20 解毒に向けて準備を整える

就職活動で進歩

自己発見」で書いた通り、以前の仕事の契約が終わり、就職活動を開始していた。

このときは細かい数字を扱うような仕事がいいと思っていたので、経理的な仕事へシフトしていけないかと考えていた。ただ経験がないので本格的な経理職には応募しても引っかからず、今までやってきた総務的な事務を兼ねた仕事へ応募になることが多かった。そしてそういうところは給料が断然低かった

会社勤めに復帰」でも書いた通り、前職は給料で失敗している。「安くてもラクな仕事」と思って就いたばかりに、仕事内容がラクではなかったので「こんな給料でこんなに使われている」感が拭えず、毒親から利用されてきた過去とダブり、ネガティブな一年を送ることになってしまった。

決めたこと」でまとめたことを念頭に、今度は認識をしっかり持って仕事探しを始めた。

ひとつすぐ受かったところがあって、会社のやっているビジネスはとてもおもしろそうだったのだけれど、そこも前職と同じ給料で、またオフィスに日本人しかおらず、英語が上達しなさそうだった。とりあえず練習で受けたのだけれど、会社の人にとても気に入られて、私だけが最終面接に呼ばれた。

人材会社の担当に、ものすごいプッシュをかけられた。

英語が上達しなさそうと言えば、「外部とのやり取りを全部任されるし、オフィスでの日常的な会話よりもそのほうが上達しますよぉ」と。給料が安いからと言えば、「今は正直、買い手市場ですからねぇ」という常套句。

私にその仕事をつかませることでコミッションを得たいだけなのは明確なのに、なぜそんなにも「あなたのため」みたいな言いかたができるのか、まったく理解に苦しんだ。本気で人を乗せようとしているなら、もっと人が乗りそうな言いかたがあるだろう。

こんなレベルで人材会社というのは本当に務まるものなのだろうか。ゲンナリした。

今ならよくわかる。こういう人が刺さるのは、と同じことをしてくる人だからだ。「あなたのため」と言い、現実的でない「正論」を振りかざして、自分の都合通りに私を動かそうとしてくる。こういう手段でコントロールされることが、私にとってはなによりの苦痛だった。

このときはまだ「そういう人が嫌いだ」ということしかわかっていなかったけれど、それでも大きな進歩だ。それまではまったく気づかなかった。それが刺さるようになってきた。さらにもっと解毒すれば、そういう人でも刺さらずにコミュニケーションが取れるようになるだろう。

人材会社の言うことは自分とはまったく関係がない。自分の気持ちに向き合おう。そう決めた。

そしてまた、以前だったらこういうときでも「せっかく私を気に入ってくれたところがあったのに」「他に仕事はないかもしれない」と落ち込んだ。自己肯定感が低かったからだ。でももうそんなことは思わなくなっていた。その給料で以前に大失敗をしている、同じ過ちは繰り返さない、そういう強い意思が出てきた。これも進歩だった。

横柄で人のあら探しばかりするあり得ない面接官が出てきたところや、また日本的できちんとはしていてもあまり内容が感じられないところも、落ちても「よかった」で済んだ。給料が高くても、将来性がありそうでも、未練は感じなくなった。

新しい発見だったのは、日系なのに面接がすべて英語のような、ほぼ英系の会社のほうが、最終面接まで残りやすいというところだった。それまではやはり日本的な会社のほうが自分を活かせるのだろうと思っていたけれど、その思い込みが覆された。自分に制限をかけず、もっと可能性を広げてみようと思った。

またそんなにも面接に受かるほど、英語も上達しているのだということが自信になった。それまではずっと英語で話す機会があると怖気づいていたけれど、前職で1年間また英語のオフィスで生活したのだ、そりゃあ上達していないわけがないだろうと、そんな当たり前のことに気づけた。

また、面接を受けていく中で「データサイエンス」という言葉を知り、「データアナリスト」という仕事があることを知った。細かい数字を扱うのが好きな自分にぴったりだと思った。近くの大学でもコースがあったので、勉強してみてもいいかなと思った。

就職活動を通して、いろいろな気づきと成長をとげていった。

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夫の変化

そんな夫だったが、少しずつ変化は出てきた。

夫はこのころ、近所の友人宅にお世話になっていた。カウンセラーに「まったく会わないのはよくない」と言われたので、週に何度か夫と会って話をするようにした。それができたのも、近所だったからだ。本当にありがたかった。

最初よかったと思っていたカウンセリングは、なんだか意味のない方向へ進んでいるような気がしてきた。カウンセラーは、私たちの問題を「よくある国際結婚の問題」と決めつけているような感じだった。

私はもうなにもしないと決めたので、聞かれたときに答える程度だったのだけれど、夫は聞かれたことをランダムにしゃべっているだけで、その質問にどういう意味があるのか、カウンセラーがどういう意図で聞いているのか、また毎回のカウンセリングでなにが得られたか、次回はなにを話したらいいかなどを、まったく考えていなかった。

これではいつまでたっても解決などしないと思ったので、次に夫に会うときは、カウンセリングでなにが行われているかを考えて受けるようにということを話さなければと思っていた。またこうして私が問題提起をして、いろいろまとめてやってやらなければならないのかと思い、暗い気持ちになった。

でも夫と会っても、私からはなにも言わなかった。私がなにを言うか考えて、流れを作って、ということはもうやらない。二人のことなのだから、「会おう」と言った意味、話さなければならないことはなにかということを、夫もきちんと考えて行動してくれと思った。

すると夫が話し始めた。なんと「カウンセリングが全然だめだ」と言い出した。「It’s not going anywhere(どうにもならない)」と。「よくある国際結婚の問題にしようとしている」と。

普通、だと思う。でも夫が初めて普通のことを言い始めた。驚愕した。

ほんの1ミクロンだったけれど、希望が出てきた。もしかしたらこの人、できるのかもしれない。

それまでの夫だったら、こんなこともなにも考えず、ただ言われるまま医者に行って、カウンセリングを受けてと、言われることをやっているだけだった。それがなんと、「たぶん国際結婚がすごく多いんだと思うけど、あのカウンセラーはいわゆる『国際結婚に基づく相違』みたいに俺らのことを思ってる。俺らのはそういうよくある話じゃなくて、もっと根本的な問題だから、あの人じゃ無理かもしれない」と言っていた。

また次回のカウンセリングでは「Family(家族)」についてやろうと言われたので、これはいい流れだと思っていた。夫にも問題があることがわかっていて、そしてそれは確実に家族の問題から来ていると私は思っていた。

すると夫もそれを認識しており、だから家族の話をカウンセリングでしたのだと言う。驚いた。

なぜ自分がこうなのか、人が感情的になるのがダメなのかということを、実家に行ったら話してくると言い始めた。あんな空っぽな話ばかりしてるところへ行って、本当にそんなことができるものなのかは疑問だったけれど、そこに問題がありそうだと気づいたことは大きな進歩だと思った。

しかも、お世話になっている家でホワイトボードを使っているという話をしてきた。お互いがなにをしているかが見えるようになっていて、とてもいいのだと。そして「これがうちでは全部Kelokoの頭の中にあるから、Kelokoがリラックスできなくていつも不安を抱えてるんだ。だからそれを全部ホワイトボードに出して、そこを見ればわかるようになっていれば、これをいつも頭のなかに入れて気にしておかなくてもいい」と言ってきた。

私のことを考えていた。驚愕だった。

ただこれにも理由があって、夫は自分の問題に対する自覚は出てはきたものの、まだ人から言われるのは嫌だったのだ。カウンセリングでもいつも自分の話はすぐ終わらせて、私の問題を「助けよう」とし、自分の問題を話したがらなかった。それで、私のことを考え始めたというところはある。

でも、あれだけ一緒に暮らしていてもまったく共に人生を歩んでる気がしなかったのに。旅行に行ったり、おいしいものを食べたり、楽しいことを一緒にやるというだけで、空っぽだったのに。もしかしたら変われるのかもしれない。二人で半分ずつになるのかもしれない。そう思い始めた。

「人間が変わる方法は3つしかない。1番目は時間配分を変える。2番目は住む場所を変える。3番目はつきあう人を変える。この3つの要素でしか人間は変わらない。最も無意味なのは『決意を新たにする』ことだ。」

そんな言葉を思い出した。

このとき、夫には②が起こっていた。私と離れて暮らし始めて、1か月。それがこんなにも変化をもたらしたのだろうか。このころフリーランスの仕事も終わりかけていたから、①も近づいていた。ここからまた、いい方向へどんどん変わっていくのかもしれない。そう思った。

夫の問題の根底にあるもの

新たにわかった夫のこと」と「もっとわかってきた夫のこと」で書いた通り、夫には以下のような問題があることにこのころ気づいていた。

1)結婚しているにもかかわらず一人で生きている
2)私のことに興味がない
3)すべて私に丸投げ
4)過剰防衛

夫はイギリス人の両親のもとに生まれているけれど、幼少期までを海外で過ごし、5〜6歳のころに両親が離婚、お母さんとお姉さんと三人で、親戚を頼ってイギリスへ戻ってきた。お母さんはそこで再婚、そして父違いの妹がいる。

夫には、海外での記憶が一切ない。人生の始まりは、イギリスへ戻ってきたところからになっている。

お姉さんが一度話してくれたことがあるのだけれど、お母さんはお父さんのことがすごく好きだったらしい。でもお父さんはお母さんに対して「ひどかった」とのこと。詳しいことは聞かなかったけれど、浮気とかそういうことがあったのではないかと推察した。

両親がそういう状態で、家庭内は荒れていたのかもしれない。それでつらいことがあって、まだ幼かった夫は記憶を封じ込めてしまったのかもしれない。だから小さいころのことをなにも覚えていないのかもしれない。そう思った。

このことからも、夫はやはり「愛着回避型」なのだろうと思った。

実際に、私のことは「I like her smiling(笑顔が好きだ)」とか「I like seeing her being happy(幸せそうにしているのを見るのが好きだ)」とカウンセラーに言う。カウンセラーは「How lovely is it(素敵ね)」と言う。でも、人の笑顔を見て幸せを感じるのは簡単だ。赤ちゃんを見て「かわいい」と思うのが簡単なことと同じだ。

では私が泣いていたらどうなのかというと、怒るわけだ。「I don’t want to see you crying(泣いているのを見たくない)」と言うのだけれど、では泣かないためにはどうしたらいいかというところは考えない。「I don’t know what to do(どうしたらいいかわからない)」で終わり。

ただ単に「笑っているところが好き」「泣いているところは見たくない」で、泣いているところは本当に「見ない」。これでは毒親と同様、本当に愛情があるとは到底思えない。私はただ顔だけ笑っていればいい。それではお飾りの人形と同じだ。

これは、自分のお母さんに対しても同じだった。「I don’t want to see Mum crying(お母さんが泣いているのを見たくない)」と言う。ではお母さんが泣かないためにはどうしたらいいか、とは考えない。見たくないから、家族が嫌だったのも考えたくないから、遠くの大学を受験して、実家から出たのだ。

でも、なぜそんなにも家が嫌だったのかを聞いても、明確な答えは出てこない。お母さんが「たぶん」更年期でおかしくなってしまって、それで「たぶん」義理のお父さんとうまくいかなくなって、ある日お母さんが突然家を出て行ってしまって、家がぐちゃぐちゃになってしまった、というようなことだった。

きちんとしたことを覚えていないし、理由もよくわかっていなかった。なによりも「知ろうとしなかった」、そこに問題の根本があると思った。子供のころに親の離婚の原因を聞くことがなかったとしても、大人になってから聞かされたり聞くだろう。この歳になっても本当のところを一切知らないとなると、本当にそれは家族だろうかと疑う。

たぶん夫は、なにか問題があるととにかく放置して、目を背けて生きてきたのだと思う。「回避型」だ。これは本人にもその自覚があった。

人が「Emotional(感情的)」になるのがダメなのだそうだ。そういうのがあるとどうしたらいいかわからず、話を反らしてしまうようだった。そしてそれに私が傷ついていたのだ。

夫の家族は集まると楽しい話をするのだけれど、それがいつも地に足がついたような気がせず、空っぽだということに気づき始めた。それまでは、「いろいろあった家族なのにこんなに明るく楽しく過ごそうとしてる、結束があって素晴らしいことだ」と思っていたけれど、どうも違うと思い始めた。

どちらかと言えば、いろいろあったことから目を背けているのではないか。問題には触れずに、ただ笑って流そうとしているだけではないのか。こういう家族で育ったから、夫はこうして回避型になったのでは。

夫にはかなり大きな問題がある。もしかしたら、私の問題より大きいかもしれない。

私も夫も、家庭の問題からこうなっていることは明らかだと思った。夫は回避型で、それを見ないように放置してきたわけで、私は逆に不安型で、なにか少しでも問題があったら解決しようと生きてきた。

不安型は放っておいてもどんどん問題を見つめて解決していくだろうけれど、回避型はどうしたらいいのだろう。いったいどうなるのか、どうしたらいいのか、まったくわからなかった。