28 新しい問題の発覚

降板しました

ここでやっと、父親への手紙が書けた。カウンセリングで父親について話をしたことで、父親へ言いたいことがやっと出てきたようだった。

手紙を書く宿題」を出されてから一か月ほど。早いほうだったかもしれない。カウンセラーから他のクライアントの手紙(人に見せることを了承済みのもの)を見本としてもらったのも大きかったと思う。言葉が出てこないから書き出しが一番難しかったのだけれど、そこを人のを見てそのまま真似して書き出したことで、書き始めることができた。書き終わりも真似をした。

この見本としてもらったものは、10ページに渡って母親にされたことを書き綴っていた。このクライアントは実際にこれを母親に送ったそうだ。もちろん母親が素直にこれを受け入れるわけがなく、絶縁となったそうだ。でも本人はスッキリして、自分の人生を生き始めたとのことだった。

このとき私の一番の問題は、父親に対して「傷つけられた」という気持ちがまったくわいてこないことだった。「あれだけ正義漢面しておいて」という糾弾は山のようにあふれてきても、「傷つけられた」「ひどい」「許せない」という気持ちは出てこなかった。「子供のときの自分」と「今の自分」がつながっていないようだった。

書いた手紙を、眺めてみた。出そうか、出すまいか。

出したいと思ってはいたけれど、カウンセリングで相談してからにしようと思っていた。父親が読まなかったり捨ててしまったりする可能性を考えて、親戚中に送りつけてやろうかとも思った。でもそれをやって自殺でもされたら嫌だなと思っていた。あんな人間いつ死んでもよかったし、昔から殺してやりたいと思っていた。でも自分が引き金を引くのは嫌だった。あんなクソのせいで、自分の人生をこれ以上失いたくなかったのだ。

今思えば、出しても自殺などするような人間ではない。毒親育ちで不安が強い人は、親に仕返しをしたら自殺するのではという不安をもしかしたら抱えているかもしれない。でもそれは絶対にないと今では理解できる。そんな人間ではないから、毒親をやっているのだ。

だいたい、父親が浮気をしていた(いる)ということは、妹や他の人が知っているかどうかは別として、夫婦の間ではもうオープンなことのように思えた。それならばそこに私の子供のころの記憶が付け加えられたとしても、別に自殺するほどの話でもない。たぶん離婚もしないだろう。そう思ったので、インパクトを出すために親戚中にも配ろうと思ったのだ。でも「よくできた従妹」も自殺の可能性を考えたと言っていたので、今はやめておこうと思った。

でもこれで、またなにか問題を起こしてきたらいつでも言い返せるネタが手に入った。それでよかった。

この宿題では自分の中でかたをつけるのが目的であって、本当に送る人はほぼいない。「聞いてもらえない」「また言い返される」という恐怖心を乗り越えて、「自分の言いたいことを自由に言う」こと自体が目的なのだ。相手に対して言わなくてもよくて、紙に書くだけでいい。これで吐き出すことが重要なのだそう。カウンセラーもきっと、送ることに賛成はしなさそうだと思っていた。

とにもかくにも、これで宿題ができた。やっとだった。

カウンセラーは、「まだすごくつらくて思い出したくない記憶が眠っているのではないか」と言っていた。その可能性もなきにしもあらずだけれど、これでも十分ではないかという気もしていた。「自分を守ってくれるはずの親にひどいことをされる」という意味では、浮気で十分だし、それを放置した母親を含めて、完成に近い感じがしていた。

あとは、つらかった気持ちを思い出すだけだった。カウンセラーにも浮気を見たときの気持ちを聞かれたのだけれど、辺りが暗くなって、怖くて早く家に帰りたかったときの気持ちを思い出した。父親が車から出てくる前に、早く母親に告げ口したかったことも。うしろから迫ってくる父親が本当に恐ろしかった気がする。

このときは、これで全部説明がついた気がしていた。私があの家を「家族ごっこ」だと思っていたのも、自分の気持ちや考えがあの家の「台本」に合わないと攻撃されることも、母親が自分のことしか考えられない人間なのも、父親がなにごとも「われ関せず」状態なのも、「妹の離婚」で書いたように妹がどうでもいい理由で離婚していることも、すべて説明ついた。

すべては、あそこが「毒劇場」だったからだ。

・スポンサー、兼脚本家、兼舞台監督の父親
・助監督の母親
・劇中で生まれ育ちそれを知らない妹

全員が舞台の上で生きていた。そう考えると、すべてに説明がつくのだ。こんな見かたがあったとは、思いもよらなかった。

手紙にも書いたけれど、私はそこを降りた。もともと絶縁したつもりでいたけれど、「舞台を降りる」と考えると、まさに自分がしようとしていたことがはっきりとわかった。

私はそれまで、極力降板させられないようにお芝居を続けながら、自分で稼げるように学校に通い、社会人となって自活できるようになってはいたものの、まだ「自立した娘」というたまに出てくる役柄、「海外へ嫁いだ娘」の役だった。まだまだ舞台の上だったのだ。

でももうここで、私はこの舞台を完全に降りた。「長女」の役は、もういない。

完全にあそこの脚本から抜けて、自由の身となった。降板のお知らせを送って、監督に知らせよう。私はもうあなたのお芝居には出られません、あとはお好きなかた同士でお続けくださいな。そういう気持ちで、手紙を締めくくった。

これを書いたら、なんだかすっきりした感じがあった。本当の「新しい一歩」という感じがした。分厚いコートを抜いだような。追いすがるものがぷつりと切れたような、霧が晴れたような、そんなさわやかな感じだった。本当になにかが脱げたのだろう。

あとは、それまでの傷を癒やしていくだけだった。ここからは早いだろう。そんな気がした。

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父親への手紙

(毒父)さんへ

 こんにちは。お元気ですか。私は現在、心理カウンセリングを受けていて、その治療の一環でこの手紙を書いています。書くだけで、送らなくてもいいものですが、もし実際に送ることにした場合、特に返事やそちらからの反応はまったく期待しているわけではないことをご承知おきください。

 なにから書き始めたらいいのかわかりませんが、とりあえずは私とあなたの関係性から考えてみることにします。

 私とあなたは、血縁上は「親子」になり、あなたが稼いだお金で人生の最初の20年ほどを賄ったことになるのでしょうが、私とあなたの間にお金以外の実際の人間関係はほぼなかったと言っていいでしょう。現在あなたは私と会うこともなく、連絡を取ることもなく、私たちは人生においてなにかを共有することもありません。つまり、赤の他人と同じです。

 私がまだ赤ちゃんのころ、あなたは私を好きなときにかわいがるだけで、おむつを替えたことなどなかったと(毒母)さんから何度か聞きました。これはあなたの私に対する気持ちを如実に示しているものだと思います。12歳のころに、突然金のネックレスをプレゼントしてくれたことがありましたが、これも私が欲しいかどうか、必要かどうかは関係なく、自分がやりたいと思ったものを、自分がやりたいと思ったときにやる人間だということを、とてもうまく表していますね。相手がどう思うかは関係なく、自分がやりたいことをやりたいときにやりたいようにやる。ちょうど、口の利けないペットを相手にしているのと同じ感覚です。

 あなたは非常に子供で、自分の娘の気持ちを理解したり考えたりすることはおろか、自分のことをおいて相手の興味のあることに合わせてやることさえもできませんでした。いつも自分が得意なことを得意になってやっていて、私のほうがあなたに合わせて「すごいね!」と喜んであげている状況でしたね。小学校の父兄参観でも、あなたがそういう場所が苦手でやる気がないことがよくわかるので、心配したものでした。あなたの得意なことがあると、ほっとしたものです。でもそういうときも自分が得意になってやってしまっていて、本当に子供でしたね。私も当時は「こういうときには父親を立てるものなのだ」と思っていましたが、今こうして自分が大人になってみると、そんなわけないことが容易にわかります。そんな親、いません。相手に合わせてやることが嫌だったから、いつも自分一人で釣りに出かけ、自分一人で、自分のやりたいときにやりたいようにやりたいことをやって生きていたのでしょう。でも、それなら一生一人で、家庭なんて持たなければよかったんです。

 私がまだ小さいころ、あなたはごくごくたまに近寄ってきては、私を抱き寄せ、かわいいと撫でてきたりしてきましたが、私はそれが非常に気持ち悪かったのをよく覚えています。自分の親が愛情を示しているのに、なぜそれが嫌だったのか。その理由を考えてみろとカウンセラーに言われたとき、それはあなたがいつも自分が近寄りたいときだけ近寄ってくるからだとわかりました。それが愛情でもなんでもないことが、幼い私にはわかっていたのです。私が大変な思いをしていたり、つらい思いをしていても、あなたにはまったく関係ありませんでしたね。「俺には関係ない」というのは、あなたの一番得意な口癖でした。関係ないというよりは、「まったくもって興味がない」というのが正しいでしょう。そのくせに、自分が好きなときだけ近寄ってくるんじゃ、ペットだってあなたを好きにはならないでしょう。ましてや、人間なら、なおさらです。

 私はもちろん血縁上はあなたの娘であることは間違いないだろうと思っていますし、ずっとそう思って生きてきましたが、なぜあなたが自分の娘のことを「俺には関係ない」と言うのかが、当時はまったく理解できませんでした。あなたは末っ子で育ち、きっといつも嫌なことややりたくないことは、自分ではなく誰かがどうにかしてきてくれたのでしょう。今ならそう考えることもできますが、当時の幼い私にはそんなこと思いつくはずもなく、しかもそんなことは小さい子供が考えるべきことでもありません。「俺には関係ない」と言って、(毒母)さんに押し付けたり、子供を突っぱねるようなら、最初から妻も子供も持たなければいいんです。

 私にとってあなたと暮らした20年あまりは、本当に空っぽな時間でした。あなたの中には私の存在がなく、私はなぜただ自分の肉体がこの世にプカプカと浮かんでいるのかもまったくわかりませんでした。 あの家は、空っぽで、全員が「家族」という演劇を演じていて、まったく実態のないものだとずっと感じていました。私は自分が存在することを誰からも示してもらえず、子供という時代に自分を優先してもらうことがなかったために、今では自分の気持ちがわからなくなり、空っぽの人生をただ死ぬまでの時間が過ぎるのを待つのみで、ずっと苦しい思いをしてきました。

 なんでそう感じるんだろうと考えたとき、私はあることを思い出しました。(毒妹)さんが2〜3歳だったので、まだ私が4〜5歳のころです。その日はなぜか(毒母)さんがおらず、本当に珍しく、あなたが私たちと一緒にいました。私たちは車で出かけて、なぜかあなたの同僚の同僚さんの家に行きました。彼女の家は新しいお家で、家族は誰もいませんでした。私はよそのお家なので少し緊張していましたが、あなたはなぜかさっさと上がり込んで、「なにしてんだ、早く上がれ」と私たちに嬉しそうに言い、自分の家のように振舞っていたのがとても不思議でした。

 私たちが上がりこんでテーブルにつくと、同僚さんが「お茶をいれましょう」と台所に立ちました。そしたらあなたは、「俺がいれるよ」と立ち、「あらいいわよ」と言う同僚さんと二人で仲良く並んでお茶をいれ始めました。家ではまったくそんなことをしたことがないあなたが、自分からお茶をいれると立ち、よそのお家のどこにお茶があるのかを知っていて、楽しそうに話が止むこともなく二人でお茶をいれている。それは、私が初めて見る光景でした。初めて、演劇ではなく、あなたに中身があって、家でほっとしたところを見せ、人のことを思いやり、楽しそうにやり取りをし、人生を生きているのを見た瞬間です。それこそが、あなたにとっての現実の世界でした。私の存在しない世界が、あなたにとっての現実の世界だったのです。

 当時の私はなにが起こっているのかまったく理解できませんでしたが、大きな恐怖に駆られました。辺りが暗く感じ、心臓がドキドキして、早くここから出て帰らなければならないと思いました。なぜかはまったくわからないのに、同僚さんが「お母さん」のような感じがして、すごく困惑しました。家に着いてすぐ、あなたが車を止めてやってくる前に、(毒母)さんに「同僚さんがお母さんみたい」と言ったのですが、(毒母)さんは「なに言ってるの、私がお母さんでしょ」と、私がどれだけ一生懸命説明しても相手にしてくれませんでした。でも、私は「どうしてもこれをわかってもらえないと困るのだ」と感じていて、たくさん説明しました。それでも、もうそのときにはあなたが車を置いてやってきて、煙に巻かれてしまいました。

 今なら、なんで私がそんなことを感じたのかはわかります。「自分の父親と仲良くしている女性=自分の母親の位置にいる人」と感じたのです。でも当時はなにが起こっているのかまったくわからず、でもなにかすごく悪いことが起こっていると感じて、とても怖かったです。「自分の父親の人生が、自分のいないところにある」と見せられた子供の気持ちがわかりますか?知らないお家で、見たことのない生き生きとした父親を見せられた子供の気持ちがわかりますか?今までこのことは単にあなたの馬鹿さ加減を表しているだけで、大して気にすることではないと思っていましたが、もちろん大人になった今では大したことではありませんが、まだ成長しきっていない子供のときにこんな経験をするということは大変なトラウマになることなのだということを、カウンセラーから教えられました。

 それを思い出すと、なぜ家を空っぽに感じていたのかがすぐにわかりました。あの家は、本当に演劇だったのです。四人で集まって、「家族」という演劇をして、本当のそれぞれの人生は別のところにある。子供ながらに、というより、子供だからこそ、それを感じていたのです。

 もう少し大きくなってからか、(毒母)さんが何度か「お父さんに言わずに突然会社を訪れる」という行動を取ったのを覚えています。車で出かけているときに、急に「お父さんとこ行ってみようか」と言い始めて、私はなんだか嫌な感じがして行きたくなかったんですが、「お父さん喜ぶよ」と言われて、じゃあ行ってみようと言ったことを覚えています。会社に着くと、あなたは見たこともない恐ろしいくらいの笑顔で出迎えてくれましたよね。なんだか怖い感じがしたのですが、でも当時は、きっと(毒母)さんが言うように、仕事中に思いがけず自分の娘に会えて嬉しいんだと思っていました。でもそのとき、同僚さんの笑顔もまったく同じでした。二人とも、白いプラスチックで作ったような200%の全開の笑顔で、ものすごく笑っているのになぜか怖かったことを覚えています。

 要するに、(毒母)さんはあなたのことを疑っていたんだと思います。でも、そこを解明することはせず、「母親」という役で演劇を続けた。演劇はずっと続いていって、きっと今でも続いている。毒妹さんもそういう家しか知らないから、きっと中身のある家庭を築くことは難しかったでしょう。実際、演劇であることを感知していた私でも、それしか知らないから難しかったし、大変な苦労を何年も何年もしました。今でもこうして心理カウンセリングに通って、大変なお金と時間を費やしています。結婚してもう7年以上、それでも子供を持とうと思えなかったのは、この結婚生活に実態がつかめなかったからです。でも今こうして心理カウンセリングを受けて、中身のある本当の人生を歩めるように治療をしています。幸いにも、私には少しの知恵があり、周りに支えてくれる人も大勢いて、いいカウンセラーにも出会えました。なにより、どれだけつらくても恥ずかしくても悲しくても自分の弱いところを見つめて治そうとする、誰にも負けない輝く勇気があります。これはあなたや(毒母)さんのどちらにも微塵も欠片もない、私の中の宝です。これがあって、やっと今、本当の人生を歩んでいく準備が少しずつできてきています。

 私は最初、(毒母)さんこそ自分のことしか考えていない人間だと思っていました。結婚しても子供がいない私を責める彼女に、「最近は子供ができにくい人が多いんだから、そんなこと私に言って、もし私が子供ができない体だったらどうするの?」と言えば、「それでも頑張るんだよ!!私だってやったんだよ!!」と言っていました。正真正銘の糞人間でした。それまでは、こんな人でも私の面倒を見た人だから、きっと正常な頭もどこかにあるはずと思ってきましたが、ここでもう「この人は自分が欲しいもののためなら実の娘も踏み台にする頭のおかしい女なんだ」と思い、それ以降は私の方から積極的に関係を持つことを辞めました。

 イギリスに来て7年、(毒母)さんから電話がきたことは一度もなく、それを言えば「国際電話のかけかたがわからない」と言っていましたが、なぜか(従妹)ちゃんがタイにいたときは、よく電話していたそうです。いつも私から電話をかけ、「お母さん」と敬い、大事にしてもらうことしか考えておらず、私のことはどうでもいい。私の様子を聞かれたことは一度もなく、いつも自分の話ばかり。まさに、あなたと同じです。それでもきっと周りには「娘が海外にいるのに連絡がなくて」と、娘のことを心配するいい親だと主張しているのでしょう。

 (毒母)さんは周りに、「Kelokoに会えなくても、一度でいいからイギリスに行ってみたい。娘が住んでいる国を、この目で見てみたい。」と、お涙頂戴話をするそうですね。でも周りが「いいじゃん、行って来なよ」と言っても、行かない。そりゃあそうです、(毒母)さんは、それを聞いた周りが私に連絡を取って「Kelokoちゃん、お母さんこう言ってるよ、イギリスに呼んであげなよ」と言い、ある日私がすべてを整えてイギリスにご招待してくれることを期待しているのですから。親御様が自ら飛行機のチケットを取って、子供にご挨拶に伺うなんてことはしないのです。

 でも、(毒母)さんは、昔は私のことをちゃんと考えてくれる母親だったんです。ひとつ覚えているのが、バレエを始めたときでした。当時の私は、紫色が大好きだったんですが、バレエの練習に必要なレオタードとシューズは、ピンクしかありませんでした。でも私は、紫色で、スカートのついたレオタードがどうしても欲しかったのです。(毒母)さんはそこで「ピンクしかないよ」と言わずに、私を遠くのバレエ用品のお店まで連れて行き、紫色のレオタードを一緒に探してくれました。壁一面にピンクしかなく、唯一あったのがスカートなしの赤いレオタードでしたが、赤は二番目に好きだったので、これにしました。(毒母)さんは、「赤しかなくてごめんね」と言っていました。私は、そんな謝ったりしなくてもいいのにと、悪いなと思っていました。

 このように、(毒母)さんは、当初は私のことをちゃんと考えていてくれたこともあったのだと思います。でもそれが、今ではあんなにどうしようもないクズになってしまっている。もしかしたら、あなたと一緒にいて、「子供の気持を考える」ということができなくなってしまったのかもしれません。自分には本当の夫がおらず、その中で自分の幸せを追い求めることにもがき一生懸命になってしまい、そのためには自分の子供さえもいいように使い、自分はなにもない空っぽのまま、今まで生きてきてしまったのかもしれません。

 あなた自身も、そうでしょう。あなたの人生は、あの家にはなかった。でも今は最終的に物理的にあの家にいる。そこで人生を過ごしたい。でも、そこはただの演劇場。(毒妹)さんの結婚や、孫の誕生というお芝居上のイベントはあったけど、自分自身の人生は今更そこにはない。空っぽな劇場です。とはいえ、私にはあなたの気持ちはわかりませんが。もしかしたら、家も手に入れて、好きな時間に好きな仕事をして、大満足しているのかもしれませんし。

 でも私はもうその演劇にはお付き合いしませんし、きっとそれであなたも満足でしょう。去年の正月にお会いした最後に、伯父さんから隠れて私を呼びつけ、「お前がその態度なら次回から歓迎できないからな」と捨て台詞を言いましたね。 2か月も前から祖母が自宅にいる日程を何度も何度も確認して、その日程に合わせてチケットを買い、何十万円もかけて何日もの有給をかけて24時間寝ずに日本に出かけ、昔のように祖母と家で過ごすことを楽しみにして行ったのに、その祖母を私たちの到着前日から施設に入れてしまったことの、どこが歓迎だったのか私にはまったく理解できませんでしたが。

 要するに、「お前が俺の書いた台本通りに演じないのなら、もう俺のステージに上ってくるな」ということなのです。私の気持ちも、私の都合も、そこには存在しないのです。私はあなたの気に入る様に演じなければ、役を降りるしかない。あなたの車を使わせてもらえることをありがたがり、あなたの高くていいカメラを褒め、海外で苦労している娘の前で「日本に住めて幸せだ」と優越感に浸るのに賛成し、24時間寝ずに疲れてお腹もおかしくなっているというのに「大丈夫か」と労りもなく休ませてももらえず、「お前のためにみんなで飯を食わずに待ってたんだよ」と言われ、(毒母)さんの用意した食事をありがたがって食べ、用意した高いワインをありがたがって飲まなければならない。私の欲しかった「祖母と家で過ごすこと」はまるで無視、そして私はそれがなくても怒ることも許されず、疲れきって「寝かせてくれ」と布団に入ってしまった夫と一緒に旅の疲れをゆっくり癒やすことも許されず、着いたところから自分を捨ててあなたの気持ちのいいように振る舞わなければならない。それができないなら、「次回から歓迎できないからな」です。ステージから降りなければならないんです。だって、これはあなたが脚本を書いて監督をやっている、あなただけの演劇なんですから。

 実際あなたは、自分の好きなように勝手に台本を変えましたね。ようやく祖母を最後の1日だけ自宅に泊まらせたあなたは、施設に戻る際に「本当は今週ずっと施設にいる予定だったんですけど、娘が海外から来てるので家に1泊させたんです」というセリフを大きな声で周りの人たちに言い回っていました。自分はいい親ですと、私と周りに必死にアピールしていましたね。とても滑稽でしたね。

 現在、私とあなたの関係がなにもないのは、私が劇場のステージから完全に降りたからです。あなたが稼いだお金で運営していた劇を降りたら、私たちは赤の他人になってしまったのです。私たちの関係は、こんなにも空っぽだったのですね。

 あなたももし本当の人生を生きてみたいのなら、信頼できるカウンセラーを見つけて心理カウンセリングを受け、あなたが作り上げたその舞台を自ら降りることをお勧めします。ただ、あなたは自分の弱いところを見つめられるような器じゃないと思いますが。あなたはきっと同僚さんとの方が話も合い楽しかったのでしょうが、彼女といるには、自分もお茶をいれたりと対等でいる必要があった。でも末っ子で育ったあなたは、そんなことを年中したくない。学のない(毒母)さんは、あなたを頭がいいと持ち上げてくれ、皿洗いでもなんでもあなたのやりたくないことを察してやってくれる。そういう女をあなたが手放せるわけがなかったのです。あなたがそういう弱い人間になってしまったのは、もしかしたら小さい頃に母親を亡くしたりしたことと関係があったりするのかもしれませんが、それはあなたが片付ける問題であって、私には関係ないですね。私の問題が、あなたに一切関係がなかったのと同様に。

 きっとあなたはこの手紙をきちんと読んで理解することはできないでしょう。それは別に私が大学を出ていて難しい文章を書き、あなたにそれが理解できないからというわけではありません。ただ単に、あなたが自分の弱いところを受け入れられない、ありんこのような小さい男だからです。(毒母)さんとよく、私に「お前は悪魔だ」と仲良く言っていましたね。自分の理解できないこと、理解したくないことを「悪魔」と片付けて安心するこの程度の低さ、本当にゴミの中のゴミクズですね。ゴミ箱の中、楽しい人生をお送りでけっこうなことだと思います。

 では、残りの人生もまたずっと舞台の上で楽しく空っぽにお過ごしください。

あなたの娘より

父親の問題が母親に影響していた

ところがその同僚のおばさんだけかと思いきや、そうではなかったのだ。

久しぶりに実家に行くと、「もうお父さんと一緒に寝てないんだよ」と母親が言うのでなにかと思えば、父親が今度はバードウォッチングにはまっていて、たびたび車中泊で出かけていくのだという話だった。その際にクッションやコップなどを二人分持って行くのだと。それに対し父親は、「そんなことねえよ…」とゴニョゴニョと小さい声で反論していた。

あんなにいつも自分が正しく優秀だという顔をして、人を見下して威張りくさっていた父親は、浮気をしていた。どの面下げてだ、と心底思う。

母親は、それを追求したのかどうかはわからない。でも離婚することはなかった。それを見過ごして、一緒に生活していくという道を選んだのだ。

私が思うに、父親はたぶんそのおばさんのほうが好きだったのだと思う。経理という「賢い」仕事をしていて、学校も出ていて、話もあって、仕事で頼りにもなり、都会風の人だった。息子たちもいい大学を出て、設計士など賢い仕事をしていた。それをなぜか、父親は誇らしげに話していたりもした。

きっと彼女といると、知的な話をしたり、大人のつき合いができたのだろう。

でも、彼女と一緒にいるには、自分でお茶もいれたりと、対等でいなければならなかった。紳士を演じていなければならなかった。私にはわかる。あの男には、それを年中することなどできない。

うちの母親のように、学もなく、自分を持ち上げてくれて、妻らしく夫にいろいろやってあげることで自分を満たしているような、自分からなんでもやってくれるような女がよかったのだ。ラクだったのだ。でもそれではやはり物足りない、だから浮気をしたのだろう。

父親の完全なる弱さが、ここでようやくつかめてきた。

そしてこれによって安心感を失った母親は、愛情飢餓で自分の幸せを追い求めることに精一杯になり、子供のことをきちんと見てやれなくなっていったのではないか。ちょうど「夫の母親」のように。

それまでは「妻」として、妻らしいことをして夫に尽くすことが、母親の幸せだった。でもそれが崩れてきたとなっては、「妻」としての幸せを築けない。するとそこから「母」として幸せを築こうと、「夫」から「子供」へ依存先をシフトチェンジせざるを得なくなったということも考えられる。私がいい成績をとり、大学へ行き、「成功」することが、母親のすべてになってしまったのだとも。

一番よくわかるのが、についての話だ。

結婚して三年目くらいだろうか。「子供を作れ」とうるさく言ってくるので、「もし私が子供ができない体だったらどうするのだ(だからそういうことをむやみやたらに言うべきではない)」と言い返したことがあった。すると母親は、「それでも頑張るんだよ!私だってやったんだよ!」と耳を疑うことを言ってきた。

驚愕した。それまでは、ここまで馬鹿なことを言う人間ではなかったのだ。両親も妹も、常に自分がどれだけ思いやりがあり清く正しい人間かを主張してくるクズであって、こんなに自分勝手でまったく正当性のないことを言うようなクズではなかった。毒はどんどん悪化していたのだ。

このとき、はっきりと認識した。

こいつは自分の娘がどれだけつらい思いをしようがどうでもよく、自分さえ幸せならいいのだ、と。

それまでは、馬鹿な女だけれども、親として頑張ってみたこともあったのだろうと思っていた。でももうそんなことは微塵も思わなくなった。自分の幸せのために、自分の娘を踏みにじるような女。100%の悪魔だと、認識した。

自分で自分を満たし、幸せを味わうことができない。だから孫を産ませようとする。「親と自分の境界線」で書いたように、子供の成功を自分のものとする。子供がいい学校に行ったことを自慢する。いい会社に行ったことを自慢する。しかも夫に浮気されたとなっては、本当に子供しか自分を埋めてくれるものがない。

そう考えると、すべての辻褄があってくる。

父親の問題がどこからきているかというのは、またのちにとんでもない話が出てきて理解が進むことになる。このときわかっていたことは、18歳のときに実母がなくなっているのが、もしかしたら関係しているのかもしれないということだった。

そして、こういう家庭の問題がにどう影響しているのか。

カウンセラーは、たぶんもっとつらくて悲しい記憶があるのではないかと言っていた。私が父親を気持ち悪いと思うのは「自分のことばかり」という怒りがあるわけだけれど、そう思うに至った「自分がないがしろにされている」という出来事があるのではないかと。そして「夫の記憶の扉が開いた」で書いたように、記憶を閉じ込めているのではないかと。だから、親にかける言葉がなく、「馬鹿で哀れ」と見下していることしかできないために、「手紙を書く宿題」ができないのではないかと。

なのであればその記憶を思い出したいと思ったが、いかんせん私には年上の兄姉もおらず、叔父や叔母も「叔母と絶縁」や「相変わらずの毒一族」で書いた通りひどい様子だったので、話を聞くことはできなかった。

ヒプノセラピーの「退行催眠」にまた挑戦してみようかと言うと、カウンセラーは「あまりお勧めしない」と言ってきた。これをやったところ実父に性的虐待を受けていた記憶が突如蘇ってしまい、死ぬようなパニックに襲われて大変だった人がいるとのこと。なのでそうやって急に思い出さずに、「エネルギーセンター」で書いたようなヨガニードラをやりながら、ゆっくり思い出すのが一番だと言われた。

あとでわかったことだけれど、このときカウンセラーは私が父親から性的虐待を受けたのではないかと疑っていた。今も記憶にはないけれど、100%まったくなにもなかったと言うことはできない。確かに子供のころから、私は父親が気持ち悪いと思っていた。のちに別の記憶が関係しているのかもしれないとわかることなのだけれど、もしかしたらなにかあったのかもしれない。

カウンセラーは、どれだけ小さい赤ちゃんでも、親が自分を見ていてくれているかどうかというのは全部わかっているのだと言っていた。子供が親の目を見たとき、親がきちんと見返してくれることが、健康的なメンタルの成長につながると。安全基地」の構築ということだろう。

ただ、母親から聞いた話だけれど、父親は自分の好きなときだけ好きに子供をかわいがり、おむつなど替えたこともなかったそうだ。これだけでも、私の中に「父親にないがしろにされてきた」という感覚があって当然だった。

私がこのカウンセリングを始めた当初から、「自分が空っぽで生きている感じがしない」と言っていたことも、実家がただ家を回しているだけの演劇のような「家族ごっこ」だと感じていたことも、もしかしたらここにあったのかもしれない。

外で恋愛をしていて、家にはただお金を持って帰ってくる「父親」
浮気を無視して、ただ家庭を運営しているだけの「母親」
それにただ乗っかっているだけの「妹」

全員、本体はのところにあって、時間がくると舞台の上にあがり、劇をし、またバラバラに帰っていく。そんなお芝居のような、中身のない家族。そんな家だったのだ。