毒親について

問題認識の過程

カウンセラーは、どうして私が親がおかしいと思ったのかを聞いてきた。

カウンセラーいわく、親がおかしいと自覚するのはとても難しいのだそうだ。なので私が「親が馬鹿だ」とか「二度と会いたくない」と言うのを聞いて、ちょっと驚いていた。

身体的虐待のなかった場合は特に、自分の親が「毒親だ」と知らされるまでは、親がおかしいことに気づかないことが多いらしい。どれだけ親が間違っていようとも、子供は生き残るために自分を責め、親の求める「いい子」になろうするからだ。大人になってからでさえ、自分の親を否定してくるカウンセラーを拒んだりすることもあるらしい。

人間というのは生まれ育った自分の家庭しか知らないので、特に子供はそこが普通ではないという発想はなかなかできるものではない。だから「殴られる」ような目に見える物理的な虐待を受けてきたような人でも、「自分が悪い子だから親に殴られるのだ」と自分を責め続けて親を正当化してしまうことさえある。そして大人になれば「終わったことだ」「どこの家庭にでもあることだ」とものわかりのいい大人のふりをせざるを得なくなり、問題には永遠に目が向けられなくなってしまう。

これは核家族化の深刻な問題のひとつだと思う。子供にとって生まれてから身近に接する大人がしかいないため、自分の親のやりかたや考えかた、生きかたがすべてとなってしまう。なので、親が手のつけようがなく間違っていたりおかしかったら終わりだ。そしてそもそも完全無欠な親などこの世には存在しない。

小さいころから身近に親以外の大人がいれば、親が全能でも完璧でもないことを自然と理解しながら成長できるかもしれない。世の中にはいろいろな人がいていろいろな考えかたがあり、いろいろな生きかたがあるのだということがわかるかもしれない。だから子供のころに親とは違う考えかたの人が身近にいればいるだけ、子供にとっていいことではないかと私は思うのだ。

うちには祖母がいた。カウンセラーは、この祖母が私にとってとても重要だったのではないかと言った。

それを聞いて、私も初めて祖母の重要性に気がついた。親には会いに行きたいとは思わないけれど、祖母には会いに行きたいと思う。ということは、親には感じていない愛情を、祖母には少なからず感じているということだ。

「他の親と自分の親が違うと思ったのはいつごろか」と聞かれたので、たぶんもう小学生のころには親がおかしいと認識し始めていたと話した。どちらの親と意見が合わなくても必ず「両親vs私」の二対一になってしまい、どんなに理不尽なことでも私が悪いことになってしまうけれど、外に出て裁判で公平に裁いてもらいさえすれば私が絶対に勝つと思っていた。このころ弁護士になりたかったのも、この影響だったのかもしれないと思った。

たしかに、こうして私が早くから「親がおかしい」と気づいていたのには、もしかしたら祖母という「親以外の大人の存在」があったからなのかもしれない。

ただ、これも微妙だと思った。というのも、もし小学校から大学を出るまで一緒に住んでいた祖母からきちんとした愛情をもらっていたとしたら、私は親からここまで毒されずに済んだのではないかと思ったからだ。生きてはいけないと思うほど毒されてしまったということは、祖母の愛情が十分でなかったか、もしくは親の毒がとんでもなかったかに違いない。もしくは、もっと他にも私を毒してくる存在が周りにいたとも考えられる。

あとになってわかることだけれど、祖母はやはり母の母だった。しかたのないことだけれど、祖母もやはりある意味で「毒親」だったのだ。だから私が毒されてしまうのを、止めることはできなかった。

ただこのときひとつ言えたのは、祖母は私のことをきちんと一人の人間として扱ってくれていたということだ。

祖母は日本人だから、カウンセラーに聞かれたようにハグやキスをしてくれたとかそういうことはなかったけれど、いつもテレビの前にいて、一緒にお茶菓子を食べたりしながらだらだらと一緒に過ごすことが多かった。特になんの話をするわけでもなかったし、喧嘩することもたくさんあったけれど、私のことをコントロールしようとするとかそういうことがなかった。これは親とは大きく異なる点だった。

それだけでも、きっと違ったのかもしれない。祖母は母を曲げることはしない人だったけれど、母に曲げられることもない人だった。祖母と母は実の親子なので、遠慮はなかったけれど、そのぶん母も祖母を義母のように愛情なく扱うようなことはできなかった。祖母は働き者で家のために尽くしてきた人で、その点で母親は祖母を認めていた。だから祖母がどれだけ引退していても、そこに一定のパワーバランスはあったのだろうと思う。

このほかにもきっと様々な条件が重なって、私は問題を早くから認識することとなった。でも早く認識したからといって、早く解決するということでもなかったのだ。

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「不幸にする親」抜粋:原則

「不幸にする親」より、特に勇気づけられた部分を抜粋してみた。原文そのままではないが、当時の私が本から抜き出してまとめ、よく読んでいたものになる。

私は「独立した、欠けるところのない一人の人間」である。
他人から侵略されたり蹂躙されることのない、
自分と他人を分ける健全な境界線を引いていい。
感じたことを述べ、本当の気持ちを表現する自由を持っていい。
苦しみから癒える権利がある。

私がおかしいのではない。
私が言っていることは、私の作り話ではない。
不健康で有害な親のコントロールは実際にあった。
それは苦痛に満ちた、破壊的な作用をもたらした。
親の声が心の中に内面化することは、私には止められなかった。

子供は、単に親の子供だからという理由で親に借りがあるわけではない。
子育てには大変な苦労や困難が伴うが、同時にあり余るほどの報いがある。
子供を愛するというのは、親にとってそれ自体が報われることである。

感謝とは、子供から「されるかもしれない」ものであって、
子供が「しなくてはならない」ものではない。
子供からの愛や尊敬や感謝は、親が子育てで努力することによって、自分の力で得るものである。
子供を支配することによって、当然のことのように相手に要求するものではない。

①親の不健康なコントロールは実際にあった。
②親のコントロールは私を傷つけ、私は代償を払わされた。
③私はそのことに関する全ての気持ちを声に出して述べる権利がある
④私が子供の時に親からされたことには、私には責任はない。その責任は親にある。
⑤大人としての現在の人生においては、私がすることには私に責任がある。その責任は親にはない。

今まで毒親自身や周りの人からいろいろ言われてきたと思うけれど、自分のつらい気持ちを肯定し、「親に問題があった」ということを強く認識する。たぶん、まずここが最初だと思う。

「不幸にする親」

「毒親」というワードを知ってからというもの、毒親体験談から回復のしかたについてまで、たくさんのものを読みあさっていた。そんな中、ふらりと入ったロンドンの日本の古本屋で、なんとこの「不幸にする親」という毒親本を見つけたのだ。

controlling parents
「不幸にする親 人生を奪われる子供」ダン・ニューハース著、玉置悟訳
(左は原書、”If You Had Controlling Parents: How to Make Peace with Your Past
and Take Your Place in the World” by Dan Neuharth)

ものすごい偶然に、一気にテンションが上った。こんなロンドンの小さな日本の古本屋で、こんなにも自分が求めていた本が見つかるなんて。流行りの本ならまだしも、こんなマイナーな本が日本語で読めるなんて、見つけたときはもう信じられなくて固まった。

これはもう、私に「解毒しろ」と天だか神だか先祖だかが言っているのだと思った。単純だ。

毒になる親」が出版されたのが1990年、その9年後の1999年にこの「不幸にする親」は出ている。著者はまったく違うのだけれど、同じ人が日本語訳をしていた。それが約20年の時を経て、私の手元にやってきた。

「毒になる親」のほうはかなり広範囲の毒親について書かれていて、アルコール依存症やうつ病の親からの身体的虐待によるアダルトチルドレンの話も多い。これはたぶん、もともと「アダルトチルドレン」という考えかたがアメリカで始まったときに、機能不全家庭の多くが親のアルコール依存症によるものだったことと関係があるのだと思う。

「不幸にする親」のほうは、「毒になる親」の中の第三章と第五章にある「コントロールばかりする親」と「残酷な言葉で傷つける親」という、精神的虐待についてより深く書かれたものになっている。なので、私のような身体的虐待のなかった毒親育ちには、こちらがより役立つと思う。

また「毒になる親」がすべて文章でズラズラと書かれているのに対して、「不幸にする親」ではわかりやすく箇条書きを多用して書かれている。私にはこちらのほうが整理しやすくてよかった。また「毒になる親」では解決方法として親との「対決」について多く書かれてあるのに対し、「不幸にする親」ではより「自分の回復」に焦点が置かれており、自分でできるエクササイズがたくさん載っている。

この本では、親の精神的な虐待が「不健康なコントロール」と表現されている。

「不健康で過剰なコントロールをする親」とは、子供の成長をはぐくむためではなく、自分(たち)を喜ばせ、自分(たち)を守り、自分(たち)のためになるように行動する親をいう。(序章より抜粋)

子供は「ノーコントロール」で育てることはできない。車道に飛び出すことは危ないし、最初はそれを止めてコントロールしてやらなければならない。でもその後もずっとコントロールを続けていると、それは「不健康なコントロール」になってしまい、子供の学びと自立を奪い不幸にしてしまう。子育てには「健康的なコントロール」が必要なのだ。

この本ではこの「不健康なコントロール」についていくつもの種類に分けて解説してあり、またそれが子供にどういった影響を与えるのかということが詳しく書いてある。とても詳細に具体例を挙げて書かれてあるので、毒親経験のない人が読んでも子育てや人間関係の理解にとても役に立つと思う。

序章 親の有害なコントロールとは

<パート1>こういう親が子どもを不幸にする
第1章 心が健康な親VSコントロールばかりする親
第2章 有害なコントロールのパターン ―有害な親の8タイプ

<パート2>問題をよく理解しよう
第3章 ”有害なコントロール”の仕組みはこうなっている
第4章 過去からの遺産は大人になってから現れる
第5章 彼らはなぜ子どもをコントロールばかりするのか

<パート3>問題を解決しよう
第6章 不健康な心の結びつきを断ち切るには
第7章 親との関係の持ち方を変えるには
第8章 人生をリセットする ―人間的に成長し、心を癒す9つの道

終章 過去に意味を見出す

なるべく多くの人に読んでもらいたいと、切に思う。その理由が、これだ。

不健康で過剰なコントロールの害が起きるのは、欺瞞と混乱に満ちた家庭ばかりとはかぎりません。外から見れば理想的に見える家でも、内部は正反対だったりすることがよくあります。特に、本当は問題があるのに「うちには問題なんてありません」という顔をしている家では、親の有害なコントロールが行われていることが多いものです。(序章より抜粋)

私も今までに何人かの「毒親」や「毒親予備軍」を見てきているが、そういう人たちは決まって周りから「理想の家庭」として尊敬されていることが多い。でもとてもきちんとしたいい家庭に見えるということは、親がすべてをコントロールしている可能性が高いということだ。

そういう家庭を見ると、子供の気持ちがよくわかってしまってとてもつらい。でも私にはなにもできない。こうして自分の経験を書きつづり、そういう親たちに気づいてもらうこと、またそのつらい経験をしている子供たちや経験をした大人たちに知ってもらうことで、解毒に協力できたらと思うばかりだ。