27 過去と向き合う夫

夫の記憶の扉が開いた

そして、週末。

お姉さんとお母さんの家に乗り込んで行った夫が、帰ってきた。帰ってくるなり、私に抱きついてそのまま固まった。泣いていた

どうやらいろいろあったらしかった。結果がどうであれ、聞いてやろうと思った。

なんと夫は、記憶を取り戻した。夫は海外で生まれ、数年そこに住んでいたらしいのだけれど、そのときの記憶が一切なかった。夫の人生の記憶は、イギリスに引っ越してきたところから始まっている。このときに4〜5歳のころに引っ越してきたことが判明したのだけれど、お姉さんと初めて子供のころの話をして、その前の記憶を今回思い出したとのことだった。

この家族の歴史はこうだった。

夫の両親はイギリスで結婚し、夫の姉が生まれた。その後二人目(夫)を妊娠しているとき、お父さんは海外で仕事を見つけ、家族を置いて先に渡航した。家を見つけ、仕事を始めてから、お腹の大きいお母さんとお姉さんを呼んだのだけれど、そのときにはすでにお父さんには他の女性がいた。夫はそこで生まれたのだけれど、生まれる前から両親は喧嘩ばかりだった。お姉さんが言うには、お母さんが突き飛ばされてガラス戸を破って倒れ込んだりしたらしい。壮絶な喧嘩だったそうだ。

その後、お母さんは義理のお父さんになる人と出会い、両親は離婚することになった。お父さんと義理のお母さんに連れられて、夫は姉とイギリスへホリデーに来た。初めてお父さんの実家で過ごし、お父さんと海のある町へ旅行へ出かけ、釣りを一緒に楽しんだ。こんなことは初めてだった。

そんな楽しいホリデーだったのに、ある日突然世界が暗転した。

お父さんの実家にいたとき、突然車の音がした。お父さんが出かけるようだった。自分も急いで支度をして、荷物を詰めて外に出た。お父さんと義理のお母さんが車に乗り込む。自分も乗り込もうとするのだけれど、おばあさんは自分を抱えて離してくれない。お父さんがいってしまう。わけがわからなかった。泣き叫んだのだけれど、届かなかった。お父さんは行ってしまった。海外へ帰ってしまったのだ。

お姉さんからこの話を聞いて、夫はこのときのことを一瞬で鮮明に思い出したそうだ。このとき持っていたおもちゃ、詰めたカバン、お父さんの車、自分を抱きしめる祖母。イギリスでのホリデー、お父さんとの釣り、楽しい毎日。それが一瞬で崩れた瞬間。

夫は、なにが起こっているかまったくわからなかったのだそうだ。お父さんが出かけるから、もちろん自分も出かけるつもりだった。車の音がするから、早く早くと思って、荷物を詰めた。なのにお父さんは行ってしまった。小さい子供にとっては生死に値する衝撃だっただろう。カウンセラーにそう言われていた。

きっと、相当つらい思い出だったのだろう。だから記憶から消されていた。人間の防衛本能というのは、本当にすごいものだと思う。自分を守るために、つらい記憶を消しさえするのだ。テレビの中の話のようだが、本当のことなのだ。

お姉さんは大きかったので、もうなにが起こっているかわかっていたそうだ。お父さんが出かけてしまうときも、追わなかったらしい。このあとお母さんと義理のお父さんが迎えに来て、一家はイギリスで生活を始めることになる。お母さんがイギリスで住む家を探している間、お父さんが子供たちを預かっているという話だったらしい。

あとから聞いた話だけれど、義理のお母さんははじめ、お父さんが結婚していたことを知らなかったらしい。お母さんもお姉さんもみんな、お父さんが自己中心的でひどい男だったと言っている。夫もこのときは二人に同調していた。

でも、そうだろうか。本当に、それだけだろうか。

確かに、子供がいたのにも関わらず浮気をしたのは許せないことだと思う。でもそもそもお母さんも重すぎたのではないだろうか。「毒親の予感」でも書いた通り、自分は望まれた子ではなかったと今でも傷ついており、それを満たすためだけに生きている。それをお父さんとの結婚生活で求め、お父さんは逃げたのではないだろうか。

ちょうど、私と夫のように。

お母さんは「愛着障害不安型なのだろう。そしてお父さんは、回避型

そしてきっと、義理のお母さんは安定型だったのではないだろうか。

彼女もかわいそうな人で、子供がほしかったのにも関わらず、お父さんがいらないと言って、子供を作らなかったらしい。お父さんはそのくせに自分はたばこを吸ってお酒を飲んで、心臓の手術を二回もして、早くに亡くなってしまった。残されたのは、彼女一人。お父さんはきっと、最後まで回避型だったのだろう。のちにお父さんのこの心臓の問題は、遺伝ではなく突然変異的なもので、生まれつきだったということを知った。もしかしたらそれが、お父さんが回避型だった一因なのかもしれない。

そして夫は、お姉さんとお母さんに私となにがあったのかもきちんと話してきた。話をしたら、わかってくれたようだった。夫がいかに私に対してひどかったかということを話したら、「Kelokoでなかったらとっくに離婚されてたよ」とため息をついて言っていたと。いつも問題をどうにかしようと頑張るのは女だ、男はまったく、と言っていたそうだ。

お姉さんとその旦那さんも似たような問題があって、一時期大変だったという話も聞いてきたそうだ。二人とたくさん話をして、三人でたくさん泣いてきたと言っていた。これで家族に謎がなくなってよかったと思う。もし知らないことが出てきても、これからは聞くのになにも抵抗がないだろう。

夫は、「作家がどうして小説を書けるのかがわかった」と言い始めた。びっくりした。人にはいろいろな感情があって、どこからそういうものが出てくるのがわかったと言っていた。小学生か!と思ったけれど、今までこんなにも大きな感情を押し込めてきた夫が、やっと人間らしくなってきたのだろうと思った。

それまでは自分の感情から目をそらすため、ひたすら仕事と趣味しかしてこなかったのだろう。それでこんなにも空っぽな人間になってしまったのだ。そしてここでその今まで押し込めていた感情の蓋を開けた。これからどんどん変わっていくだろうと、カウンセラーも言っていた。

夫の新しい仕事が始まり、少し緊張しながら出かけて行った。

新しい年、新しい月、新しい人生。よかったなと思った。

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夫の母親

また、カウンセリングで夫のお母さんについても話をした。

「きっとお母さんもネグレクトしていたわけではないと思うけれど、自分のことばかりで息子をきちんと見れていなかったのではないか」とカウンセラーに言うと、「ネグレクトではなかったと思うか?」とカウンセラーが言い出した。

空気が止まった。

言われてみれば、その通りだった。思い当たる節がありすぎた。

以前のカップルカウンセリングでも、私は「うちの親は私のことをまったく見ていなかったし、今でも見ていない」という話をしたことがあった。そのとき夫は「母親からきちんと愛情を感じていた」と話していたのだけれど、ちょっとおかしいと思ったことがあった。

子供のころ夫は、田舎で海や森を駆け回って遊ぶ毎日を送っていた。そんな中、ものすごく高い木に登って、落ちたことがあったらしい。奇跡的に怪我一つなく助かったのだけれど、死んでいてもおかしくはなかったそうだ。でもその話を母親にしたとき、お母さんは心配そうな顔をしたから、自分は愛情を感じられていたと、そう言っていた。

だがそれって、おかしくないだろうか?

普通なら、「もう登ったらいけません!!」などとめちゃくちゃ怒るものではないだろうか。夫はきっと「愛情があった」と信じたいのだろうけれど、絶対おかしいと私は感じていた。さらに夫は「いつもそうやって危ないことをしていたから、遊びに行っていきなり死んでしまうなんてことがあっても不思議ではなかった」などと言ったりする。そういうことを言う自体、満たされていなかった証拠ではないか。「遠くへ行くんじゃありません!!」と怒って心配してほしかったのではないだろうか。

大騒動の襲来」のときだって、そうだ。別居しカウンセリングを受けている息子夫婦、その嫁が予定を切り上げて突然帰ってしまった。普通の親なら「大丈夫か?」と息子の心配をしないだろうか。間違っても「久しぶりに息子と年末を過ごせる!」と喜んだりしないだろう。

さらにカウンセラーから、驚愕の話を聞いた。「夫の仕事が決まって」それをお母さんに言ったところ、「じゃあもうちょくちょく来れなくなっちゃうのね」と悲しんでいたというのだ。

どこの世界に、息子の就職を喜ばない親がいるのだ。息子が夫婦で仕事がない上、カウンセリングでじゃんじゃんとお金を使う。ずっとこのまま生きていけるわけがない。いくつも面接へ行って、やっとつかんだ仕事だ。息子が自分に毎週会いに来てくれるよりも、よっぽど仕事をして生活してくれることのほうが、親にとっては安心なはずだろう。嬉しいはずだろう。それがない。

毒親の予感」の通り、この人はまさしく毒親なのだと思った。

夫の妹が壊れているのも、夫がこんなであるのも、まさしくこの人のせいだ。この調子なら、お姉さんだって壊れているに違いない。

私が予定を切り上げてお母さんの家を出てきてしまったあと、残された夫は妹と話をしたそうだ。そこで夫はこの家族になにがあったのかを、生まれて初めて聞いた。その話があまりにも衝撃的だった。

夫は5〜6歳のころから義理のお父さんと暮らしてきたわけだけれど、夫が十代後半のころにお母さんはそのお父さんとも離婚した。ある日突然、お母さんは子供たちになにも言わず家を出て行ったのだそうだ。義理のお父さんが部屋にやってきて、「お母さんは出て行った」と告げられた。夫はお母さんを探して家を出た。でももうどこにも見つけることはできなかった。

ここまでは、夫から聞いたことがあった話だった。でも、なぜお母さんが家を出て行ったのかを知らなかった。二番目の旦那にも浮気をされたかなにかで、絶望して出て行ったのだろうと私たちの間では話していたのだけれど、実際はまったく違った。

浮気をしたのは、お母さんのほうだった。しかも、義理のお父さんの親類と。

このころ、義理のお父さんの親類が海外から引き上げてきていて、家には知らない人がたくさん泊まりこんでいる状態だった。家の中がつねにわさわさしていてまったく落ち着かず、大変な時期だった。それに加えて、お母さんが浮気をした。しかも相手は、夫からするといとこに当たる人だった。お母さんはそれがバレて家を出て行き、さらにはその浮気相手にお金を持ち逃げされている。義理のお父さんはこのとき、自殺未遂までしたらしい。

それはそうだ。私でいえば、夫が私の姪と浮気をするようなものだろう。頭もおかしくなる。

カウンセラーも言っていたけれど、このお母さんは自分の幸せを求めることで精一杯で、子供たちに充分な愛情を与えてこれなかったのだろうと思う。「親から望まれていなかった」という穴を埋めるべく、自分が愛情をもらうことしか考えられない、「愛情ゾンビ」なのだ。だから息子の幸せよりも、自分のことしか考えられない。息子が嫁とうまくいくよりも、自分と年末を過ごしてくれる一瞬の喜びに走ってしまう。息子の就職よりも、自分に会いに来てくれるほうを望んでしまう。

そういうお母さんのもとで育ったもまた愛情を与えてもらえず、「愛情ゾンビ」になっていたのだ。だから見た目は妻に尽くしているように見えるのだけれど、実際は自分のことしか考えられない。自分の弱いところから目を背けるために、妻を攻撃してしまう。妻が傷つくことよりも、自分の矜持が大事なありんこになってしまう。

実はこれをずっと夫に訴えていたのだけれど、夫はまったく理解していなかった。夫はよくある嫁姑問題だと思っていたらしく、「そうだね、お母さんはKelokoのこと大切に思っていないよね」などと言っていた。馬鹿か。

そこで「そうではない、お母さんはあなたのことを大切に思っていないのだ」と言ってやった。

珍しく夫が「え…???」と固まった。

息子が将来嫁とうまくいくことよりも、年末自分と一緒に過ごす一瞬の楽しみをとってしまうお母さん。息子が木から落ちたと聞いても、怒って木登りを禁止にもせずちょっと悲しい顔をするだけのお母さん。息子の就職よりも、会えなくなる寂しさが先に来てしまうお母さん。

私がこんこんと説明すると、夫は反論することもなく黙って聞いていた。きっと他にもたくさん思い当たることがあったのだろう。「頭ではわかるけれど、気持ち的には信じられない」と、大きなショックを受けていた。

きっと、ある日突然「自分の親が毒親だった」と知る人というのは、このようなものなのかもしれない。私の場合は、もうずっと親がおかしいと思って生きてきたから「これか!ついに見つけた!」という気持ちだったけれど。そうではない人にしてみれば、突然まったくの別世界に放り込まれたような思いをするのかもしれないと思った。

ここが、夫の大きな転換点だった。

愛されていたと思っていた。愛されていたと思い込みたかった。でも現実に起こったことをきちんと見てみると、必ずしもそうではなかったということがわかった。たぶん、愛情がまったくなかったわけではないだろう。でも自分が自立し生きていく上で、充分なものではなかったのだ。

ここからがたぶん大変な戦いになるのだろうと、私は思った。でももう頑張るしかないのだ。これを脱して、きちんと「大人」になる方向へ進んでいけないと、一緒にいることはできなくなる。理解はしただろうけれど、ここから「どう脱していくか」がこれからの議題だった。でも、もうそれまでの気づきのなかった世界とはまったく違うのだ。

 「あなたのことを一番きちんと考えているのは、私だ」
 「向こうでなにを言われても、ここがあるのだから、帰ってくればいいからね」

そう言って、お姉さんの家に出かけていく夫を見送った。

責任感を身につけた夫

このころ、自分のカウンセリングでも夫の話をすることが多くなっていた。

夫がまた実家に行って話をつけてくると言い出したことをカウンセラーに伝えると、カウンセラーはびっくりしていた。私はてっきりカウンセラーから促されて夫がそうすることにしたのだと思っていたのだけれど、違ったらしい。夫のカウンセリングでは、お母さんの誕生日に行ってなにも話をしてこなかったことについて話し合っただけとのことだった。

カウンセラーは、きっとその話の中で夫に「自分がしっかりしなければいけない」という気持ちが芽生えたのだろう、と言っていた。たった一回でこの夫に「嫌だけど必要なこと」をやる気持ちにさせることができる、このカウンセラーは恐ろしいと思った。この人に出会えたことは本当に奇跡だと思った。

夫はきっと、「父親」が必要だったのではないだろうかと思った。今までずっと父親がおらず、義理のお父さんがいても本当の親ではないから、なにを言われても反抗するだけで終わってしまう。お母さんはあんなだし、誰も夫に「これをやれ」「そういうことはするな」と言って聞かせられる人がいなかったのではないか。だから「嫌だけれどやらなければならないこと」をしたことがなかったのではないか。

その後、夫のことはそっとしておいたのだけれど、翌日仕事から帰ってきて夕ご飯を食べたあとに、「ちょっといい?」と話しかけられた。びっくりした。

今まで夫は、自分からはなにもできない人だった。渡英したばかりのころ、三日間無視をしたあとに、職場に花が届いたことがあった。カードには「Please talk to me(話をしてください)」の言葉。面と向かって「話をしよう」のひとことも言えない人だった。ただただひたすら私のアクションを待つだけの、夫でもなんでもない、飼い犬のような人だった。

その夫が、自分から沈黙を破って話しかけてきた。衝撃だった。

さらに、話した内容がそれ以上に衝撃だった。

「やるべきことをいつまでも放置していることは、もうやめる。これからは、すぐやる。Kelokoをいつも不安な状態にさせておくのは、いけない。言った通り、今週末姉さんと母さんと話をしてくる。運転教習もすぐ行く。健康診断も予約してきた。他になにかある?」

いったいどうしたというのだ。

確かに、フリーランスで時間がある今のうちに免許を取りに行かなければ、という話はしていた。同様に、健康診断も。それでもなかなか行かなくて、けっきょく仕事がもう決まってしまったのだけれど。いいことだけれど、この変化はなんなのだろう。

びっくりしてこのこともカウンセラーに聞いたところ、どうも夫と次のような話をしたらしい。

なにかやるべきことに関して、私は心配しすぎるし、夫はお気楽にいつまでも放置する傾向がある。そこで私はたまに「どうなっているの?」と突っ込むわけだけれど、夫は「これが終わってからでないとわからない」のようなもっともらしい理由を述べて逃げてばかりいる。さらに私が突っ込めば、「自分のペースでやらせろ!」と逆ギレする。

私は夫の理由がしっかりしていればそれまで待つことができるけれど、夫は自分のペースでしかやりたくない。要は、私は夫に合わせられるけれど、夫は私に合わせられないのだ。

これが、私が「この人は一人で生きている」と感じ、一緒に生きている感じがまったくしない理由だった。

一人で暮らしているときは、それでもいいと思う。やることがあったとしても、自分のペースで、やりたいときにやればいい。でも人と暮らしているということは、自分のペースだけでやってはいけない。相手のペースも考えて、合わせるところは合わせていかなければならない。

夫はこういうとき、「ペースが合わないということは別れたほうがいいのだ」というような馬鹿を言う人だった。人にはそれぞれペースがあって、人それぞれなのだから、それを尊重して生きるべきだ、だから合わないなら別れればいい、という。

この考えかたにも、一理ある。日本人の場合はどちらかというとなんでも合わせずに、夫のような考えを少し持ったほうがいいとは思う。でも、なんでもかんでも合わなければ別れるというのはおかしい。その証拠に、夫には長くつき合えている友人が一人しかいない。それでは一生かけても一緒にいられる人など見つかりっこない。夫はそれでもいいと言う。自分は不適合者なのだと、だからしかたのないことなのだと。

でも、そうではない。夫は人に合わせることを学ばなければならない。

夫自身も、自分がいつまでたっても言い訳をしてやることをやらないでいるという認識があるのだ。自分でもそこがだめだと思っているわけだ。そこを私が突くから過剰防衛になって、「これが俺だ!人を変えるのではなく、ありのままのその人を受け入れることが愛情だ!」とアホ丸出しなことを言ったりする。それはもちろんその通りなのだけれど、これは「人を変える」のではなくて、「悪い癖を直す」というだけの話だ。

夫はこういうところが非常に巧妙だった。自己肯定感がなく過剰防衛に走る人は、なんでもするしなんでも言う。自分を守るために、ありとあらゆる手を使ってくる。母国語でも大変なのに、これを英語でやられるともうお手上げだった。毎回毎回、どこからどうすれば切り崩していけるのか、脳みそがなくなるほど頭を使った。自分だってトリガーされてつらいのに。本当に死ぬ思いだった。カウンセリングで知恵を得てそれを使いまくるのだけれど、夫はそれをもさらにねじ曲げて使って攻撃してきた。本当に救いようがなかった。

でもカウンセラーのおかげで、夫はひとつこれをやっと認められたのだと思う。夫がやり終わるまで、私はずっとそのタスクが頭から離れず、リラックスできない。そりゃあ歯ぎしりだってするだろう、と。他人から冷静に指摘されることで、認めることができたのだ。

またカウンセラーは、お母さんに気を使いすぎて自分の妻をないがしろにしてはいまいか、という話もしたらしい。お母さんの誕生日だから、お母さんが話したいことを話そう、自分だってネガティブな話はしたくない、そうだそれがいい、と正当化して、せっかく70ポンドもかけて出かけて行ったのに、なにもせずに帰ってきた。あなたの奥さんの気持ちはどうなるのだろう、と。

親に気を使うことも、よくしてやりたいと思うことも、普通だ。でも誰もお母さんをいさめることができない。唯一お母さんと喧嘩をするお姉さんであっても、最後は絶対にお母さんに謝ることになっているのだという。

カウンセラーいわく、たぶんこの子供たちは三人ともどこかに「お母さんに捨てられたらおしまいだ」という根源的な恐怖が残っているのだろうということだった。親が離婚すると、唯一自分のもとに残った母親がいなければ生きていけないと、子供は潜在的な恐怖を抱えるのだそうだ。再婚したとしても、「お母さんがいるから義理のお父さんは自分たちの面倒をみてくれるのだ」と思うのだ。お母さんに強く出ることができないのは、当然だった。

さらにこの家族には「メンタル的なことは話さない」という暗黙のルールがある。夫が話をせず帰ってきてしまったのは、当然の結果だった。

子供のころにすりこまれた恐怖は、それをどこにも出すことができないまま、誰にも認識されることがないまま、まだ潜在意識の中に残っていた。大人になった今、自分で生きていくことができるようになった今でも、それがトラウマとして残ってしまっているのだ。それに気づいて、「ああ、もういらないな」と認識してやるというステップを踏まなければならない。

以上のカウンセラーとの話をへて、「自分にはお母さんやお姉さん、妹などの家族がいる、でもKelokoには誰もいない。家族とも疎遠だし、その上遠い外国に来て住んでいる。Kelokoには自分しか頼りになる人がいないのだ。「夫の膜が取れた」でも思った通り、自分の健康をとても気づかってくれるいい奥さんではないか、自分のことをこんなに大事に思ってくれているではないか」というところへ、夫はまんまと誘導されたようだった。

そして「自分がKelokoを守るのだ!!」という小学生のような使命感に燃えて、お母さんのところへまた行って話をつけてくる決断をしたようだった。まさに「北風と太陽」の童話のようだった。

このカウンセラーは、本当に恐ろしいと思った。ただただ感謝の気持ちでいっぱいだった。