エネルギー

心理療法としてのヨガの仕組み

このころ、ヨガがなぜ心理的に効くのか、先生の話をもとに自分なりにいろいろと考えてみた。

たぶん普通の人は、「なんでそんな単なるポーズが不安に効くのだろう?」と思うだろう。私も実際やってみるまでわからなかったことだった。「冷え性が改善」したときのこともそうだけれど、単に身体を動かしているから冷えが改善するのだとみんな思っていた。本当の仕組みを理解している人は、皆無だった。

たとえば、腰痛。腰が弱い人というのは、不安感を抱えている人が多いとのこと。この「不安感=腰の不調」というのがどこからくるのかというと、たぶん「不安」という感情が出るところが、「腰」という体の部位なのだと思う。

そんな、感情という目に見えない触れないものが、物理的な肉体に作用するなどということがあるだろうか?と思うだろう。でも実際のところ誰もがこれを日常的に利用している。

一番わかりやすい例でいえば、深呼吸。緊張という感情は、物理的には胸とかお腹に出る。心臓がどきどきしたり、英語では「Butterflies in my stomach(ちょうちょがお腹でバタバタしている)」と表現する。それを解消するのが、深呼吸という体の動作(ポーズ)。これをすることによって、身体が落ち着いて、それが心を落ち着ける。「不安症対策の呼吸法」でも習った。

緊張するときの例:

①状況:緊張するような状況
②思考:「怖い」
③感情:緊張
④気:緊張の気が出る
⑤体:胸/お腹にきて、ドキドキして呼吸が乱れる

↓これを、深呼吸で整える

⑤体:胸/お腹を整えるポーズ(=深呼吸)→胸やお腹が物理的に静まる
④気:緊張の気が解消される
③感情:緊張が解消されていく
②思考:「大丈夫かも」
①状況:緊張しなくなる

ヨガでは、感情にもエネルギーがあると考えるそうだ。これは実は、鍼灸も同じだった。お世話になっていた指圧の先生の施術室には、五行色体表というのが貼ってあり、身体の部位とそれに対応する現象が書いてある。その中にはメンタルと気の項目もあった。身体の部位と、メンタルの部位、そして気(エネルギー)が、対応しているのだ。

これは、特定の部位の不調が特定のメンタルの不調につながっていること、そしてその逆も表している。

たとえば、「不安」という感情も特定のエネルギーを持っていて、これが出ると、「」に影響が出てくることが多い。「チャクラについて」で書いたように、ヨガでは腰の部分は第二チャクラのスワディシュターナと呼ばれている。チャクラというのは、鍼灸で言う「つぼ」と同じ。つぼのように身体に無数にあるのだけれど、その中でももっとも大きな七つが、いわゆる第一〜第七チャクラと呼ばれている。

不調なチャクラは、鍼でつぼを突くように、該当のチャクラを刺激してエネルギー(気)を整える。ヨガはこれを、身体を動かして行う。これがアーサナ(ヨガのポーズ)だ。これでエネルギーを整えるのだけれど、同時にストレッチ運動でもあるので、物理的に腰の調子も整えられる。なので、エネルギー物理的な体の、両方が整うことになる。これが感情に影響を与え、感情も整っていくのだ。

不安なときの例:

①状況:不安な状況
②思考:「なんだか不安」
③感情:不安
④気:不安な気が出る
⑤体:腰(スワディシュターナ)にくる

↓これを、ヨガで整える

⑤体:スワディシュターナを整えるポーズ →腰がよくなる
④気:不安な気が解消されていく
③感情:不安が解消されていく
②思考:「もしかしたら安心かも」
①状況:大丈夫になる

ポーズと腰がよくなることは、お互いに影響しあっていると思われる。腰がよくなるからスワディシュターナが整い、スワディシュターナが整うから、腰がよくなる。それによって不安なエネルギーが解消されて、不安な気持ちが減少していく。

私の場合はその不安な気持ちの出処である思考も、カウンセリングで治していったので、身体からと頭からの両方で整えるという、かなり万全な体制だった。どちらかが弱っても、どちらかで治していけたし、両方から整えていくことで、スワディシュターナがバランスよく整っている状態をより維持できるようになる。

実は、ヨガにはポーズだけではなく、「呼吸法(プラーナヤナ)」もある。これがまさしく、深呼吸のことになる。ヨガでは、アーサナ(ポーズ)とプラーナヤナ(呼吸法)の二つを組み合わせて、エネルギーを整えていく。ポーズは外から身体に刺激を与え、呼吸は内から身体に刺激を与えて、整える。

要するにヨガは、身体とエネルギーを整えることによって気持ちも整えていくツールなのだ。CBT(認知行動療法)の「不安のサイクルと破りかた」でもやったけれど、身体、思考、感情、の三つはそれぞれに影響しながら存在している。それぞれをつないでいるのが、エネルギー(気)ということになる。

身体を治すには、鍼灸やヨガでつぼ(チャクラ)を刺激してエネルギーを整える(同時に、感情も整う)。感情を治すには、同じくつぼ(チャクラ)を刺激してエネルギーを整える(同時に、身体も整う)。この辺りの理解は、やはり鍼灸の知識がある東洋人にはわかりやすいと思う。イギリス人だと、まず鍼灸さえもあやしいスピリチュアル系のように考えている人もいる。身体を針でつついて腰が治ることは、それが当たり前の環境で育っていないとなかなか理解しがたいものなのかもしれない。

鍼灸も、もとを正せばヨガにつながるのだろう。ヨガから始まって、身体のつぼに注目していったのが鍼灸で、メンタルに注目していったのが仏教や瞑想になるのでは。座禅を体験するという日本のテレビ番組で、お寺に行ってみたらまず座禅の前にヨガをさせられてびっくりしていたのを見た。ヨガで身体を動かしてから、座禅をする。ヨガのセッションもけっきょく同じで、ポーズをやってから、最後に瞑想をする。要はどれも最終的には同じこと、心身(とエネルギー)を整えることを目指しているから、同じになるのだろう。

ヨガでは身体から、座禅や瞑想はメンタルから。両方とも、心身を整える

だから、ヨガは心理療法として効果的なのだ。ヨガで身体も整うけれど、それは同時にメンタルを整えることも意味している。私の場合はそこにカウンセリングも受け、頭からも整える作業を行っていた。身体と、思考と、感情。この三つがを通して相互に影響を与えあっていることが理解できて、ヨガの仕組みもよく理解することができた。

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「不可視の王国<アストラル界>へ行こう」

日本に行ったときに、衝動買いした本があった。

今思えば、このころまでは本など定価で買ったことがほとんどなかった。ほしい本があったとしても、まず中古で探すのが常だった。でもカウンセリングを始めてから、お金を気にせず「興味のあることをやってみる」ようになったとき、久しぶりに日本の本屋に行ったのだから気になったものがあったら買ってみようと決めて、買ってみた。

カウンセリング関係の本も買ったのだけれど、そこでなんとなく目がいった本があった。まったく聞いたこともない出版社から出ている本で、とにかく表紙がカラフルで浮きまくっていた。めちゃくちゃあやしいと思ったのだけれど、なぜかそのハッピーな感じが心に響いて、一度手にとったあと、手放せなくなってしまった。

まったくの直感だけでものを買ったりしたのは、これが初めてだった。それが、右の「ドリームランド<地球>へ行こう」だった。

内容はとにかく飛んでいたのだけれど、私がでよく見ていたことが当たっていて驚いた。また様々な宗教の話が出てきて、「どの宗教も同じことを別のツールを使って言っているだけで、すべての宗教は同じことを言っている」というようなことが書いてあった。これはずっと私が思っていたことだった。同じことを考えている人がいたなんて。

おもしろくなって夢中で読み、他にも何冊かシリーズで出ているということで、一冊従妹に送ってもらった。それが、左の「不可視の王国<アストラル界>へ行こう」だった。

届いて読んでみると、こちらにはもっと当時の私に当てはまることが書いてあった。びっくりした。

これによると、人間は胸にあるハートチャクラの背中側から「プラーナ」というエネルギーを吸い、胸の前から吐いて、呼吸しているとのこと。これはまさしくヨガで習った考えかただった。中国では「氣」と言われる。これはヨガをやっていなければまったく理解できなかったであろう情報だった。それがこんなにもタイミングよく入ってきたことに驚いた。直感で行動するのも大事なことなのだと思った。

胸の前から吐き出すエネルギーは「念エネルギー」と呼ばれていて、人と人との間にはこの「念エネルギー」のやりとりが起こっているとのこと。「なんかあの人ちょっと嫌な感じ」というのは、その人が発する嫌な「念エネルギー」を感じている、ということだと。簡単に言えば、いい念は「祈り」で、悪い念は「呪い」というようなことだった。

夫婦間でも家族間でもこれはあって、たとえば母親が「うちの子大丈夫かしら?」としょっちゅう思っていると、この「念エネルギー」を子供に飛ばしていることになる。「念エネルギー」は放っておけば消えてなくなっていくのだけれど、消化しきれない量の「念エネルギー」が来てしまうと、ちょうど食べものを食べきれずにいたら腐ってしまうように、子供のところにたまったまま腐っていく。これが腐ってたまっていくと、ドロドロの状態で子供の体を包んでいき、蛇が巻きついたようになってしまう。

でも実はこの「念エネルギー」を飛ばしたほうの母親も大変で、自分のエネルギーを子供に送り続けているわけだから、体がだるくなったり、おかしくなったりするとのことだった。

この説明を読んだとき、本当にその通りだと思った。

うちの母親は、体のあちこちがおかしかった。高血圧で、高コレステロール、心臓の問題に加えて、頚椎のつまりに、切開手術もした腰痛。何十年も一年中花粉症で、年中鼻をかみまくるものだから、鼓膜までおかしくなる一方。常に薬を大量に飲み、病院に通い、注射を打っている。体はボロボロだった。

きっと、私や家族に「念エネルギー」を飛ばしまくっているから、自分の体が持たなくなるのではと思った。私が実家を出る前はそこまでではなかったけれど、出てからは数年ぶりに会うたびに、毎回一段とひどくなっていた。自業自得だとは思っていたけれど、まさか本当に自業自得だったとは。

たぶんこれは大まかに言うと、「人のことにばかり首を突っ込んでいると自分がおろそかになる」という当たり前の現象を説明したものなのだと思った。「エネルギー」という単語を使って説明するこの方法は、とても興味深かった。ヨガの先生がそうだったからだ。

先生によると、すべてのものは「エネルギー」でできているとのことだった。私たちのこの体も気持ちも。でもそれをどうやって動かしたり、調整したらいいかが一般人にはわからない。そこで「振動」を使う。つまり、「言葉」のことだ。言葉は「音」なので、体や空気による「振動」だ。

いわゆる「言霊」や「Chanting(お経)」など音の振動によって「エネルギー」を動かし、体や気持ちに作用させるのだと。よく「ありがとう」という言葉の振動がいいなどと言うけれど、こういった振動のいい言葉を発したり聞いたりすることで、自分や世の中に対してポジティブな作用を広げていくのだと説明してくれた。

本によると、「念エネルギー」というのは「周波数」が違えばスルーしていくらしい。どれだけ人から恨まれていても、本人が高い「周波数」で楽しく生きていたら、「念エネルギー」は影響を与えることができないとのこと。

これもなんだかわかる気がした。同じ土俵に立つな、ということだろう。

ただ、たとえばストーカーなどの場合。ストーカーにつけられているような気がすると、気を取られてはいけないとは思えど、どんどん怖くなってしまうのも無理はない。こちらが感知すると、ストーカーは「念エネルギー」が受け取られていることを感知して喜び、ますます「念エネルギー」を送るようになってしまう。

母親もそうだった。「念エネルギー」が私に届いていると感じるから、ますます嫌がらせをしてくるのだろう。そしてそれによって私からも「念エネルギー」が飛んでいってしまっているのだ。

「念エネルギー」というのは、来たものを返すとになって返っていくとのこと。それがまた倍になって返ってきて、それをさらに倍にして返っていく。そういうのを繰り返し、それが何十年と続くと、もう大変なことになってしまう。

そこで、この流れを断ち切ることが必要になってくる。送られてきた「念エネルギー」や、自分から返っている「念エネルギー」の連鎖を、断ち切る。

これをどうするかというと、相手に返っていく前に「燃やす」ということだった。燃えてしまって送り主に返らなくなると、「念エネルギー」が返ってこないから「あれ?」となり、やり取りがそこで途切れる。ストーカーが謝ってきたり、警察が動き出したり、引きこもりの子が学校に行き始めるようになったりと、流れが変わるとのこと。

これはおもしろそうだと思い、本にあった「燃やす」方法を試してみた。やりかたは三つくらいあり、「お経巻き」というのが一般的らしいのだけれど、うちにはお経本はなかった。もう一つ「ひとがた」という方法があったので、それを試すことにした。

これは名前を書いた紙を包んで、見えるところに立てかけておき、目につくたびにその人に対するように話しかけ、一週間たったら燃やす、というもの。「念エネルギー」を本人に返すのではなく、この「ひとがた」になすりつけて燃やしてしまう。話しかける際には「死んじまえ」などなにを言ってもいいらしい。これでもう本人には返らないから、「念エネルギー」のやり取りがここで途絶える。三回くらいやれば、どれだけたまっているドロドロもすっかり燃えてしまうらしい。

ちょうど「アダルト・チルドレン癒やしのワークブック」で、親に手紙を書く前に「親の写真を見ながら言いたいことを言う」というワークがあったのでちょうどいいと思い、この「ひとがた」に対して話しかけることでやってみた。最初は「言葉をかける」という行為そのもので母親とつながってしまうように感じ、なかなか言うことができなかったけれど、だんだんと言いたいことを言うことができた。

燃えかたにも特徴があって、すーっと燃えることもあれば、「念エネルギー」がたまっている場合はなかなか燃えず、周りからジリジリと火が進行していくようなこともあるのだそう。母親に対してやってみたところ、本当になかなか燃えなくて嫌になった。時間をかけて燃やし、トイレに流してほっとした。効果のほどはわからないけれど、子供のころによくやったおまじないを思い出してなんだか懐かしくなった。

この本は、ヨガやスピリチュアリズムを勉強してからまた読んでみるとまたおもしろかった。お金や先入観を気にせず、直感でものを買ってみるというのもおもしろく、また、考えて買ってみるのと同様に大事なことなのだと思った。

エネルギーセンター

このころ夢にやたらと「」が出てきた。ちょうど「喉に問いかける宿題」のころと同じだった。

ひとつは、白い靴下の夢。白いコットンで編んで作られている靴下が一足、左向きに重ねてあった。白くて、新品。たぶん女性用だ。

もうひとつは、白い教会。きれいな木造の教会で、ワックスのかかった新品の体育館のような床を、裸足で歩いて行く。ちょうどチャペルの祭壇の裏側にたどり着いて、そこは白い小部屋になっていて、白い十字架の後ろにこれまた白いドアがある。ドアを開けると祭壇からコンニチハ、チャペルで礼拝をしている人たちをびっくりさせてしまう。私から向かって左側に白人系の人たち、そして右側に神父と黒人系の人たちが集まっている。全員ガンジーのような白い布をまとっていた。

さらに、ヨガの瞑想中にも同じような白い布を巻いた、それこそガンジーのような眼鏡をかけた男性が出てきた。仰向けに横になっている私を起こすように、屈みこんで右肩をポンと叩いてきた。それでびっくりして覚醒してしまった。

終わったあとに先生にこのガンジー(仮)の話をすると、少し話をしてくれた。

それにどのような意味があるのかはわからないけれど、その夢や夢の中の人に対して、私がどう感じたのかが重要だと教えてくれた。

右肩を叩かれた人に対しては、特に怖い印象はなく、ただびっくりした。だって、横になって瞑想しているときにそんな突然人が出てきて、びっくりしないわけがない。瞑想中はヒプノセラピーのような催眠状態で、夢と覚醒してる現実との間を行ったり来たりしているような感じだ。その中でこういう短い夢みたいなビジョンをいくつも見るのだけれど、まさか人が出てきて起こされるとは思わなかった。

先生いわく、このヨガニードラは「ヨガの睡眠」という意味で、「脳のリラクゼーション」だとのこと。

人は寝ているとき、体はリラクゼーション状態だけれど、脳は少しではあるものの動いていて完全には休まることがない。ヨガニードラは、この寝てもリラックスできていない「脳」をリラクゼーション状態にもっていくものらしい。

そうして脳がリラックスしている状態のときに、もしかしたら潜在意識が出てくるのかもしれない、それでそういった夢のようなものを見るのかもしれない、と言われた。ヒプノセラピーのようなものかと聞いたところ、それとは違うとのこと。英語だったのでよくわからなかったのだけれど、体の中にあるものは「感情」として記憶され、「エネルギー」として存在していて、これが潜在意識が開けたときに出てくるのではと。

感情 = エネルギー

このときはよくわからなかったけれど、これだけはなんとか理解した。「感情」というものは、目には見えないけれど、存在しているのだということ。電気というエネルギーも、目に見えないけれどもちろん存在しているし、それと似たようなものだとのことだった。

たとえば「悲しい」という感情は、「悲しい」エネルギーを持って存在している。その「悲しい」エネルギーが多くなると、体にも影響が出てきたりする。ストレスで胃腸が弱ってものが食べられなくなるなども、このせいだ。

だから普段生活している中でいろいろな感情が出てきて、それがエネルギーとして体の中に記憶されている。それが「夢」などの形で潜在意識から出てくるのではないか、ということだ。

最近やたらと夢に「白」が出てくるという話をすると、先生は「チャクラ」の話をしてくれた。

人体には「チャクラ」と呼ばれるエネルギーセンターが無数にあって、中でも大きなものが背骨に沿って7つあり、それぞれが特定の色と同じ波動で鼓動している。一番下の尾骶骨の辺りにあるチャクラは「赤」で、赤い色と同じ波動で鼓動しており、一番上の頭のてっぺんにあるのが「白」のチャクラだとのことだった。

この白のチャクラは、「すべてとの一体感」や「ニルヴァーナ」を意味しているとのことだった。

なんのことだかさっぱりわからなかった。でもなんとなく、もしかしたら私の頭と心が一体化してきているのだろか?と考えた。

「頭」ということで思い出したのは、このころ頭皮がひどく荒れていて、にきびもたくさんできてひどかった。そんな状態が、半年か1年くらい続いていた。私は界面活性剤を使わないシャンプーを使い、お酢のリンスで髪を流しているのだけれど、それにもかかわらずとにかく頭皮がひりひりとして止まらなかった。オイルケアをしても、ヘナをしてもだめだった。確かに、頭のてっぺんでなにかネガティブなエネルギーが発散されていたのかもしれないと思う。

とにかく、できることはいろいろな感覚に「Aware(知覚している)」でいることかなと言われた。難しいけれど、なにかわかっていくだろうかと期待していた。

今思うと、このころしょっちゅう出てきた「白」は、「これから色がついていく状態」だったのだろうと思う。一度まっさらになって、そこから自分をまた創り出していくところ。ガンジー(仮)に起こされたのも、ここから新しい人生、新しい一歩が「始まるよ」という気持ちの現れだったのではないかと思った。

実は、人間がなぜ毎日睡眠を必要とするのかは、今だ解明されていないらしい。物理的に、体自体はそんなに休まなくても別にいいらしい。ということは、やはり脳の休息のために睡眠が必要なのではないか。20分のヨガニードラが4時間の睡眠に相当すると言われるのも、頷ける。