70 解毒の第三段階へ

感謝が勝るようになってきた

新しい職場で衝撃のポジティブ経験をしながら毎日を過ごす中で、自分にも変化が現れてきた。

実は今、夫と別居をしている。仕事も始めて収入もできたので、部屋を探して家を出た。イギリスでは若い人はシェアルームに住むことが多く、お金のある人が投資で一軒家を買って中の部屋を一部屋ずつ貸していたり、家族で住みながら余っている部屋を人に貸したりしているところに、光熱費や水道代、ネットに税金など全部込みで月いくらで借りて住む。

最短で一週間や一か月から借りられたりするので、ロンドンでは数週間のホリデーの人だったり、あとは学生さんはよくこれで滞在している。私も家を出てみてどう感じるか様子を見たかったので、数か月からOKで、契約書もリファレンス(「この人はきちんと家賃を納めていました」と証明する手紙を前の大家からもらう)もいらないところにした。

というよりも、ここがとても気に入ったのだ。駅から遠いのだけれど、治安のいい静かなところにあって、庭が大きく、川が流れていて、最上階の私の部屋から緑の景色が広がる。半屋根裏の部屋は斜めの壁に囲まれていて、白い壁に茶色の柱がかわいく、広くてとてもくつろげる。北と南の両側に窓があり、光も入るし換気もいい。暖房も効いていて、いつもあたたかい。お風呂とトイレは共同だけれど、最上階には私ともう一人しか住んでいないので、バッティングすることもない。お風呂はお湯につかりながら、天窓から月が眺められたりする。

なにより、イギリスだというのに土足厳禁なのが本当に気に入った。玄関で靴を脱いで、一階のキッチンエリアはタイル張りの上をスリッパで過ごす。二階に上がる階段からカーペットなので、みんな階段の下でスリッパを脱いで上がっていく。家はどこも手入れがされていて、いつもきれい。お金儲けでせかせかした感じがなく、定年間近のオーナー夫婦がやっている、余裕のあるお家というのがよかった。

駅から遠いので迷ったけれど、とにかく落ち着いてゆっくりしたかったので、ここに決めた。とりあえずのものだけを、週末にレンタカーで数往復して運び込んだ。車を返して戻ると、居心地のいい空間にほっとした。

大家さんが家の説明をしてくれたのだけれど、そのときに少し気になることがあった。

食洗機には大家さんが食器を入れるから、自分で入れずに流しの横に置いておくように言われたり、ごみも大家さんが出すから自分たちではやらないように言われたのだ。

気持ちは、なんとなくわかる。夫がやるより私が食器を入れたほうが、きちんと整頓して入れられるからより多くのものが入る。私も最初のころは、夫が入れたのをわざわざ直して入れなおしたりしていた。でも、こういうのは人それぞれ。なんでもかんでも自分でやらなきゃならないと自分で自分を追い詰めるのではなく、「人を尊重し受容する」ということ。夫のやりかたも受容して、ありがとうと感謝してやってもらえばいい。

もちろん、使った食器を置いておけばいいというのは、本当にラクでいい。通常のシェアルームであれば、誰が洗い物を置きっぱなしにするということでもめるわけだが、置きっぱなしにしておいてくれというのだから、助かる。それはありがたい。

でも、みんなの食洗機やごみ出しまで自分でやらなければ気が済まない大家さんというのは、なんかちょっとおかしいのでは。そう、うっすらと感じていた。

そして、それは当たっていた

週末が終わり、仕事をして帰宅すると、大家さんに呼び止められた。部屋に行って話しましょうと言う。なんだろうと思っていると、昼間私の部屋に入ったとのこと。「雨が降ってきたから窓を確認に」と言っていたけれど、言いわけだろう。新人の私が部屋をどう使っているか、確認しに入ったのだ。

部屋に鍵がないのはわかっていたけれど、まさか自分がいないときに入ってくるとは思わなかった。怖くて固まってしまった。

私はお茶をよく飲むので、電気ケトルを部屋で使っていた。これでお湯を沸かすたびに一階まで降りることなく、部屋で熱いお茶が飲める。それを、湯気で壁やカーテンが痛むから、部屋でケトルを使わないでくれと言われた。棚の上に並べておいたお茶やコーヒーなども、ここに置かずに一階のキッチンに置いてくれと。

嫌だったけれど、ケトルはまだわかる。でも、なぜお茶を部屋に置いておいてはいけないのだろう。

やはりコントロールフリークだった、と思った。すべてが自分の思う通りになっていないと耐えられないタイプ。人に貸している部屋の中まで、コントロールしてこようとする。こういう人は、親を思い起こさせる。怒りでどうにもならなくなる。

ところが大家さんは、部屋の中のいちゃもんをつけるだけでは済まなかった。

テーブルの上に大きな三面鏡があったのだけれど、これが窓からの光をさえぎってしまっているのと、テーブルで化粧をするのではなくパソコンを使ったりしたかったため、この三面鏡を床に下ろしてしまっていた。それについて大家さんが「鏡を壁掛けのにするわね」と。見ると、床に置いておいた三面鏡がなくなっていた

自分がいない間に、自分の部屋に人が入って、ものをいじっている。ゾゾゾーっとした。

こういうことは当然、自分の領域を侵食してくる毒親を思い起こさせる。怒りと恐怖を一気に呼び起こされて、大家さんが部屋から出て行ってからも立ち直ることができなかった。せっかくいいところを見つけたと思ったのに、またこんな人がいるところにやってきてしまった。もうこんなところは無理だ、早く出よう。そう思って、また部屋探しのサイトに飛び戻った。

翌日仕事から戻ると、壁掛けの鏡がついていた。やはり、自分のいない間にまた入ったのだ。

でも、怒りと恐怖は続かなかった。なんと、鏡が、とてもよかったのだ。

髪の毛を乾かすときや、朝服装をチェックするときに、さくっと見える大きな鏡がほしいと思っていた。部屋の外にある鏡では、裸で服を並べて見てみることはできない。部屋の中に鏡がないと不便だな、と思っていた。それを、取り付けてもらえたのだ。

こういうとき、以前の自分ならもちろん、大家さんが私の部屋を自分の部屋のごとく好きなようにしただけだから、感謝することではないと思っていただろう。実際、そうではあると思う。使わない鏡がそこにあるのが耐えられない、部屋をちゃんと使ってほしい、そのように鏡を変えたい、というコントロール心からやったことだろうと思う。

でも、それであっても

使わない鏡が床の上に邪魔くさく放置してあるのより、使える鏡に変えてもらったほうが、全然よくないだろうか。理由はどうであれ、私が使いやすいように部屋を合わせてくれたというのは、とても親切ではないだろうか。出会って数日の私に、こんなにもすぐやってくれたなんて、ありがたくないだろうか。

家を出て、これからどうなるかわからない自分。そこに、親切にしてくれる人がいる。一度会っただけなのに、信用して家に住ませて。私が部屋を使いやすいように、部屋を直してくれた。「テーブルを机にして使うなら三面鏡は確かに邪魔だからね、壁掛けにしよう」と。下見に来たときよりも部屋があちこち直されているのも、気づいていた。ぶわっとが出た。

どちらも本当だと思う。コントロールフリークの大家さん。でも、親切ともとれる大家さん。

どちらを選ぶかは、自分次第なのだ。自分次第で、人を嫌ったり、感謝したりできるのだ。

今まではきっと、嫌うことしかできなかった。同じような状況が、今までの人生の中できっと何度も何度もあったことだろうと思う。ああいう親の元に育っているから、同じようなことをしてくる人が嫌だった。だから感謝できる場面であったとしても、強制的に「嫌うコース」行きになってしまっていた。

でもこうして、新しい職場で感謝することを覚え、心細い状況でもろくなっている今。すべてがよく見えてきた。こんなことは初めての経験だった。これを経験するべきタイミングに、こういう環境が用意されたのだとすら思った。

毒とは」でも書いた通り、毒があるとものごとをニュートラルに捉えることができない。少しのことで激昂したりと、必要のないところで過敏な反応をしてしまう。ものごとの両面を捉えることが難しくなり、色眼鏡がかかったようになる。今まではずっとそうだった。ネットでなにか読んでも、怒りにばかりなっていった。

だけど今、こんなにも完璧な、絶対に毒親を思い起こさせる環境でさえ、感謝の気持ちが出てきた。

毒が抜けてきている。そう実感した。うれしくなった。自分で感動した。

部屋をノックする音がしてドアを開けてみると、大家さんだった。「くつろいでいるところごめん、ヒーターがつかないという話を聞いたから」と。直してちゃんとつくようになったから大丈夫と、わざわざ伝えに来てくれた。いいタイミングだったので、鏡のお礼を言うと、照れながらものすごく喜んでくれた。「悪くないだろ」と言うので、悪くないどころかめちゃくちゃいいですと。

ポジティブの連鎖だ。

私は今までの人生で、どれだけのポジティブ連鎖のチャンスを逃してきたのだろう。

これからどうなるかは、今はわからない。また大家さんが嫌になることもあるかもしれないし、感謝なんてクソ食らえと思うときがやってくるかもしれない。今はたまたま心細く、なんでもいいように受け取って感謝にひたりたいだけなのかもしれない。それも事実だと思う。

でも、今までずっとネガティブで生きてきたのだ。その真逆ができたのだ。

この大きな変化は、私にとって大きな自信になった。本当に私は、今までとは違う人生に足を踏み入れたのだ。

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人を尊重し受容する

インターナショナルで様々な人たちがいる会社。それはまた、言葉だけでなく、様々な違いが受容されているということでもあった。

新人の私を含めた数人に、チームの人がシステムの使いかたをレクチャーしてくれることになった。ところがその人が、何度も同じことを言ったり、今すぐには必要のないところまで説明したがったりするのを見て、私は嫌になってしまっていた。自分が普通にやっていることがいかに大変で難しいかというスタンスでとうとうと語るので、またこんな面倒な人に出会ってしまったと、内心落ち込んでいた。

だが、そのレクチャーの終わりに。私と同じ日に入社したマネージャーが、その人に向かって「あなたの説明はとても丁寧ですね」「これからもどんどん人に教えることにチャレンジしていってください」と言ったのだ。

びっくりした。思わずまってしまった。

確かに、その人の説明はしつこい。でもたとえばコンピューターがわからない人からしたら、丁寧ともとれる。

マネージャーは、この「コンピューターがわからない人」でもまったくない。そういう人なのに、こういうポジティブな受け止めかたをして、ポジティブなコメントを本人にフィードバックしている。本人もうれしそうだった。たぶんこれからも頑張っていくだろう。

自分はなんてネガティブな人間なのだろうと、私は思った。

「しつこい」けれど、「丁寧」。私は「しつこい」しか見えず、すぐそこをダメ出しする。ここでほめてしまったら、ますますしつこくなっていってしまうのではと危惧すらする。教わる人がなにを求めているかを察知して、それをさっと出せるようでなければだめだと思う。

でもそんなところは、本人が伸びていく上で学んでいけばいいことだ。最も大枠で見たときに必要なことは、本人が前向きに進んでいけること。

最初から正解を出す必要はない。誰にでも段階というものがある。学んでいく課程がある。だったらやる気を伸ばすために、ここはほめるだけにしておいてもいいのではないか。本人が幸せで、頑張ろうという気持ちが出るほうが、本人のためにも周りのためにもなる。これが口座番号を間違えて一億円の損失を出すとかなら別だけれど、今絶対に注意して気をつけていかなければならないことでもなんでもない。

この職場では、「Learning Curve(ラーニング・カーブ)」という単語をよく聞く。なにか新しいことを始めるとき、最初からすべて完璧ということはない。カーブの角度は様々であれど、徐々に徐々に完璧に近づいていくもの。カーブの角度を決める要因もたくさんあって、もちろん本人の特性もあるだろうけれど、仕事の内容や、環境もすべてが影響してくる。

最初は試行錯誤でゆっくりと上がっていって、だんだん完璧に近づいていく。その余裕がきちんと考慮されている。

イギリスへの不満ばかりだった私」でも書いた。無駄を受け入れ、現実に生きる。

”人生はギリギリでは生きられない。常に無駄が必要だ。「無駄」とはなるべく排除しなければならないと教わって生きてきた。でも現実では無駄がなければ生きていけない。世の中は有用なものだけで構成されていない。洋服も体にぴったりで無駄がないものは着られない。”

そして、そういう人が受け入れられるということは、私も受け入れられるとういことだった。

上記のようにすぐ「しつこい」をピックアップする私は、自分に対しても常にダメ出しをしている。メールを出してから少しして返信がないと、言いかたが悪かったのではないか、気分を害してしまったのではないかと考え始める。なにをやっても、もっとこうやったらよかったのではないか、こういう誤解をされたのではないか、そんなことばかり考えている。

なのに、みんな「Kelokoが来てすごく助かっている」と言ってくれる。いつも。「確実に失敗した!」「今度こそやばい!」「これは無理だろう!」と心底確信したときでさえ。

衝撃の世界へ来た。今まで自分がいた世界が、がらがらと音を立てて壊れていくのを感じた。

きっとこれが、大人の世界なのだ。大人が活動している、現実の世界。

他にもわかりやすい例でいえば、勤務時間。フレックスなので、①一日八時間働くこと、②コアタイムには勤務についていること、の二つが条件。この条件さえ満たされていれば、遅くこようが早くこようが、いつも早く来ているのにたまに遅くこようが、完全に自由。自分で勤務時間を管理して、それが完全に尊重されている。

なにかの理由でコアタイムの出勤に間に合わなくても、会議が入っているとかなにかなければ、いちいち「あいつはどこだ」ということにもならない。出勤してきたときに「なにかあったの?」と聞いてくる人もいない。話好きな人は「今日電車遅れてるの?」などと聞いてくることもあるけれど、完全なるただの興味本位。みんなスルーなので、ちょっと寂しいくらい。

人にどう見られているか気にする人もいないし、人をいちいち気にしている人もいない。仕事が回っていればいい。

時間だけでなく、すべてにおいてこうなっている。本当に大人の世界だった。

日本的な会社が苦手な理由」で書いたことと比べてみると、びっくりするだろう。今久しぶりにさらっと見てみたけれど、本当に子供の世界。こんな会社ばかりではないと思うけれど。日本の政府や役所などは、これ以上にひどいところがありそうな気もする。でももう関係ない。ということにする。

イギリスの他の会社や組織がどうなのかは、わからない。たまたまここが、こういうところなだけなのかもしれない。日系企業でないからか、インターナショナルだからなのか、余裕のある会社だからなのか、理由もよくわからない。ただ、今までイギリスで何十社と面接で行ったけれど、こういう雰囲気をかもし出している会社は他にはなかった。たった一時間の面接ではわからない、ということもあるかもしれないけれど。

でもここが、今までずっと私が求めてきた環境であり、行きたいと思ってきた世界であることは間違いない。

わずか半年前にはまったく考えていなかった仕事だけれど、こんな偶然に驚きの毎日を過ごさせてもらっている。感謝の気持ちとともに。

人は、「感謝しなさい」と言われようが「感謝しなければ」と思おうが、頭からでは感謝することはできない。気持ちというのは自然に出てくるもので、頭で意識してできるものではなかったりする。「不安のサイクルと破りかた」でも習った。だから、感謝の気持ちが出てきたときが、感謝のとき。

今までずっと自分は「感謝のない人間」だと思ってきた。あまり感謝の気持ちというものがわいてくることがなかったのだ。でもこの環境で過ごし始めてからというもの、小さなことでいちいち感謝の気持ちがわいてくる。

「返信くれてありがとう」
「小さなことを気にしないでいてくれてありがとう」
「今の、悪いようにとらないでくれてありがとう」
「私のLearning Curveを尊重してくれてありがとう」

自分が気にしている細かい「間違い」が指摘されずに、自分がそのままで受け入れられる。もしくは、人がそのままで受け入れられ肯定されているのを見る。すると、普段みんながどれだけ人を受容して(=スルーして)生きているかがわかる。そうなってくると、普段自分がどれだけ細かいことを気にして生きている小さい人間かもわかってくる。そうすると、周りの人に対しても「こんなこと気にしててもしかたないな」とでも思えてくる。

また、そういう「ふところの深い」人たちに囲まれていると、自分を受容されて安心し、認めてもらえたと感じることもあってうれしくなる。感謝の気持ちが出てくる。そうすると、人のことも受容できるようになってくる。これがすごい。

頭への作用と、気持ちへの作用。毎日この両方が積み重なっていって、だんだんポジティブな人間になってくる。

そうするとまた、「私がこんなに変われるなんて」「こんな環境をくれてありがとう」と周りに感謝の気持ちが出る。そして周りに感謝をあらわしていくから、またそれが私に対する周りの感謝も呼んで、どんどんポジティブな連鎖を生み出していく。そう、ポジティブの連鎖。すごい。

ようやく、こんな世界へたどり着けた。ここからはどんどん伸びていくだけ。ポジティブの連鎖を広げられるだけ広げていきたい。

思い込みを外す

引き寄せの法則」というのを聞いたことがあるだろうか。

それがベースになっているもので、なにかを探しているときにその条件を100個書くというワークをやった。たとえば、家。どんな家がいいか、それを100個書く。場所はどこで、どういう構造で、どういう環境か。そういうのを100個書く。これがけっこう大変だったりする。

これをやってロンドンでいい滞在先を見つけたという友人の話を聞いて、私も仕事についてやってみることにした。その友人は職場からすごく近いところに住み、このイギリスで毎日湯船につかれる生活をしていた。イギリスでは、若い人はルームシェアが多いのだけれど、お風呂を使えるところも少なく、お湯もそれほど便利に出ないし水道料金もかかるため、毎日湯船につかれるのはすごい。

なぜこれが効くのかわからなかったけれど、実際にやってみてわかった。これをやると、自分が自分でかけている制限を取り払うことができるのだ。

給料や職務内容、職場環境に勤務先。100個も書くとなると、最後のほうは「これはないだろう」というものでも書くようになる。ロンドンでもない地元でも「自分(日本人)を必要としている会社」だったり、「インターナショナルで自分が外国人であることを意識しないで済む会社」だったり。「これはないだろう」がどんどん外れていく

そしてネタがなくなってくると、感覚的なことも書いていくようになる。ようは、ざっくりしたことを書くようになる。たとえば「楽しい職場」とか、「毎日充実する」だったり「自分がポジティブでいられる」だったり。たぶん、ここが一番重要なのだと思う。

たとえば「経理系」と書いていたら、今の仕事に注目しなかったかもしれない。でも私が経理系にこだわっていた理由は、専門があれば将来仕事に困らないだろうと思ったからだ。将来仕事に困らず生きていけるのであれば、なんでもいい。なので「将来安心して生活できる仕事」とざっくりなことを書いた。

このワークをやることで、自分がなにを求めているのかが具体的になってくる。自分がなにを求めているのかを整理して明確化する、するとそれがやってきたときにつかみやすくなる。それがこのワークの目的なのだろうと思った。

そして本当に、書いたリストのほとんどが当てはまる仕事がやってきた。びっくりした。

どうせ地元の英国企業だしと思って連絡をとったのだけれど、リクルーターと電話で話をしてみてまず「おや?」と思った。私の英語に、違和感を感じていない。「外国人だ」と思っている様子がない。慣れている

面接に行ってみて、またわかった。面接官だった会社のDirectorも、外国人だった。もちろん英語はネイティブのようにペラペラではあるけれど、なまりがある。イギリス育ちの人ではない。名前も、英語名ではなかった。その後に、チームの人と電話で少し話をした。その人はイギリス人だったけれど、英語の先生か舞台俳優のようにめちゃくちゃはっきりゆっくりしゃべる人だった。こちらの外国人的な英語にも慣れていた。

そして、勤務開始。それでよくわかった。とにかく外国人だらけだった。

こんなところでもこんなにインターナショナルな会社があるものなのか、と思った。思い込みは外してみるものだ。

外国人でも英語で育っている人も多く、みんなネイティブの人と普通にコミュニケーションができる。でもイギリス人だけでなくそういう外国人がたくさんいるところと、まったくいないところでは、全然世界が違う。様々な人種がいて、様々ななまりを話す人たちで、オフィスはあふれ返っていた。とても居心地がいい。

そもそも一つのプロジェクトを世界中で行ったりしているようなグローバルな会社なので、まずロケーションが関係ない。どこにいれば外国人になると言えない。「外国人」という発想を、そもそも持ちようがない。今までの「欧州VS日本」というやり取りどころではなかった。「自分VSいろんなところにいるみんな」という感覚。まったく新しかった。思い込みが外れたどころか、その上を行かれた。すごい。

今までは、

「いい会社が私を採ってくれるわけない」
「いい会社であったとしてもどこの会社にも必ず嫌な人はいる」
「必ずがっかりすることがある」
「二度あることは三度ある」

etc、etc。そう思い込んで、ときに自分に言い聞かせて、生きてきた。でもカウンセリングをやって、なんとなくそれが外れてきた。

予期すらしていなかった大災害」を振りかけてくるような親の元に育ったので、うまくいっているとしても「なにか予期せぬ悪いことが起こるかもしれない」「なにかを忘れていてとんでもないことになるのかもしれない」という恐怖がお腹の底にいつもあった。がっかりしたりびっくりしたりしないように、いつも最悪の結果をこれでもかと考えつけるだけ考えながら生きていた。

カウンセリングで、それを指摘された。最悪の結果を予想するなら、最高の結果も予想しておかないと。そうでなければバランスがとれない。世の中すべて陰と陽。マイナスがあればプラスがある。そう生きることができてきたところで、100個書くワークをやった。そして実際に、自分の思い込みからまったく外れた職場にやってきた。

最初はそれでも、「やっぱりいいことばかりではないだろう」「なにかはあるだろう」と思っていた。でも嫌なことがまったく出てこない。「ついにやってしまった!」と思ったときでさえ、周りはなんとも思っていない。というより、誰がなにをやっても咎められることがない。どう片づけるかを話し合うだけ。みんな人として尊重されて、自己責任で仕事をしている。

こういう職場がよかった。でも「どうせそんな会社あるわけがない」と思っていた。「あったとしても私にやってくるわけがない」と思っていた。でもあった。書いたら出てきた。そして採用してもらえた。書くことによって、思い込みが外れたのだ。なにごとにも「絶対」はない。それを思い知らせてもらった。

「でもこれからなにかあるかもしれない」とはもう思わない。あってもなくてもいい。あったらそのときに対応できればいい。それがあることそのものを、今から心配している必要はない。「いいことがある」と思っておけばいい。自分には予想もつかないけれど、いいことが。予想のつかない悪いことが起こることもあるけれど、それなら予想のつかないいいことが起こることもある。

二年間様々なオフィスに面接で行った経験から、こんなオフィスでこんな環境がいいということもたくさん書いた。そしてそれもほとんど当てはまっていた。地下のオフィスとか嫌だな、窓が大きくて明るいオフィスがいいな、この会社のこういうところすごくいいな、こんな感じの上司がいいな。そんな希望ばかりを集めた会社があるわけないと思わずに、とにかく書いた。

いろいろなものを見て、自分がなにを欲しているか考えてみる。そしてそれが実際に見つかった。この経験から、きっと他のことでもまた希望のものが見つかるだろうと思えてくる。最悪な結果ばかりでなく、最高の結果もあるのだと信じることができてくる。バランスのいい見かたができてくる。とても重要な経験だった。