24 ふたたび日本へ

「プロカウンセラーの夢分析」

もう一冊、古本屋で夢分析の本を見つけたので買ってきた。

「夢」というとほとんどが「夢占い」の本が多く、当てにならないものが多いと感じていた。私はヒプノセラピーの体験もあり、夢はランダムなものではなく、自分の潜在意識の現れだと考えていた。カウンセリングでも気になる夢の内容を話し、自分のメンタルの状態を紐解く手がかりにもしていた。

ただイギリス人のカウンセラーの解釈は、日本人の感覚とは離れていることもあったりして、自分なりに解釈してみる必要もたくさんあった。例えば「緑」という色が出てきたとする。イギリス人にとって緑は、もちろん「新緑」のような若々しい意味合いもあるけれど、「病気」も連想できたりする。でも日本人には「緑」と「病気」は結びつかない。

こういった感覚の違いがあるので、自分で夢を分析できるようにはなれないものかと考えていた。そこにこの本を見つけた。

dream analysis

「プロカウンセラーの夢分析 心の声を聞く技術」東山紘久著

よくある夢分析の本は、辞書のようになっていてそこに解説が書いてあるのだけれど、これは実際の例を挙げながら「分析のしかた」を書いた本だった。

この本の素晴らしいところは、「その夢を見た人によって解釈が異なってくる」と書いてあるところだった。当たり前のことだけれど、例えば上記の「緑」でも、見たのがイギリス人か日本人かで異なってくる。その人が「緑」に関してどんな経験があり、どんな印象を持っているかでまったく意味が異なってくる。

本の中に出てきた例で、「高校の教室で試験を受けている」というのがある。これも当たり前だけれど、見た人が高校生中年のおじさんかで、まったく意味合いが違ってくる。また同じ夢でも、その人がどんなときに見たかによっても意味が変わってくる。見た人の心理状態をよく分析し、その上で夢の内容を紐解くことで、その人の潜在意識の状態がわかる。とてもおもしろかった。

自分でもやってみたけれど、やはり難しかった。でも意味のわかる夢もあり、おもしろかった。

「アダルト・チルドレン癒しのワークブック」

このときの帰国で、解毒に関する本を何冊か買ってきていた。

私は昔から書き込み式の本が好きで、解毒に関してもそういう本がないものかと思っていた。待ち合わせの間に立ち寄った本屋で、自分で取り組めるワークブックがあったので、これは素晴らしいと思い買ってきた。このときにはもう「お金に関するトラウマ」を認識していたので、自分のために新品の本を定価で買うことに抵抗はなかった。成長したと思った。

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「アダルト・チルドレン癒しのワークブック 本当の自分を取りもどす16の方法」西尾和美著

あとでネットで見てみたら、セルフスタディキットや、CDなども発売されていた。でもとりあえずのとっかかりとしては、この本からでも十分だと思う。

ワークブックのいいところは、単に知識を取り入れるだけではなく、自分の問題を実際に当てはめて取り組んでいけるところだ。また自分が回復するのに、どのようなステップを踏んでいくのかというところがあらかじめわかる。この本では、

第一部 自分の過去を知る
第二部 自分の癒やしに向き合う
第三部 新しい自分に出会う

の三部構成になっており、自分が今どこのどんな段階に取り組んでいて、あとどんなことがどれだけあるのかが明確になっている。カウンセリングを受けていると、「こんなにもまだつらくてあとどれだけかかるのか」と不安になることがある。もちろんカウンセラーに聞けば教えてもらえるものの、それでもぼんやりとしか想像できない。この本なら裏表紙に書いてあるStepを見ても、全体像を把握しながらカウンセリングを受けることができる。

このステップを、自分のペースで、自分のできるところからやっていくということが大事だと思う。私はできないところがいくつかあったので、心の準備ができるまでそこを飛ばして進めていった。できないところは「なぜできないのか」をカウンセラーと何度も何度も話し、自分のメンタルがついてきて納得できるようになったタイミングで進んでいった。

最終的には第三部を始めたところで止まってしまったけれど、また残りをゆっくり取り組んでみようと思う。たぶん第三部に入るころにはみなメンタルが落ち着いてきて、日常生活に支障なく生きられるレベルになるのかもしれない。

このころカウンセリングの宿題で、親に手紙を書いてみるように言われた。これはまさにこのワークブックにあった「グリーフ・ワーク」の一環で、私がなかなか手をつけられないでいたところだった。

親を目の前にするとトリガーされてなにも言いたくなくなるけれど、離れたところで時間を好きなだけかけることで、親に対して言いたいことを書く。これで面と向かって言わなくても、メンタル上では「言いたいことを言った」に近いこととして処理される。これをすることで、だんだんと「周りに影響されることなく言いたいことを言えるようになる」ことを目指す、というのがこのワークだ。

でも一週間まったくなにもできなかった。親になんてなにも言いたくないのだ。言葉をかけたくないのだ。いくら私の練習のための手紙でも、親を頭に思い浮かべるだけで、汚れるような気がしてできなかった。想像の中でも関わりたくなかった。髪の毛一本でも見たくなかった。

まさに「拒絶」だった。本当に自分はよくなっていけるのか。このワークができるようになる自分が、このときはまったく想像できなかった。

次回帰国時の対策

日本から戻り、カウンセリングでこのときの様子を話し、次回の対策を聞いた。

実家そのものに行ってはおらずとも、親がいたり親戚がいるという昔の環境に出くわすと、やはり「子供の自分(Little girl)」が出てきてしまうのだということだった。

大人の女性(Adult woman)」ならば、母親に対して「祖母と二人で話したいから外に出ていてもらえませんか」と言えただろうと。確かにそうだ。でも親を目の前にすると「子供の自分」に戻ってしまい、普通に行動することができなくなってしまう。言動に制限が出てきてしまうのだ。

それもあったけれど、私は母親から「なんで出なきゃいけないの?」と言われるのが面倒だった。きっと高圧的な態度でそう言ってくるだろう。そう言うと、カウンセラーは「その質問に答える必要はない(I don’t need to answer your question)」と言えばいいと言った。

びっくりした。確かにそうだ。

質問をされると、人は「答えなければいけない」と勝手に思ってしまう。それが常識的な人間の対応だからだ。でも必ずしもそうではない。質問をされたとしても、答えるか答えないかはこちらの自由だし、特に相手が常識的でなかった場合は、こちらも常識的に通し続けることはできなくて当然だ。

私のような毒親育ちや、もしかしたら日本人は誰しも、親などの「権力者(Authority)」からなにかを要求されると、それに応えなければならないという考えを植えつけられている。でも本来ならば同じ人間同士、なにか要求されても応えてもいいし応えなくてもいい。その自由は常に誰でも平等に持っている。

でも毒親自身はそれではやっていけない。相手に自分のコントロール下に入ってもらわなければ、自分を保てない。そこでどうにか「小さい子供の私」を出そう出そうとしてくる。昔と同じ状況に持っていこう持っていこうとしてくる。だから「相変わらずの毒一族」で書いた通り、まさに精一杯高圧的な態度で接してくるのだ。

adult-child

でも本来これはそういった「上から下への会話」ではなく、「大人同士の対等な会話」なのだ。だから「祖母と話をしたいから出ていてもらえませんか」と、堂々と言うべきなのだ。

そこで「なんで私が出てなきゃいけないわけ?」と言われたら、「理由を答える必要はない」と言えばいい。「嫌だ、出て行かない」と言われたら、「ではあなたがここにいたいなら、私はしばらく外に出ています、どのくらい時間が必要ですか?10分ですか、30分ですか?」と交渉すればいいのだと。同じ年ごろの他のおばさんと話すのと、まったくなにも変わらないのだと言われた。

毒親育ちの場合、毒親や毒親と同じことをしてくる人たちにトリガーされると、子供のときの自分、なにも対処ができず自分を押し殺すことしかできなかった自分が出てきてしまう。怒りや恐怖でパニックになり、普通の対応ができなくなる。相手は自分の生命を左右する「親」であり、自分は親の言う通りにしないと生きていけなかった「子供」という感覚に、瞬時に戻ってしまうからだ。

でもトリガーさえされなければ、相手はただの人なのだ。子供のころと違って自分は今は立派な大人であり、相手に自分の生命を左右されたりしないのだ。

それはわかったものの、やはり毒親と対峙しているときに「冷静になって普通の対応をする」というのは、まだまだ当時の私には難しかった。でもこのときの帰国でも、一度は「出て行け」と言うことができた。従妹から母親に、私が祖母と二人で話をしたいから外に出るよう話してもらったのに、まごまごと居座っていたからだ。そうしたらぶつぶつ言いながらも出て行った。

きちんと言えば、言い返せないのだ。彼女にとってもっとも怖いのは、おかしなことに、私に嫌われることだからだ。私を踏みつけることができなくなったら、自分を支えられなくなってしまうからだ。

母親は私の従妹に「Kelokoは私のことを嫌っている、それはわかっている」と言ったことがあるらしい。そこまでわかっているのなら、なぜ嫌われているのかは考えないのかと思うのだけれど、そこはやはり毒親の毒親たるゆえんで、頭が回らないから、それについてどうしたらいいかを考えられないのだろうと思っていた。

しかしカウンセラーが言うには、そうではないと。

「自分の娘に嫌われている」ということを認めてしまえば、自分は「嫌な母親」になってしまう。それが認められないから、こんなにも明確に嫌われているということを、永遠に否定し続けるのだろうと。だからあんなにも前回の帰国時にいろいろあったにもかかわらず、「ここにはなんの問題もない」という体で振る舞うのだということだった。従妹にそんなことを言ったのも、単に否定してほしかったからなのだろう。なるほどと思った。

私が祖母の部屋にいると、父親や他の叔母はわざわざ入ってこなかったのに、母親だけは必ず入ってきた。従妹も自分の親と問題があって絶縁しているけれど、「うちの親でさえ、私が病室にいたら入っては来ないだろう」と言っていた。それほどあの女は異常なのだ。

近づくことさえ気持ち悪くてできないのに、言葉を交わして同じ空間にいることを認めるなど無理だ。周りの空気が黒く濁っていて、腐臭がするから息も吸いたくない。祖母のことがなければ、すっかり忘れて生きていけるのに。

こんな状態で、ここから回復できるのだろうか。先が見えなかった。