25 義理の家族との大騒動

人間としてつき合う

一連の騒動があって、いろいろと思うことがあった。

私の人生は、生まれてからずっと「家族」と呼ばれる人たちとの戦いだった。生まれた家族と戦って、一緒になった夫と戦って、新しくできた義理の家族と戦って。常に、その関係からの脱却と、そこから自分の人生を取り戻すことをくり返している。いったいなんなのだろうと思った。

普通の人にとってはもっとも身近で、もっとも頼りになり、もっとも自分のことを思い助けてくれるだろう、家族。

それが私にとっては、もっとも身近から、もっとも辛辣に、もっとも裏切られ傷つけられるものだった。

「裏切られる」という言葉が、一番正しいと思った。自分のことを思ってくれて、自分を助けてくれるだろうとなんの疑いもなく思っていた人たちから、ひどい目にあう。このは、言葉では表現しきれない。

さらにひどいのは、「家族」というカテゴリーの人からされることというのは、どんな目にあわされていても「家族なんだからそんなわけない」「私のためを思ってやってくれてるのだ」とまずは思ってしまうこと。それがさらに傷を切り裂いて広げていく。これが赤の他人だったら、一度なにかあればすぐにでも気づくのに。

そしてそれよりももっと恐ろしいのが、それが「周りからまったく見えない」ということだった。家族本人たちも私につらく当たっているなど思ってもいないし、周りから見たら私のことをすごく愛情を持って接しているいい「家族」にしか見えない。

そうすると余計に「ひどいことをされている」という認識を妨げ、たとえ認識できたとしても周りにまったくわかってもらえず、ひどいときには周りから自分が責められたりする。

世界から切り離されて転落していく、この恐怖。

声を上げてもわかってもらえない、信じてもらえない、この恐怖。

私にとってこれが、生きている上でもっとも恐ろしいことだった。この悪夢を何度も見た。さらには「悪夢に夫が追加」されたりもした。家族でなく会社でもどこでも、これと同じ状況に陥ったときに、たとえどれだけ小さいことでも、恐怖のどん底に陥った。

でもその中で、ちゃんとわかってくれる人たちがいた。私のことを気にかけ、応援してくれる人たちがたくさんいたことに気づいた。今までもいたし、今もいるし、きっと今後もいてくれると思った。

血のつながりでも、親類としてのつながりでも、なんでもない。ということは、親類でも利害関係でもなんでもないということは、きっと純粋に私自身を気に入ってくれている人たちなんだということに気づいた。

自分、やるじゃん!!!と思った。

私が素敵だと思う人たちが私の友達でいてくれているということは、私もその人たちに少なからず素敵だと思われているということだった。これはすごい自信になることに気づいた。

もしかしたら自分はこの人生で、本当の「つながり」や「思いやり」「愛情」を学ぶように生まれたのかもしれないと思った。血縁でも親類でも、お金でもない。それはそれで悲しいことだったけれども、純粋に人と人として、お互いを思いやってつながっていけるのだということ。

そういうことを学ぶために、この人生があったのかもしれない。そんなことを考えるようになった。

まだまだ平均寿命までは何十年もあるから、この先どうなるかわからないとは思った。でもこのとき、私は私の周りにいてくれる人たちによってそれに気づくことができた。そして私も同じく、他の人にそれを気づかせてあげられるようになるかもしれない。そういうこともあるかもしれないと思った。

人生、親兄弟でも親戚でもないのだ。そんなことは当たり前のことだけれど、このときまでそこに強く固執しすぎていたように思った。

親戚だって嫌なやつは嫌だし、いいやつはいい。家族だから信用できるわけではなく、信頼できる人だから信頼できる。それが現実をそのまま把握するということだ。信頼できる人とはそういう信頼し合ったつき合いを、信頼できない人とはそれなりのつき合いをすればいいわけだ。

家族もなにも関係ない。「人間」としてのつき合いをすればいいのだ。そう思った。

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大騒動から学んだこと

そして、新年になってすぐカウンセリングへ行った。

まずは二人で行って今回の騒動について話をし、翌日に私だけのセッションもおこなった。

この件ではまず、私が親のような人間と出くわしたときに必ずぶち当たってきた問題が浮き彫りになった。このときの夫のお姉さんのように、「Bossy(偉そう)」で親分風や先輩風を吹かせてくるような人が、私は苦手なのだ。親と同じだからだ。

カウンセラーいわく、親=「Authority(権威)」に対するトラウマということだった。

たとえば夫のお姉さんだったり、お母さんもそうだし、また上司や社長や、年が上で権威的な態度を取る人。そういう人に遠慮なくがーっと批判されると、私はまず「自分が悪いのだ」と自分の中に原因を探し、必要もないのに謝ってしまうのだろうと。

このときもけっきょく最初は「あんなによくしてくれた義理の家族をDissapoint(がっかり)させてしまった」と、三日間も泣き続けた。でも本来ならそうではないと。あんなによくしてくれて、「いつでも話においで」などと言っておきながら、いざ話が持ち上がると突き返してきたのだから、「向こうが私をDissapoint(がっかり)させたのだ」と言ってくれた。

そうか、たしかにそうだ。たしかにがっかりだ。

でも完全に自分は悪くないにもかかわらず、批判されると謝ってしまう。これは簡単に言うと、小さいころから親から批判されて育ったので、それが内在化されてしまっているということらしい。

カウンセラーがいつも言うには、私の中には「Little Girl(小さい女の子)」と「Adult Woman(大人の女性)」が存在してて、「Adult Woman」としての私は、「私には新しい夫が必要だ、具合が悪いときにそばで見てて声ひとつかけてこないやつなんて嫌だ」と、堂々と自分の声を上げる。

でもそれを批判されると、同じように批判されて生きていたころの「Little Girl」が出てきてしまって、「私が悪いんだ」と自分の中に原因を作って傷つき、謝ってしまう。

この、今は完全に分離してしまっている「Little Girl」と「Adult Woman」を、統合させることが必要だとのこと。

このことは、どんな心理学の本にも書いてあった。でもこのときはまだ意味がよくわからなかった。カウンセラーに「なぜ二人に分かれてしまっているのか」と聞いたところ、自分自身を守るためだと言われた。「つらい思いをしているのは自分ではない」ということにすれば、傷つかずに済むからだと。なんだか昔に読んだビリー・ミリガンの世界のようだと思った。

次に、夫とのことを話した。

自分、相手、私たち」で話したように、夫には「私たち」という概念が欠けている。私ばかりが二人のことを考えて動いていて、二人で乗っている船を一人で漕いでいる。これはどうしたらいいのかと。

ではたとえば、旅行の計画。私が計画を立ててすべてを手配する。夫は自分はなにもしないで、人の組み立てたスケジュールに乗っかるだけ。なのにその上で文句を言われるからたまらない。「Kelokoの好きなところでいいよ」と「自分は自分の妻のやりたいようにさせてやる寛大な夫だ」と思っているけれど、要は面倒なことが嫌なだけ。これではいけない。

カウンセラーは、

夫:行き先(飛行機)を決める
私:ホテルを決める

というように、分担するのはどうかと提案してきた。

でもそうすると、行き先が決まらないとホテルも決められないのに、夫が「旅行は二か月先だよ」などと言っていてなかなか決まらない。それで二週間一週間前になってあわててやり始める。するともうホテルもフライトも高い。逆の担当にしても同じだ。

するとカウンセラーは、夫に「まだ二か月もある」と言われても、「私はすぐ決めないとUncomfortable(落ち着かない)だから、10日以内に決めて」と言えばいいと言ってきた。

え…「Uncomfortable」って、理由になるの?

びっくりした。「自分が落ち着かない」ということが、早く決めるべき理由になるのか。早く決めないと「私が不安ですっきりしない」ということが、夫を急かすちゃんとした理由になるのか。

それを聞いたとき、がぶわーっと出てきた。そうなのか…と思った。

今までは夫や親に対して、私は「なぜ10日以内でないといけないか」という理由をどうにかこうにか考えて言わなければならなかった。たとえば「それ以降になると仕事が忙しくなって旅行のこと考えていられなくなるから」だったり、物理的な理由が必要だった。

それでも夫からは「でも旅行だし、面倒だから後でいいよ」と言われて終わりだった。それで不安で落ち着かないままギリギリまで過ごし、選択肢も少なくなった直前になって私が全部決めなければならなくなるのが常だった。

でも、「落ち着かないからやって」と言っていいのだ。自分が不安なこと、居心地が悪いことを理由に、「自分はこうしたい」「これがしたい」ということを言っていいのだ。

これは衝撃だった。

今まで常に「自分の気持ち以外の理由」を言わなければならなかった。「単なる自分のわがままではないのだ、こういうちゃんとした理由があるからやってもらわないと困るのだ」と。

でも、私の気持ちそのものが立派な理由になるわけだ。これが健康な家族というものなのかと、カルチャーショックを受けた。

このとき、以前ヨガで涙があふれて止まらなくなった「I am here!」のときと同じ感情が出てきた。「私も存在しているんだ」「ちゃんとここにいるんだ」という感覚だ。親からの否定を内在化して自分でも自分を否定していた自分が、自分の存在を自分に認めてもらえて嬉しかったのだと思った。

毒親の予感

こうして、夫の家族のことがようやくいろいろとわかってきた。

大騒動から見えてきたもの」で書いた通り、夫は自分で考えて行動することができなくなってしまった。私がお母さんの家を出て行ってしまったから後を追おうとしたけれど、私に「残れ」と言われれば残ろうとしてしまう、お母さんがそれを喜べばそれが正しい選択なのだと思ってしまう。

でも今回、最後には向こうを出て私を追ってきた。カウンセラーのメールを受け取る前に出てきたと言うから、ではなぜ出てきたのだと聞いてみたら、「やっぱりKelokoと年越しをしたかったんだ」とぽつりと言った。

きっとこのとき、夫は人生で初めて周りの言うことを振りきって、自分で考えて行動したのではないだろうか。

ただ、私がなにを求めているのかを推測して、帰ってきたという可能性もある。それだと、親が言うことをそのままやっているのと同じになる。そうではなく、「二人のためにはどうしたらいいのか」を考えて行動できるようにならなければ。

自分、相手、私たち」で話したように、二人のために、戻ったらいいのか、残ったらいいのか、私を日本へ行かせるのがいいのか。自分がどうしたいかではなく、私がどうしたいかではなく、

「二人のために、なにが必要か」
「そのために、自分がどうするのがいいのか」

これができないといけない。

そうしてこの家族の中で、お母さんやお姉さんの言うことに左右されずに、自分が「こうしたほうがいい」と思ったことをやれるようにならなければならない。

仕事や他のことに関しては、夫は家族の意見などとは関係なく自分の思う通りに生きている。でもこの「メンタル面」に関しては、だめなのだ。周りが常に「こうするべきだ」と指導しなければ、自分の妻に「大丈夫?」と声をかけることすらできないのだ。

当時の夫は、知らない人に声をかけたりなにかを尋ねたりすることも本当に苦手だった。できるだけそうしなくていいように生きていた。すべてはこの、家族とさえきちんと関わらずに育ったことが、原因だった。

そして今回のことで、私はお母さんに大きな疑問を持った。

私を追いかけようとした夫が、やっぱり実家に残って年越しをすると言ったときに、お母さんが「息子と一緒に年越しができる!」と喜んだと聞いたときは、びっくりして言葉が出なかった。お母さんにとって嫁の私のことはどうでもいいとしても、息子がこんな問題を抱えている状況で喜べる神経がわからない。

さらには、夫が「でもやっぱりKelokoが一人で年越しをするなんてかわいそうだ」と言えば、「私なんてもう何年も一人で年越ししてるわよ!」と言われたそうだ。息子とその嫁の話なのに、完全に自分の話になってしまっている。

最終的に、夫が私を追いかけてやはり帰ることにしたら「そうすると思った」と、嫌味を言ってきたらしい。普通なら「そうしなさい」が出なかったとしても、「それがいい」くらいは言うところだろう。

やはりこのお母さん、どう考えてもおかしい。

極めつけが、今回みんなで泊まったりしたことがよほど楽しかったのか、「お金を出し合って大きな家を買って、みんなで一緒に住もう」などと言い始めたこと。成人した子供を近くに置きたがるのは、毒親の典型だ。

以前から、夫と泊まりに行くたびに「こっちに住んだらいいのに」とは言っていた。寂しいのだろうとは思っていた。でもまさか一緒に住もうと言い始めるとは。しかもこんなタイミングで。

この騒動の前だったら、私も家族愛に飢えていて似たようなことを考えていたし、もしかしたらそうしたいと言ってしまったかもしれない。でもこの騒動をへて、そんなことは絶対に無理だと思った。「無理」と食い気味で返した夫に、お母さんは悲しそうな顔をしていたらしい。

このお母さんは、相当な問題を抱えているのではと気づき始めた。もしかして毒親なのではと。

以前に親について聞かれたとき、お母さんは「自分は望まれた子ではなかった」と言っていた。今思うとここでも、私の親の話が完全に自分の話になってしまっていたのもやはりおかしい。

お母さんには、がいたらしい。でもその子が幼くして亡くなってしまって、だから両親は自分を作ったのだと言っていた。なのに自分が男の子ではなく女の子だったから、親はがっかりだったと。そういうかなりヘビーな話を、自虐的に笑いながらしていた。

そんなことを私に言われても、どうしたらいいかわからず黙るしかできなかった。

お母さんの中では、その思いがまだまだ消えていない。二度も結婚をして、三人の子供を持って、親が亡くなり、自分が還暦を超えても、ずっとその思いが残って自分を苦しめ続けている。そしてそれが子供たちにもとなって染み込み、問題を脈々と引き継がせてしまっていっている。

そんなお母さんに育てられたことで、夫はお母さんの傷を埋めるばかりで、自分が子供でいる経験が充分できなかったのだろう。お母さんは今もまだこうして、息子と一緒に新年を祝い、一緒に暮らすことで、自分の傷を埋めようとしている。

でもその傷は、お母さんが自分で埋めていかなければならないものだ。

そういう家庭が嫌だったから、夫は物理的に遠くの大学へ行き、日本へ行くようになったのだ。そしてこれからは、メンタル的にもこの家族から自立しなければならない。

今までずっと体は外に出ていたけれど、メンタル的にはずっと実家にいたのだ。夫はそれに気づいて、家から出なければならない。そして自分の人生を歩み始めなければならない。このときがその第一歩だったのではないか。

夫と無事新年を迎えながら、これでもう大丈夫だと思っていた。でもそうではなかった。