カウンセリング(日本人)

今を見つめる

カウンセリングを通して、なんとなくいろいろなことがわかりかけてきたものの、では今自分はなにをしたらいいのかがわからなかった。

空っぽな人生」のところで書いた通り、「なにをしたいか」と聞かれても答えることができず、でも現状はつらくて、どうにか抜け出したかった。でも、目標を持つということは、今ここにない「なにか」をほしがっているということで、現状に満足していないということだから、よくないということは勉強した。

でも、「目的を持って生きること」と「ほしいと思うこと」は違うのではないだろうか。新しい目的を持つことで、私は復活できるのではないだろうか?と思った。

するとカウンセラーは、 

「目的」「目標」って、「」のことしか考えてませんね。「」を見つめましょう。
人間には、「過去」も「未来」もない、自分が生きてる「今」しかない、

だから今を生きることが重要です。

と。

理解不可能だった。

「今」を「見つめる」…?しっかりと目標を持って行動することは、いいことではないのだろうか。確かに人間は「今」を生きているけど、過去もあったし未来もある。そりゃあ人間いつ死ぬかわからないから、未来がどれくらいあるかはわからないけど、過去はちゃんとあったはず?

このときはこんな感じだったので、詳しく解説してもらった。

①「今」について

実は、人間には「今」しかない。過去も未来も存在していない。というのも、自分が生きているのは「今」であって、「過去」にも「未来」にも存在することはできない。「未来にどうなりたいから今どうする」ではなく、「未来」は「今」の積み重ねだから、今を見つめて今を生きることが大事。

確かに、自分が存在するのは「今」しかない。「過去」は、「経験」として「今」の私の中に存在はしているけど、でも確かに私は「過去」には存在できない。「未来」が、「今」の積み重ねだということは、すぐ理解できる。でも、「今を見つめて今を生きる」とはどういうことなんだろうか。だって、将来を考えないと、今を生きられなくはないだろうか。将来どうしたいから、ではこの時期までにこれをやって、今はこれをやって、と考えられるわけで、そのは難しいのでは?

②それには「足元を見る」

童話「青い鳥」で、チルチルとミチルという兄弟が、幸せの青い鳥を探しに旅に出る。家を出て、暗い森を彷徨い、世界中を旅したけれど、青い鳥は見つからなかった。がっかりして家に帰ってくると、なんと自分たちの「家」に青い鳥はいたという。これが、「足元を見る」ということ。

だと言われたけれど、まったくわからなかった。言ってることはわかるけど、では具体的に自分はどうしたらいいのか。自分の家を見ればいいのか、自分のパソコンでも見ればいいのか。「遠くばかりを見てるけど、答えは自分の中にあります」と言われた。

③ネガティブな燃料からポジティブな燃料へ

今までは、「実家から逃げる」という「目標」を持ってそこに向かっていたが、これがまったく違う方法に変わるときなのかもしれない。「実家から逃げる」が達成されて、人生の最初の30年を終えて、そろそろ今を楽しんでもいい時期になってきているのではないか。今までは「逃げる」というネガティブな燃料だったけど、そういう生き方ではなくて、もっと「ポジティブな燃料」で生きるのが本来なのかもしれない。

確かに、毒親のもとに育つと、そこから抜け出すところにエネルギーを使い果たしてしまい、本来の人生のスタートが人より大幅に遅れてしまう。自分の人生をスタートしたと思っていても、「親のもとでできなかったこと」や「親が嫌がるからこれをやる」といったように、実はまだまだ毒親の影響下にあることに気づいてしまったりもする。

だからこの影響をなくして、「本来の本当の自分の人生を歩み始める」ということは大事だ。これはよくわかるけれど、では「ポジティブな燃料」とは?「目標」がだめだとしたら、なにがポジティブな燃料になるのだろう。

このときは本当に禅問答のような感じで、クエスチョンマークが飛び交い、カウンセラーが言っていることが未知の物語のようだった。今でも、②番はまだよくわからない。どういうことなのかというのはわかるけれど。今のカウンセラーにも、まったく似たようなインドの話をつい先日されたけど、やっぱり「これだ!」というものには出会えなかった。ここはまだまだ勉強が必要なところ。

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変わるということ

ただ、子供である経験をつけることも、自己肯定を身につけることも、やはりそうそうすぐできるようなものではない。

子供である経験が積めなかったために、まだまだ自分自身が子供だから、もう結婚して数年経つけど、今まで子供を持とうと思えたことがなかったのだ。どういう部分を埋めることが必要かはのちのち詳しくわかってくるけど、このときそう思ったことは当たっている。子供が子供を持つとどうなるかということは、自分自身で立証済みだ。自分の子供にそんなことはしたくない。

でも自分の親がどうであったかというと、そこを理解していなかったとはいえ、私と妹の二人の子供を持って、面倒をみて食事を与え学校へ出し、毎日お弁当を作り、生活費だってきちんと稼ぎ、私も妹も一度も放棄されることなく養ってもらった。今の私にはそれはできてないから、そこは立派だと認めざるを得ない。

と言ったところ、カウンセラーからの反撃が。

 「でも、あなただって、ご両親ができないことをやっていますよね。」

え…??

 「大学を出て、海外にまで来て仕事もして、結婚もしてちゃんと生活されてますよね。」

これを聞いて、しばらく固まってしまった。

そして、「そうか、私にもできていることがあるのか…」と思ったとたん、ぶわーっとが一気にあふれ出た。

私はきっと、誰かにこれを言ってほしかったのだと思う。「でも」と否定して、私も彼らが全然できないことをしているじゃないかと、やってきたじゃないかと。もちろんそんなことは言われなくてもわかっていたけれど、でも誰かにそう言ってほしかったのだ。こんなにもなんてことのない、誰から見ても明白なことを。

カウンセリングを受けることで、普通の人には気づくことのできないこういう必要なことを言ってもらえるのが、どれだけ助けになるか。「最初のカウンセリング(CBT)」のところでも書いた通り、共感を示されることで、心のつかえというのは取れていくのだ。人に認めてもらえたことで、自分も自分を認められるようになって、自分も人を認められるようになっていく。そういうことなんだと思う。

こうして、自分が変わっていく。自分が変わることで、その「投影」として、自分の周りが変わっていく。それがまた自分に反映されて、もっともっと自分が加速的に変わっていく。これが、変化の仕組みなんだと思う。

カウンセラーいわく、この「変化」は、日常のふとしたところでやってくるらしい。仕事してるときでも、テレビ見てるときでも、道を歩いているときでも。カウンセリングを受けて、そこで話したことや感じたことが、日常の中で予想もしなかったところでストンと落ちてきて、「ああそういうことか」と実感する。

もちろん、カウンセリングで話をした時点で、どういうものかということは理解している。その「頭」で理解したことを実行していって、「体」で実感することで、自分のものになっていくと。これが「腑に落ちる」ということ。「腑」というのは、「お腹」のこと。人間は、頭で理解したことがお腹に落ちることによって体感し、本当の理解となるのだ。

あとで学ぶことになるけれど、これはヨガの考えかたでもまったく同じ。人間は、頭だけで生きているわけではないのだ。これを理解することはとても難しい。でも、これがわかると本当に身の回りのたくさんのことが理解できるようになる。

そして、この体感が私にも突然やってきた。

数日後、ロンドンで普通にトラムに乗っていたときに、突如として感謝の気持ちがあふれてきた。びっくりした。涙も出てきた。もう1〜2年の間ずっと空っぽで落ちていたけれど、引っ越しという大きな変化を投げ込んでもらい、人の紹介でこのカウンセリングにもつながり、どうにかして私を浮上させようとしてくれている大きな力を感じて、感謝の気持ちが止まらなくなったのだ。驚愕だった。

この「大きな力」というのは、きっと欧米でいえばジーザスなどで、日本でいえば神様仏様ご先祖様だったり、中東だったらアッラーだったりするんだろう。でもそのどれもこれも、スピリチュアルカウンセリングで言われた「人生が手伝ってくれた」や、SAGBで言われた「ひいおばあさんがあなたをいつも見守って助けてくれている」も「Love yourself」も、哲学も心理学も、けっきょくみんな同じなんだと思う。

要は、「自分」だ。

対外的な「大きなもの」とすれば理解がしやすいから、名前をつけてそうしているだけで、要は自分がこの世界に存在していることを実感して、その力を信じること。最終的には、すべてここにたどり着くんだと思う。

このときはまだそこまでわかってはいなかったから、神様仏様ご先祖様に感謝し、天に感謝していた。トラムの中で。いったいなんなのだ。

でも、別にどこでもなんでもいいのだ。電車の中でも、買い物中でも、職場のトイレでもいい。イエス様でもいいし、観音様だっていいし、貧乏神だっていい。大きな力があって、それが自分をどうにかしようとしてくれていること、イコール、この世に自分の人生があって、自分が確かに生きていること、それが実感できればいいんだと思う。

親だけが生きてるわけじゃない。私だってちゃんと生きていた。

負の連鎖を断つには

「毒親」という負の連鎖を断つにはどうしたらいいかを、カウンセラーに聞いた。

①「自分も親と同じことをする可能性がある」ということを念頭に

「親との経験から、自分自身が同じことをしてしまう傾向がある」ということを意識しておいて、防ぐようにする。

たとえば、前述の「親と自分の境界線」のところで書いたように、同じく自分の子どもが授業参観で詩を暗唱した場合。もちろん自分の子供がそんなことができたら嬉しい気持ちはあるだろうけど、そこで自分が喜んでしまうのではなく、「どうしてそんなに覚えてしまうほどその詩を何度も読んだのか」「なんでそんなにその詩が好きなのか」など、相手に好奇心を持って接することだと。

自分にはできないことを子供がするということは、自分とその子は違う人間なんだということ。自分に興味がないことを子供がするということも、同じ。どうしてかと聞くことで、自分とは違う人間なんだと理解することにもなるし、理由を聞いてその違いを認識することになる。さらには、相手に対する理解も深まる。

②自分の中の「子供」の経験を埋めるには?

私が心配だったのは、①のように自分の子供にはうまく対応できたとしても、では私自身に欠けている「子供である経験」というのは埋めなくても大丈夫なのか、それで私自身が壊れたりしないのか、ということだった。

これはなんと、自分の子と遊ぶことで埋められるんだそうだ。「Childish(子供っぽい)」じゃなくて、「Childlike(子供らしい)」に遊ぶこと。要するに、童心に戻って、無心に無邪気に遊ぶことで、子育てを通じて子供である経験を持ち、自分自身のインナーチャイルドを成長させ、癒されたり満足を得られたりするんだそうだ。

これは、ちょっとびっくりした。そんな方法があったとは。もちろん母親としての役割はあるから、たとえば「遊ぶのは3時までね、その後はご飯」という感じで、といったように線を引く必要はある。でも「その3時までの2時間は思いっきり遊ぶ」といったようにすると。

なので、毒親育ちでインナーチャイルドが子供のままの人も、子供を持つことでその部分が自然に癒やされてく人もいるんだと思う。または、あとで愛着障害のところでわかることだけど、普通の人と結婚し一緒に生活することによって、癒やされていくこともある。

③自分を評価してもらいたい気持ちは究極自分でも埋められる

「私よくやった」「私頑張った」と自分の努力を受け入れ、自分にご褒美をあげたりして、自分を評価してあげること。「満足できない」のところで書いたような問題がある人の場合は、これが一番難しいんだろうけど、これも意識してやることによって少しずつできるようになっていけば、いろんな部分で進歩すると思う。