モラルハラスメント

モラルハラスメントから回復するには

では、どう回復するのか。

1.回復

1)回復のために

被害者の回復は、その本人ひとりで進むものではなく、まわりの助けが必要。被害者の体験をまともに取り上げて聞いてくれ、人を支配コントロールしようとしない安全な人とつながることがまず必要であり、そのような人と話すことで少しずつ回復していく。

「まともに取り上げて聞いてくれる」というところが、一番大事だと思う。普通の人に話しても、単なるかまってちゃん悲劇のヒロインと思われたり、加害者の被害者への執着を「愛情」と勘違いされたりして、よけいな被害を呼ぶことになる。

このときは少しずつ周りが私の話をまともに聞いてくれることに気づき始めて、いろいろな人にわかってもらうことで少しずつ軽減されていったように思う。だが、一番近くにいるがまったく理解のできない行動をとり、それによって激しく傷つくようになっていった。

2)回復の過程

被害者は、自分が体験したことを他の人と分かち合いながら、自分の身に起きたことがモラルハラスメントという暴力であり、自分はその被害を受けたのだということを認め、受け入れることが必要。その過程で、罪悪感から抜け出し、加害者への怒りの感情を認め、表現していく。そしてその怒りの感情の奥にある悲しみや苦しみ、喪失感などに向き合い、その感情を認め、充分に味わい、表現していくことによって、被害を受けたというできごとを、文字通り過去のものにしていく。

そうして被害者は、モラルハラスメントによってばらばらにされた自分の心や感覚をひとつにし、つながりを取り戻していく。そして、自尊心や自己肯定感を思い出し、自分自身を許し、他者との新たな、対等な関係を作っていく。そしてあるとき、今まで加害者に感じていた、自分が破壊され尽くしてしまうような超人的な力を、今や加害者が持ってはいないことに気がつく。

モラハラもそうだけれど、加害者から逃げれたとしても、自分の中に問題が染みついてしまっているので、これを回復することが一番重要だと思う。たいていの場合は、あまりにも罪悪感や喪失感、怒りや悲しみなどの感情が強いため、加害者に罰を与えたり復讐してやりたいと思う気持ちが強くて、自分の回復に気持ちが向きづらい。また、逃れて距離を取ったことで満足してしまったり、逃れるだけでもう精一杯だということもあると思う。

でも、どれだけ時間をかけてでも、いつか自分の回復にぜひ向かってほしいと思う。私の場合は、自分の人生がめちゃくちゃになってしまっていて、これをどうにかしなければ生きていけなかったので、必然的に回復に向かわざるを得なかったし、回復の過程で何度もつらい目にもあってきた。それでも向かってよかったと思えたと思ったら、また問題に襲われて、本当にこれでいいのかと今だに何度も自問自答する。その繰り返しだけれど、回復はやはり自分の人生を取り戻すためにとても重要だと思う。

2.援助者

1)基本的な考え方

人には、安全や安心の欲求が満たされる必要がある。そういう意味で、モラルハラスメントは、基本的な人権を脅かす暴力である。ときに被害者は、その人自身に何か問題があるかのように見えるときもある。しかしそれは、暴力による被害者の葛藤や混乱がひどいためで、被害を受けると誰でもそうなるのだということを知っておく必要がある。

被害を受けると誰でもそうなるのだというのは、大きな救いだった。自分だけがおかしいのではない、自分が悪いわけではないというところは、回復に向かっていくのに必要な考えかただと思う。

2)援助者として

今まで加害者によって不当に抑圧されていた被害者の回復のためには、今までとは逆、つまり、誠実で対等な関わり方をされることが必要。援助者は、情報提供をしながらも、具体的な選択においては被害者自身の意志を尊重することが大切。被害者のいたらないと見えるところを取り上げて、説教などをしたり、援助者の正義感を押しつけて、プレッシャーをかけたりしないようにすること。また、被害者が自分自身情けないとか恥ずかしいとか言ったときには、「情けなくて恥ずかしいのは、あなたではなく加害者だ」とはっきり言う方が、真のサポートになる。

これは、本当に難しい。普通の人はやはり普通だから、どうにか加害者のいいところを探して「あなたに対してすべて悪意だったわけじゃないよ」と言ってくれたり、逆に「言われっぱなしでいいのか」とか被害者のために強く出てくれたりする。そうするとますます問題を深くしてしまうことがあるので、信頼できるカウンセラーや、同じ経験がある人に補助を求めるのがいいと思う。

配偶者が援助者となり得る場合は、本当に恵まれていると思う。一緒に暮らしていく中で、自分の問題にも気づき、それを協力して落ち着けていくことが可能だ。私の場合は、逆に夫がさらなる加害者となりえたため、「抜け出した」と思ったところからさらに突き落とされることになった。

3.次世代への連鎖

被害者が次の加害者になるという、いわゆる次世代への連鎖が心配されるが、それを断つためには、まず被害者自身が、自分の身に起きたことが暴力であったと認識することが必要。それを認めず、あれは自分のためだったとか、教育や愛情があってのことだったとしか認識できないとき、同じ理由でその暴力を、教育や愛情という名の下に伝えてしまう危険性がある。回復の過程の中で、自分の弱さを認めることができ、その弱さをダメなものだと評価しないでいられる強さを自分の中に感じ取れることこそが、次世代への連鎖を断つ鍵。

人によっては、自分が実の親から受けていたものが暴力だったとは受け入れがたいものなのかもしれないけれど、私は解離性だったため、「暴力だった」「ひどいことだったのだ」と認識することでラクになれた。

どれだけ嫌でも、みんな自分が育ったところの家族の形しか知らないために、自分が家族を持ったときにどうしても同じことをしてしまう。加害者から逃げるだけでなく、時間がかかっても自分の回復に向かって進み始めてほしいと思うのは、自分がラクに生きれるようになるためでもあるけれど、このように自分がまた同じことを子供や周りにして、問題がどんどん連鎖してしまうのを防いでほしいと思うからだ。

というのは、周りに同じことをしていると気づいた場合、それは自分の中に問題があることに気づくよりもつらいと思う。私の場合は、「気づいてからの衝撃」に書いた通り、毒親にされたことを夫にしていたことに気づいたわけだけれど、本当にショックで恐ろしかった。だから、自分の回復に目を向けて、自分のために人生を進んでいってほしいと思う。

(引用部分はすべて「NPO法人 こころのサポートセンター・ウィズ」より適宜抜粋)

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モラルハラスメントに対するには

モラルハラスメントを考えてみる」で、「見えにくい」というモラハラの特徴のひとつと毒親の特徴がとても似ていることがわかった。

他の特徴である「合理化」や「卑劣さ・理不尽さ」は、似ている部分もあり違う部分もありというところだった。でも、「加害者とは」や「虐待が起きる条件」「被害者の心理状態」などは、かなり酷似していると思った。モラハラの加害者はたぶん毒親被害者で、気づきがなく毒に染まったまま、他の人に毒をまき散らして生きているのだと思う。

では、モラハラに対するにはどうしたらいいのか。

1.脱出するきっかけ(気づきとエンパワーメント)

虐待が起きている場所とは違う価値観のものに触れる、その場に属していない人と話をしてみるなどのことをきっかけに、今自分に起きていることが当たり前のことなのではなく、虐待なのではないかと疑ってみることが、まず脱出のための第一歩になる。自分に起きていることが自分のいたらなさからくる当然の結果なのではなく、加害者からの暴力であることを認識できるようになる。

のちのちわかるけれど、私の場合は「解離性」ということで、たぶん人生のかなり早い段階で親がおかしいことには気づいていた。そして実家を出てから普通の人と接して生きることで、より深い理解を得られた。また、渡英で日本とは違う生きかたに触れ、「自分も毒されている」という気づきがあった。

2.脱出(出口、脱出、加害者の怒り)

状況を改善したり、虐待の構図からの出口を見つけるためには、相手のモラルハラスメント的なやり方に反応しないことが必要。そうすれば、そのやり方は効力を失い、被害者を動揺させるという加害者の目的は達成されない。

「相手のやりかたに反応しない」というのは、わかっていても難しい。なので、離れることが一番。

加害者の支配から抜け出すために一番いいのは、加害者から離れること。心理的に加害者に抵抗するためには、誰かの助けが必要になる。その人は、加害者の影響を受けていない人で、まわりの人を支配コントロールしようとしない、安心できる人である必要がある。そのような人を見つけ、その人と話をし、エンパワーメントされながら虐待の構図からの脱出を図る。

私の場合は「安心できる人」だと思った夫が同じく毒親育ちだったため、二次被害を受けてしまった。

被害者が脱出を図ろうとすると、加害者の心には、ますます被害者に対する怒りと憎しみの感情がわき起こる。加害者は、被害者が他の人とつながることや自分から離れていくことを裏切りと取り、自分こそが被害者であると訴える。

うちの毒親の場合、夫婦で私の悪口を言い合って多少満足ができるのか、追ってきたり直接攻撃してきたりしないところはまだましと言える。周りに私の悪口を言いまわっているだろうけど、それが私に影響しない限りどうでもいいと思えるようになってきた。

3.脱出後の心理

  1)抑うつ

自分の心に、今まで思ってもみなかったほど多くの深い傷が刻まれていることに気づく。この時期は、そのことで加害者を責めるというより、自分自身が情けなくなり、自責感を感じる。また、加害者の影響がまだ強く残っている場合には、その場を離れてしまったことに対する罪悪感をぬぐい去ることは難しい。

私の場合はもともと解離していたので、まったく罪悪感はなかった。その代わり、自分も毒されてしまっていたことに気づいたときはひどいショックを受けた。

  2)加害者への怒り

被害者の気持ちは、加害者に今まで利用されていたということからくる自分への自責感や抑うつ的な気持ちから、屈辱感、相手への怒りへと変化していく。今まで失われていた自分の正当な権利を取り戻したいという気持ちになり、相手を告発したくなったり、相手に謝罪を要求したいという気持ちがわいてくる。

ちょうどこの帰国したばかりのころから、抑えられない怒りがわいてきた。一番苦しむやりかたで親を傷めつけて、殺してやりたいと思っていた。小さいころから、親を相手に裁判をしたいと思っていた。正当に裁いてもらえさえしたら、自分が絶対勝つのにと思っていた。小学生のころは弁護士になりたかった。

  3)PTSD

被害者は、加害者から離れ安全な場所にいても、またいつ攻撃されるかもしれないと常に緊張し、不安感や恐怖感が続いている。なかなか眠れなかったり、眠りが浅かったり、小さな刺激にもひどく驚いたり、いらだったりする。そのような状態はしばらくすると消えていくが、その後も突然、暴力を受けていたときの体験がよみがえり、そのときと同じような感情や感覚になることがある。また、眠っているときに悪夢を見たり、夢の中で虐待されたりもする。

人と人との境界線」に書いた私の悪夢は、まさしくこれだった。また、昔から大したことない物音で一人だけビクッとなり、常にレーダーを巡らせていて少しも安心できない。眠りは浅く、夫がほんの少し身動きしただだけでそれを感知し、歯軋りをする。

4.脱出後の攻撃

  1)セカンドアビューズ

被害者は、虐待そのものもつらいが、加害者側に立ってしまう人や傍観者的な立場の人からも傷つけられてしまい、辛い思いをする。被害者の思い違いなのではないかとか、かえって被害者の方が加害者なのではないかと見られてしまうことにもなる。また、加害者は、第三者が介入することを嫌う。一方被害者は、介入してほしいと思っている。つまり、傍観者的な位置にいて何もしないでいることは、加害者側に都合が良いことになってしまう。傍観者的な立場でいられると、被害者にとっては、加害者側に立たれたような気がする。

うちの毒母も、「家の問題に首を突っ込まないで」と私の味方になる人を遠ざけさせ、人には「娘が心配で」「連絡もなくて」と言いまわり、「Kelokoちゃん、お母さん心配してるんだよ」とわけ知り顔で言わせる。以前はなんとなく罪悪感があったけれど、もう誰になにを言われても、なんと思われても、自信を持って言い返せるようにはなった。

  2)リモートコントロール

被害者が、加害者のコントロールから逃れようとして離れたときに、加害者のリモートコントロールが始まる。加害者は、被害者が離れた後も影響を及ぼせると思っており、関わりを求めてくる。そして、このリモートコントロールが有効にきかないことに加害者が気づくと、自分の怒りを第三者に間接的に伝えることで、コントロールの領域を広げようとする。しかしそれは、被害者へのモラルハラスメント的な虐待という枠を外れることであり、まわりの人の目にも見えるような行動が出始めることであり、そのためまわりの人の意識によっては、加害者の暴力が白日の下にさらされることにもなる。

うちの毒親の場合は、ここが少し違うかもしれない。人の目を異常に気にするので、人から「おかしい」「だめな親だ」と明らかに見えるようなこと、たとえば「ご飯を与えない」などは絶対にしない。痕跡の残らないモラハラと同じことは、「虐待」という意識がないので遠慮なくしてくる。

この脱出後の攻撃を知っておき、うつや怒り、PTSDから回復することが、この後の仕事になってくる。

(引用部分はすべて「NPO法人 こころのサポートセンター・ウィズ」より適宜抜粋)

モラルハラスメントを考えてみる

以前「モラルハラスメント」で書いたけれど、モラハラと毒親には違いがある。でもこのときはまだ「毒親」という言葉を知らなかったため、とにかくモラハラについて勉強してみようと思った。

以前書いた「見えにくい」という特徴を、もう少し詳しく見てみる。

1.証拠が残らず、暴力だと思わない

閉じられた空間の中で、言葉や態度など証拠が残らないものによって行われるため、被害者の身体には表面上、傷は残らず、外部の人に証拠を見せたいと思っても、わかってもらうのは非常に難しい。またひとつひとつの暴力は、後で他の人に言葉で説明をしたところで、暴力だと信じてもらえないことが多い。

だから、人にわかってもらうのは本当に難しい

2.外に対しての顔

加害者は外の人に向けてはいい顔をしていおり、「まさかあの人が」という人が加害者である可能性が大きいということは、よく言われる。

うちの毒親も、私が関わらないところでは普通の人だと思われているし、外からは完全に暴力が見えない。どこにでもよくある「親子のかわいらしいいざこざに」しか思われない。本当に怖い

3.カモフラージュ

対外的には仲のよいふりをし、仲間を装う。また、対外的に「自分がいかに傷ついたか」被害者の面をつけて出し、あくまでも自分は被害者であると主張する。その前に自分が何をしたか、何を言ったかは問題にならず、自分が被害者であると証明できるものは何でも、ときには事実を歪曲してまでもまわりに主張していく。「教育」や「しつけ」「指導」「愛情」だとされ、それらの美名のもとに暴力性は隠されてしまう。

うちの毒親も、自分の周りの人たちにはまるで普通の親子関係があるかのように振舞っているから、周りは実際どんな状態なのかを知ったら驚愕するはず。私が渡英したときも、叔母たちとイギリスに遊びに来る計画を話していたと従妹から聞いて、衝撃を受けた。いつ、遊びに行き来するような関係に私たちはなったのか。恐ろしくて、しばらくは「玄関を開けたら親がいる」という恐怖におびえていた。

「Kelokoと全然話せてなくて胸が痛いわ」というメールを人に送って同情を誘ったり、「今週施設にいる予定だったのに娘が来たから一泊させた」と、事実と真逆のことを言い出すのも当てはまる。「車を借りたのにありがとうのひとこともない」「泊めてやったのにありがとうのひとこともない」など、それだけ聞いたら正しいようなことを周りに言い回っているのも同様。

4.秘密の強要

加害者は被害者に対し、黙るよう圧力をかける。そのときも、はっきりとそう言葉にするわけではなく、被害者の罪悪感や恥の感覚を利用し、また、家族や会社のためであるとほのめかすことによって、被害者自らが喋らないことを選んでいるかのように思わせる。

私の味方をしようとする人たちに、「家庭のことに首を突っ込まないで」と一見正しそうなことを言って、遠ざける。私を孤立させれば自分のところにやって来る、などと本気で思ってるのだろうか。その狂った感覚が本当に恐ろしい。

加害者の暴力は何重にも覆い隠され、まわりの人に対してだけではなく、被害者に向けても使われる。そのため被害者自身でさえ、被害を受けているのかどうか自信がないという状態が長く続く。

これが、モラハラの本当に恐ろしいところだと思う。

毒親の場合は、この「見えない」という特徴がもっと深刻だと思う。被害者は生まれたときからこの環境にいるため、通常もはやそれが「おかしい」などと思うチャンスがないからだ。昔はきっと、祖父母や近所、親戚が近くにいて、みんなで子育てをしていたから、可視化ができていたり、救いがあったのではないかと思う。

でもそれがなくなった今、核家族のような本当に密閉されたところでこの虐待が行われる。子供にとって本当に恐ろしい環境だと思う。

「毒親」と「モラハラ」は完全に一致しないまでも、やはり似たような問題であることは確かだと思った。どういうところがおかしいのか、なぜおかしいのかが明確にわかり、読んでいてとても参考になった。

(引用部分はすべて「NPO法人 こころのサポートセンター・ウィズ」より適宜抜粋)