お金

チャクラについて

カウンセリングでもたびたび出てきた「チャクラ」についても、勉強してみた。

心が開いた」でも書いた通り、チャクラとは鍼灸のツボのことで、人体には無数のチャクラがあり、その中でも大きな以下の7つがよく知られている。ネットで様々な説明を見つけることができるが、カウンセラーがヨガの協会の冊子をくれたので、そこに書かれていた各チャクラについての説明を和訳してみることにした。

Chakras

1)ムーラダーラ「I am the physical body(私は肉体である)」

ムーラダーラのバランスがいいと、健康的な肉体と、活力がある。ものに執着したり、不健康にものに頼ることなく、自分の存在そのものの中に安心感を感じていられる。

バランスが悪いと、過食や肥満または低体重、ネガティブな自己像、安心感の欠如になる。ものをためこんだり物理的なものへの依存、必要性や喜びよりも安心感を優先した行動。排泄系器官や骨盤の病気。原因は、幼少期のトラウマ、ネグレクト、物理的ふれあいの欠如、貧困、重病、身体的または性的虐待。

治療としては、肉体と再びつながること。スポーツやウォーキング、ガーデニング、マッサージや、栄養のあるものを食べること。ハタヨガなどの身体的活動。

2)スワディシュターナ「I am a man / woman(私は男性/女性である)」

スワディシュターナのバランスがいいと、自分の性別に落ち着き、性を自分の自然な側面と捉え、罪や罰の意識なく、意識的に自発的に楽しんで性を経験できる。

バランスが悪いと、有害で不健康な性行為、または性に対する恐怖心につながる。低い自己肯定やうつによる、自傷行為や強迫観念。生殖器関連、腰痛や肝臓の病気。原因は、性的虐待、ネグレクト、宗教やモラルによる過度な制約。

治療としては、インナーチャイルドへの取り組み、感情の解放。健康的な快楽を楽しみ、感覚を楽しむこと。ハタヨガ。

3)マニプーラ「I will do/I am able to do(私はやる/できる)」

マニプーラのバランスがいいと、十分なエネルギーと意志の力で、自分を効果的に表現し行動することができる。健康的な自己評価と、自信、そして困難に立ち向かうことを恐れない。強さと繊細さを持ち合わせることができ、人生に喜びと情熱を持てる。

バランスが悪いと、意志が弱く、人からコントロールされやすい。自尊心が低く、自信がなく、すべきことができずに人を非難する。反抗的で、ものごとを最後までやり遂げることが難しく、無力に感じる。感情が抑制され、自発性に欠け、常に周りの同意を必要とする。原因は、幼少期に両親に支配される環境におかれたり、罰を恐れ、正当な理由もなく過剰な罰を受け、感情を操作され、独裁され、両親や権威のある人から身体的虐待や侮辱にあったこと。横隔膜、副腎、消化系の病気から、高血圧や心臓病、糖尿病、潰瘍などになる。

治療としては、ヨガ、呼吸法、瞑想、リラクゼーション、ビジュアライゼーション、身体的運動、カウンセリングや周りの人と話をして感情をサポートしてもらうこと。

4)アナハタ「I love/I feel/I give/I share(私は愛する/感じる/与える/共有する)」

アナハタのバランスがいいと、人を愛し、人から愛され、無条件の愛情を持てる。ものや時間、エネルギーを人と与え合い共有する。思いやりと人を大事にする心。共感と協力、感謝の気持ち。環境を大事にし、ありのままであることを感じることができる。

バランスが悪いと、恋愛関係に陥りやすくなり、嫉妬深くなり、依存状態になる。または愛情に対する自然な欲求を否定し、人間関係から引いて自己愛に走る。自己中心的になり、自分勝手な理由で愛情をコントロールする。愛情行為への恐れや他者への固執、共感の欠如と孤独やうつ状態。心臓や循環器系、呼吸器系、または皮膚やリンパの病気。原因は、幼少期の親からの拒絶やネグレクト、愛情の欠如、感情の否定、侮辱、性的虐待。行動のともなわない「愛している」などの言葉。

治療としては、ハタヨガ、マントラヨガ、バクティヨガ。ビジュアライゼーション、有意義な人間関係、社会奉仕やチャリティの仕事。人と話し合い、感情を許して解放すること。

5)ヴィシュッディ「I communicate(私はコミュニケートする)」

ヴィシュッディのバランスがいいと、どんな環境でも人生に満足できる。健康的で栄養のある食事を摂り、調和に結びつく生活を送り、自分の健康に十分責任を持てる。明快なコミュニケーションができ、深いことも把握できコミュニケーションが取れる。声が明朗になり、聞き上手になり、リズム感がよくなる。

バランスが悪いと、人生が混乱しやすく、空虚で意味のない言葉を多用するようになる。しゃべりすぎ、自分の声だけに夢中になり、ゴシップに溺れる。会話を防衛手段として用いたり、声により人を支配しようとする。常に会話の邪魔をし、人の話を聞けない。また本当の自分を出すと相手を怒らせるのではないかという恐怖に襲われ、嘘をつくようになる。自分の考えや感情を人と共有できず、声が小さくなり、リズム感が悪くなる。過度に潔癖で純度にこだわる。甲状腺や声帯、喉頭、浄化器官の病気。

原因は、幼少期の言葉の虐待、怒鳴られたり過度で不当な批判を受けたこと。親が権威的で、一貫性のないことを言われたり、話すなと脅されたり、要らないものに対する感謝の強要、不当な謝罪の要求、自分を表現することに恐怖を感じさせられたこと。

治療としては、ハタヨガ、マントラヨガ、瞑想、読んだり書いたりすること、沈黙、目標のない創作や話を聞くこと、聞いてもらうこと。正直に自分を表現すること。

6)アージュナ「I know/I understand/I realise(私は知る/理解する/気づく)」

アージュナのバランスがいいと、知能的だけでなく、直感的なものも含んだ、様々なレベルでものごとを理解することができる。外的にも内的にも察しが早くなる。一見するとまったく異なるように見える概念の中に、つながりを見ることができる。夢を記憶するようになり、自然の中の象徴を敏感に察するようになる。

バランスが悪いと、散漫になり、知的に過剰で感情や直感から離れてしまう。考えすぎ、概念に執着し、バーチャルになる。または思考がほとんどなくなり、妄信的になる。記憶力が悪くなり、想像力が欠如し、状況をコントロールするために思考を使い、人を誤った方向へ導く。慢性的不安症や、特異な言動、過度な自己批判。下垂体や脳の病気、精神的障害やストレス、優柔不断など。

原因は、幼少期に能力を否定されたり、尊重されなかったりしたこと。常に批判にさらされ、言語的または非言語的に独断や偏見に従うようプレッシャーをかけられていたこと。

治療としては、ヨガやヨガニードラなどの深いリラクゼーション、瞑想、ビジュアライゼーション。夢の診断や、カウンセリング、アートセラピー。催眠療法や前世療法、音楽。

7)サハスラーラ「I am(私)」

サハスラーラはすべてのチャクラを超越し、すべてのチャクラを中に持っている。

これを見ると、毒親のもとに育つことで、体とメンタル面でどの部分がどのように傷を負わされたのかがよくわかる。カウンセラーがヨガの先生時代に、体のどこにつまりがあるかでその人がどんな人生を送ってきたかがわかったものだと言っていたのは、この通りだった。

カウンセラーいわく、虐待された人はほぼ全員がコミュニケーションを司る5)のヴィシュッディに傷を負っているらしい。声が小さかったり、口をあまり開けずにしゃべるようになる。一番わかりやすいのが扁桃腺をよく腫らす子供で、これはまさにヴィシュッディが傷つけられていることの表れだそうだ。口から出せないから体に出る。私もしょっちゅう熱を出していたので、小学生のときに手術で除去している。

虐待を受けた子供はまた、感情を司る4)のアナハタにももちろん多大な傷を負う。私も小学校に上る前に、胸の病気である肺炎にかかった。それからもずっと、親から感情を無視されて生きてきたわけだけれど、それが「I am here!」で「心が開いた」ことによって初めて、自分(=感情)がここにちゃんと存在しているのだということを感じたのだ。

また「腰痛」は、1)のムーラダーラのバランスが悪いということになり、物理的な安心感の欠如を意味している。私は数年前に突然腰が悪くなったけれど、母親はずっと腰が悪くとうとう激痛で身動きができなくなり、大きく切開する大手術を受けるはめにまでなった。単なる骨格の問題だと思っていたけれど、私がちょうど仕事を辞めて日本語教師になるまで腰痛とは無縁の人生だったことを考えると、やはり安心感と関連していると思わざるを得ない。

メンタルの状態は必ず体に出る。「体は正直」というのは本当だった。

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ブランド嗜好

「お金」に関する話の続きで、自分がいかに洗脳されていたかを理解することになった。

これはもう自分でもはっきりと自覚があったし、狙ってやっていたことだったけれど、私はそうしてお金を失うことに対する恐怖心が必要以上に大きい。だから親が嫌でも実家に居座って大学を出たり、有名な会社に勤めたりしていたのだろうとカウンセラーに言われた。中学生、高校生の段階で、自立することを計算に入れて、そんな状況の中でも学費を親に出させるために我慢して実家にい続けたというのは、相当な計算づくめの人生だと。

当時本当に勉強をしたかったのは、語学だった。でもそれではあまりつぶしが利かないからあきらめた。そして経済学部を選んだ。それもこれも、実家を出て一人で生きていけるようになるためだ。これだけの思いをさせられてきたのだから、親のカネを使って大学を出たかった。だから辛抱してそこまで実家にいた。自立してからは、実家に戻るような羽目には絶対になりたくなかったから、できるだけスキルを身につけたかったし、大きな会社に勤められてよかったと思った。もちろん自分の好きな方向性というのも多少あったけれど、これはイギリスに来てからも本当に役に立った。

これが変わるのは、こちらに来て勤めていた部署がつぶれたときだった。私はつぶれる前に早期退職したけれど、「社員というのは会社がなければただの人」ということを思い知らされた。それもあり、手に職をつけたいと思って、日本語教師の勉強をすることになった。

要するに、「会社」や「ブランド」に依存していた。それもこれも、「実家に戻るようなことになったら死ぬ」という恐怖心からだった。「お金」や「社名」という大きなものがなければ、安心して生きていくことができなかったのだ。

そしてそれは、親から刷り込まれた洗脳が原因だった。「お金は大事だ」「お金がすべてだ」…ケチくさい妹を見てアホだと思っていたにもかかわらず、この洗脳は完全に私の心の奥深くに刷り込まれてしまっていた。子供の心というのは恐ろしいものだ。あれだけ嫌だったにもかかわらず、スポンジのように親の考えを見事に吸収してしまっていた。

自分はそういう人間だという自覚はあった。それにもかかわらずだ。

学歴だの、偉い人とのつながりだの、そういう政治政治した小さい人間が嫌いだった。そういうものに頼らず自分の腕一本で生きている人に、いつも魅力を感じていた。夫に魅力を感じたのもこれだろう。でも自分は腕がないから、そういう嫌いな部類の人間みたいに、大学を出たりしてやっていくしかないのだと思っていた。でもそもそもそういう考えがあったというところが間違いだったのだ。

もちろん人間誰しも仕事をしてある程度の収入を得ないと生活していけないし、そのためによりいい仕事に就けるよう努力をすることはいいことだと思う。でもそれが「恐怖心」から来てしまっているというのは、不健康だ。

たとえば、もう中学生のころには死んだような生活を送っていたわけだから、辛抱して大学を出、自力で稼げるようになるまで実家にいなくてもよかったのかもしれない。学歴はつけられなかったにしろ、そこで自分が楽しめる仕事に就けて、幸せな道を進めるようになっていたかもしれない。もしくは後から勉強して大学も出れたかもしれない。辛抱して自分を殺して10年以上も生きてしまったからこそ、今のこういう状態ができ上がってしまったのかもしれない。

そこで思い出したのが、「前世リーディング」だった。5)の、直近の過去生と言われた話だ。若くして家を飛び出し、行き当たりばったりで手に職もなく、住み込みで嫌な仕事をしていたと。だから今度は計画性を持って生きてほしいというのが、現世への願いだった。なんだか本当にここに話がつながってしまったと思った。

これが本当に過去生だかどうかは別として、自分の中にそういう恐怖心があるということは事実だった。それがこの「リーディング」と言われる話に現れたことで、はっきりと把握することができた。心理学ではたぶん「そういう理由でこうなってしまっているのか」と、自分で自分の問題を受け入れられるようになることが問題を解消する鍵となる。自分の問題というのは通常どうしても否定したり拒否してしまうけれど、これを前世療法では「自分ではないけれど自分の状況をよく反映している」と思える「過去生」という形で客観的に物語として見ることで、自然と問題を受け入れ解消していけるのだろう。

私の場合も、まさにこれだった。行き当たりばったりの人生で苦労をしたから、計画性を持って生きなければいけないと思ったのだ。だからしかたがない。自分を責めず、受け入れる。問題の原因がわかれば、治していくことだって可能だ。

ここでまたつながってきたのが、ヒプノセラピーの「江戸時代風過去生の考察」で出てきた「バランス」だ。過去生では計画性がなくて苦労をし、現世では計画しすぎて自分の心を殺してしまった。「計画はほどよく」ということ、「バランスをみて生きましょう」ということではないのだろうか。

たったひとつの親の洗脳に、仕事から結婚から人生のすべてにおいて影響されてしまっている。本当に恐ろしいことだった。

お金に関するトラウマ

興味のあることをやってみる」ことで少しずつ解消してはいたけれど、カウンセリングで「お金」に関する考えかたの問題を掘り下げてみた。

私は渡英後に就職した会社を辞めてから突然が悪くなったけれど、これはヨガでいう「ルートチャクラ」のバランスが悪いとも言えるとのことだった。ルートチャクラはその名の通り「根源的(Root)なもの」を指し、生きていくに必要な衣食住お金などを意味している。なので腰が悪いということは、それを失うことに対する恐怖を表している。私の場合、「お金を失うこと」に対する恐怖感が必要以上に大きいのではないかとのことだった。

結婚と自分の気持ち」でも書いたように、結婚を決めたときも「お金」がキーワードだった。当時働いていた会社が傾いてきて、「この仕事を失ったら実家に戻らなければいけない」と不安でたまらなかったときに、夫が「お金が足りなかったらあげるよ」と言ったのだ。それで、「親でなくても私を助けてくれる人がいる」と思って、この人になら頼ってもいいのだ、結婚してもいいのかもしれないと思った。

それまでの私は、ほぼ一年ごとにステップアップを図って転職するような生活をしていた。もちろん落ち着いて仕事ができる環境があればよかったのだけれど、派遣だったり環境のよくない会社だったりしたので、なかなか落ち着けなかった。それでも仕事を辞めてもそこまで不安にはならず、最長でも二か月もせずにきちんと次の仕事が見つかっていた。

カウンセラーは、大学を出て「ここからが自分の人生のスタートだ」と自立し、どんどんステップアップをしていたような女性が、なぜここで突然にも会社が傾いてきたというだけで心細くなってしまったのかと聞いてきた。なぜそこでも「また次の仕事」と思えなかったのだろうか。その自信にあふれた女性はいったいどこに行ってしまったのか、と。

そんな風に見てみたことがなかったけれど、確かにそう考えてみたらおかしいのかもしれない。

社会人になりたてのころは、社会のことがあまりよくわかっていなかっただろうし、日本は年齢主義だから、20代のうちは仕事の心配を感じなかったこともあるとは思う。でも日本で最後の職場にいたころは30代目前になっており、やっと正社員でいい仕事に就けて安心していたところだったので、それがガラガラと崩れてしまって突然不安になったのだろうと思った。

でもその前も特に自信があったかと言われると、そうでもない。実家もなにも関係のない友人ができて、仕事で初めて自分を認めてもらえて尊重してもらえ、充実した毎日を送ってはいた。それでもなにか埋められないものを抱えていた。今思えばこれは、好むと好まざるとにかかわらずほぼ共依存だった実家の関係から脱したところで、隙間が空いてしまっていたのだろう。そこを夫で埋めようとして結婚したのだろう。

共依存だったのもあるけれど、嫌いだったのに実家に対していらない安心感を抱えていたのは、やはり「お金」が理由だった。衣食住があり、そこに関してはなんの心配もいらないのが実家だった。自立して、実家から離れてとても幸せだったけれど、常に家賃を稼ぎ続けなければならないプレッシャーと不安を抱えていた。そこに夫がお金に関する安心感をくれて、これで大丈夫だと飛び乗ってしまったのだ。

だから夫が仕事を見つけようとしなかったり、考えなくビジネスをしようと簡単に言ったりと、お金に関して馬鹿な発言をするたびに「こいつはだめだ」と必要以上に思ってしまうのだろうというのが、カウンセラーの意見だった。

イギリス人のカウンセラーはお金に関する感覚が私たちとは違うけれど、確かに日本人はお金に関して過剰なところがある。貯めこむばかりでまったく使わずに亡くなる人がたくさんいるし、特に親の世代はお金を持っていて、そうやって働いてお金を貯めたことが偉いと勘違いしているところがある。戦後に育った人たちだから、お金や物理的なもののありがたみを異常に刷り込まれているのは不思議ではない。医療が無料の国で育つイギリス人とは違い、日本人は「いざというとき」のための貯金を持とうとするし、それはしかたのないことだとは思う。でもやはり何千万も貯めて使わず死んでいくのはおかしい。「貯金が趣味」という人は、やはり安心感に問題がある。

妹が親とうまくいっているのはなぜかと聞かれたので、改めて考えてみた。彼女の趣味はまさに「貯金」で、できるだけお金を使わずに生きることを生きがいとしているから、親と意見が合う。大学の教科書代から出かけた際のバス代まで必要経費は一円単位で親に請求、就職活動で必要になるからと、化粧品代まで親に請求したような人だった。親といれば自分のお金を使わなくて済むから、どうしても親のコントロール下から逃れられない。

子供のころから彼女のお金好きは異常で、お年玉を一銭も使わずにすべて貯金していた。結婚式のためということをあとから聞いた。クリスチャンでもないのに、素敵な教会で式を挙げることを夢にしていたらしい。「結婚式」そのものが夢だったということは、確実に親のバーチャル性を受け継いでしまっている。だから自分とは別に育ち別の考えを持った別の人間である旦那さんと一緒に暮らしていくことができず、離婚することになったのだろう。

普通の親なら「他人と暮らすのだからお互い話し合って妥協し合ってうまくやれ」と言うだろう。うちの親はそんな妹のことを「しっかりした子」と言い、彼女の意見を後押し、助長させてしていた。終わっている。

私はというと、たとえば語学学校に60万円使ったりと、お金は使うところで使う。これが親からすると「お金をたくさん使う子」という認識で、「だらしがない子」ということになる。「Kelokoはカネをあるだけ使っちまう」という口癖は、ここから来ている。

普通に考えれば、なんだかんだと親にべったりでお金を出してもらって生きている妹より、自立してから一度も実家に戻ったことのない私のほうが、よほど「しっかりしている」のは明白だ。それなのに、私はこのときまでずっとモヤモヤした気持ちを抱えて生きていたことに気づいた。それはこの親からのお金に関する「洗脳」が解けていなかったからだった。

「お金を持っていることが偉い」
「お金を少しでも貯められることが偉い」
「お金を使わないことが偉い」…

だから「親よりお金を持っていない自分はだめだ」「お金を使ってしまう自分はだめだ」「お金を貯めない自分はだめだ」…と無意識の中に抱えてしまっていたのだ。

夫がだめな人間だと思うこと、結婚を決めたときのこと、妹と親とのつながり…いろいろなことを話していて、そこにすべて「お金」というキーワードがあった。

カウンセラーは、私も夫もお金に対する感覚が「Inaccurate(正確でない)」と言った。私は必要以上にお金に依存してしまっているし、夫は夫で「お金がなくなったら親のところに世話になればいい」くらいの感覚でいた。自立して結婚しているわけだから、これではいけないと。二人とも、二人にとってちょうどいい感覚を見つけなければいけないとのことだった。