる」だけではない。それも持ってはいるけれど。

覚えているかどうかわからないが、小さいころから、みんなと同じようにというよりも少し変えてみたかったり、そのままよりもこっちの方がもっとおもしろいとか、言われるままではなく、自分で考えてやっていた。体に通っているエネルギーとして、そういうのが好き。

これは、目から鱗だった。私って、クリエイティブだったんだと。おかしい話だけど。日本語教師の教材作りでも、絵がかける先生はクリエイティブにいろいろできていいなと思っていたけど、要するに、いろいろな教科書から使える絵や説明を引っ張ってきて、Photoshopで組み合わせたりなど、そういうこともクリエイティブなのかと思った。

自分のCV(英語の履歴書)を見ていると、業界も仕事内容もバラバラだし、まとまりがまったくなくて、人にどう説明していいか困ることがある。だけど、どの会社でもやってることといえば、その場のワークフローを整理したり、データベースを作ったりして、仕事を整理してきれいにしてきた。これが、クリエイティビティということだった。だとしたら、確かにどこでもそれをやってきたし、今までやってきたことがほぼ一本につながる。この考え方は、私にとって画期的だった。

これからは逆に、それを中心にうまく持っていく。まずは、そのクリエイティブなエネルギーを持っているということに気づく。「どうやらある」→「確かにある」→「気づいてみたらたくさんある」というように。それで、上手に使う。自分のためにも、周りのためにも。

これがわかると、仕事も絞れて探しやすくなると思った。「事務」というと、とにかく種類が豊富。金融事務、貿易事務、営業事務やただの事務。会社も業種も職種も、際限なく幅広い。たぶん、やろうと思えば全部できる。しかもまた日本語教師の勉強もしてしまったものだから、さらにオプションが増えて、もうどうしたらいいのかわからなっていた。

それに対して、夫のような人の場合は簡単だ。たとえば夫の場合は、もう「ソフトの設計」しかない。自分で作るか、会社で作るか、それも大きい会社でただ部分設計だけをやるか、小さい会社でかなり幅広いことを任されてやるか、という選択肢はある。それでも「ソフト設計」という軸は変わることがない。これは、本当に羨ましい。わかりやすくて、迷うことがなにもない。その他のオプションを考えなくて済むのだ。

「事務」の場合、経理や人事ならわかりやすいかもしれないけれど、調整やコーディネーション、もしくはただの雑用事務になると、「じゃあなにができるの?」と言われてもよくわからない。たぶん「データベースが好き」とか「黙々と数字に向かう作業が好き」「いろいろな人と話して調整するのが好き」「人のお世話をするのが好き」などは、あるとは思う。

ただ、私の場合はこの辺の分けかたも当てはまったり当てはまらなかったりして、本当によくわからなかった。でも確かに、ここで出てきた「クリエイティビティ」というものを考えてみると、はっきりとわかる。これが私のだったのだ。この発見はものすごく助かった。