カウンセリング(英人)

自分たちで解決できるようになってきた

このころカウンセリングの中でも笑いが出るようになってきていた。カウンセリングの場だけではなく、自分たちの間でも話をして解決できることも多くなってきていた。進歩を実感するようになってきていた。

レンタカーでキャンプに行った帰り道。暗い中を高速で走っていて、だんだんと怖くなってきた。目もおかしいし、集中していられない。運転手が「怖い」などと言い出したらパニックになるかもしれないと思って最初は頑張っていたのだけれど、突如として恐怖感が増大し、ついに助けを求めるように「目がおかしい」「怖い」と口にした。

ところが、助手席の夫は「うん」。お前!!!

運転手が「怖い」と言っているのに、「うん」のひと言で放置できる夫が信じられなかった。

パニックになりながらギリギリの状態で運転し、言葉をつまらせながら文句を言うと、夫はだんだんと頭が回ってきたように「大丈夫?」「もうすぐサービスエリアがあるよ」と気をつかってきた。そのサービスエリアまで踏ん張り、やっとの思いで車を止めたところで、一気に力が抜けてハンドルに突っ伏した。落ち着いてから、なぜ「うん」で済ませたのか聞き出した。

話をまとめてみると、夫は、私が日本語でい言った「Kowai(怖い)」を「It’s scary(暗い中の運転は怖い=辺りの様子が怖い)」だと思ったらしい。だから「うん(そうだね)」と返したとのこと。

ところが私の言った「怖い」は、英語にすると「I’m scared(怖いわ=恐怖を感じている)」だ。

人といるとなぜ疲れてしまうのか」のところでも書いたように、日本語には主語を省略する習慣があり、なんのことを言っているのか明確でないことがある。この場合でも、主語が「It’s」か「I’m」かによって、「怖い」の訳が「Scary」か「Scared」かが決まってくる。

It’s scary.(それ怖いな)
I’m scared.(なんだか怖いわ)

このときは主語がなかったから、夫は前者のほうだと思ったらしい。というよりも、このとき初めて知ったことだけれど、夫は「Kowai」を「It’s scary」の用法でしか知らなかったようだ。日本人がよく言う「こわーい!」のほう、つまり「ものの様子が怖い、あり得ない」という意味でしか知らなかったのだ。

夫は、もし私が「I’m scared」と言ったらちゃんと心配をしたと言った。それはどうかわからないと思ったけれど、ここに行き違いがあったことは確実だった。

きちんと話をしなかったら、「夫は私の気持ちを無視する」と思い込んだままで、単なる言葉の行き違いだったということに気づかなかっただろう。カウンセリングの中でいくつも「思い込み」を発見し、それによって自分たちの中に「思い込みがある可能性」を学習していた。そのおかげで、怒りで相手を責めまくるのではなく、怒りを感じながらも念のため「相手がなぜそういう言動に出るのか確かめてみる」ようになってきたのだ。

また、二人で映画を見に行ったときのこと。木曜日だったし、夫が仕事で疲れていることはわかっていたので、ゆっくりはせずん、映画のあとにとりあえず一杯だけ飲むことにした。

一杯飲んだところで、「疲れたし、明日も仕事だから帰ろう」と言われた。これが頭にきた

なぜ頭にきたかはあとで書くけれど、それまでだったらムカついて口をきかなくなっていた。そして夫はそんな私に対して「なんでだよ」となっていただろう。すぐ喧嘩に発展していただろう。

でもこのときは「その言いかたが嫌だ」と伝えた。これも当時の私にとってはものすごい進歩だった。これが伝えられれば、解決策を探る話につながっていくからだ。

最初にも書いたけれど、私も夫の「帰りたい」という気持ちはわかっていたのだ。映画が終わり、帰る前に少しゆっくりしようとなっただけで、長居するつもりなどなかった。なのに、私が長居したがっているように思われていたことが、ムカついたのだ。「お前はわかってないけれど、俺は仕事をしてきて疲れてるんだよ」というように言われたことが、頭にきたのだ。

そう説明したら、ならばなんと言えばいいのだという話になった。

「I’m tired(疲れたよ)」「I have work tomorrow(明日も仕事だ)」などと夫に言われたら、私が仕事のある夫を気づかっていないように聞こえるし、夫が自分のことばかり考えているようにも聞こえる。嫌だ。

それならば、「Shall we go home soon?(そろそろ帰ろうか?)」など、主語を「We(私たち)」にして話したらどうかと。「I’m tired」や「I have work tomorrow」では、確かに主語がすべて「I(俺)」になっている。私が「自分のことばかりだ」と感じてしまってもしかたがない。「We」にすることで、それがなくなる。

今の私たちだったら普通にこれができているけれど、このときは本当に素晴らしい進歩だった。無意味な喧嘩に発展せず、自分たちで話し合って解決したのだ。

この話をカウンセリングで報告すると、さらなる解決方法を教えてもらえた。

1)私は、夫が疲れていて、今日はそんなに長居できないことを理解している。でもそれをまったく理解していないように夫から言われて、頭にくる。私はきちんとわかっているし、夫に対する思いやりもある。それなのに「お前はわかっていないだろう」と根拠のない批判をされるからだ。これは親からされてきたことと同じであり、そのトラウマがトリガーになって、特に頭にこなくてもいいところでムカついているという現象がある。

2)また、今日はそんなに長居できないことがわかっていても、夫から切り上げの言葉を言われると、頭にくる。自分の気持ちを無視して相手の都合と気分に合わせなければならない、相手が自分をコントロールしているように感じる、そういう場面が耐えられない。これも親からされてきたことと同じで、このトラウマがトリガーとなり、似たような場面に陥ると必要もないのに怒りがわく。

では、どうしたらいいか。

2)の解決策として、自分から状況をコントロールしにいくという手法がある。長居できないことが最初からわかっているならば、「今日はそんなに長居できないよね、じゃあ1時間くらいどこかで飲んでいこうか」と、最初から口にしてしまえばいい。そうすれば「もう時間だよ」と相手から言われたとしても、「自分から1時間と言った」という事実があるから、相手からコントロールされているとは感じにくい、と。

これを聞いたとき、カウンセラーというのは本当にすごいと思った。もちろん専門家なのだということはわかっているけれど、こんなこと自分では思いつきもしなかった。

1)の場合、先の長い話だけれど、解毒に取り組みこのトラウマがだんだんと解決されてくれば、同じような場面に出くわしても頭にこなくなる。それまでは今回二人で話し合ったように、夫が言いかたを工夫してもいい。夫はもちろん工夫しなくてはならないところもたくさんあるので、その一環としてやってもらうことにした。

夫の場合、そろそろ帰りたいと思っていてもなかなか言い出せないというところがある。そしてそのまま過ごし、もうだめだという最後の最後になってやっと言い出すから、このときのように不適切な言いかたをしてしまう。

これは「大騒動から見えてきたこと」で書いた通り、気持ちや問題を無視した見かけだけのハッピーファミリーで育ったことが原因だ。みんなが自分の気持ちやネガティブなことを出さず、その場をハッピーに取り繕うことをよしとしてきた結果、今でも自分の気持ちを出すことがなかなかできない。そうすることがはばかられているように感じていている。そしてようやく自分の気持ちを出したときには、こんな言いかたになってしまう。

まずは自分が気持ちを出さないでいる傾向にあるということを認識し、そのおかげでどんな弊害があるか、どういうメカニズムで問題が起こるか認識する。そしてそれを変えられるところから変えていく。並行して、トラウマの解消も行う。

あともう一つ、夫には人の話を奪ってしまう問題もあった。

たとえば、覚えているところではこんなことがあった。

私「この世界って、本当は三次元じゃなくて四次元だったって知ってる?」
夫「四次元ってなんだか知ってる?」」

私が話し始めたのに、夫は私がなにを言いたいのかよりも、「四次元」という単語から自分の言いたいことが出てきてしまって、勝手に自分の話を始めてしまう。まるで子供だ。

それまでの私はこういうとき、夫が話したいことを話させてやって、フラストレーションをコツコツとためこんでいた。でもそれにはまったく気づいていなかった。なんとなく不公平感を感じていたけれど、それがどこから来ているのかわかっていなかったのだ。今考えてみると、本当に衝撃だ。

でもこのころ、自分がフラストレーションを感じていることに気づき、それがどこから来ているのかわかるようになっていた。夫が話を奪うと「私が話し始めたのに!」と文句を言えるようになった。これも最初のころは、奪われてしばらくふんふんと話を聞いてしまってからだったけれど、だんだんすぐ気づくようになっていった。奪われてすぐに認識し、「今は私の話!」と言いたいことを話し続けられるようにまでなった。

夫のこの問題にもいろいろな原因があることがのちのちわかってくるのだけれど、とりあえずはこのころフラストレーションをためずにその場でストップをかけられるようになってきた。これもまた大きな進歩だった。

まだまだいろいろあったけれど、少なくともこのようにその場で自分たちで話し合って解決策を考えるようになったことは、ものすごく大きな変化だった。解決できずにカウンセリングにもっていくこともまだあったけれど、それでも双方が「話して解決しよう」と思うこと、これがすごく大事だった。カウンセリングで話して解決してきた経験をつめたことで、「また話してみればなにかわかるかもしれない」という考えが自然と出るようになったのだ。

少しが見えてきた。やっとだった。

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元上司との再会から

このころ「09 ふたたび会社生活へ」で働いていたときの上司と再会した。

任期満了で辞めてからも、会社の人と連絡をとろうかどうしようか迷っていた。何人かの元同僚にメールを書いては消し、を繰り返していた。それも忘れたころ、元上司から日本へ帰任するという連絡があり、ちょうどいい機会に恵まれたので会いに出かけた。

でも、どうなるだろうと思っていた。会ったほうがいいのか、会わないほうがいいのか。元上司とはいろいろあった。「人前で話す」業務についても。でもちょうど私がいた一年は本当にイレギュラーなことがたくさんあり、そこをずっと一緒にこなしてきた人だった。こんなに近くでコンビを組んで仕事をした人は、なかなかいなかった。

迷う気持ちもあったけれど、最終的にやっぱり会いたいと思った。

このころ、夫の出張についてバルセロナに数日遊びに行っていた。帰ってきてカウンセラーに「どうだった?」と聞かれて、すぐ回答が出なかったことを思い出した。

なぜすぐ答えられなかったのか。頭の中で「あれはよかった」「あれはだめだった」と一つ一つ思い起こし、全体100%のうち、どれくらいよくてどれくらいがよくなかったのかを割り出していたから、すぐに回答できなかったのだ。

これは「正確な情報を言わなくてはならない」と思っているからだ、とカウンセラーに言われた。単なる感想を聞かれて、別に正確なことを言う必要はない。「ああ、よかったよ、あれもやってこれもやって、でもあれはちょっと大変だったな」などと適当に話していけばいいわけで、単に会話の糸口になればいい。全部まとめてから正しいパーセンテージを出す必要はないのだ、と習ったところだった。

これと同じだった。あの会社ではいろいろあったし、仕事だからもちろん嫌な思いやぎこちないこともあった。でも元上司とは全体の印象として、大変なことを一緒にこなした人で、一緒に頑張ったなという思い出がある人なのだ。

だから「会いたい」という気持ちを無視する必要はない。すべてがいい思い出である必要はない。いいことも悪いことも含めて、「いい思い出」なのだ。正しいか正しくないかではなくて、会いたいか会いたくないかなのだ。

会ってみて、やはり会えてよかったと心から思った。元上司も迷っていたけれど、誰かとこれだけコンビを組んで一緒に仕事をすることなどめったになかったと、私に連絡をとってみようと思ったそうだ。気持ちはまったく同じだった。うれしかった。

最後はしんみりしてしまって、泣きそうになってしまった。よかったか悪かったかではなく、気持ちなのだと本当に実感した。

あれもこれもとたくさん事細かにお礼を言いたかったけれど、やめた。もちろんお世話になったことは数え切れない。でも元上司もきっと、私がいてよかったことがたくさんあるに違いない。実際に、元上司は元部下の私に対して「ありがとうございました」と言ってくれた。きっと迷惑かけたこともたくさんあっただろうけれど、私がいてよかったとも思ってくれているのだ。卑屈になる必要はないのだ。そんなことをしなくても、二人でよく頑張ったこと、それは永遠に変わらない。

私があの会社で働いていた時期は、個人的に本当に大変な時期だった。最初のカウンセリングが終わり、会社生活に戻ることを決め、それが(当時の私にとっては)典型的な「日本の会社」だったためにどんどん落ちていった。日本に行って「10 大災害に見舞われる」こととなり、「14 どんどん落ちていく」こととなった。最後のころは会社も休んだし、そんな私を部下に持って迷惑をかけたことと思う。本当にありがとうございましたとお礼を言って、お見送りした。

そのあとにカウンセリングが入っていたので、この話をした。会う前にはものすごく緊張して逃げ出しそうになっていたのだけれど、そこをカウンセラーから指摘された。そういえば、元上司と会う前も会ったあとも、必要以上に緊張していた。どうしてなのだろう。待っているときも、なぜ私はこんなにそわそわして心臓が口から出そうなほど緊張しているのだろうと考えていたのだ。

カウンセラーに、「毒親炸裂の報」の話をした。以前だったら気が狂うほど怒ったり泣いたりしてひどく傷ついていただろうが、今回はもうほとんどそんなことがなかった。どれだけ親が頭がおかしく、いかに人としてのコミニュケーションが不可能であるかがよくわかったのだ。日本語と古代エジプト語で話をしているようなものだった。いや、まっとうな古代エジプト人のほうがまだ意思の疎通がはかれるだろう。

カウンセラーいわく、それは相手の「Outcome(アウトカム:出力結果、反応)」を期待せずに自分がしたいことだけをしているから、相手の言動にさほど傷つくことがなかったのだろうとのことだった。

通常、自分の親を相手にOutcomeを期待せずに接することは難しい。特に小さい子供など、親に頼らなければ生きていけないものなのに、親からのOutcomeを期待せずにいることはできないからだ。自分で生きていくことができない「子供」という存在は、親にやってもらわなければいけないこと、わかってもらわなければいけないことばかりだ。

だがたとえば、通りすがりの人に「いま何時ですか?」と聞いたとする。相手が「2時ですよ」と答えてくれても、「時計ないわ」と言われても、「知らねえよ」とぶっきらぼうに返されたとしても、嫌な思いはしても傷つくことはない。これはOutcomeを期待していないからだ。でもこれが自分の親となると、「わかってほしい」「優しくしてほしい」という期待が誰しもあって、特定のOutcomeを期待せずにはいられない。だからほしいOutcomeが得られないと、傷ついてしまう。

ということは、親であろうと「その辺の通行人」と思って相手にすれば、傷つくことはないということなのだ。たとえば親に誕生日プレゼントを送るにしても、自分が送りたいから送るだけで、親が喜ぼうと、お礼の連絡をしてこようと、まるで無視であろうと、どうでもいい、そういう状態で送ればどんなOutcomeがきても大丈夫でいられる、と。

ただこのときの私の状態では、親と連絡をとるような状況になった場合、「もう大丈夫かもしれない」という期待がどこかにあって、実際連絡をとってみると親がまるで変わっておらず、傷つく。それでまたしばらくして「大丈夫かもしれない」と連絡をとり、傷つき、また間を開ける。この繰り返しになるかもしれないと、カウンセラーには言われた。

本当に、実際のところ実家を出てからというものこの繰り返しだった。だから私が傷つかずにいるためには、私の中でOutcomeを気にしないでいられる「通行人」に親がなるまでは、会わないほうがいいだろうと言われた。

Outcomeを期待しないということは、相手がどう思おうと関係ないということでもある。このころの私は自分がなく、他のものに依存してしまっていたので、相手が自分のことをどう思うかで自分の評価が決まっていた。だから様々な人間関係の中で常に不安を抱え、緊張し、傷ついていたのだ。

これが、元上司に会うときにそんなにも緊張してしまっていた原因だった。

会ってみてどうなるかわからない、Outcomeがわからない、相手がどう思うかわからない、自分がどうしたらいいかがわからない。会ってみて相手が私のことをどう思ったかわからない、同じ思いだと思ったけれど違うのかもしれない。わからない不確定要素だらけ。だから緊張していたのだ。

相手がどう思おうと、自分がしっかりあって、自分のしたいことをし、「会えてよかった」「楽しかった」と自分が抱いた気持ちに自信を持って満足できていれば、不安にもならないし緊張もしない。「相手が求める通りに動こう」「気に入られなければならない」と思っていれば、常に不安で緊張してしまう。これはのちのち「External Evaluation(他者評価)」の仕組みで習うことになる。

自分がきちんとあれば、相手がどうであれ、仕事がどうであれ、家族や友人がどうであれ、「自分」という根っこのもとに適切な対応ができる。「自分がないということ」のbの花びらの図のように。これが目標だった。

完璧を求め続ける原因

満足できない」でも書いた通り、私は過剰な完璧主義を抱えていた。

この世に完璧など起こるわけがないので、完璧を求めていても絶対に手には入らない。でもいつも完璧を求めているから、一度も安心することがなく、常になにかに追われて不安な状態で生きていた。「不安症の個人セッション準備」でも書いた通り、歯軋りもここから来ていることはわかっていた。

では、なぜこんなことが起こるのか。考えられることは、二つあった。

1)不安感

私の中に巣食う不安感の出どころはもちろんいろいろとあったが、一番の根源だと思われるのが、親に対する不信感だった。親が信頼できない人間だったために、自分が常にアンテナを張って周りで起きるすべてのことを把握し対処していかないと生きていけない、そういう刷り込みができていた。

大人なら、もちろんそれができる。でも小さい子供のころにこれをやらされると、「世界は安心できる場所ではなく、なにかあったら自分は死んでしまうのだ」という、恒常的な恐怖をもたらすのだそうだ。

それはそうだ。だから私は、少しの物音でびくっとなるし、なにか少しでもミスがあったらいけない、生きていけなくなるのかもしれないと、びくびくして生きているのだった。英語ではこれを「Jumpy」と言う。「少しのことですぐ飛び上がる、神経過敏な人」という意味だ。何十年と生きてきて、これが普通ではないのだと初めて知ったのだ。

大きな原因として、思い当たる節があった。

妹が生まれ、歩行器で歩き回っていた時期だから、私が3〜4歳のころだろうか。四人家族で、アパートの二階に住んでいた。階段を上ると、二階の住人の玄関が並んでおり、それぞれの玄関の前に洗濯物が干せるようになっていた。

母親はそこで洗濯物を干しており、私は歩行器に乗った妹と遊んでいた。すると、妹が階段に向かって進み始めた。このまま行けば、階段から転げ落ちてしまう。全力で止めたのだけれど、私は小柄で、妹はとても体格がよかった。必死に踏ん張っても、じりじりと階段が近づいてくる。

「妹ちゃんが落ちちゃう!!助けて!!」と母親に訴えた。なのに、母親は「大丈夫よ」と、こちらを見もせずに洗濯物を干し続ける。私は何度も何度も繰り返し助けを求めた。それでも母親は「大丈夫」と。もう力が続かない。「本当に離しても大丈夫なの?!」と聞くと、「大丈夫って言ってるでしょ!」と怒られた。

信じられなかったけれど、が大丈夫と言っている。私は手を離した。

ダダダダダっと、妹は階段を転げ落ちていった。母親は、悲鳴を上げて階段を駆け下りて行った。

信じられなかった。

親は、大人だ。私が知っているより多くのことを知っている。だから子供の私は「だめだろう」と思ったけれど、大人が大丈夫だと言うのだから、しかもあんなに怒って言うのだから、きっと大丈夫なのだと思ったのだ。

なのに、妹は階段を転げ落ちた。ショックでしばらく口を利くことができなかった。

頭から血を流している妹を泣きながら抱き上げる母親に、「なんで大丈夫って言ったの?」と聞いた。すると母親は、「大丈夫だと思ったの」「そんなことをするはずがないと思ったの」と。

なぜ「大丈夫と思った」のか。赤ちゃんなのだから階段もなにもわからず行ってしまうのは当たり前。「そんなことをするはずがない」なんてどうして思えるのか。私にだってわかる。あんなに必死で助けを求めたのに。あんな状況だったのに。見もしなかった。なのにあんな怒った調子で「大丈夫!」なんて。なぜそんなことが言えたのか。まったくわからなかった。なぜ。なぜ。やっぱり私の思ったことが正しかった。なぜこの人は私の言っていることを聞かなかったのか。階段から落ちたら大変なのに。そんなことは私でもわかるのに。

表しようのない黒ずんだ世界の終わりのような恐怖や疑問がぐるぐると渦を巻いて、その中に完全に溺れてしまった。目の前の母親が、まったく知らない人のように感じた。

頑丈だった妹は、奇跡的にもおでこに傷を残しただけで済んだ。歩行器ごと落ちたのに、どこも折らず、障害も残らなかった。体重の軽い赤ちゃんだから、大きな大人が落ちるよりは軽く済んだのかもしれない。それでも本当に奇跡だった。

ここで私は、「親の言うことは信じてはいけない」「親に頼ってはいけない」と学習してしまったのだ。なぜなら、もし親を信じて頼ったら、今度は妹ではなく自分が階段から転げ落ちるかもしれないのだ。死ぬかもしれないのだ。自分の身は自分で守らなければならなかった。

カウンセラーいわく、小さな子供にとって親を信じ頼ることができない状況というのは、大人になるにつれ身につけていかなければならない安心感を根こそぎ奪われ、危機的な不安感を根深く植えつけられてしまうとのことだった。心身ともにこんなに小さいのに、頼れる人は誰もいない。自分が神経を張り巡らせていないと、死んでしまうかもしれない。自分の命は自分にかかっている。それがどれだけの恐怖であるか。サバンナで生まれたばかりの動物が親をなくしたのと同じ状態だ。

普通は親から安心感を得て、「心の安全基地」を自分の中に確立し、外に出ても安心感を持って生きていけるようになる。私はそれができなかったのだ。だから、本来ならもう大人で自分で生きていけるようになっているべきなのにもかかわらず、安心感を持てずに、潜在的な不安の中で日々を過ごしていた。安心感を、人や仕事、結婚してからは夫の中に見い出していて、だから仕事がないと不安でいられず、また夫から存在を無視されたと感じると生きていられなかったのだ。

きっと他にも、親を信頼できないことは山ほどあっただろう。こうして潜在的な不安の中で人生を歩んでいくことになったのだ。

2)不完全

カウンセラーはまた、潜在的に「自分は不完全だ」と思っていると、いつも完全を求めてしまうことになるとも言っていた。

これは「女性性と男性性」のところでも書いたけれど、私は小さいころから様々な大人に性的被害を受けてきた。その辺で出会った人から、医療従事者まで。本当にどうしようもない人たちばかりだった。一番ひどかったものは、事件にもなった。警察にも行ったし、家に新聞記者が二回も来て記事にもなった。

でも親はいつも、まったく気づいていなかった。小さな子供が夜遅く帰ってきたり、応答がうやむやで明らかに私の様子がおかしいのに、なにもわからない人たちだった。目の前でそれが行われていても、親はなんの役にも立たない。ここでも、自分がどうにかしなければという気持ちで、自分から話をした。そしてやっと警察沙汰になったのだ。

記者が家に来たときのことは、今だにはっきりと覚えている。部屋の真ん中に一人で座らされて、立ったままの記者の質問に答えさせられた。親は離れてこちらを見ていた。翌日病院に行ったとき、医者はカウンセリングのようなものを勧めたのだけれど、親は「早く忘れることが一番」と、なるべくこの事件に触れないことで解決しようとした。

そしてその通り解決できたと思っている。なぜなら、十代、二十代と成長する中で何度かふいにその話になったとき、私が覚えていないフリをしたら、まるきりそれを信じたからだ。恐ろしいほどに頭が悪かった。小さい子供がこんな馬鹿を頼って生きていけるはずがない。

当時の世の中と、学のない母親からすれば、カウンセリングの重要性も知識もまったくなかったのはしかたがない。ただ、子供のほうに「早く忘れなければいけない」「わからないフリをしていなければならない」と気を使わせておいて、それにすら気づけない大人が恐ろしかった。この人たちはいったい。本当に自分より人生経験のある人間なのだろうか。怖い思いをした子供に、記者にインタビューさせる無神経さも。それを遠くから見ているだけという愛情のなさも。

カウンセラーいわく、こういう被害にたびたびあうと、子供は「自分に非があるのかもしれない」と思うようになると。「女性性と男性性」のところで書いたように、「自分が女だからこういう目に遭うのだ」と思い込んでしまっていた。

だから「女」である自分が「不完全だ」と思い込んでいた。このままでいてはいけない、完全にならなければ、そういう思いがあったのだ。

このときまだ頭で理解しているだけでしっくりはきていなかったけれど、「このままではだめだ」という焦燥感というか、強迫観念のようなものはすごく理解できた。またこの不完全さというのは、自分に愛情をかけられない問題にもつながってくる。

ということで、常々カウンセラーが「親に怒られると思って」私がなんでも完璧にしているのだろうと言うたびに、私は「それはなにか違う」と感じていた。多くの人は心の中に「親の幻想」を住まわせてしまうことによって、親元から離れても常に自分にだめ出しを続け、それが生きづらい原因になっている。

私の場合はそれもあったかもしれないけれど、親に対してはむしろ「親の嫌がることをしたい」という方向にあった。だから私の完璧主義は親とは直接関係のないところ、つまり「自分の生死がかかっている」からすべてを完璧に整えておきたいということだったのだ。

私はごくごく小さいころから「親が言うこと」と「自分が感じること」には大きな乖離があると思っていた。「親がおかしいと気づいたとき」にも書いたトイレの話など、まさにそうだ。だから「親が事実を認識しておらず信用できない」から自分がすべてを把握していなければならないと動いていたのであって、「親に怒られること」が怖かったのではなかった。また「自分が不完全だから」、完璧を求めていたのであった。