夢分析

小さい夫を見つける夢

怒りという感情のメカニズム」でカウンセラーに教わった通り、「お母さんに会いに行くことに関してどう?」と夫の気持ちを聞いてみた。すると夫は「ナーバスになっている(緊張している)」と素直に答えた。

なんだ、ちゃんと言えるではないか、と思った。

そうやって「自分がナーバスな状態だ」と認識できて、さらにそれを人に言えるということは、「強い」ことなのだと教えてあげた。

たぶん夫の実家では、

 そういう自分の不安な状況を口にしない=強い
 そういう自分の不安な状況を口にする=弱っちい

という認識でいたのだと思う。でもそうではなくて、自分は不安なのだと言えるということは、強いことなのだ。弱さを出せるというのは強くなくてはできないからだ。

それを聞いて、夫は納得したような感じではあった。一度で古い考えから脱却できるとは思わなかったけれど、こうやって少しずつ夫の感情を引き出していけばいいのだ、そう実感した。

夫とそんな話をした翌日に、気になる夢を見た。

夢の中で、私はPaul SmithやGivencyのような黒い男性用の細身のスーツを着て、小柄な細い体型でびしっとキメていた。その格好で、映画の撮影ばりに街の中を駆け抜けて行く。とてもかっこよかった。

それがいつの間にか、緑の多い地元の田舎の街道を駆け抜けていた。お店があって、そこに人だかりがあった。どうやらここで事件があったようだった。店の中には巻き込まれた子供たちがいて、その中に10歳くらいの年齢になった夫がいた。夫は肩までついたクルクルの金髪で、まつ毛がバサバサの大きな黒い目をしていた。女の子みたいで、ちょうど夫のお姉さんのような顔立ちだった。シャーロック・ホームズのような緑色のハンチングをかぶり、黄土色のチェックのインバネスコートを羽織っていて、そこだけ時代がさかのぼったようだった。

そんな目をウルウルさせて不安そうに立ち尽くしている夫を、「ここにいたのね、もう大丈夫」と保護した。そんな夢だった。

 都会の街なかと、田舎の地元
 モダンなスーツと、ホームズのインバネスコート
 男装した私と、女の子のような夫
 駆け抜ける私と、立ち尽くす夫

なんだかちぐはぐな夢だった。でも、たぶんちゃんと意味があったのだと思う。

きっと夫が感情を口にし始めたことで、私にとってようやく夫を見つけたのだという感覚が芽生えたのだろう。今までもずっと夫とは一緒にいたけれど、物理的にいただけだったのだ。こうして感情をシェアすることによって、始めて夫に出会った気持ちになったのだと思う。

また夫が子供になっていたのも、きっと夫の中にいる子供の部分、つまり「子供の自分と大人の自分」で書いた「子供の自分」を見たことを意味しているのだろう。成人した男性の夫ではなく、その中にいる成長しきれていない子供の夫、それに出会えたと感じたから、こうして子供になって出てきたのではないだろうか。

夫は「事件現場」という危険なところにいた。怖い思いをして、不安で泣きそうになっていた。「子供の自分」が成長しきれていないまま隠され、周りがどんどん進んでいってしまい対応できないまま不安いっぱいでいたのだろう。そこを、男装して自信にあふれた「大人の私」が見つけた。私の中にも、きっとそのように自信を持ち、人をサポートできる自分もいるのだ。

いろいろなことが現れた夢だった。

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夢が教えてくれたこと

年始に「悪夢にまた変化」があったけれど、それにまたかなり大きな変化が現れてきた。

武道館のような大きな講堂で、真ん中に教壇があり、私は後ろのほうに座っている。壁は白くて、屋内なのにかなり明るい。それとは対照的に、教壇から四方に伸びている階段は暗い。授業が終わって、その階段をみんなが上って講堂を出て行く。

在英の友人に「年始どうしてた?」と話しかけるも、「うん…」と繰り返すだけで話してくれない。もしかしたらさっきも同じことを聞いたのに、忘れてしまってまた同じことを聞いているのかもしれない。嫌われてしまったかと思う。

講堂を出て普通の教室に戻ると、中学校の同級生が隣の席に来てなにかを言ってくる。でも面倒で相手にしない。別の隣には、実家の隣の家の男の子が座っている。みんながガヤガヤ話していて、さっき話をしてくれなかった友人が保健室に行ったとのことだった。嫌われたわけではなく、具合が悪かったのかとほっとする。

次の授業を待っていると、母親と妹が教室に入ってきた。母親はとても上等な赤い着物を着ている。その母親が、悲しそうな表情を作り、いかにも「私はいい親です」といった空気を全身から演出しつつ、みんなが見ている前で「今まで本当にごめんね」と私に謝りながらお詫びの包みを差し出してくる。

私はめちゃくちゃ頭にきて、母親を追い出す。以前の自分だったら、「周りで人が見ているところで追い出したりしたら自分が悪者に見えてしまう」などと考えて、そんなことはできなかった。でもここでは「周りが見ているからこそこいつらをやっつけてやろう」と思い、大声を出して追い返した。二人はすごすごと出て行った。でもカウンセリングで学んだことを考えてみたら、きちんと私の意見を言ってやらなければならないのではないかと思っていた。

そこに今度は母親の弟、私の叔父に当たる人がガリガリに痩せて入ってきて、謝りながら10万円の包みを差し出してきた。もう一人別の叔父からも、包みを預かっているらしい。「またカネで解決か」と思い、怒り心頭になる。これを突き返さなければ、やはり母親に言うことをいってやらねば。

教室から追い出した母親と妹を追いかける。でもちょうどガラス張りのエレベーターで上に上がって行ってしまったところが見えた。私が追いかけてきているのを見て、ほらほらやっぱり許してくれるのねと思ったのか、エレベーターで降りてくる。

もうやつらの都合もなにもない、今ここで全部ぶちまけてやると思い、エレベーターのドアが開いたところで母親の胸ぐらをつかんで壁にぶち当てた。そして「お前がいつも私の気持ちを存在を無視してきたからこんなことになって苦しめられてきたんだ」というようなことを、大声で叫びまくった。

そこできっとまたすっとぼけて人の話を無視するだろうと思ったので、とにかく相手がどう出てくるかは考えず、とにかくひたすらこちらの言うことを言い続けた。黒板があったのでこれを使おうと思い、ピンクのチョークしかなかったのだけれどそれでもいいと思って、とにかく殴り書きに書いて叫び続けた。「父親」「母親」と書いて、「父親」にバツをして、「父親がだめでも母親がちゃんとしていたら大丈夫なんだよ!!」というようなことを叫んだ。

でも黒板にはいろいろな絵が描いてあって、私が書き込むスペースがほとんどなかった。その上にスペースが見つかっても、きちんと字が書けなくなってきた。そのうちまただんだんと口が動かなくなってきて、それでも必死に動かして叫び続けた。そこで目が覚めた。

それまでとこの夢が決定的に違うのは、「世界から切り離されていく恐怖」がなかったことだった。いつも通りに口は動かなくなってきて、そこで母親がこちらを見ずに左側の顔を向けていたのだけれど、自分の存在がなくなるような恐怖はまったくなかった。それよりも、とにかく言いたいことを言ってやらなければと必死に頑張った。大きな変化をまた感じた。

そしてまた、友人が出てきた部分も大きな意味があると思った。

友人の素っ気ない態度に、なにかしてしまったのではないかと思って怖くなってしまう自分。でもそうではない、友人は具合が悪かったのだ。

なにか悪いことがあると、自分の中に悪いところを探して自分を責めてしまうのは、自己肯定感のない毒親育ちが抱える典型的な問題だ。でも、それは現実的ではない。人が素っ気ない態度をとる理由はいくつも考えられる。自分がなにかしてしまったことが原因とは限らない。それを夢が教えてくれたのでは。

それにまず自分を責めるのではなく、友人の具合に気づけていたら、「なにかあった?」と言葉をかけてあげることすらできたかもしれない。自分を責めるよりも、有意義なことができたかもしれない。

そういうことを、夢、つまり自分の潜在意識が教えてくれたのだと思った。

悪夢にまた変化

このころ、またにも変化が現れてきた。

夢に変化が」で少し進歩が見えてきたものの、そのあとに「悪夢に夫が追加」したりして、一進一退という状況だった。そこにまた大きな変化が現れた。

またいつもの悪夢を見たのだけれど、このときは父親のすぐ上の伯父夫婦が出てきた。

伯父伯母と、両親、そして私の五人で、温泉ホテルのようなところに泊まっている。朝食をみんなで一緒にとろうと言っているのだけれど、私は親と同席したくなかったので、パニックに陥ってしまっていて朝食に行かなかった。

でもそうすると親が、「それ見たことか、あいつはこんなに失礼なやつなんだ」と鬼の首を取ったかのように言い回るだろうことはわかっていた。

そこで私は吐きそうなくらい嫌だったのだけれど、伯父夫婦と両親の四人で朝食を食べているところに出て行って、出席しなかった理由を伯父夫婦に述べた。伯父夫婦がなにか言うのだけれど、私は「だってこうでしょ!だからこうじゃない!」と大きな声で言い返した。伯父夫婦はびっくりしていた。

親がまたなにか言ってくるから、それを封じ込めるようにまた言い返すのだけれど、それがだんだんと英語になってくる。伯父夫婦は私が言っていることがわからず「え?え?」というような表情。それに対して私は「Right?!Right?!(そうでしょ?!)」と言う。でも話がまったく通じていない。

その後に伯父がなにか言ったことに対して「信じられないでしょ!!」と突然日本語に戻って応答し、伯父夫婦もほっとした様子を見せた。でもそこからだんだんと口が動かなくなってきて、またいつもの通り恐怖のどん底に堕ちていく。必死に頑張るのだけれど、どんどん体全体が動かなくなっていく。

起きて、またいつもの通りぐったりだった。

英語になったことは以前にもあって、日本語で通じないから英語で言ってやろうと思ったのだと思う。でもどうせ通じないので、結末は同じだった。

でも今回進歩だと思ったのは、両親の他に中立な出演者の存在があったというところだ。

いつもなら、妹や元彼、さらに夫まで、他の出演者は両親の味方だったり、私を恐怖に陥れる役として出てくるのが常だった。でもこのときの伯父夫婦は、積極的に私サイドということではないけれど、まったくの両親サイドということでもなく、中立な立場として出てきた。

そしてこの中立な立場として出てきたのが、「夢に変化が」で見たときは叔母、そして今回は伯父夫婦、というところもなにか意味がある気がした。叔母も伯父も、私に直接関わりがあるというよりは親と関係がある人たちだ。

そしてなにより、この人たちは両親と対等に話ができる人たちだ。そして前回の叔母は母親のだったけれど、今回の伯父は父親ので、年上だ。そこもまた少し進歩している感じがした。

さらにそれまでの、

親 VS 私

という二者の構図から、

親 VS 私 +α

という、三者の構図に変わった。

これはやはり、それまでの悪夢とは大きく異なると確信した。なにか大きな変化が確実に私の中で進んでいる。そう思った。