カウンセリング(英人)

思い込みを外す

引き寄せの法則」というのを聞いたことがあるだろうか。

それがベースになっているもので、なにかを探しているときにその条件を100個書くというワークをやった。たとえば、家。どんな家がいいか、それを100個書く。場所はどこで、どういう構造で、どういう環境か。そういうのを100個書く。これがけっこう大変だったりする。

これをやってロンドンでいい滞在先を見つけたという友人の話を聞いて、私も仕事についてやってみることにした。その友人は職場からすごく近いところに住み、このイギリスで毎日湯船につかれる生活をしていた。イギリスでは、若い人はルームシェアが多いのだけれど、お風呂を使えるところも少なく、お湯もそれほど便利に出ないし水道料金もかかるため、毎日湯船につかれるのはすごい。

なぜこれが効くのかわからなかったけれど、実際にやってみてわかった。これをやると、自分が自分でかけている制限を取り払うことができるのだ。

給料や職務内容、職場環境に勤務先。100個も書くとなると、最後のほうは「これはないだろう」というものでも書くようになる。ロンドンでもない地元でも「自分(日本人)を必要としている会社」だったり、「インターナショナルで自分が外国人であることを意識しないで済む会社」だったり。「これはないだろう」がどんどん外れていく

そしてネタがなくなってくると、感覚的なことも書いていくようになる。ようは、ざっくりしたことを書くようになる。たとえば「楽しい職場」とか、「毎日充実する」だったり「自分がポジティブでいられる」だったり。たぶん、ここが一番重要なのだと思う。

たとえば「経理系」と書いていたら、今の仕事に注目しなかったかもしれない。でも私が経理系にこだわっていた理由は、専門があれば将来仕事に困らないだろうと思ったからだ。将来仕事に困らず生きていけるのであれば、なんでもいい。なので「将来安心して生活できる仕事」とざっくりなことを書いた。

このワークをやることで、自分がなにを求めているのかが具体的になってくる。自分がなにを求めているのかを整理して明確化する、するとそれがやってきたときにつかみやすくなる。それがこのワークの目的なのだろうと思った。

そして本当に、書いたリストのほとんどが当てはまる仕事がやってきた。びっくりした。

どうせ地元の英国企業だしと思って連絡をとったのだけれど、リクルーターと電話で話をしてみてまず「おや?」と思った。私の英語に、違和感を感じていない。「外国人だ」と思っている様子がない。慣れている

面接に行ってみて、またわかった。面接官だった会社のDirectorも、外国人だった。もちろん英語はネイティブのようにペラペラではあるけれど、なまりがある。イギリス育ちの人ではない。名前も、英語名ではなかった。その後に、チームの人と電話で少し話をした。その人はイギリス人だったけれど、英語の先生か舞台俳優のようにめちゃくちゃはっきりゆっくりしゃべる人だった。こちらの外国人的な英語にも慣れていた。

そして、勤務開始。それでよくわかった。とにかく外国人だらけだった。

こんなところでもこんなにインターナショナルな会社があるものなのか、と思った。思い込みは外してみるものだ。

外国人でも英語で育っている人も多く、みんなネイティブの人と普通にコミュニケーションができる。でもイギリス人だけでなくそういう外国人がたくさんいるところと、まったくいないところでは、全然世界が違う。様々な人種がいて、様々ななまりを話す人たちで、オフィスはあふれ返っていた。とても居心地がいい。

そもそも一つのプロジェクトを世界中で行ったりしているようなグローバルな会社なので、まずロケーションが関係ない。どこにいれば外国人になると言えない。「外国人」という発想を、そもそも持ちようがない。今までの「欧州VS日本」というやり取りどころではなかった。「自分VSいろんなところにいるみんな」という感覚。まったく新しかった。思い込みが外れたどころか、その上を行かれた。すごい。

今までは、

「いい会社が私を採ってくれるわけない」
「いい会社であったとしてもどこの会社にも必ず嫌な人はいる」
「必ずがっかりすることがある」
「二度あることは三度ある」

etc、etc。そう思い込んで、ときに自分に言い聞かせて、生きてきた。でもカウンセリングをやって、なんとなくそれが外れてきた。

予期すらしていなかった大災害」を振りかけてくるような親の元に育ったので、うまくいっているとしても「なにか予期せぬ悪いことが起こるかもしれない」「なにかを忘れていてとんでもないことになるのかもしれない」という恐怖がお腹の底にいつもあった。がっかりしたりびっくりしたりしないように、いつも最悪の結果をこれでもかと考えつけるだけ考えながら生きていた。

カウンセリングで、それを指摘された。最悪の結果を予想するなら、最高の結果も予想しておかないと。そうでなければバランスがとれない。世の中すべて陰と陽。マイナスがあればプラスがある。そう生きることができてきたところで、100個書くワークをやった。そして実際に、自分の思い込みからまったく外れた職場にやってきた。

最初はそれでも、「やっぱりいいことばかりではないだろう」「なにかはあるだろう」と思っていた。でも嫌なことがまったく出てこない。「ついにやってしまった!」と思ったときでさえ、周りはなんとも思っていない。というより、誰がなにをやっても咎められることがない。どう片づけるかを話し合うだけ。みんな人として尊重されて、自己責任で仕事をしている。

こういう職場がよかった。でも「どうせそんな会社あるわけがない」と思っていた。「あったとしても私にやってくるわけがない」と思っていた。でもあった。書いたら出てきた。そして採用してもらえた。書くことによって、思い込みが外れたのだ。なにごとにも「絶対」はない。それを思い知らせてもらった。

「でもこれからなにかあるかもしれない」とはもう思わない。あってもなくてもいい。あったらそのときに対応できればいい。それがあることそのものを、今から心配している必要はない。「いいことがある」と思っておけばいい。自分には予想もつかないけれど、いいことが。予想のつかない悪いことが起こることもあるけれど、それなら予想のつかないいいことが起こることもある。

二年間様々なオフィスに面接で行った経験から、こんなオフィスでこんな環境がいいということもたくさん書いた。そしてそれもほとんど当てはまっていた。地下のオフィスとか嫌だな、窓が大きくて明るいオフィスがいいな、この会社のこういうところすごくいいな、こんな感じの上司がいいな。そんな希望ばかりを集めた会社があるわけないと思わずに、とにかく書いた。

いろいろなものを見て、自分がなにを欲しているか考えてみる。そしてそれが実際に見つかった。この経験から、きっと他のことでもまた希望のものが見つかるだろうと思えてくる。最悪な結果ばかりでなく、最高の結果もあるのだと信じることができてくる。バランスのいい見かたができてくる。とても重要な経験だった。

広告

進歩を実感

オステオパシーの施術を受けたとき、一つ素晴らしい進歩に気づいた。

このセッションの目的は、「歯ぎしりの治療」と「リラックス」だった。ところが施術前の問診票には、具合が悪い身体の部分にもチェックを入れるようになっていたので、腰や首、背中などにもチェックを入れた。

すると、それを見た先生が「それでは足から始めて、腰をやりますね」と言ったのだ。

今回の目的は、歯ぎしりとリラックスだ。腰痛ではない。

そう思った瞬間、「腰ではなくて、リラックスを焦点に置きたいんです」と私はとっさに言った。

そう、とっさに言えたのだ。

たぶん以前だったら、ここで「腰を中心にやります」と言われても、そのままお願いしていただろう。「専門家が言うのだからそれでいいのだ」と自分に言い聞かせたり、「腰ではなくてリラックスをしにきたのに」と思っても言い出せなかったりした。それでもやもやしながら施術を受けて、最終的に偶然にも自分の満足いく結果が出ればいいのだけれど、そうでなかったときは「言えばよかった」と後悔しまくり、落ち込むのが常だった。

カウンセラーにこの話をすると、以前はそもそも「自分はリラックスをやりたいのだ」というところにも気づかなかったのではと。「腰をやりますね」と言われて、なんだかわからない不安感を抱えて始まり、結果がよければよくて、悪かったときは落ち込むと、そういうことだったのではないかと言われた。

たしかにそうだ。ここには、

①「自分はこれをしたいのだ」とわかること
②相手にそれを伝えることができること

二段階がある。以前は①ができていなかったので、②もできなかったのだろう。たぶん、最初から①ができていれば、②もできていた可能性がある。だからまず問題なのは①、以前は「自分がなにを求めているか」がわからなかったのだ。

①ができていなかった原因はもちろん、親にそうされてきたからだ。親(人、相手)がしたいことを優先させてきたために、自分がなにをしたいのか、なにを求めているのかがまったくわからなくなっていた。「人といるとなぜ疲れてしまうのか」でも書いた通り、人と自分のどちらの主語で話しているのかわからなくなっていた状態だ。

人間だれしも最初は、ちゃんと「こうしたい」というのがある。でもそれを無視され続ける環境にいると、いずれ自らそれをすることをやめ、ついにはそれがあったことすら忘れる。さらにそれが進むと、自ら自分の気持ちを無視されることを期待して行動するようになる。そういう環境を自ら求めていくようになるらしい。

これが、ついこのころまでの私だった。

自分では気づけていなかったけれど、だれでも「自分の気持ち」はどこかにきちんと存在している。でもその存在に気づかないようになってしまっていたから、「相手の気持ち」の存在しか認識できず、それに沿う行動をとる。結果的に、「自分の気持ち」を無視していることになる。「わけもわからず傷つく毎日」で書いた通りだ。

「相手の気持ち」と「自分の気持ち」がたまたま合致しているときは問題ないのだけれど、そうではない場合、「なんだかわからないけれどもやもやする」というような状態になる。自覚なく「自分で自分を無視している」状態になっており、「よくわからないのだけれど落ち込む」ことになる。これが悪化すると、身体に出る。いわゆる「ストレスがたまって身体に出る」というやつだ。

たぶん、これがいわゆる「うつ」なのではないだろうか。「自分の気持ち」と「頭」と「言動」が一致していない不調和状態で出る、ガンのようなもの。

また、①ができていても、②をしない場合もある。

カウンセラーいわく、②の「自分の気持ちを相手に伝える」ができない場合というのは、「自分の気持ちは重要ではない」「自分はその場にEntitleされていない(エントリーされていない=権利がない)」と思い込んでいる場合に起きると。

父方の祖父母のところへ」行ったときの免許証事件のように、それまでずっと私の気持ちは親から無視されてきており、場をコントロールする権限が一切なかった。人権がなく、人として尊重されていなかったのだ。だから私は、嫌でも免許を親に貸さなければならなかった。私の免許証なのに、だ。

でも、もうそうではない。今は、子供のころとは違う。大人になった今、親にすがらなくても自分で生きていけているわけで、彼らの理不尽な要求を突き返しても、命に別状はない

解毒には、これを心の底から体感する必要があった。そうでないと、似たような状況になると同じ結果を招いてしまう。

親でなくとも、親のように自分に対して権威がある相手=先生や上司などを相手にしたときに、自動的に「子供の自分」が出てきてしまい、昔と同じ心理状態に陥り、同じことになってしまう。自分はその場で発言する権限がないと感じ、自分の気持ちを無視し、(相手が本当にそれを求めているかどうかは関係なく)相手がこれを求めていると思い込んでいることをやってしまう。それにより気持ちと頭が分離し、身体に影響が出る。

この癖から脱出するためには、まずこの仕組みを理解する必要があった。

子供のころはどんな理不尽なことでも、親に従わなければ生き残れなかった。親に従い親から好かれることが、生き延びるためにもっとも重要なことだったからだ。そういう環境から身についた癖が、「サバイバルテクニック」と言われる。だがもう時代は変わり、自分は大人に成長し、そういう昔のテクニックは必要がなくなった。しかも、昔は自分を生き延びさせたそのテクニックも、今では逆に自分の人生を生きにくくしてしまっている。

ここに気づくことが、スタートになる。

夫との間に起こっていたことは、まさにこれだったのだ。「自分はEntitleされていない」と思い込んでいるから、自分の気持ちを言えない。夫が自ら気づいてくれないと、怒りになる。自分の気持ちを汲んでくれないことを「無視されている」と感じて、自分を消したくなってしまう。というよりもまず、そもそも自分の気持ちがわかっていなかった。だから伝えることもできなかったのだ。

たぶんこれが、日本のように「お互いの都合を常に推測し合う」ことが前提とされている社会であれば、まあまあうまく回って生きていくことができていたのだろうと思う。でもそうではない社会に来れば、もちろん生きてはいけない。

というよりもたぶん、日本でももううまく回ってなどいないのだと思う。高度成長期のときのように、みんながうまくいっていてみんなが同じ生活をして同じ人生を目指し「こういうものだ」で生きていたときは、相手の意図をまだ把握しやすかったのだろうと思う。違っていたとしても「これが正解」と押しつけることもできただろう。みんながそう生きるものだという前提があったからだ。

だが経済も落ち込み、人々の生活も多様化してきた今では、自分と違う人間のことなどわかるわけもないし、「こういうもの」と押しつけられることも受け入れられない。「人と自分は違う」という前提で、お互いに口に出して伝える必要がある社会にどんどんなっている。というか、これからはそうしていかないと回らなくなっていくだろう。

カウンセリングでこの話をしたとき、夫も「そうそうそう!!」と激しくうなづいていだ。

たとえば、レストランに入る。私は、なにが食べたいのかわからない。でも、なにかいいものが食べたい。どれを頼むか、ものすごく迷う。いろいろ頭で考えて、「お店はこれが有名だ」とか、「ここに来たらこれを食べなければ」とかで、とりあえず絞って決める。出てきたものがたまたまそのときの私の気持ちに合っていれば大丈夫なのだけれど、そうでなかった場合はものすごくがっかりする。

同様に、なんらかのサービスを頼んでも、「自分はこうしたい」ということがわかっていないので、とりあえず基本的なものを頼んで、不安を抱えたまま最後まで待つ。でもやってきたものがまったく違ったりして、がっかりする。

この「最後まで待つ」というところが、ポイントだった。「出てきたものを見てみないと、それが自分が求めていたものかどうかわからない」から、最後まで待たなければならないのだ。自分がなを欲しているかが、わかっていないからだ。

だからこのとき先生にこう伝えられたのは、すごい進歩だった。「今日はリラックスをやりにきたのだ」「腰の治療なら鍼灸でやってもらえるから、オステオパシーではリラックスをやるのだ」ということがきちんとわかっていたのは、ものすごい快挙だった。症状をまとめて準備をしたのは、本当によかったと思った。

自分でもこのとき「ちょっと成長した」と思ったけれど、カウンセラーと話をしてみて、それがどれだけ快挙だったかがよくわかった。①自分の気持ちがわかっていて、 ②それをきちんと相手に伝えられた。心配を抱えたまま最後まで待ち続けて結果にがっかりするのではなく、最初から自分の心配を口にして、不安を解消することができた。これがまさに、「自分が状況をコントロールする」ということだった。

少しずつだけれど、確実に進んでいる。

「いつ終わるのだろう」
「本当に落ち着いた人生を生きられるようになるのだろうか」
「そんな日は本当にくるのだろうか」

と、どこまでも落ちっぱなしになることばかりだった。でもこうして進んでることが目に見えてくると、きっと落ちることも少なくなっていくのかもしれない。もしかしたら、本当に歯ぎしりも治って普通に生きられるような日がくるのかもしれない。

なんだか泣けてきた。希望が出てきたのだ。

風船イメージ法

携帯の話のように、確保したにもかかわらず、ずっと頭から離れなくて不安でたまらないときの対処法。

①ヘリウムの入った風船をイメージして、そこにイメージで「携帯」と書くか、携帯の見た目を風船に描く。

②それを手放すところをイメージする。

これだけ。これだけ?と思うけれど、カウンセラーいわく、これがけっこう効くとのこと。なにか手放さなければいけない思念にはまってしまっているときに、今でも使ったりしている。

アダルト・チルドレン癒やしのワークブック」の中に出てきた「新しい過去を作るワーク」でもやったけれど、人のイメージの力というのは強い。人のメンタルというものは、意外にも単純なものだったりする。

他にも不安症のワークショップで習った「不安になってしまったら」のまとめや、カウンセラーから教わった「転換点を作るV音」もある。

一番簡単なのは「不安症対策の呼吸法」。深呼吸のやりかたなのだけれど、これでやるとゆっくり呼吸ができて深くなる。「心が開いた」でも書いたけれど、焦っているときというのは呼吸が浅くなっているので、呼吸を深くするだけでも全然違う。

カウンセラーに言われたことだけれど、落ち込んでいるときにはヨガなど体を動かすのがいい。でも体も動かせないほど落ち込むこともある。私も、ベッドの上で空を見上げていることしかできないこともあった。うつで何年も寝込んでいる人もいるだろう。そういうときでも、呼吸ならまだできる。「ヨガ開始」のころに習った「Bee Breath」など、ヨガにも様々な呼吸法があって、これもヨガの一つ。寝床でヨガもできるのだ。

のちのちヨガの「Ujjayi Breath(ウジャイ・ブレス)」というのを習って、今ではこれを一番よく使うようになった。自分に合ったものを用意しておいて、はまってしまったときに使う。最初のころはなかなか思いつかないのだけれど、やっているうちに「こういうときはこれ!」とすぐ思い出せるようになってくる。最初は壁に貼っておいてもいいかもしれない。そうやって対策を用意しておくことも、焦っても大丈夫なのだと安心につながっていった。