28 新しい問題の発覚

毒親炸裂の報

このころ従妹が休みで祖母に会いに行くというので、私の写真を実家からもらってきてもらうようにお願いしていた。

父親の問題が母親に影響していた」で書いた通り、過去の傷を癒やすために、子供のころの記憶を思い出す必要があった。本来なら親に話を聞いたりすればいいことなのだけれど、それはもちろん不可能だった。叔父や叔母もだめだった。子供のころの写真でも見れば出て来る記憶もあるかもしれないと思い、従妹がうちの実家に行くタイミングでもってきてもらうことになっていた。

従妹が写真のことをうちの母親にたずねると、「アルバムがあるから送る」と言い出したらしい。いやいや私がKelokoちゃんに送るよう頼まれているからちょうだいと言えば、「倉庫にしまってあるからすぐには出せない」と返してきたそうだ。

「Kelokoは住所もわからないし」
 同居の祖母に毎年年賀状を出していたのを横取りしているので知っているはず

「国際電話もどうやってかけたらいいかわからないし」
 従妹がタイにいたときは国際電話をかけていた

「メールもよこさないし」
 いつからそんな連絡を取りあうような仲になったのでしょうか

というのが始まったので、「じゃあ温泉行ってくるねー」と従妹は出たらしい。温泉から戻ってきてもアルバムは出てなかったので、「Kelokoちゃんに必要なんだよ」「カウンセリングに必要なんだよ」と念を押して、残念ながら手ぶらで帰ってきたとのことだった。

毒親は、荷物を送ることが好きだ。自分の好きなものを送りつけて、それに感謝されること。ただそれがやりたい。だから従妹にアルバムを送らせたくない。私に連絡をよこさせて、お願いしてもらい、感謝してもらう。それがほしいのだ。私のためになにが必要かは、まったく関係がない。

これは、被災地にいらないものを送りつける人たちと同じ原理だと私は思っている。自分たちがいらないものを送ってありがたがってもらえるチャンスなので、逃さない。相手に必要なものをリサーチし調達することはない。あくまで、自分たちがいらないものをありがたがる人たちを探している。自己肯定感を埋めてくれる道具を探しているのだ。

「Kelokoはアルバムがほしいのだ」というのを聞いてしまうと、母親はもう他にはなにも聞くことができなくなる。「自分が簡単に用意できるものをKelokoがほしがっている!」、「これはチャンス!!」となり、なにも見えなくなる。そこまで自己肯定感が飢餓状態になっている。砂漠で水を求める人のように。

従妹は何度も念を押してくれたみたいだったが、もう聞こえてないだろうなと思っていた。十中八九、やつはアルバムを直接送ってくるだろう。いらないものをたくさん詰めて。そしてそれに私が感謝しないと「送ってやったのに!!」と文句を言うだろう。勝手に。

化粧水」事件の再来を思わせた。

でも、その荷物は届かないだろう。なんとなくそう思った。

化粧水ふたたび」で書いた通り、最後に実家にいったときのこと。ネットで化粧水を買って、実家に送っておいた。母親がうずうずして「送ろうか」と何度も何度も言ってきたけれど、「また割れちゃうから」「日本に行くから自分で持って帰るから」「絶対に送らずに置いておくように」と何度も何度も念を押した。確実に伝わったと思っていた。これだけ言えば、送りたくても送れないだろうと思っていた。

なのにやっぱりやつは荷物を送っていた。従妹も愕然としていた。日本に行って「化粧水は?」と聞いてみれば、「えっと、どこにしたかな?」「送らないように、ここに置いておいたんだけどな?」と夫婦で白々しい演技をしていた。「都心に行くならこれで買ってきな」とお金まで渡された。

私も夫も、心底白々しいと思っていた。日本語のわからない夫でさえ、「探している演技の時間がもったいないから、送ったなら送ったと言えって言えば?」とまで言っていた。

そして、やはりそれは本当だった。「化粧水を送った」と、このとき従妹に話したそうだ。あんなに念を押され、白々しい演技をするほど本人にも「送るな」と言われた認識があったにもかかわらず、送ったのだ。「浴衣と一緒に送っちゃったんだ」と言っていたらしい。

話はここで終わらない。なんと、その荷物は返送されてきたらしい。

どうせ送ったのだろうと思っていたから、いつまでたってもイギリスに届かないことにおかしいと思っていた。だが、返送されていたとは。

どの住所に送ったかは知らないけれど、こちらには届かずに、日本に送り返されていたらしい。以前住んでいた町に行く用事があったので、今そこに住んでいる人に聞いてもみたのだけれど、そんな荷物は届いていないと言っていた。郵便事故だろうか。それとも私の「死んでも関わりたくない」オーラが、荷物のブリテン島上陸を阻んだか。

そして、ここからが毒親の真骨頂。なんと、「Kelokoが受け取り拒否をしやがった!!」と。

せっかく高いお金をかけて荷物を送ってやったのに、受取拒否をしやがった、なんてやつだと、怒り心頭だったそうだ。

「送るな」と言っていたものを勝手に送り、戻ってきたら「受取拒否しやがった」と勝手に怒り。

自分で思うのだけれど、どうやってこんな女と20年も一緒に暮らしていたのか、本当にわからない。こんなのと一緒にいたら、誰だって気が狂うだろう。現に狂ったわけだ。こうしてあそこを脱出してみて、いかにあの空間が異常で歪んだものかということが、十分すぎるほどよくわかった。あんな人たちに頼らないと生きていけなかったなんて、どれだけの地獄だろう。

今の私は大人で、自分で生きていけるのだ。あんな頭のおかしい人たちに頼らなくても、生きていけるのだ。なんと素晴らしいことだろう。

これがあって、少しは凹んだ。でもなんだかもう、「救いようがない」ということを深々と体感した感じだった。「あそこになにをやっても無駄なのだ」、というような。あれらは人間ではないから、人間だと思って接してはいけないのだと。

服についた墨汁が落ちないのと、同じだった。墨汁がついてしまった、ではこれは捨てましょう。新しいものを買いましょう、と。そう思えば、あれらがああでも、私には関係ないのだと思えた。

どうにもできないものをどうにかしようと思うから大変だし、どうにかしなければ生きていけなかったから大変だった。でもどうにかしなくても大丈夫なら、なんの問題もない

私は好きな服を着たいから、ブータンのような民族衣装しか着れない国に住めと言われたら嫌だし、もしそこに住まなければならなかったら大変だろう。でもなにを着てもいいイギリスに住めるわけだし、こうして毎日好きな服が着れる。それならば、違う国で毎日民族衣装を着ていて幸せな人たちがいても、なんの問題もない。そういうことが体感できた。

広告

愛情がわからない

このころ「チャクラについて」で書いた第四のハートチャクラについて、カウンセラーが話してくれた。

ヨガの師匠のカウンセリング」を始めたころから、「あなたは胸がまったく上下していない」と言われていた。自分の存在を隠そうとしているようだ、とも。人間は常に呼吸をしているから、胸部や肩が上下している。していないということは、忍者のように「忍んでいる」状態だ。「ここに自分が存在していていいのだ」と思えていない、「ここの空気を吸う権利が自分にはない」と潜在的に思ってしまっているのではないかと言われた。

確かに私は、駅や町などで人からよくぶつかられたり、カバンをぶつけられる。自動ドアが反応しなかったこともある。嫌になって、足を踏み鳴らしながら歩いたこともある。それでもぶつかられて憤る。フィットネスのクラスでみんながハアハアと息を切らしているのに、無意識に呼吸を抑えていたりする。気づけば呼吸が浅く無音になっている。

胸は、ハートチャクラに当たる。物理的に「忍んでいる」ということは、精神的にも「忍んでいる」ということだ。自分の感情や気持ちを「忍んでいる」、押し殺しているのだ。無意識に自分という存在を否定しているようだった。

カウンセラーいわく、愛情を受けて育ってない人は、愛情がわからないから、人が自分にかける愛情もわからないし、自分も人に愛情を注げない。なにより、自分で自分に愛情をかけられないとのことだった。

私は典型的にこれだった。

夫に対する愛情もわからなかった。夫とは好きで結婚した感じがまったくなく、単に自分の面倒を私と一緒にみてくれる人がいて、その父親のような兄のような人と一緒にいるだけだった。実家で得られなかったものを、ここで得ようとしていたのにもかかわらず、実家の家族の延長をやっていた。実態のない空っぽな実家を離れたのに、けっきょくまた実態のない結婚をしていた。人は自分が育った家族しか「家族」というものを知らないから、当然なのだとカウンセラーに言われた。

好きだと思っていた食べものも単に「高くて珍しいから」食べていたものもあったり、好きだと思っていた身の回りのものが本当はそうでもなかったり、仲が良いと思っていた友人も実はただ「仲良くしなければいけない」と思いこんでいただけだったり、やらなければいけないと思っていた仕事が単なる思い込みだったりすることに、この数年でいくつも気づき始めていた。

そんな人生だったから、ただただ「死ぬまでの時間をどうやり過ごすか」だけになってしまっていた。当然だ。そんなことも知らなかったのだ。実態のある人生を、「Authenticに生きる」ということを身につけていかなければ、人は死んでしまうのだと知った。

夫の自分に対する愛情も、わからなかった。なにか面倒をかけることがあると追い出されるような感じがして、ものすごく不安になった。夫ばかり会社勤めをしていると、罪悪感に覆われた。せめてやっている家事も、料理を床にぶちまけてしまいそれを夫が片づけてくれたりすると、見捨てられるのではないかと不安になった。

なのにいざ夫が家にいて自分が働くことになると、「家を維持しているのは自分だ」ということにものすごく安心して態度が大きくなった。誰が稼いでいようが、どれだけ面倒をかけようが、本来なら関係ないはずだ。

愛情というのは、「依存」ではない状態において、相手や自分を受け入れているという感じなのだろうと思った。このときの私は、「相手がこれをやってくれたから」「自分がこれをやってあげたから」と、そういう条件がついた視点でしか考えられてないことに気づいた。そういうことではないのだ。

それがつまり、自分に愛情をかけられていないことからくる現象なのだと思った。

「自分がなにをやってもどんなでも受け入れる」ということができていなかった。自分がミスをすると、許せない。許せないから、他人のせいにしたり、環境のせいにしたりする方向にいってしまう人もいる。私の場合は、自分のミスは自分のせい、人のミスでも自分のせいに感じて自分を責めていた。

人の感情を受け取りすぎてしまうのも同じだとカウンセラーに言われた。このころ旦那さんを亡くした友人がいたのだけれど、その人の気持ちを受け取りすぎてしまっていて、自分まで鬱っぽくなっていた。夫には「俺が死ぬ話ばかりするな!」と怒られた。その人の悲しみを自分がどうにかしなければいけないと感じており、「夫がいなくなったらどうしよう」「生きていけない」と、自分のことのように受け取ってしまっていた。

これは一見とても思いやりのあるいい人のように見えるけれど、「人と人との境界線」がないということなのだ。親の感情を自分のせいにされて育つと、こうなるのだと。「アダルト・チルドレン癒しのワークブック」にも「人の悲しみは、どんなにつらいものでも、その人の人生の大切な一部」なのだと書いてあった。だからそれを取り上げてはいけないと。感情の境界線を持って、人と健康的な思いやりでつながることを学ばなければならない。

「人のミス」と「自分のミス」の混同も問題だった。なにをやっても相手が満足しないときに、「なにか変だ」と気づくことが大事だと。「完璧ではない」とか、「やりかたが悪い」や「足りないところがある」と文句を言われ、それでもっと努力をしてもまた別の文句を言われる場合。そういう人はなにをやっても満足しないということ。

こういう人を親に持って育つと、「自分はいくらやってもだめな人間だ」と思いこんでしまう。私の場合も、とにかくそうやって文句を言われることがないようにと必死にだった。最初からすべて完璧にして相手の口を封じなければと思って、不安な気持ちを常に抱えながら「完璧」だけを目指すようになってしまっていた。

確かにそれで親が満足したことはなかった。必ずなにか言われる。まさに「予期すらしていなかった大災害」で書いた通りだった。

でもそれは「自分のミス」ではないのだ。相手に問題があるのだ。

相手がなにを言ってこようと「自分のできる範囲で努力した」ことを自分に認め、「あれもできた」「これもできた」と認め、それ以上動き回らないこと。世の中には完璧なものなど存在しない。純金だってほんの数%はかならず金以外のものが混じっているのだ。そのときそのときでできることをやればいいし、実際はまったくできなくてもいい。

満足できない」で書いた美術の試験では、98点で学年一位をとった。それでも母親から「満点ではない」と文句を言われた。親がいなくては生きていけなかった子供のころなら、親の言うことに従い順ずることがこの世で生き残る道だったかもしれないが、今なら98点がよかったのか悪かったのかを自分で決められる。今後どうするかも自分で決められる。

このことに、体全体で気づくことが必要だった。

たぶん、愛情を知るプロセスというのは、

①自分に愛情をかけられるようになる
②人に愛情をかけられるようになる

の順番になるのだろうと思った。

なんだかもうすべてが実体のないフェイクな人生で、このときのカウンセリングでは久しぶりに絶望して泣きまくった。それでもこの数年で、「Authenticに生きる」ことを自分に許し始めているのを感じていた。最初はスローではあるけれど、始まるとぐわーっと右肩上がりになるとカウンセラーも言っていたので、毎日の身の回りのことから取り組んでみようと思った。

降板しました

ここでやっと、父親への手紙が書けた。カウンセリングで父親について話をしたことで、父親へ言いたいことがやっと出てきたようだった。

手紙を書く宿題」を出されてから一か月ほど。早いほうだったかもしれない。カウンセラーから他のクライアントの手紙(人に見せることを了承済みのもの)を見本としてもらったのも大きかったと思う。言葉が出てこないから書き出しが一番難しかったのだけれど、そこを人のを見てそのまま真似して書き出したことで、書き始めることができた。書き終わりも真似をした。

この見本としてもらったものは、10ページに渡って母親にされたことを書き綴っていた。このクライアントは実際にこれを母親に送ったそうだ。もちろん母親が素直にこれを受け入れるわけがなく、絶縁となったそうだ。でも本人はスッキリして、自分の人生を生き始めたとのことだった。

このとき私の一番の問題は、父親に対して「傷つけられた」という気持ちがまったくわいてこないことだった。「あれだけ正義漢面しておいて」という糾弾は山のようにあふれてきても、「傷つけられた」「ひどい」「許せない」という気持ちは出てこなかった。「子供のときの自分」と「今の自分」がつながっていないようだった。

書いた手紙を、眺めてみた。出そうか、出すまいか。

出したいと思ってはいたけれど、カウンセリングで相談してからにしようと思っていた。父親が読まなかったり捨ててしまったりする可能性を考えて、親戚中に送りつけてやろうかとも思った。でもそれをやって自殺でもされたら嫌だなと思っていた。あんな人間いつ死んでもよかったし、昔から殺してやりたいと思っていた。でも自分が引き金を引くのは嫌だった。あんなクソのせいで、自分の人生をこれ以上失いたくなかったのだ。

今思えば、出しても自殺などするような人間ではない。毒親育ちで不安が強い人は、親に仕返しをしたら自殺するのではという不安をもしかしたら抱えているかもしれない。でもそれは絶対にないと今では理解できる。そんな人間ではないから、毒親をやっているのだ。

だいたい、父親が浮気をしていた(いる)ということは、妹や他の人が知っているかどうかは別として、夫婦の間ではもうオープンなことのように思えた。それならばそこに私の子供のころの記憶が付け加えられたとしても、別に自殺するほどの話でもない。たぶん離婚もしないだろう。そう思ったので、インパクトを出すために親戚中にも配ろうと思ったのだ。でも「よくできた従妹」も自殺の可能性を考えたと言っていたので、今はやめておこうと思った。

でもこれで、またなにか問題を起こしてきたらいつでも言い返せるネタが手に入った。それでよかった。

この宿題では自分の中でかたをつけるのが目的であって、本当に送る人はほぼいない。「聞いてもらえない」「また言い返される」という恐怖心を乗り越えて、「自分の言いたいことを自由に言う」こと自体が目的なのだ。相手に対して言わなくてもよくて、紙に書くだけでいい。これで吐き出すことが重要なのだそう。カウンセラーもきっと、送ることに賛成はしなさそうだと思っていた。

とにもかくにも、これで宿題ができた。やっとだった。

カウンセラーは、「まだすごくつらくて思い出したくない記憶が眠っているのではないか」と言っていた。その可能性もなきにしもあらずだけれど、これでも十分ではないかという気もしていた。「自分を守ってくれるはずの親にひどいことをされる」という意味では、浮気で十分だし、それを放置した母親を含めて、完成に近い感じがしていた。

あとは、つらかった気持ちを思い出すだけだった。カウンセラーにも浮気を見たときの気持ちを聞かれたのだけれど、辺りが暗くなって、怖くて早く家に帰りたかったときの気持ちを思い出した。父親が車から出てくる前に、早く母親に告げ口したかったことも。うしろから迫ってくる父親が本当に恐ろしかった気がする。

このときは、これで全部説明がついた気がしていた。私があの家を「家族ごっこ」だと思っていたのも、自分の気持ちや考えがあの家の「台本」に合わないと攻撃されることも、母親が自分のことしか考えられない人間なのも、父親がなにごとも「われ関せず」状態なのも、「妹の離婚」で書いたように妹がどうでもいい理由で離婚していることも、すべて説明ついた。

すべては、あそこが「毒劇場」だったからだ。

・スポンサー、兼脚本家、兼舞台監督の父親
・助監督の母親
・劇中で生まれ育ちそれを知らない妹

全員が舞台の上で生きていた。そう考えると、すべてに説明がつくのだ。こんな見かたがあったとは、思いもよらなかった。

手紙にも書いたけれど、私はそこを降りた。もともと絶縁したつもりでいたけれど、「舞台を降りる」と考えると、まさに自分がしようとしていたことがはっきりとわかった。

私はそれまで、極力降板させられないようにお芝居を続けながら、自分で稼げるように学校に通い、社会人となって自活できるようになってはいたものの、まだ「自立した娘」というたまに出てくる役柄、「海外へ嫁いだ娘」の役だった。まだまだ舞台の上だったのだ。

でももうここで、私はこの舞台を完全に降りた。「長女」の役は、もういない。

完全にあそこの脚本から抜けて、自由の身となった。降板のお知らせを送って、監督に知らせよう。私はもうあなたのお芝居には出られません、あとはお好きなかた同士でお続けくださいな。そういう気持ちで、手紙を締めくくった。

これを書いたら、なんだかすっきりした感じがあった。本当の「新しい一歩」という感じがした。分厚いコートを抜いだような。追いすがるものがぷつりと切れたような、霧が晴れたような、そんなさわやかな感じだった。本当になにかが脱げたのだろう。

あとは、それまでの傷を癒やしていくだけだった。ここからは早いだろう。そんな気がした。