29 進む解毒

心理療法としてのヨガの仕組み

このころ、ヨガがなぜ心理的に効くのか、先生の話をもとに自分なりにいろいろと考えてみた。

たぶん普通の人は、「なんでそんな単なるポーズが不安に効くのだろう?」と思うだろう。私も実際やってみるまでわからなかったことだった。「冷え性が改善」したときのこともそうだけれど、単に身体を動かしているから冷えが改善するのだとみんな思っていた。本当の仕組みを理解している人は、皆無だった。

たとえば、腰痛。腰が弱い人というのは、不安感を抱えている人が多いとのこと。この「不安感=腰の不調」というのがどこからくるのかというと、たぶん「不安」という感情が出るところが、「腰」という体の部位なのだと思う。

そんな、感情という目に見えない触れないものが、物理的な肉体に作用するなどということがあるだろうか?と思うだろう。でも実際のところ誰もがこれを日常的に利用している。

一番わかりやすい例でいえば、深呼吸。緊張という感情は、物理的には胸とかお腹に出る。心臓がどきどきしたり、英語では「Butterflies in my stomach(ちょうちょがお腹でバタバタしている)」と表現する。それを解消するのが、深呼吸という体の動作(ポーズ)。これをすることによって、身体が落ち着いて、それが心を落ち着ける。「不安症対策の呼吸法」でも習った。

緊張するときの例:

①状況:緊張するような状況
②思考:「怖い」
③感情:緊張
④気:緊張の気が出る
⑤体:胸/お腹にきて、ドキドキして呼吸が乱れる

↓これを、深呼吸で整える

⑤体:胸/お腹を整えるポーズ(=深呼吸)→胸やお腹が物理的に静まる
④気:緊張の気が解消される
③感情:緊張が解消されていく
②思考:「大丈夫かも」
①状況:緊張しなくなる

ヨガでは、感情にもエネルギーがあると考えるそうだ。これは実は、鍼灸も同じだった。お世話になっていた指圧の先生の施術室には、五行色体表というのが貼ってあり、身体の部位とそれに対応する現象が書いてある。その中にはメンタルと気の項目もあった。身体の部位と、メンタルの部位、そして気(エネルギー)が、対応しているのだ。

これは、特定の部位の不調が特定のメンタルの不調につながっていること、そしてその逆も表している。

たとえば、「不安」という感情も特定のエネルギーを持っていて、これが出ると、「」に影響が出てくることが多い。「チャクラについて」で書いたように、ヨガでは腰の部分は第二チャクラのスワディシュターナと呼ばれている。チャクラというのは、鍼灸で言う「つぼ」と同じ。つぼのように身体に無数にあるのだけれど、その中でももっとも大きな七つが、いわゆる第一〜第七チャクラと呼ばれている。

不調なチャクラは、鍼でつぼを突くように、該当のチャクラを刺激してエネルギー(気)を整える。ヨガはこれを、身体を動かして行う。これがアーサナ(ヨガのポーズ)だ。これでエネルギーを整えるのだけれど、同時にストレッチ運動でもあるので、物理的に腰の調子も整えられる。なので、エネルギー物理的な体の、両方が整うことになる。これが感情に影響を与え、感情も整っていくのだ。

不安なときの例:

①状況:不安な状況
②思考:「なんだか不安」
③感情:不安
④気:不安な気が出る
⑤体:腰(スワディシュターナ)にくる

↓これを、ヨガで整える

⑤体:スワディシュターナを整えるポーズ →腰がよくなる
④気:不安な気が解消されていく
③感情:不安が解消されていく
②思考:「もしかしたら安心かも」
①状況:大丈夫になる

ポーズと腰がよくなることは、お互いに影響しあっていると思われる。腰がよくなるからスワディシュターナが整い、スワディシュターナが整うから、腰がよくなる。それによって不安なエネルギーが解消されて、不安な気持ちが減少していく。

私の場合はその不安な気持ちの出処である思考も、カウンセリングで治していったので、身体からと頭からの両方で整えるという、かなり万全な体制だった。どちらかが弱っても、どちらかで治していけたし、両方から整えていくことで、スワディシュターナがバランスよく整っている状態をより維持できるようになる。

実は、ヨガにはポーズだけではなく、「呼吸法(プラーナヤナ)」もある。これがまさしく、深呼吸のことになる。ヨガでは、アーサナ(ポーズ)とプラーナヤナ(呼吸法)の二つを組み合わせて、エネルギーを整えていく。ポーズは外から身体に刺激を与え、呼吸は内から身体に刺激を与えて、整える。

要するにヨガは、身体とエネルギーを整えることによって気持ちも整えていくツールなのだ。CBT(認知行動療法)の「不安のサイクルと破りかた」でもやったけれど、身体、思考、感情、の三つはそれぞれに影響しながら存在している。それぞれをつないでいるのが、エネルギー(気)ということになる。

身体を治すには、鍼灸やヨガでつぼ(チャクラ)を刺激してエネルギーを整える(同時に、感情も整う)。感情を治すには、同じくつぼ(チャクラ)を刺激してエネルギーを整える(同時に、身体も整う)。この辺りの理解は、やはり鍼灸の知識がある東洋人にはわかりやすいと思う。イギリス人だと、まず鍼灸さえもあやしいスピリチュアル系のように考えている人もいる。身体を針でつついて腰が治ることは、それが当たり前の環境で育っていないとなかなか理解しがたいものなのかもしれない。

鍼灸も、もとを正せばヨガにつながるのだろう。ヨガから始まって、身体のつぼに注目していったのが鍼灸で、メンタルに注目していったのが仏教や瞑想になるのでは。座禅を体験するという日本のテレビ番組で、お寺に行ってみたらまず座禅の前にヨガをさせられてびっくりしていたのを見た。ヨガで身体を動かしてから、座禅をする。ヨガのセッションもけっきょく同じで、ポーズをやってから、最後に瞑想をする。要はどれも最終的には同じこと、心身(とエネルギー)を整えることを目指しているから、同じになるのだろう。

ヨガでは身体から、座禅や瞑想はメンタルから。両方とも、心身を整える

だから、ヨガは心理療法として効果的なのだ。ヨガで身体も整うけれど、それは同時にメンタルを整えることも意味している。私の場合はそこにカウンセリングも受け、頭からも整える作業を行っていた。身体と、思考と、感情。この三つがを通して相互に影響を与えあっていることが理解できて、ヨガの仕組みもよく理解することができた。

広告

グラウンディング

このころ、ヨガで「Grounding(グラウンディング)」という言葉を知った。

ヨガのセッションはいつも、なにをやっているか私はわかっていなかった。先生の見本に沿って、指示されるポーズをとっているだけ。先生のを見ながらポーズをとって、「もうちょっと腕が右」とか「足を外側に」と正しい位置に整えてもらい、「右を曲げて」「次に左を曲げて」とか、「息を吸って」「はいて」「そのまま」のように、次々出される指示に従っているだけになる。

このポーズがなにに効くとか、そういうことはまったくわからないまま、終わる。終わったあとに聞いてもいいのだけれど、私の場合はなるべく感覚で感じるようにしていたので、必要なこと以外は聞かないようにしていた。たまにヨガ関連の本を読んだ際に、ああこれはこういうポーズなのかと知ることもあったけれど、その程度だった。

あるとき、先生が「今日はグラウンディングを中心にやった」と言ったので、それはなんですかと聞いてみた。

ヨガで夢について話す」で書いたように、先生は毎回セッションを始める前に、私の気持ち身体の状態を聞いてくる。そのときに、先週ランニングしたらここが痛くなったとか、こういうポーズを家でやったらここにきてとか、カウンセリングでこういう話をして安心できたとか、夫と話してもうだめだと思ったなどを話し、それに合わせて必要だと思ったヨガのセッションを組んでくれる。

自分の気持を話すのはけっこう難しく、これがとてもいい練習になった。身体の状態を話すときも、どこかが痛くなったときや不具合が出たときは、そのときなにをしていたのか、なにを考えていたのかを覚えておくようにと言われた。身体に出るものは、もちろん事故的なものもあるけれど、メンタルのものが身体に出ているということもある。これは今でも身についていて、頭がズキっとしたときや、なにか身体に感じた際に、そのとき自分がなにを考えていたかを見つめることで、意外にもいろいろなことがわかったりする。

それでこのときちょうど、「完璧を求め続ける原因」で書いたように、私の不安感の原因が親からきているということがわかってきたと話し、安心できるようになりたいと先生に言った。すると先生は、グラウンディングを中心にやろうと言ってくれたのだ。

不安感というのは、地に足がついておらず不安定な感じになる。これを地にどっしり気持ちを落ち着け安定させることが、グラウンディングとのこと。「Ground(地面)する」ということだ。

このセッションでは、「木のポーズ」と「戦士のポーズ」をやった。木のポーズは「チャクラについて」で書いた、一番下の第一チャクラ、ムーラダーラに働きかけるものと本に書いてあった。他にもいろいろあって、ふくらはぎのむくみもあったので、それに効くものも入っていた。

木のポーズ

次のセッションでは、寝っ転がったり、かがんだりと、低い体勢のものが多かった。これも、一番下の第一チャクラに効くものと思われた。あとは、身体をねじるものも多かった。下半身をねじり、腰をねじり、背中をねりじ、肩をねじる。背骨をドルフィンキックのように縦に波打たせたり、かと思えば獅子舞のように横にも波打たせたり。「ヨガ開始」で書いたBee Breathを最後にやったときも、脚をあぐらのようにしてバタバタさせてやった。バタフライというらしい。これがグラウンディングになるのだそう。

エネルギーセンター」で書いたように、セッションの最後にはいつもヨガニードラでしめくくる。グラウンディングにいいポーズをたくさんやったこのとき、ヨガニードラで寝っ転がっていると、なんと第一チャクラのあるところ、おしりの下がふわーんとあたたかくなっていることに気づいた。

驚愕だった。私は下半身が冷え性で、腰とおしりはいつも冷たい。家にいるときは、今でもよく湯たんぽを当てている。サウナに入っても、上半身はダラダラ汗をかきまくるのに、腰から下はカラッカラで冷えたまま。脚に汗をかいたり、靴が蒸れることもない。身体をねじったとしても、背骨をねじっているわけだから、おしりは特にあたたかくなるようなことはない。

なのに、そんな激しい運動をしたわけでもないのに、こんなところがあたたかくなっていた。びっくりした

先生に言うと、先生も「そこはムーラダーラね」と言っていた。こんなに明確な変化が出るなんて、先生も興味深そうだった。私は先生の生徒の中でも一、二を争うほど、ヨガで様々なことを引き出していると言われた。先生のところにくる生徒さんは、マタニティヨガの妊婦さんが多いから、私のように心理療法を目的として来ている人が少ないのかもしれなかった。

私は、目的が目的だから、なにかを感じようといつも無心で、とにかくポーズをとることに集中していた。これがよかったのかもしれない、と思った。グラウンディングも気に入ったから、これ以降、今でも家でやるようになった。後にヨガのポーズだけでなく、グラウンディングの方法はいくつもあることを知って、他にも瞑想やレメディなどでもやったりする。ただどんなものにおいても、グラウンディングはとても重要で、これをしっかりやることで、地に足をつけて生活するということを学んだ。

また、「魂からの癒やし チャクラ・ヒーリング」の本にもメディテーション(瞑想)の方法が載っていて、このルートチャクラ(第一チャクラ)の瞑想にも取り組んでみたりしていた。これにもグラウンディングを目的とした瞑想があって、地球(地面)とつながり、安心感を育成する。もしかしたらこれからも効果が得られたのかもしれないと思った。

ますます、ヨガがおもしろくなってきたところだった。

無視されると感じるメカニズム

このあたりで、本格的にカウンセリングを受け始めてから5か月。ここまででわかったことをまとめてみた。

1)怒りの原因について

①「人が言うことを信用できない」で書いたように、Entitleされていないと感じるとき
相手のタイミングで話を切り上げられるときや、先に「もう寝る」と言われるなど、相手のタイミングでものごとを進めようとされるとき。

②気持ちを無視されていると感じるとき
話しているのに相手の話にもっていかれるときや、泣いている/悲しんでいる/喜んでいるのにまったく違う話をされるなどして、無視されるとき。

誤解されるとき
相手が自分のことを間違ったように解釈してなんの疑いも持っていないとき、またその上さらに相手の解釈を押しつけてくるとき。

2)不安の原因について

①常に完璧でいなければならない
少しの漏れも見逃せないから、常に360°何年先のことまでも気を張り詰めてなければならない。

②結果をコントロールできない
人に合わせなければならないから、自分の希望することができず、終わるまでただ少しでも自分の希望に近い結果が偶然出ることを願い続けていて、いつも不安な気持ちを抱えながらいなければばらない。

③人の言うことを信用できない
夫が「休める」と言っても本当に休めるのか確認しないと信用できず、「大丈夫」と言われてもそれはその人の感覚だから本当に大丈夫かは自分で確かめないとわからないと思っている。

こんな感じだった。それ以前とはかなり変わってきていて、より本質に近づいていると感じていた。

こんなことが出てくるとは、それ以前には思いもよらなかった。日本語の「カウンセリングが終了」した時点でも多くのことに気づけたと思っていたけれど、このとき考えてみるとまだまだあれは表面的だったということがわかった。いかに自分が表面だけで生きてきたかということを、しみじみと感じた。

こうして書き出して見てみると、「怒り」は親からされたことと同じことをされるのがトリガー(引き金)になっていて、「不安」は親が信用できなかったことに由来していた。また、「怒り」の①と、「不安」の②は、同じことからきていると気づいた。同じことから、怒りと不安の両方が出てくる。ということは、ここが解消されれば二つ治るということだった。

かなり解明された感じがしていた。ほぼ核心まで来ていて、あとはもう治療に取り組んでいくだけなのかもしれない、とも思っていた。でも以前かなり解明されたと感じていたのにまたこうして理解が進んだことを考えてみると、もしかしたらもっと核心的なことが出てくるのかもしれないとも同時に思っていた。

ちょうどこのころ、「怒り」の②番「無視される」というところに関することがあった。

水が硬いイギリスでは、このように水回りにライムスケールがこびりつく。定期的にレモン汁や専用の洗剤スプレーを使わないと、どんどん真っ白になっていって大変になる。蛇口が回せなくなったりもする。

うちで使っていたBrita(浄水器)にライムスケールがかなりこびりついていたので、食洗機で洗おうと思って分解した。蓋のところに右の写真のようなメモリがついていたので、もし電池のようなものが入っているのなら、食洗機に入れられないかもしれないと思い、夫に聞いてみた。

私「これってエレクトリック(電気式)?」
夫「取りたいなら外そうか?」

私は「電気式かどうか」を聞いているのに、夫は「メモリを取り外すかどうか」という別の話になってしまっていた。質問に対し、まったく関係のない、しかも質問で、返ってくる。そして、すでに食洗機のドアまで開けていた。

思い返してみれば、こういうことは以前から頻繁にあった。でも最初のころは、自分がイライラすることにも気づかず、夫の話に合わせていたのだ。それで自分が話そうとしていたことがわからなくなって、なにも解決せず、夫がスッキリしただけで終わる。解毒が進んできてやっと、夫が話を奪っている、それに対して自分がイライラしているということに気づき始めたのだ。

質問に質問で返ってくるのもおかしいし、さらにその質問が私の話したかったことと関係のないものだと、「無視されている」という状況を想起させられて、怒りが湧いてくる。なぜイライラするのか、その原因がこのころようやくわかるようになった。そして、イライラして当然だということもここでやっとわかったのだ。

たぶん夫の頭の中では、

これは電気式
   ↓
食洗機に入れられない
   ↓
これだけ手で洗おうか?
   ↓
でもKelokoは食洗機で洗いたいのだと思う(勝手な思い込み)
   ↓
ここの部分は取り外せそうだ
   ↓
「取り外そうか?」

という思考が勝手に行われて、最後の「取りたいなら外そうか?」だけが口から出るのだろう。

問題点1:私の質問に対する答えが一切ない。

私が知りたかったことは「電気式かどうか」「電池が入っているかどうか」だったのに、まったく関係のない答えが返ってくる。頭の中でどんなプロセスが行われているかは、わかる。わかるけれど、自分の頭の中だけでコンピューターみたいに勝手に計算をしていて、コミュニケーションがまったくない。自分の中だけで完結してしまっている。

問題点2:私がしたいことを勝手に思い込んでしゃべっている。

私がしたいのは、それを食洗機に入れることではない。電池が入ってるかどうかを確認した上で、手で洗ったほうがいいか、メモリを外して食洗機に入れたほうがいいか、手間がかからなくていいのはどの方法かを割り出すこと。それを、私が「食洗機に入れたいんだ」と勝手に思い込んで、「そのためにはどうしたらいいか」を勝手に考えて、勝手にやろうとしてくる。

しかも、電池が入ってるかどうかなんて開けてみてもいないからわからないはずなのに、「Kelokoは食洗機に入れたいんだ」という勝手な思い込みが優先して、「電池だよ」と私の質問に対しては適当なことを言ってくる。

問題点3:Defensive(過剰防衛)になってどうでもいいことを主張し始める。

私が咎めると、「なにが問題になっているのか」「どうしたらいいのか」を導き出す話し合いにならず、「自分が言っていることは正しい」を主張するだけになる。

「そうではない、電池式かどうかを聞いてる」と言うと、「でもこれ外せるよ」と、またわけのわからない回答を出してくる。「食洗機に入れても、これだけライムスケールがこびりついてると、後で手でも洗わなければならないだろうから、最初から手で洗ったほうがいいということもある」と言えば、「食洗機にはライムスケール落としが入っているから、こんなのすぐ落ちるよ」とムキになって言ってくる。ライムスケールが本当に落ちるかどうかではなく、「食洗機に入れさせる」ことが目的になってしまっている。

こんなにこびりついてるのに、食洗機に入れただけで全部きれいになるはずがない。そんなことは簡単にわかるはずなのに、「落ちる!!」と、きっと自分でも本当は思っていないだろうことを必死に主張してくる。それで実際もう面倒だから食洗機に放り込んでやったら、案の定こびりついたまま出てきた。それを見せても、「ああごめんね」で終わり。自分でもきっと、なんでそんなくだらない主張をしたのかわかっていない。

このころまでは、こういう無駄なことが本当に多かった。どうしたらいいかも、当時はわからなかった。それでも、どういう仕組みで怒りや不安が出ているのかメカニズムがわかったのは、本当に大きな進歩だった。それまでは、そんな仕組みがあるということすら知らなかったのだ。