ヨガ

グラウンディング

このころ、ヨガで「Grounding(グラウンディング)」という言葉を知った。

ヨガのセッションはいつも、なにをやっているか私はわかっていなかった。先生の見本に沿って、指示されるポーズをとっているだけ。先生のを見ながらポーズをとって、「もうちょっと腕が右」とか「足を外側に」と正しい位置に整えてもらい、「右を曲げて」「次に左を曲げて」とか、「息を吸って」「はいて」「そのまま」のように、次々出される指示に従っているだけになる。

このポーズがなにに効くとか、そういうことはまったくわからないまま、終わる。終わったあとに聞いてもいいのだけれど、私の場合はなるべく感覚で感じるようにしていたので、必要なこと以外は聞かないようにしていた。たまにヨガ関連の本を読んだ際に、ああこれはこういうポーズなのかと知ることもあったけれど、その程度だった。

あるとき、先生が「今日はグラウンディングを中心にやった」と言ったので、それはなんですかと聞いてみた。

ヨガで夢について話す」で書いたように、先生は毎回セッションを始める前に、私の気持ち身体の状態を聞いてくる。そのときに、先週ランニングしたらここが痛くなったとか、こういうポーズを家でやったらここにきてとか、カウンセリングでこういう話をして安心できたとか、夫と話してもうだめだと思ったなどを話し、それに合わせて必要だと思ったヨガのセッションを組んでくれる。

自分の気持を話すのはけっこう難しく、これがとてもいい練習になった。身体の状態を話すときも、どこかが痛くなったときや不具合が出たときは、そのときなにをしていたのか、なにを考えていたのかを覚えておくようにと言われた。身体に出るものは、もちろん事故的なものもあるけれど、メンタルのものが身体に出ているということもある。これは今でも身についていて、頭がズキっとしたときや、なにか身体に感じた際に、そのとき自分がなにを考えていたかを見つめることで、意外にもいろいろなことがわかったりする。

それでこのときちょうど、「完璧を求め続ける原因」で書いたように、私の不安感の原因が親からきているということがわかってきたと話し、安心できるようになりたいと先生に言った。すると先生は、グラウンディングを中心にやろうと言ってくれたのだ。

不安感というのは、地に足がついておらず不安定な感じになる。これを地にどっしり気持ちを落ち着け安定させることが、グラウンディングとのこと。「Ground(地面)する」ということだ。

このセッションでは、「木のポーズ」と「戦士のポーズ」をやった。木のポーズは「チャクラについて」で書いた、一番下の第一チャクラ、ムーラダーラに働きかけるものと本に書いてあった。他にもいろいろあって、ふくらはぎのむくみもあったので、それに効くものも入っていた。

木のポーズ

次のセッションでは、寝っ転がったり、かがんだりと、低い体勢のものが多かった。これも、一番下の第一チャクラに効くものと思われた。あとは、身体をねじるものも多かった。下半身をねじり、腰をねじり、背中をねりじ、肩をねじる。背骨をドルフィンキックのように縦に波打たせたり、かと思えば獅子舞のように横にも波打たせたり。「ヨガ開始」で書いたBee Breathを最後にやったときも、脚をあぐらのようにしてバタバタさせてやった。バタフライというらしい。これがグラウンディングになるのだそう。

エネルギーセンター」で書いたように、セッションの最後にはいつもヨガニードラでしめくくる。グラウンディングにいいポーズをたくさんやったこのとき、ヨガニードラで寝っ転がっていると、なんと第一チャクラのあるところ、おしりの下がふわーんとあたたかくなっていることに気づいた。

驚愕だった。私は下半身が冷え性で、腰とおしりはいつも冷たい。家にいるときは、今でもよく湯たんぽを当てている。サウナに入っても、上半身はダラダラ汗をかきまくるのに、腰から下はカラッカラで冷えたまま。脚に汗をかいたり、靴が蒸れることもない。身体をねじったとしても、背骨をねじっているわけだから、おしりは特にあたたかくなるようなことはない。

なのに、そんな激しい運動をしたわけでもないのに、こんなところがあたたかくなっていた。びっくりした

先生に言うと、先生も「そこはムーラダーラね」と言っていた。こんなに明確な変化が出るなんて、先生も興味深そうだった。私は先生の生徒の中でも一、二を争うほど、ヨガで様々なことを引き出していると言われた。先生のところにくる生徒さんは、マタニティヨガの妊婦さんが多いから、私のように心理療法を目的として来ている人が少ないのかもしれなかった。

私は、目的が目的だから、なにかを感じようといつも無心で、とにかくポーズをとることに集中していた。これがよかったのかもしれない、と思った。グラウンディングも気に入ったから、これ以降、今でも家でやるようになった。後にヨガのポーズだけでなく、グラウンディングの方法はいくつもあることを知って、他にも瞑想やレメディなどでもやったりする。ただどんなものにおいても、グラウンディングはとても重要で、これをしっかりやることで、地に足をつけて生活するということを学んだ。

また、「魂からの癒やし チャクラ・ヒーリング」の本にもメディテーション(瞑想)の方法が載っていて、このルートチャクラ(第一チャクラ)の瞑想にも取り組んでみたりしていた。これにもグラウンディングを目的とした瞑想があって、地球(地面)とつながり、安心感を育成する。もしかしたらこれからも効果が得られたのかもしれないと思った。

ますます、ヨガがおもしろくなってきたところだった。

広告

夫の仕事が決まって

このころ、また落ち込むことが多くなってきていた。

夫の問題が解消の方向へ向かってきて、自分のことに集中し始めたせいかもしれないと思った。自分の問題が深すぎて、これからどれだけの時間がかかるのかもわからず、途方に暮れた。空っぽな自分、虚脱感、なにもできない、なにもしたくない。すべてのことを置いて、どこかに行ってしまいたかった。危険だと思った。

カウンセリングと同時に、日本で買ってきた「アダルトチルドレン・癒やしのワークブック」や「毒になる親」を、少しずつ読んだり取り組んだりしていたのだけれど、そこでいろいろなことを思い出してしまい、いちいち落ちることばかりだった。早く回復したくてあれもこれもやろうとしてしまい、できずに危険な精神状態になってしまう。カウンセリングだけに集中したほうがいいのかとも思うのだけれど、時間がもったいないような気がして、もっとやらなければと思ってしまう。こういうところも治すべきところなのかもしれない、とも思った。

そんなころだった。夫の仕事が決まった。

夫はそれまで、人生で一度も採用面接を落ちたことがない人だった。その夫がこのとき、仕事を探し始めてから一年以上も様々な会社を受けては落ちまくっていた。自分のプロジェクトをやるために会社を辞め、勉強をしながら進めつつフリーランスで週一の仕事をし、自分の道を模索していた。

おもしろそうな会社から面接に呼ばれて期待して行ってみれば、業界のことなどなにもわかっていない人がプロジェクトのトップについていて、話がまったく噛み合わずにがっかりしたりしていた。プロジェクトの内容を見せられて、どんな改善点があると思うと聞かれて正直に答えると、「いやいやいやキミ全然わかってないね」とまったくお門違いなことを自信満々に披露されて、だめだこりゃと失望して帰ってきたりした。「このままどこも受からなかったらどうしよう」とまで言い出すようになっていた。

最終的に、二社で面接が進んでいた。一社は、当時やりたいと思っていた教育関係の仕事だったので、できればそちらへ行きたいと言っていた。もう一社は、仕事そのものはまったくやりたいことではない会社だった。でも面接を受けていく中で自分と考えかたがまったく同じだということがわかってきて、気になっていた。何度も面接に行って何人もの人と話をしたけれど、なにを質問されても質問の意図と相手がどんな答えを求めているかがすぐわかり、「こんなに簡単に進んでいいのだろうか」とまで言っていた。

そして一社目の最終面接の準備をしていたとき、二社目のほうから採用の電話がかかってきた。

少し待ってもらうよう言うのかと思いきや、夫は「Yes」と口走っていた。隣で聞いていた私はびっくりした。

電話を切って、「なんでOKしちゃったの?!」と聞けば、「なんか言ってしまった」のだと。

でもこの会社で正解だったのだということを、今では実感している。夫が学びたいと思ったことが十二分に学べており、環境も素晴らしかった。直感に従って「Yes」と言った夫は、本当に自分の核とつながっているのだと思った。私だったらあれやこれやと考えてしまって、結論を出すことができないからだ。自分の感情を表に出すことはできない夫だったけれど、自分自身とはきちんとつながれていた。

面接が簡単に進んだということは、そこが自分が無理なくいられる場所だということだ。無理をして自分を変えて相手に合わせ、自分の中にないことを面接で話していたら、無理をした自分が採用され、今後ずっと無理をし続けなければいられない職場に行くことになっていただろう。そのままの自分を見せることで、そのままの自分を必要としてくれる会社を見つけることができたのだ。これは私が大いに学ぶべき点だった。

これできちんとした収入ができた。たぶん以前の私だったら大喜びしてほっとし、涙していたと思う。

でもそうはならなかった。これも成長だと思った。

そもそももうその前からずっと「仕事がない」ということに関して、不安感がまったくなくなっていた。麻痺していたのかもしれない。私が退職し、二人ともフルタイムの仕事がないという状況で、すでに三か月以上は過ごしていた。私に焦りはまったくなくなっていた。きっと仕事が決まってもそんなに心境に変化はないだろうなと思っていたけれど、その通りだった。

逆に、「収入ができてよかった」と思う反面、そういう居場所が見つかった夫に少し嫉妬の気持ちまで芽生えた。おもしろいものだと思った。これからは自分のことに専念していく時期なのだと感じた。

一月半ばだった。やっと新年が始まったような気がして、その年のことを考えられるようになった。曇り空にうっすらと雲の薄いところが出てきて、そこがふわっと明るく光り始めたような感じだった。

ヨガでもまた、変化があった。「I am here!」でやった三日月のポーズをやったとき、先生から「空に向かって胸を反らせるように」と言われたとき、また「うっ」となり、涙が出そうになった。どうもこの「Sky(空)」という単語が身にしみているようだった。空や宇宙とつながったような感じがすると、自分の存在を感じることができているようだった。

自分の存在(感情)を無視されて育ってきたことによって、自分がなくなってしまっているのが私の問題だった。だから自分の存在を感じ、「この世に自分がいる」という感覚を得て、それを大きくしていくこと、それが回復への道なのだと思った。

「不可視の王国<アストラル界>へ行こう」

日本に行ったときに、衝動買いした本があった。

今思えば、このころまでは本など定価で買ったことがほとんどなかった。ほしい本があったとしても、まず中古で探すのが常だった。でもカウンセリングを始めてから、お金を気にせず「興味のあることをやってみる」ようになったとき、久しぶりに日本の本屋に行ったのだから気になったものがあったら買ってみようと決めて、買ってみた。

カウンセリング関係の本も買ったのだけれど、そこでなんとなく目がいった本があった。まったく聞いたこともない出版社から出ている本で、とにかく表紙がカラフルで浮きまくっていた。めちゃくちゃあやしいと思ったのだけれど、なぜかそのハッピーな感じが心に響いて、一度手にとったあと、手放せなくなってしまった。

まったくの直感だけでものを買ったりしたのは、これが初めてだった。それが、右の「ドリームランド<地球>へ行こう」だった。

内容はとにかく飛んでいたのだけれど、私がでよく見ていたことが当たっていて驚いた。また様々な宗教の話が出てきて、「どの宗教も同じことを別のツールを使って言っているだけで、すべての宗教は同じことを言っている」というようなことが書いてあった。これはずっと私が思っていたことだった。同じことを考えている人がいたなんて。

おもしろくなって夢中で読み、他にも何冊かシリーズで出ているということで、一冊従妹に送ってもらった。それが、左の「不可視の王国<アストラル界>へ行こう」だった。

届いて読んでみると、こちらにはもっと当時の私に当てはまることが書いてあった。びっくりした。

これによると、人間は胸にあるハートチャクラの背中側から「プラーナ」というエネルギーを吸い、胸の前から吐いて、呼吸しているとのこと。これはまさしくヨガで習った考えかただった。中国では「氣」と言われる。これはヨガをやっていなければまったく理解できなかったであろう情報だった。それがこんなにもタイミングよく入ってきたことに驚いた。直感で行動するのも大事なことなのだと思った。

胸の前から吐き出すエネルギーは「念エネルギー」と呼ばれていて、人と人との間にはこの「念エネルギー」のやりとりが起こっているとのこと。「なんかあの人ちょっと嫌な感じ」というのは、その人が発する嫌な「念エネルギー」を感じている、ということだと。簡単に言えば、いい念は「祈り」で、悪い念は「呪い」というようなことだった。

夫婦間でも家族間でもこれはあって、たとえば母親が「うちの子大丈夫かしら?」としょっちゅう思っていると、この「念エネルギー」を子供に飛ばしていることになる。「念エネルギー」は放っておけば消えてなくなっていくのだけれど、消化しきれない量の「念エネルギー」が来てしまうと、ちょうど食べものを食べきれずにいたら腐ってしまうように、子供のところにたまったまま腐っていく。これが腐ってたまっていくと、ドロドロの状態で子供の体を包んでいき、蛇が巻きついたようになってしまう。

でも実はこの「念エネルギー」を飛ばしたほうの母親も大変で、自分のエネルギーを子供に送り続けているわけだから、体がだるくなったり、おかしくなったりするとのことだった。

この説明を読んだとき、本当にその通りだと思った。

うちの母親は、体のあちこちがおかしかった。高血圧で、高コレステロール、心臓の問題に加えて、頚椎のつまりに、切開手術もした腰痛。何十年も一年中花粉症で、年中鼻をかみまくるものだから、鼓膜までおかしくなる一方。常に薬を大量に飲み、病院に通い、注射を打っている。体はボロボロだった。

きっと、私や家族に「念エネルギー」を飛ばしまくっているから、自分の体が持たなくなるのではと思った。私が実家を出る前はそこまでではなかったけれど、出てからは数年ぶりに会うたびに、毎回一段とひどくなっていた。自業自得だとは思っていたけれど、まさか本当に自業自得だったとは。

たぶんこれは大まかに言うと、「人のことにばかり首を突っ込んでいると自分がおろそかになる」という当たり前の現象を説明したものなのだと思った。「エネルギー」という単語を使って説明するこの方法は、とても興味深かった。ヨガの先生がそうだったからだ。

先生によると、すべてのものは「エネルギー」でできているとのことだった。私たちのこの体も気持ちも。でもそれをどうやって動かしたり、調整したらいいかが一般人にはわからない。そこで「振動」を使う。つまり、「言葉」のことだ。言葉は「音」なので、体や空気による「振動」だ。

いわゆる「言霊」や「Chanting(お経)」など音の振動によって「エネルギー」を動かし、体や気持ちに作用させるのだと。よく「ありがとう」という言葉の振動がいいなどと言うけれど、こういった振動のいい言葉を発したり聞いたりすることで、自分や世の中に対してポジティブな作用を広げていくのだと説明してくれた。

本によると、「念エネルギー」というのは「周波数」が違えばスルーしていくらしい。どれだけ人から恨まれていても、本人が高い「周波数」で楽しく生きていたら、「念エネルギー」は影響を与えることができないとのこと。

これもなんだかわかる気がした。同じ土俵に立つな、ということだろう。

ただ、たとえばストーカーなどの場合。ストーカーにつけられているような気がすると、気を取られてはいけないとは思えど、どんどん怖くなってしまうのも無理はない。こちらが感知すると、ストーカーは「念エネルギー」が受け取られていることを感知して喜び、ますます「念エネルギー」を送るようになってしまう。

母親もそうだった。「念エネルギー」が私に届いていると感じるから、ますます嫌がらせをしてくるのだろう。そしてそれによって私からも「念エネルギー」が飛んでいってしまっているのだ。

「念エネルギー」というのは、来たものを返すとになって返っていくとのこと。それがまた倍になって返ってきて、それをさらに倍にして返っていく。そういうのを繰り返し、それが何十年と続くと、もう大変なことになってしまう。

そこで、この流れを断ち切ることが必要になってくる。送られてきた「念エネルギー」や、自分から返っている「念エネルギー」の連鎖を、断ち切る。

これをどうするかというと、相手に返っていく前に「燃やす」ということだった。燃えてしまって送り主に返らなくなると、「念エネルギー」が返ってこないから「あれ?」となり、やり取りがそこで途切れる。ストーカーが謝ってきたり、警察が動き出したり、引きこもりの子が学校に行き始めるようになったりと、流れが変わるとのこと。

これはおもしろそうだと思い、本にあった「燃やす」方法を試してみた。やりかたは三つくらいあり、「お経巻き」というのが一般的らしいのだけれど、うちにはお経本はなかった。もう一つ「ひとがた」という方法があったので、それを試すことにした。

これは名前を書いた紙を包んで、見えるところに立てかけておき、目につくたびにその人に対するように話しかけ、一週間たったら燃やす、というもの。「念エネルギー」を本人に返すのではなく、この「ひとがた」になすりつけて燃やしてしまう。話しかける際には「死んじまえ」などなにを言ってもいいらしい。これでもう本人には返らないから、「念エネルギー」のやり取りがここで途絶える。三回くらいやれば、どれだけたまっているドロドロもすっかり燃えてしまうらしい。

ちょうど「アダルト・チルドレン癒やしのワークブック」で、親に手紙を書く前に「親の写真を見ながら言いたいことを言う」というワークがあったのでちょうどいいと思い、この「ひとがた」に対して話しかけることでやってみた。最初は「言葉をかける」という行為そのもので母親とつながってしまうように感じ、なかなか言うことができなかったけれど、だんだんと言いたいことを言うことができた。

燃えかたにも特徴があって、すーっと燃えることもあれば、「念エネルギー」がたまっている場合はなかなか燃えず、周りからジリジリと火が進行していくようなこともあるのだそう。母親に対してやってみたところ、本当になかなか燃えなくて嫌になった。時間をかけて燃やし、トイレに流してほっとした。効果のほどはわからないけれど、子供のころによくやったおまじないを思い出してなんだか懐かしくなった。

この本は、ヨガやスピリチュアリズムを勉強してからまた読んでみるとまたおもしろかった。お金や先入観を気にせず、直感でものを買ってみるというのもおもしろく、また、考えて買ってみるのと同様に大事なことなのだと思った。