22 カウンセリング本格開始

Job Centreにて

就職活動を休止することにしたので、JSA(Job Seeker’s Allowance)の受給を申請することにした。「就職活動費」、日本で言う「雇用保険」だ。

夫いわく、申請しても面倒なことが増えるだけで、やりたくもない仕事をつかまされたりするので、申請しないほうがいいとのことだった。でも友人の中に最近申請して受給していたという人がいたので、話を聞いてみたところ、そこまで大変な手続きはなかったと言われた。調べてみたらオンラインでも申し込めて、週に70ポンドの手当てが出るとのこと。月に280ポンド出れば、カウンセリング代の足しにもなる。申し込んでみることにした。

けっきょくオンラインではできず、Job Centre(ジョブセンター、職安)に行って申請と手続きをすることになった。

担当になった女性は、会うなりすぐ「You are 5 minutes late, lady(お嬢さん、5分遅刻よ)」と言ってきた。そんなこと気にしなければいいのだけれど、また「よく思われなければならない」という自分が出てきて、相手の優越感をくすぐる対応をし始めた。

東アジア人、特に日本人は、こちらでは見た目が異常に幼いので、子供のように扱われることがある。その上私は、しっかりした服装で行かないといけないと思いスーツに近い格好で行ったので、ちょうどこちらの中高生の学生服のように見えたかもしれない。先輩風を吹かせたい人にとっては、恰好のターゲットだった。

私はこういう人たちに出会うと、よく相手を持ち上げていた。このときも大したことでもないのに「そうなんですか!」とことさら感心し、手続きのしかたや職探しの方法などを教えてもらいながらありがたがってみせた。就職活動は中止してカウンセリングに集中することにしたから、職探しはどうでもよく、ただ手当てがもらえればよかったのだけれど、仕事のない自分を下げて、仕事がある彼女を持ち上げるような言いかたをしたりした。

本当にどうしようもないことをしていた。でもそれが、私が身につけさせられたサバイバルテクニックだったのだ。実家にいたときは親を持ち上げうまく乗せて、必要なことをしてもらわなければならなかった。それでも裏をかかれることばかりだったし、少しも気が抜けなかった。いろいろな人を味方につけて、親に頼らなくても生きていけるようにしなければならなかった。親よりも自分の言ってることが正しいと人にわかってもらうために、「いい子」であること、「しっかりしている」ことを見せ続けなければならなかったのだ。

担当は喜んでいるように見えた。私の学歴が大卒であることを見ると、「あなたすごいじゃない!すぐ仕事見つかるわよ!」と楽しそうにしていた。気に入られたと思っていた。上から目線で嫌いだったけれど、我慢して気に入られていればいいのだと思った。

申請後、まだ受給できるかどうかはわからなかったけれど、とりあえず隔週でJob Centreに行って、就職活動内容を詳しく記録した書類を見せなければならなかった。どの会社のどんなポジションに応募し、担当のなんという人に連絡をとったか、返事はどうだったかなどの記録を、最低でも週に8つ、計16個記入し、それを細かくチェックされた。今までの分も含めていいとのことだったので、仕事を辞める前の夏にやった面接分から記入して持っていった。

仕事を探していたわけではないから面倒だったけれど、受給のためならしかたがなかった。少しでももらえるお金はもらっておきたかった。

ところが数回行くと、担当がなにかと理由をつけて面談をキャンセルするようになってきた。一週間引き延ばしたり、最後には「トレーニングがあって遅れるので」と別の人と予約させられた。担当が嫌でしかたがなかったから、別の人にやってもらえることになってよかったと思った。

別の人のデスクに行ってみると、担当のだった。そして待ち時間の間に担当も帰ってきた。担当がいるすぐ隣で、別の人と面談をした。その人は私の書類を見るなりすぐ、古い記録を持ち出してくるのはだめだと言ってきた。古いものも入れていいと言われたと伝えると、初回はいいけれど、その後からは面談後にやった就職活動分を書かなければだめだとのことで、その場で全部消されて、新しい記録をつけさせられた。二週間分の活動なんてもとからなんにもないから、携帯を見ながら昔の活動を引っ張り出してきて、日付けを最近のものに変えてとにかく埋めた。

私がそれをさせられている隣で、担当は見えない聞こえないふりをしていた。彼女は、もしかしたらこれが言えなかったのかもしれないと思った。あんなに先輩風を吹かせているのに、私がにこにこして埋めてきた記録に文句をつけられなかったのかもしれない。先輩風を吹かせられて気に入られてると思っていたのに、もしかしたら彼女にとって私は扱いにくい人だったのかもしれない。

上から目線だと思っていたのも、自分の思い込みだったのかもしれない。私が毒親育ちの刷り込みから勝手に上下関係を作ってしまったけれど、そんなことをする必要などなかったのかもしれない。当時はまだわかっていなかったけれど、毒親のもとでは有効だったサバイバルテクニックが、大人になってから人間関係の構築を邪魔してしまう典型的なパターンだった。

けっきょく該当年次に収入がなく雇用保険を納めていなかったことから、JSAは受給できなかった。だからJob Centreへ通うこともやめてしまったのだけれど、この担当とのことは新たな気づきをもたらした。

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就職活動を中止

このころ就職活動を中断して、しばらくカウンセリングに集中することに決めた。

いくつか面接は受けていたものの、いつも最終面接までいって落ちることばかりだった。どの面接でもだいたいそつなくこなせるものの、自分でもなにか足りないような気がしていた。それを証明するかのように、私の経験にどう考えてもぴったりの仕事がひとつも受からなかった。

どれもこれも物理的には可能だったし、できそうなことだからやりたいと思っていたけれど、なぜだかしっくりきていなかった。答えは合っているんだけれど中身のない小論文、のような感じだった。スペックとしてはぴたりとハマるのに、中に人がいない感じだった。

自分がなかったからだ。色がなかった。だから採用されなかったのだ。

不安症の個人セッション3回目」でも言われた通り、「面接」という作業自体も精神的に負担となるものだった。夫の週一の収入でやっと家賃がまかなえる程度だったけれど、とにかく今目の前にある問題を解決しない限り、一生就職できないばかりか、生きていくことすら危うい。

でもこれを解決しさえすれば、就職活動なんていくらでもできるようになる。

お金がまったくないわけではない。貯金を崩せば数年は暮らしていける。どれだけ貯金があったとしても、今ここでこのお金を使わなければ死んでしまうかもしれないのだ。生きていけるようになりさえすれば、いくらでも仕事してお金を稼ぐことはできる。何年かかるかはわからないけれど、よくなってきたらカウンセリングをしながら仕事ができるようにもなってくるかもしれない。でもそれもこれも、すべて自分の回復次第だ。

お金のことはが助かってから考えよう。とにかくよくなることが先決だ。夫とそう話し合って、ものすごいやりたい仕事が出てこない限りは、就職活動をストップすることを決断した。

こんなこと、以前の自分だったら到底できなかっただろう。収入があったとしてもカウンセリングという目に見えないものにお金を払うことは抵抗があっただろうに、きちんとした収入もないのにそれをやろうとするなど考えられない。ましてや私一人のカウンセリングだけではない。夫のカウンセリング、二人のカウンセリング、そして私はヨガもある。交通費もかかる。そんなことをほぼ無収入の状態でやるなんて、狂気の沙汰だ。

でもこれをやらないと死ぬのだ。先がないのだ。お金をケチっている場合ではない。なにはなくとも、自分自身がいなければなんにもならない。

そんなことは当たり前なのだけれど、私たちはすっかり忘れてしまっている。

このころすでに、私は徐々にお金に関する洗脳が解けてきていた。お金をケチってなんになるのか。そんな当たり前の感覚で動けるようになってきていた。日本人の根底にあるのは、「万が一」の恐怖だと思う。その上で、すべての価値を物理的にしか測れなくなっている。だから普段から少しでも安いもの、安いものとなり、それがしっかりしていていいことのように思われているのだ。

でも「メンタルヘルスへ紹介」でも書いた通り、イギリスでは医療が無料だ。もちろん順番待ちがあったりと不便なところはあるけれど、万が一のためにお金を山のように積んでおく必要はない。

この安心感は絶大だ。イギリスの医療制度にもいろいろな問題はあるが、日本やアメリカの自己責任主義と比べると、やはりお金に囚われた人生を送らずに済むだろうと思う。イギリスだけでなく、ヨーロッパには他にも医療が無料の国がいくつもある。今まで不便だ不便だと思っていたイギリスの医療だったけれど、基本的人権の「生存権」の大切さを身をもって知った。

自己肯定感を育てる

自己肯定感が低い人は、なにかしないと人に受け入れてもらえないと思っているから、勝手に相手の求めているものはこうだと決めつけ、それに合うように振る舞い、疲れ果ててしまう。仕事の面接でも、とにかく相手の都合のいいように振る舞い尽くすので、自分を偽っているものだから、そこで仕事がつかめたとしても、実際の仕事と自分のギャップに疲れ果ててしまう。

人といるとなぜ疲れてしまうのか」の理由だ。自分がない。自分でいても好かれたり必要とされないという思いから、自分でいることに不安なので、求められるように振舞ってしまうからだ。

このころ特に、自分の声が父親に、姿形が母親にどんどん似てきていることが気になっていて、自分が気持ち悪くてしかたがなかった。まず喉を焼いて、ガリガリにダイエットでもしないと無理だと思っていた。こんな状態では、ますます自分で自分を否定していってしまうという危機感に襲われた。

自分で自分を肯定できない場合、自分を肯定し必要としてくれる存在を求めてさまようことになる。お金があっても援助交際に走る女子高生のようなものがいい例だ。「お金」という目に見える対価を払ってもらうことで、自分の価値を実感しようとする。多くの異性と付き合って、自分が必要とされていることを実感しようとする人もいる。また問題のある人と一緒になり、その人は自分がいないとだめだと思うことで、自分が必要とされていることを実感しようとすることもある。高いものを買い尽くして、自分の価値を確認しようとする人もいる。どれもこれも、親から無条件に肯定してもらえなかったことが一因になっていると思われる。

どれだけつらい思いをしても私が夫と別れられなかったのは、これが理由だった。共依存だ。自分で自分を埋められず、この人に認められ必要とされないとだめだと思っていた。

結婚と自分の気持ち」で書いた通り、私が夫に求めていたのは「安心感」や「安定感」だった。私は夫に対して恋愛感情がなく、初めから家族のような存在だった。兄のような、弟のような、父親のような、母親のような。夫は白人のイギリス人だけれど、出会ったときから一度も「外国人」だと感じたこともなかった。それくらい空気がなじむ人だった。だから親から満たしてもらえなかった安心感を、夫からもらおうとし始めてしまったのかもしれない。

夫に出会うまでは、職場で自己肯定感を満たそうとしていたいたのではないかとカウンセラーに言われた。日本にいたときの会社ではどこでも、きちんとした評価をしてもらえていた。毒親のように、相手の都合でころころと評価が変わることはなかった。職場は私にとってとても重要な場所だったのだ。以前からその重要性に気づいてはいたけれど、改めてそう感じた。どの会社でも私を尊重してくれたし、有用だと思ってくれていると感じることができた。

でも、それではだめだった。人の評価に頼っていては、人間は生きていけない。「日本的な会社が苦手な理由」で書いた会社がつらくて耐えられなかったように、「無用に扱われている」と感じてしまうととたんに自分を保つことができなくなるからだ。

人はその人の経験や価値観で評価をするものなので、他人を正しく評価することができない。たとえば数学で70点をとったとする。数学が苦手で、今まで30点しかとれなかった人が70点をとったら、「頑張ったな」「よく勉強したな」と思うだろう。でも数学が得意で普段から90点や満点をとっている人にとってみれば、70点は到底満足のいく結果ではない。同じ70点でも、人によって評価がまったく違ってくる。

人の評価に頼っていると、たとえ自分が頑張って70点をとっても「なんだそれは」と言われてしまったり、また怠けて70点をとっても「頑張ったね」と言われてしまうかもしれない。頑張っても頑張っても認めてもらえなかったり、どんどん怠けていってしまったりするだろう。

どれだけ近しく親しい人でも、私でない限りは私を正確には評価できない。だから人の評価に頼って生きていると、自分と現実との間にギャップができていってしまう。これが悪化すれば、うつになる。

自分で自分を評価して、安心感も安定感も持って、自分自身で完結していられるようになることが重要だ。

日本でリストラされた人や、仕事で失敗してしまった人が自殺してしまうのは、これが原因なのだと思った。仕事や他人の評価に自分のすべてを依存していると、万が一それがなくなったとき、たとえば会社が倒産したり、上司が変わって評価がガラリと厳しくなるなどしたときに、立っていられなくなる。仕事ががなくなると、自分自身も終わりになってしまう。

誰がいなくてもなにがなくても、自分で完結できるようになることが必要だ。

けっきょく自分の居場所というのは、自分の中にあるわけで、夫でも実家でも職場でもないということに気づいた。以前のカウンセリングで「今を見つめる」ように言われ、「幸せの青い鳥は、外ではなくにいる」と言われたことを思い出した。

では、自分を作っていくにはどうしたらいいのか。
自己肯定感を育てるにはどうしたらいいのか。

それには「自分の好きなことをする」ことだと、カウンセラーに言われた。周りがどう思うか、それがなんの役に立つかは考えず、ただ自分の気持ちに従って好きなことをやってみること。とにかくそれをやってみることにした。