21 カウンセラーを探す

転換点を作るV音

最後に、カウンセラーからとりあえずすぐにできる対処法を教わった。

下の図は、なにか問題があったときの感情の変化を表している。上に行くほど「Anxious(不安)」で、下に行くほど「Depressed(うつ)」となる。なにか問題が発生すると、まず不安になって、それが収まってくると、不安になったのと同じ分だけうつになり、最後にもとに戻るというのが人間の心理パターンらしい。

不安が強すぎる問題のある人(上の図)は、不安が生じたときに許容範囲内(緑色)では収まらず、それを超えて不安がつのっていく。するとその後に同じ分だけ落ち込むので、うつ状態もひどくなるというもの。普通の人(下の図)は、この一連の感情の動きがすべて許容範囲内に収まるので問題がない。
anxiety depression
なので、不安感が始まったときに許容範囲を超えて上がっていかないようにすることが重要だ。不安感が下降に転じる転換点(黄色の矢印)をなるべく早めに持ってくることができれば、上下の振り幅が小さく済み、不安感もうつも許容範囲内に収めることができる。

たとえば、あの「あの世とこの世の狭間」で揺れたときのことを思い出してみる。

つらくなる

夫無反応

不安が募る

Samaritansに電話

電話の向こうの男性の声で救われる

この場合、この電話の向こうのが、不安が下がり始める転換点を作ってくれたことになる。

ここからグラフが下がり始め、少しの間は平常値に戻る。でも今度はそこからどんどん下がっていって、また許容範囲を超えていく。「死ななければならない」と思うほどうつになった理由は、ここにあった。

では、転換点を作るにはどうしたらいいのか。

この転換点となる、不安な気持ちを解消するテクニックとして、カウンセラーから「V-sound(V音)」というのを教わった。

  1. まずは深呼吸を何度かして、呼吸を整える。
  2. 深く息を吸い、「ヴゥゥゥーーー」と言いながら息をゆっくりはいていく。
  3. お腹に手を置いて、Vの音がお腹の底に響くように意識しながらはいていくのがポイント。

ヨガをやっていなかったら、そして不安症のワークショップを受講していなかったら、きっと「なんのこっちゃ」と思っただろう。

でもこのときの私はすでに、体が心に与える影響を習って知っていた。カウンセラーが「不安でたまらなくなくなったときに、それ以上に不安値が上がっていくのを防げる」と言うところまではまだ理解ができなかったものの、気持ちを落ち着かせるとかそういう効果があるのだろうと思った。

初回にこれを教えるだけでも、かなりよくなる人がいるとのことだった。しかし私はヨガを始めてたからすんなり受け入れられたけれど、まったく予備知識もなにもない人が突然これをやらされて、受け入れられるものだろうか。しかもたとえば、上記のような夫と話していてだめになってきたときに使うわけだ。話してるときに突然私が深呼吸して「ヴゥゥゥーーー」とか言い出したらびびるだろう。

でも、びびればいいのかもしれない。人がどう思おうと、自分の命が助かればいい。

とりあえずひとつテクニックは教わったので、「新たにわかった夫のこと」でもまとめた「夫が親とは違うところを唱える」も合わせてやってみることにした。

この「V音」がどんな理由で不安に効くのかも、非常に気にはなった。実際カウンセラーにも聞いてみた。でも答えを聞く前に「やっぱりいいです」と自分で言って、聞かないでおくことにした。

ヨガ開始」でもそうだったけれど、私は「このポーズはどうしていいのか」と意味がどうしても気になってしまう。でもそうすると「頭」で理解をして、そうなるようにやろうとしてしまうだろう。でも今の私には「感覚」を感じることが必要なわけだから、「頭」が仕事をしていては元も子もない。

なのでこれも詳しくは聞かず、言われたことをただやってみて、そして私の中でどんな変化があるのか、体のどこになにを感じるのかを感じとってみようと思った。

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心療治療としてのヨガ

夫と一緒に暮らしていないことを聞かれたので、なにがあったのかを話した。

具体的にどういうことで私が死ななければならないと思うほど傷つくのかを聞かれたので、「あの世とこの世の狭間」で揺れていたときのことや、「頭のおかしい夫」の話をした。

夫は一緒に暮らし始めたいと言うけれど、私はまだ怖くてできないと言っていた。あんなことが起こったこの家で、あの人と一緒に住むことは不可能だ。あのときのことを鮮明に思い出してしまう。この数日前も、夫が荷物を取りに家に寄ったのだけれど、そのときも私は下で待っていた。

なのに夫は、「いつまでも実家に世話になっているわけにもいかないし、このまま離れていると別々に生きる道を見つけてしまうようになる。だから早く一緒に暮らし始めないと」などと、急かすようなことを言ってきていた。「十分時間をあげただろう」とも。

クソ男だった。

私はまだ怖いと言っている。ならば「どうしたら怖いと思わなくなるか」を考え、私を安心させる必要がある。そこに「時間をやった」と言ってもなんの解決にもならない。頭がおかしい。

時間を十分もらったかどうかは、が決めるのだ。お前ではない。

今ならきっぱりそう言えるけれど、当時の私はただただ自分のことを考えてくれない夫に対して、傷つき絶望するだけだった。境界線がなかったので、夫が自分のことのように私のことを考えてくれないと生きていけなかった。

私もそれまで、そうやって「時間」とか「理屈」とかで動いて生きてきたけれど、その結果がこれだった。これからは、きちんと総合的に考えて生きていかなければならない。それを学んでいるところなのに、それを一番わかっていなければならない人間が、「時間」や「理屈」などの物理的な面だけでバーチャルに生きていた。

こいつと一緒にいて、自分が悪化はしても、よくなるとは到底思えなかった。

カウンセラーにこれを話すと、そのときのことを思い出せるかと言われて、どう感じたかを説明するように言われた。「不安感」と答えたけれど、言葉ではなく、どう感じたか、体のどこどんな感覚があったかを教えるように言われた。

そのときのことを話しつつ、思い出しながら、そのときの感覚を思い出していった。

この感覚は、夫がだめだと思うときにいつも感じる感覚だった。不安感ではなく、絶望感だった。肩から胸のところが細かく振動している感じで、私の存在がぎゅーっと小さくなって、ぽんっと消えてしまう感じ。体の周りの空気が揺れて、が張っていくような感じ。世界から切り離されていく感じだ。

胸から肩のところに出るものというのは、心臓のあたりにある「心のチャクラ」に影響が出ているものだということだった。小さくなって消えてしまう感覚は、ここが閉じて締めつけられているということ。「チャクラ」というのは「エネルギーセンター」で、これに問題がある場合は「締めつけられて閉じている」ので、これを開いてバランスを整えてやることが必要になるとのことだった。

ヨガの先生も言っていたけれど、この「チャクラ」というのは鍼灸の「ツボ」と同じなのだそうだ。

背骨に沿ってある7つの大きなチャクラが有名だけれど、人体には無数のチャクラが存在する。そのチャクラを流れるエネルギーの詰まりを、鍼やお灸で刺激して通りをよくするのが「鍼灸」。ポーズをとって刺激するのが「ヨガ」だとのこと。

そう説明されると、急にわかりやすくなってきた。

個人カウンセリング用まとめ」に書いてある「喉が狭く感じる症状」のことについて、これも歯軋りも「喉のチャクラ」の締めつけだろうと言われた。

「喉のチャクラ」は「自己表現」のチャクラで、言いたいことを言えなかったり、感情を正確に表現できないとき、ここに問題が出てくる。人間には、なにかあった場合に

①戦う
②逃げる
③固まる

の三つの主な手段がある。子供が親になにかされた場合、まず自分よりも大きな親と戦うことができず、そして親から逃げて生きていくこともできないので、ほとんどが③の自分を凍らせて感情を閉じ込める手段をとるしか選択肢がない。なのでその行き場のなくなった感情が「歯軋り」という形で出ることは、非常に多いらしい。口を自分で「ロック」してしまうことによる反動なのだとか。

体と心というのは密接につながっていて、心になにかあると「笑い」「涙」「叫び」といろいろな形で体に出てくる。でもこれが通常通りに出せないとなると、別の方法で出てくるわけで、それが私の場合は「歯軋り」や「喉の腫れ感」だったということになる。

考えてみたら、当たり前のことだった。

怒っても怒りを出せない場合、それが勝手になくなってしまうことはない。口から出なければ他のとこから出てしまう。無視して生きていれば、それは確かにおかしくなるだろう。うつにしろ、ストレス性胃炎などにしろ、当たり前のことだった。人間は体だけでできている物体ではないのだ。

なので、私の場合はこの「心」と「喉」の二つのチャクラを整えるヨガをやって、体からの解決にも取り組んでいくといいと言われた。

不安のサイクルと破りかた」でも習ったけれど、人間というのは、

①体
②頭
③気持ち

の三つでできていて、どれも密接に関係しあっている。

③心が病んでいる場合、カウンセリングをして②頭から問題に取り組んでいくことができるわけだけれど、ヨガで①体からも取り組んでいけるのだ。

さっそく図書館でチャクラについて書かれている本を見てみたところ、この二つのチャクラに効くポーズを見て驚いた。ヨガで先生がいつもやるポーズが載っていたのだ。そういうことだったのか、と納得しきりだった。

どうしてこのポーズがこのチャクラを整えるのか、それでどうして自己表現や心の問題が治っていくのか、その仕組みはわからなかった。でも、なんでツボが効くのかもわからないのと同じだった。頭で考えるのではなく、とにかくやってみよう。そう思った。

夫と父親

ヨガの師匠のカウンセリング」で、最初になにから話したらいいかわからなくて困っていると、まず現在の状況から聞いてくれた。

送っておいた「個人カウンセリング用まとめ」も目を通してくれてはいたようだけれど、「愛着障害のカウンセラー」のようにしっかり読み込んでいる様子はなく、「対面で話を聞かないとわからない」と思っているかのようだった。意外にも、憶測で決めつけることがなさそうだという安心感につながった。

契約が終わって今は仕事をしていないこと、面接を受けたりしていること、夫と一緒にいると絶望して死にたくなるので別に暮らすように言われたこと、夫は実家に泊まっていて、週一のカップルカウンセリングのたびにこちらに来て、週一の仕事をして友人のところに泊まり、また実家へ戻るというサイクルで生活していることを話した。

家族構成を聞かれて、そこから実家の話になった。

「両親妹 VS 私」という構図を話したところ、父親のことをたくさん聞かれた。どう考えても、母親のほうに問題があると思っていた。でもなぜか、母親の話はほとんど聞かれなかった。違和感を覚えた。

あとから聞いた話、母親との間に問題があった場合、ではそのときに父親はどうしていたのかということはなかなか注目されず、問題が表面化してこないとのこと。例え母親が虐待をしていたとしても、そのときに父親が子供を助けなかったら、父親も虐待していたことになる。だから父親について探ってみることは非常に大切なのだとのことだった。

父親は勤務先が遠く、ほとんど不在だった。気まぐれで、子供をかわいがるときは勝手に寄ってくるくせに、そうでないときは「俺には関係ない」というのが口癖。自分の子供なのに関係ないとはなんだこいつ、と思っていたことを話した。

これは大学の相談室にいた心理カウンセラーにも言われたことだったけれど、そういう父親が嫌いだったとしても、人間というのは慣れた環境に飛び込んでしまう習性があるため、似たような夫や会社を選んでしまうとのことだった。大学生のときにつき合っていた人も、けっきょく親とまったく同じことをしてくる人で、当時の私は苦しんでいた。

彼は、私のことを「わがままだけど好きなんだ」と周りに言い回っていた。

私が飲み会で遅くなると「迎えに行こうか?」と連絡が来る。「いい」と言っても「心配だから」とやって来る。でも周りには「夜中に呼び出されちゃってさ」と勝手に話を変えて言う。そうすると周りは勝手に「わがままな彼女に尽くすいい彼氏」像を作り上げてしまい、「あんないいやつに好かれて幸せだな」「少しはわがまま控えてやれよ」とみんなから言われるようになっていった。

私が「違う」と言っても「あーはいはい、お幸せですねー」と言われ、まったく聞いてもらえなかった。

私はここでもまた「世界から隔離されていく恐怖」を味わい、どん底に落ちた。誰も私の言うことを聞いてくれない。誰も私を信用してくれない。自分の声が届かない。罠に嵌められた。そこからどこにも逃れられない。どんどんどんどん落ちていった。

夫はそのようなことはなかったけれど、自分の好きなことに没頭してしまうところは、父親に似ていた。父親は、平日は仕事でおらず、休みは自分の趣味で早朝から一人で出かけて行ってしまうような人で、普段なにか一緒にした記憶はなかった。「自分の人生だけを生きていて、一緒に人生を歩んでいる感じがまったくない」というところは、夫とまったく同じだった。

そうして似たような環境にまた入り込んでしまっているけれど、自分ではそんな自覚がない。だから父親からは得られなかったものを夫から得ようとするのだけれど、それが叶えられず絶望してしまう。そこが原因のようだった。

これは大人の私ではなく、傷を抱えた「子供の私」が同じことに傷ついて起きている現象なのだと。

なので、その「子供の私」を癒やさないと、いつまでたっても心にある昔の経験通りに反応してしまう。「大人の私」だけで考えてみれば、単なる「趣味に没頭してしまう夫」であり、そこに傷つく要素はなにもない。でも子供のころに「(自分を放って)趣味に没頭してしまう人」に傷つけられた経験があり、それがずっと心に残り続けているから、「(単なる)趣味に没頭してしまう夫」に勝手に傷ついてしまうのだということだった。

すると、やはり夫と一緒に暮らしていくことは不正解なのではないかと思った。

カウンセラーは、二人でいることに問題があって苦労していても、「じゃあ別れて次の人」とせずにこうして一緒にカウンセリングを受けて解決しようとしていること、そして私たちのような問題がある人はだいたい自己評価が低いので、他の相手を探そうとすることはないだろう、と言っていた。

確かに私たちは自己評価が低かったけれど、夫がもう少し頭がよかったらとっくに私が捨てられていただろうし、逆に私が別れようと言えば夫は「No」を貫くことはできないだろう。そうなると、別れてお互い「安定型」の人を探すという手もあると思っていた。

あれだけつらい思いをさせられたのだ。私が共依存から回復したとしても、まだこの夫と一緒にいたいとなど思えるだろうか。

すると、「それもよく聞く質問だ」と言われた。

答えは言ってくれなかったし、それはカウンセラーにもわからないとのことだった。

回復したら、夫が趣味に没頭していても全然平気になって、「じゃあ私も自分の趣味を」となるかもしれない。回復しても、やはり夫のそういうところがだめかもしれない。もしかしたら夫の趣味を一緒にやり始めるかもしれないし、まったく違うことを一緒にやり始めるかもしれない。

でも今はとにかく回復しないことには始まらない。骨折が治ったら歩くかもしれないし走るかもしれないけれど、治さないとどちらもできないだろうと。

とにかく回復。確かにこれが先決だった。