カウンセリング(オンライン)

ロックダウンでカウンセリング

コロナで自宅勤務になって二か月。空になったスーパーの棚を見て噴出した不安もなくなり、快適になってきた。

最初のころは、底知れぬ不安に飲み込まれそうになっていた。つい先週まで普通に買えていたものが、突如として手に入らなくなり、つい昨日まで普通だった毎日が、別世界に来たように変わってしまった。同じところに住んでいて、家も自分もなにも変わっていないのに、一度外に出ると、街はゴーストタウン、スーパーの棚はガラガラ。

仕事もあるし、給料がなくなるわけでもない。友達もいなくならないし、同僚も普通に働いている。なのに、確実になにかが変わっている。日常と、非日常の間を、メンタルが瞬間移動しつづけているような感覚。

あれから、二か月。小麦粉など、今だに手に入りにくいものはあるけれど、スーパーはほぼもとに戻った。時間を外せば、入店に並ぶこともない。もともと毎日飲みに出かけるようなタイプでもないし、友達とはロンドンまで出かける必要もなく、オンラインですぐ話ができるようになった。これを機会に、こっちの友達も日本の友達も、いろんな友達にオンラインで話しかけられて楽しい。ロックダウン前より、友人関係は充実しているような気もする。

出かけても人がお互い避けて通るので、非常に快適。いつもなら私ばかりが避けて歩いていたところ、向こうも積極的に避けてくれる。こちらの人に比べたら小柄なのもあるし、今までは「あまり人の目に入っていないのでは」と自虐的に感じることばかりだったけれど、こんな時期だからなのか、ちゃんと人が避けてくれる。本当に快適。

この間になにか取り組みたいと思い、カウンセリングを毎週にした。食料と日用品しか買わなくなってお金も余裕があるし、こんな時期だからこそメンタルの調子を整えることも大事。それに、メンタルが不安定になっているこういうときだからこそ、通常では出てこない奥にしまいこんである不安にもアクセスが可能になる。

カウンセリングでそう話したら、先生に「Kelokoさんらしいですね」と言われた。

こういう不安なとき、それを解消したくてカウンセリングを受けようと考えるのが普通の人。でも私の場合、今は不安を出し切るチャンス。我ながら、ドMの発想だ。

でも本当に、人間、なんにもないときにメンタルを探っても、なにか見つけるのはなかなか難しい。仕事でなにかあったり、人間関係でなにかあったりと、心が反応するイベントがあって、初めて取り組むことができる。だからこそ、通りすがりの他人ではなく、家族や配偶者、近い友人などの心が反応する距離にいる人達といることで、自分の中になにがあるかを見ていくことができる。

今回は、そのどれでもない。対人関係からではなく、一人でいても「不安」というものが出てくるイベント。こんなことはめったにない。今まで出てきたものとは違う、もっと別の引き出しも開けられるのでは。

先生の「Kelokoさんらしいですね」という言いかたにも、ひかれた。けして、「素晴らしい取り組みですね」ではない。「こういうときにこういう取り組みをすることが正しい」ということではないのだ。

これは単に、「」にとっての、正解。「私」が、やりたいこと。他の人には、他の取り組みがある。これが「私」の道というだけのこと、という印象を与えてくれる。さすが。こうやって、言葉の一つ一つで少しずつ、人が持っている思い込みを修正していってくれる。この積み重ねで、アンバランスな思い込みがアンインストールされていって、バランスの取れた考えが身についていく。

ロックダウンが始まったころ、カウンセリングで話しているときに何度も涙が出てきた。不安な話をしていたわけでも、つらい話をしていたわけでも、なんでもない。どちらかといえばいい話であり、素晴らしいと思う人の話だ。いつもとりとめのないことを聞いてもらっているが、自分が思ってもいないところで、涙が出てきて止まらなかった。こんなこともあるのだなと、びっくりした。

たぶんこれも、いつもとは違うこういう状況だからこそ、出てきたものでもあるのかもしれない。本当に、おもしろい。

最近ではそれも落ち着いてきて、涙が出ることもなく、ポジティブな話が続いている。それもちょっともったいない気もする。こういうときだからこそ、だばだばと涙を出しておきたい。今までやったことがないことをして、見たことがないものも見てみる。それをすることで、今までは出たことがなかった自分を出せる。知らない自分を発見して、また自分の枠が広がっていく。

自分を信頼するということ

落ち着いた日々」を送っていても、引っ越したばかりのころはまだまだ気持ちに波があり、以前お世話になったオンラインカウンセリングのCotreeの先生のセッションを毎週受けていた。

私がお世話になっている先生はアメリカ在住なので、ちょうどイギリスが閉まるころに開く。仕事が終わって帰宅しゆっくりセッションを受けることができるので、以前の英人カウンセラーのところのように日中仕事を休んで電車に乗って行く必要がない。「自分のために仕事を休む」「自分を優先する」という練習も必要だけれど、まだそれができない段階の人や、そこまで深刻ではないけれど話を聞いてもらう必要がある人にはちょうどいい。

夫に対する気持ちは、依存愛情の中で揺れに揺れていた。「親から見捨てられたくない」というインナーチャイルドと、「これが二人にとって適切な進路なのだ」という大人の自分からくる気持ち。

今ならあの「夫ともとに戻るのが一番いいのだ」「夫のすべてを受け入れるべきなのだ」「これが私の愛情なのだ」という気持ちは、私の中のインナーチャイルドが騒いでいただけなのだとはっきりとわかる。当時も、「これはインナーチャイルドなのだろう」「インナーチャイルドが親に見捨てられたくない気持ちを夫にかぶせているのだ」という認識はあったけれど、それでも暴走しそうになることばかりだった。

暴走せずに済んだのは、タイミングが一度も合わなかったからだ。特にお酒を飲んだりすると、「もう夫の家に押しかけて、泣いて謝ってすべて元通りにすればいいのだ」と突如として思うことがあった。これは愛情なのだと、やっぱりこれが正しいのだと。でも出る支度をしようとするとシェアハウスの大家さんがうろうろしていて、夜中に外に出ることがためらわれたり、あるいはそういうときに限って夫は用事で帰宅が遅かったりした。本当に、神様がいるのだと思うほど、あれもこれもタイミングがまったく合わなかった。

ネットでも、依存と愛情についていろいろ読んだ。チェックリストをやってみると、依存よりも愛情のほうが多かった。たしかに今までのカウンセリングと解毒をへて、そこまでひどい依存ではもうなくなっていたのだろう。そもそもこれがもし本当に依存だったら、「これは依存だろうか?」などと考えることも迷うこともないはずだ。

離婚をするべきか迷っている人のために書かれた記事も、いくつか読んだ。こういうときは離婚がいいかもしれないという項目の中に、なんと「タイミングが合わない」というものがあった。「やはり一緒にいよう」と思ってもタイミングが合わずに伝えられない、なにか言っても驚くような受け取りかたをされてしまい意思の疎通ができない、など。まさに私と夫の間で、過去ずっと起こっていたことだった。ここ数年はそれが激しくなり、私が家を出てからはもっぱらそんなことしか起こらなくなっていた。

すべてのことが、「やはりここは離れるのが一番なのだ、そういう時期になったのだ」と言っていた。でもそれがわかっていても、あの暴走しそうになるときにぐわーっと全身からわき上がってくる気持ちは、とてもではないけれど嘘などとは到底思えない。その気持ちを抱えながら「これが嘘なのか本当なのか」と考えを巡らせるも、そのときは判断もつかない。

いったい、自分の中のなにを信じたらいいのか。なにもかもがわからなくなり、世界がぐらぐら回っていた。

Cotreeの先生にも「これってDV夫と別れられない人と同じやつでしょうか」と何度も質問して、笑われた。もちろん先生は回答をくれない。友達も、誰にも正しいことはわからない。先生は回答を出すために私の気持ちを整理する手伝いはしてくれるけれど、回答はくれない。自分で出すしかないのだ。

わかってはいるけれど、本当にきつかった。もう誰か偉い人や神様に「これが正解だ!」と言ってほしかった。なんでもいいから、ズバッと回答をくれる人がほしかった。

そんなアップダウンの続く生活の中で、またCotreeの先生のセッションを受けた。冒頭に先生から「お花ですか?」と聞かれた。私の画面のバックに、スーパーで買ったチューリップが写っていたのだ。

引っ越してから、初めて買ったお花だった。昔は、花など一度も買ったことがなかった。食べられもしないし、水を変えたりなども面倒で、「こんなものにお金を使うなんてもったいない」と思っていた。それがカウンセリングを受けるようになって、「カウンセリングという目に見えないものにお金を使っていいのだ」という大きな意識の変革があり、自分のためにお金を使うことを覚え始めた。

「きれいだな」と思ったものを買うこと、「きれいだ」という気持ちで行動していいのだということ。靴下なんてたくさん持っているけれど、「これかわいいな」と思ったら買っていいのだということ。お花も買うようになり、趣味にお金を使うようにもなった。

そんな話を先生にしながら、「お花いいですよね」という話をした。カラフルなものが好きなので、本当は色の鮮やかなガーベラが一番好きなのだけれど、ガーベラは高かったのと、チューリップが安くて二つで5ポンドだったので、それにしたんですと。

なんでお花が好きなのかという話になったので、なんとなく「時間が動いていることを感じられていいですよね」とポロッと口から出た。

ちょうどこのとき、仕事から帰ってきたらチューリップが開き始めていて「ああ、自分の知らないところでも時間は動いていて、世界は動いているのだな」と思ったのだ。それを話すと先生は、「おもしろい理由ですね」と言っていた。たしかに私も、自分で言ったのに「変わった理由だな」と思った。

セッションでは、気持ちのアップダウンのことを話した。でもそれってしかたがないですよ、人生でもっともストレスがかかることの上位に、離婚引っ越し転職も入っている、だからそれが一度に来ているKelokoさんはアップダウンがあって当たり前だ、それくらいに思っていたほうがいい、と言ってもらった。

たしかに、今すぐなにかできるわけではない。時間がたって、気持ちが落ち着いてくるのを待つしかない。「わかっているんですよね、早く時間が流れてほしいって、いつもいつも思っているんです」と。

そこで、はた、と気づいた。そうか、だから私はチューリップに手を伸ばしたのか!!!と。

ガーベラは最初から開いているから、時間の流れは感じられない。チューリップはつぼみの状態で売っていて、だんだんと花が開いていく。だから時間の流れが感じられる。「自分の知らないところでちゃんと時間は流れている」というところにひかれた自分、その理由は、時間が早くたってほしいと思っていたからなのだ。

衝撃だった。私は自分が必要なものを潜在的にわかっていて、きちんとそれを実行しながら生きている。

なにも考えていなかった。それでもこうして無意識に、必要なものを必要なときに手にして生きている。もしかしたら、気づいていないだけで、こういうことが他にももっともっとあるのだろう。無意識に、自分にとって必要なことをしながら生きているのだろう。

「すごい!!!」そう思った。無意識にこんなことができてしまうなんて、私はなんてすごいのだろうと。どうするべきなのかをたくさんの人に聞きまくっていた。でも私は、ちゃんと自分でわかって行動できていたのだ。

目の前の小さいテレビの画面しか見えていなかったのが、急にテレビがなくなって、視界がぐわんと360度に広がったようだった。テレビの外で、こんなことが起こっていたなんて。

先生は「そういうのって、自信になりますよね」と言ってくれた。たしかにそうだ。

衝撃とともに、急に自信がわいてきた。考えていなくてもこんなことができるということは、考えていなくてもきちんとやっていけているということだ。もっと自分を信頼していいのだ。「こういうときにこうやった」という目に見える案件がなくても、私はきちんとやっていっている。理由などいらない。

「自分を信頼する」とは、こういうことだったのか。なにか理由があるわけでもなく、自分の無意識を信じている、無意識でも自分は大丈夫なのだと信じられている状態。なにをやったかではなく、別にそこにいるだけでいいのだと信じられること。これが、自分を信頼するということなのだ。

急に安心感がわいてきた。感動した。すごい経験だった。