第三段階の始まり

今時系列で書いている「29 進む解毒」は、ちょうど四年前になる。私の中では、もう十年近く前になる「01 気づき」からが解毒の第一段階、次に「20 解毒に向けて本格的な準備を整える」から始まる本格的なカウンセリングが第二段階、それで終わりかと思っていたところに今なんと第三段階がやってきて、また新たな経験を積んでいる。

本来であれば、どのようにして回復していったかという第二段階がとても重要なので、そこをきちんと書いてから今の話を書きたかった。でも今の経験があまりにもおもしろく、これを経験しているまさに今、その気持ちがフレッシュなうちに書いていくことがとても大事に思えたので、第二段階はお休みして、第三段階のことを書いておこうと思う。

第三段階の始まりは、一つの仕事に出会ったことだった。

すでに書いてある内容では、仕事は「09 ふたたび会社生活へ」で終わっている。その後、二年ほどカウンセリングに集中して、また一年契約の仕事をした。そこが終わってからは主に地元の英系会社でパートの仕事を探しつつ、自分のやりたいことを模索してあれこれやっていたのだけれど、仕事が見つかることもなく、二年が経過した。

クリエイティブな趣味もいくつか見つかり、初めは「こういうのを仕事にしていこう、自分は会社勤めではなくこういう方面に向いているのだ」と思っていたのだけれど、なぜかそこまで頑張れるものではなかった。様々なものにチャレンジしたし、実際そういう仕事にも応募したけれど、だめだった。

そうこうしている間に、この夏、日本のドラマを見た。まったく興味のない分野だったけれど、組織で働く人たちがなぜかとてもかっこよく見えた。ここ二~三年は海外旅行もさっぱりで、ホリデーといえば田舎でのんびりするグランピングばかりだった。会社勤めにも都市生活にもなんの未練もなく、田舎で自然な生活をしたいと思っていた。それが突然、仕事をしたくなってきたのだ。

ドラマを見て自分の生活に影響を受けることなど今までなかったので、自分でもびっくりした。ただなんとなく、このドラマはきっかけに過ぎず、自分は仕事がしたいのだという気持ちを認識する必要のある段階にきていたのだろうと思った。

それで、今度は本格的に就職活動を始めた。二年前に登録した人材会社にもまた連絡を入れ、他のところにも登録に行った。ロンドンに通勤するのと日本の会社だけは避けたかったので、地元の英国企業にどんどん応募した。最初はまたパートで探していたのだけれど、フルタイムにも応募するようになっていった。

それでもやはり難しかった。日本人であることは日本企業で働くのに有利だけれど、英国企業にとってはまったく必要のない要素になる。それよりも逆に、外国人であることはコミュニケーションに不安を抱かせてしまうことになる。それでもロンドンの大きな企業であれば外国人もたくさんいて、採ってもらえる可能性もあるのだろうけれど、地元のイギリス人しか働いていないような小さな会社ばかりの中では困難を極めた。登録に行った人材会社でさえ、私の英語に「なにかが違う」という様子を見せた。

前職は経理系だったので、一般事務ではないこういう専門的な経験があれば、英国企業でもいけるのではと思っていた。それでもだめだった。これが二~三年の経験があればまだ違ったかもしれないけれど、一年弱の勤務ではきちんとした経験として見てもらえなかった。

もう今年いっぱいはゆっくりするしかないかな、と早くも思っていたころ。一本のメールが入った。

仕事探しのサイトにもいくつか登録していたのだけれど、そこで私の履歴書を見たリクルーターのようだった。経理系の知識があって、日本語がわかる人を探しているとのこと。どこの日系だろうと思って見てみると、貿易関係でも物流でもなんでもなく、日本とはまったく関係のない会社。まあでもどうせロンドンでしょうと思ってオフィスを見てみると、ロンドンから逆方向に二駅目。

せっかく経理系の経験をし、それを活かして専門職としてやっていきたいと思っていたので、これはどうかなと思った。Job title(職務名)もやたら長くて聞いたことのないものだったし、自分のキャリアを考えたときにこれがプラスになるか疑問だった。

でもこれが不思議なもので、この会社の業界が夏にはまったドラマの舞台とまったく同じだった。以前の私だったらここでNoと言っていたかもしれないほど、私とまったく関係もなく興味もない業界。それどころか、どちらかといえば嫌悪していた部類の業界。でもあのドラマがあったことで、印象が変わっていた。それで、けっきょく応募する決意をした。

人間、なにがきっかけになるかわからない。人生はおもしろい。

前職の経理系以外で私がずっとやってきたのは、日本と欧州の間に入ってやり取りをする仕事だった。日本とイギリスの両方に住んで仕事をした経験があるので双方の特性がわかっており、うまく調整できる。翻訳や通訳も少しやった。でも見かたによっては、ただの日本語を使った事務。地元の企業で必要とされるわけがない。

と思っていたのに、「それこそ我々が求めているものです」という会社が出てきた。まったく日本と関係のない業種なのに、突然日本とのやり取りが出てきて、どうしても日本語がわかる人が必要なのだと。翻訳ができるだけでなく、双方の文化やビジネススタイルがわかっていて、調整ができる人なら万々歳だと。

とんとん拍子に話が進み、一次面接だけでOffer(内定)が出た。何度も面接があって数か月かかるだろうと思っていたので、びっくりした。夏に見た、あのドラマ。それで今、ここにいる。経理系にこだわって二年もなにも見つからなかったのに、突然ひょんなところからまったく違う仕事が出てきた。そしてそれに乗っかった。

すると、まったく新しい世界がそこにあった。これが、第三段階の始まりだった。

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クラニアル・オステオパシーの効果

かなり楽しみで行ったオステオパシーだけれど、施術はそれほどすごいものでなく、少しがっかりしながら受けていた。でもじわじわといろいろな現象が起こり、あとから驚きの連続となった。

以前、「日本で駆け込んだ整体」ではそれなりに薄着になったと思うのだけれど、ここではそのまま診察ベッドの上に横になった。靴下も脱がなかった。

とりあえず身体全体を診るとのことで、足から始まって、そこから上がっていき、最後に肩と頭をしっかりやった。「やった」と言っても、先生は両足首をつかんでじっとしているだけ。指圧のように、押したりも、ひねりもしない。ただじっと、足首をつかまれていた。ネットで「微細な調整」と読んではいたけれど、これで本当に効果があるのだろうか?とかなり疑っていた。

足の次は、腰の下に手を入れて、またじっとする。次に、肩。そして、首。それぞれ手を当てたあと、最後離れる前にちょっと回したり、動かしたりする。でもぐりぐりしたりはせず、あくまでそっと。受けたことはないけれど、もしかしたらレイキのようなエネルギーワークで、物理的なセッションではないのだろうか?と様々な考えが頭の中をめぐっていた。

でも本当に、ものすごく微妙なタッチで施術を行なっていたのだ。そして実際に以下のような現象が現れて、本当にびっくりした。

1)くちびる

よくわからないのだけれど、最初に足をやっているときに、くちびるがめちゃくちゃピクピクしていて怖かった。普通に口を閉じていられず、とても困った。緊張しているのだろうか、それとも枕の位置がおかしいのかなどと思っていたけれど、そうではないように思う。だんだんピクピクし始め、それが激しくなり、そしてセッションが進むにつれてなくなっていった。

これはのちのちわかっていくことだけれど、私にとってこのくちびるのピクピクは、どうも身体にたまっている緊張がリリースされたときに起こるものらしい。他にも様々なセラピーを受けていくにつれて、私の場合はどうも効果がくちびるやあごなどに効果が現れやすいことがわかっていく。これが、それを最初に自覚したときになる。

2)上顎

セッションが終わったあとに、水を飲んだ。鍼灸やヨガでもそうだけれど、終わったあとに身体の流れがよくなって、やたらトイレに行ったり水を飲んだりすることがある。

このときも普通に、セラピールームにあった水を飲んだのだけれど、飲んだあとになぜか上の歯が気になって、舌でなぞってみて衝撃を受けた。なんと、口が大きくなっていたのだ。自分の口なのに、いつものサイズではない。歯の形は私の口なのに。知らない人の口みたいに、まったく知らない口になっていた。驚愕だった。

3)脱力感

これも鍼灸・指圧でもそうだけれど、終わったあとかなりぐったりだった。あんなにただ手を当てているだけでなんにもしていない感じなのに、こんなに身体に影響が出て、本当にびっくりした。それを言ったら鍼なども、あんな細いものを身体に刺しているだけで同じようにぐったりするわけだけれど。

それでも、鍼は身体に刺している。これは足をつかんでじっとしてるだけなのだ。それでこんなにも身体に変化が出る。今でもびっくりする。

帰りはめちゃくちゃふわふわして、なんだかすべてのことがどうでもよくなった。たしかにリラックスだった。すごい。横になりたかったけれど、場所がなかったのでしかたなく出た。駅までの歩みも危うかった。そのあとカウンセリングまで時間があったから買い物でもしようと思っていたのに、けっきょくカフェで1時間半も休んで終わりだった。

カウンセリングでこの話をすると、ここを紹介してくれたカウンセラーもびっくりしていた。私が歯ぎしりをするのは、言いたいことを押し込めて必死に口を閉じていることの現れになる。私はもともと口が小さい。歯も人より少なく、子供のような口をしている。

その私の口が大きくなった。セッション中もくちびるがピクピクして、口を閉じていられなかった。リラックスとともに大きなリリースがあり、もう口を閉じなくてもいいのだと身体が言っているのではと。今回、口元に多くの変化が出たことは、その象徴のようだと言われた。私もそう感じた。口が思いっきりリラックスしたのだ。

4)おしりともも

カウンセリングをしている間、手が冷たかった私は、いつもやるように手をももやおしりの下に敷いた。すると、おしりとももが、いつもの私のおしりとももでなかった。温めたわけでもなにをしたわけでもないのに、ものすごいやわらかくなっていた。びっくりだった。

ヨガの「冷え性が改善」でも書いたけれど、私はこの辺りがとてもかたい。サウナに入っても上半身はだらだら汗まみれになるのに、下半身は冷たくさらっとしているくらい、血流が悪くカチカチになっている。これに気づいて、家にいるときは湯たんぽを使うようになり、座っているときにおしりの下に敷くようにしていた。

生理痛のときに丹田のあたりにカイロを貼るといいと言われたことがあって、ずっとそうしていたのだけれど、一度何気なくおしりの辺りに貼ったことがあって、そうしたらとても気持ちよかったことがあった。こういうのも、人によるのかもしれない。それ以降、寝るときにこの辺りを湯たんぽで温めて寝るようにしたら、寝つきが格段によくなった。寝つきが悪いのは、私の場合、身体が冷えていたからだったようだ。

それからヨガで下半身をやるようになったりもして、この辺りの問題は解決してきているように感じていた。そこにこのセッションで、恐ろしいまでに解きほぐされたのだと思った。

身体の力を抜くということはどういう感覚か」ということが、ここで一度わかった。続けて何回か来ないと、歯ぎしりが治るまでにはならないだろうし、そもそもカウンセリングでもきちんとメンタルの回復をしていく必要もある。でもこうして、カウンセリングで頭とメンタルから、ヨガで心身から、そしてまたクラニアル・オステオパシーで身体から、様々な方向から全体をほぐしていけたらすごくいい。

お金がかかるから大変だけれど、できることはどんどんやっていきたい。そう思った。

進歩を実感

オステオパシーの施術を受けたとき、一つ素晴らしい進歩に気づいた。

このセッションの目的は、「歯ぎしりの治療」と「リラックス」だった。ところが施術前の問診票には、具合が悪い身体の部分にもチェックを入れるようになっていたので、腰や首、背中などにもチェックを入れた。

すると、それを見た先生が「それでは足から始めて、腰をやりますね」と言ったのだ。

今回の目的は、歯ぎしりとリラックスだ。腰痛ではない。

そう思った瞬間、「腰ではなくて、リラックスを焦点に置きたいんです」と私はとっさに言った。

そう、とっさに言えたのだ。

たぶん以前だったら、ここで「腰を中心にやります」と言われても、そのままお願いしていただろう。「専門家が言うのだからそれでいいのだ」と自分に言い聞かせたり、「腰ではなくてリラックスをしにきたのに」と思っても言い出せなかったりした。それでもやもやしながら施術を受けて、最終的に偶然にも自分の満足いく結果が出ればいいのだけれど、そうでなかったときは「言えばよかった」と後悔しまくり、落ち込むのが常だった。

カウンセラーにこの話をすると、以前はそもそも「自分はリラックスをやりたいのだ」というところにも気づかなかったのではと。「腰をやりますね」と言われて、なんだかわからない不安感を抱えて始まり、結果がよければよくて、悪かったときは落ち込むと、そういうことだったのではないかと言われた。

たしかにそうだ。ここには、

①「自分はこれをしたいのだ」とわかること
②相手にそれを伝えることができること

二段階がある。以前は①ができていなかったので、②もできなかったのだろう。たぶん、最初から①ができていれば、②もできていた可能性がある。だからまず問題なのは①、以前は「自分がなにを求めているか」がわからなかったのだ。

①ができていなかった原因はもちろん、親にそうされてきたからだ。親(人、相手)がしたいことを優先させてきたために、自分がなにをしたいのか、なにを求めているのかがまったくわからなくなっていた。「人といるとなぜ疲れてしまうのか」でも書いた通り、人と自分のどちらの主語で話しているのかわからなくなっていた状態だ。

人間だれしも最初は、ちゃんと「こうしたい」というのがある。でもそれを無視され続ける環境にいると、いずれ自らそれをすることをやめ、ついにはそれがあったことすら忘れる。さらにそれが進むと、自ら自分の気持ちを無視されることを期待して行動するようになる。そういう環境を自ら求めていくようになるらしい。

これが、ついこのころまでの私だった。

自分では気づけていなかったけれど、だれでも「自分の気持ち」はどこかにきちんと存在している。でもその存在に気づかないようになってしまっていたから、「相手の気持ち」の存在しか認識できず、それに沿う行動をとる。結果的に、「自分の気持ち」を無視していることになる。「わけもわからず傷つく毎日」で書いた通りだ。

「相手の気持ち」と「自分の気持ち」がたまたま合致しているときは問題ないのだけれど、そうではない場合、「なんだかわからないけれどもやもやする」というような状態になる。自覚なく「自分で自分を無視している」状態になっており、「よくわからないのだけれど落ち込む」ことになる。これが悪化すると、身体に出る。いわゆる「ストレスがたまって身体に出る」というやつだ。

たぶん、これがいわゆる「うつ」なのではないだろうか。「自分の気持ち」と「頭」と「言動」が一致していない不調和状態で出る、ガンのようなもの。

また、①ができていても、②をしない場合もある。

カウンセラーいわく、②の「自分の気持ちを相手に伝える」ができない場合というのは、「自分の気持ちは重要ではない」「自分はその場にEntitleされていない(エントリーされていない=権利がない)」と思い込んでいる場合に起きると。

父方の祖父母のところへ」行ったときの免許証事件のように、それまでずっと私の気持ちは親から無視されてきており、場をコントロールする権限が一切なかった。人権がなく、人として尊重されていなかったのだ。だから私は、嫌でも免許を親に貸さなければならなかった。私の免許証なのに、だ。

でも、もうそうではない。今は、子供のころとは違う。大人になった今、親にすがらなくても自分で生きていけているわけで、彼らの理不尽な要求を突き返しても、命に別状はない

解毒には、これを心の底から体感する必要があった。そうでないと、似たような状況になると同じ結果を招いてしまう。

親でなくとも、親のように自分に対して権威がある相手=先生や上司などを相手にしたときに、自動的に「子供の自分」が出てきてしまい、昔と同じ心理状態に陥り、同じことになってしまう。自分はその場で発言する権限がないと感じ、自分の気持ちを無視し、(相手が本当にそれを求めているかどうかは関係なく)相手がこれを求めていると思い込んでいることをやってしまう。それにより気持ちと頭が分離し、身体に影響が出る。

この癖から脱出するためには、まずこの仕組みを理解する必要があった。

子供のころはどんな理不尽なことでも、親に従わなければ生き残れなかった。親に従い親から好かれることが、生き延びるためにもっとも重要なことだったからだ。そういう環境から身についた癖が、「サバイバルテクニック」と言われる。だがもう時代は変わり、自分は大人に成長し、そういう昔のテクニックは必要がなくなった。しかも、昔は自分を生き延びさせたそのテクニックも、今では逆に自分の人生を生きにくくしてしまっている。

ここに気づくことが、スタートになる。

夫との間に起こっていたことは、まさにこれだったのだ。「自分はEntitleされていない」と思い込んでいるから、自分の気持ちを言えない。夫が自ら気づいてくれないと、怒りになる。自分の気持ちを汲んでくれないことを「無視されている」と感じて、自分を消したくなってしまう。というよりもまず、そもそも自分の気持ちがわかっていなかった。だから伝えることもできなかったのだ。

たぶんこれが、日本のように「お互いの都合を常に推測し合う」ことが前提とされている社会であれば、まあまあうまく回って生きていくことができていたのだろうと思う。でもそうではない社会に来れば、もちろん生きてはいけない。

というよりもたぶん、日本でももううまく回ってなどいないのだと思う。高度成長期のときのように、みんながうまくいっていてみんなが同じ生活をして同じ人生を目指し「こういうものだ」で生きていたときは、相手の意図をまだ把握しやすかったのだろうと思う。違っていたとしても「これが正解」と押しつけることもできただろう。みんながそう生きるものだという前提があったからだ。

だが経済も落ち込み、人々の生活も多様化してきた今では、自分と違う人間のことなどわかるわけもないし、「こういうもの」と押しつけられることも受け入れられない。「人と自分は違う」という前提で、お互いに口に出して伝える必要がある社会にどんどんなっている。というか、これからはそうしていかないと回らなくなっていくだろう。

カウンセリングでこの話をしたとき、夫も「そうそうそう!!」と激しくうなづいていだ。

たとえば、レストランに入る。私は、なにが食べたいのかわからない。でも、なにかいいものが食べたい。どれを頼むか、ものすごく迷う。いろいろ頭で考えて、「お店はこれが有名だ」とか、「ここに来たらこれを食べなければ」とかで、とりあえず絞って決める。出てきたものがたまたまそのときの私の気持ちに合っていれば大丈夫なのだけれど、そうでなかった場合はものすごくがっかりする。

同様に、なんらかのサービスを頼んでも、「自分はこうしたい」ということがわかっていないので、とりあえず基本的なものを頼んで、不安を抱えたまま最後まで待つ。でもやってきたものがまったく違ったりして、がっかりする。

この「最後まで待つ」というところが、ポイントだった。「出てきたものを見てみないと、それが自分が求めていたものかどうかわからない」から、最後まで待たなければならないのだ。自分がなを欲しているかが、わかっていないからだ。

だからこのとき先生にこう伝えられたのは、すごい進歩だった。「今日はリラックスをやりにきたのだ」「腰の治療なら鍼灸でやってもらえるから、オステオパシーではリラックスをやるのだ」ということがきちんとわかっていたのは、ものすごい快挙だった。症状をまとめて準備をしたのは、本当によかったと思った。

自分でもこのとき「ちょっと成長した」と思ったけれど、カウンセラーと話をしてみて、それがどれだけ快挙だったかがよくわかった。①自分の気持ちがわかっていて、 ②それをきちんと相手に伝えられた。心配を抱えたまま最後まで待ち続けて結果にがっかりするのではなく、最初から自分の心配を口にして、不安を解消することができた。これがまさに、「自分が状況をコントロールする」ということだった。

少しずつだけれど、確実に進んでいる。

「いつ終わるのだろう」
「本当に落ち着いた人生を生きられるようになるのだろうか」
「そんな日は本当にくるのだろうか」

と、どこまでも落ちっぱなしになることばかりだった。でもこうして進んでることが目に見えてくると、きっと落ちることも少なくなっていくのかもしれない。もしかしたら、本当に歯ぎしりも治って普通に生きられるような日がくるのかもしれない。

なんだか泣けてきた。希望が出てきたのだ。