18 避難生活開始

新たにわかった夫のこと

どうしてそうなっているのかはわからなかったけれど、とりあえず夫の言動で私が「無視されていてつらい」と思う例を書き出してみた。

1)一人で生きていると感じる

これだけ大変なことになっているのに、連絡が来ても「風邪は?」などと体調の心配をするばかりで、「大丈夫?」などとは一度も聞いてこない。「風邪じゃなくて、私自身のことを心配してくれたらいいのに」と言うと、「ずっと心配しているよ、でも今は忙しくて」とどうのこうのと言ってくる。

いくら心配していても、それが口から出てこなければ、人は「心配されている」とは思わない。でも夫の場合、自分ではちゃんと心配しているつもりだし、それを理解しない私が悪いという考えだった。

「自分の妻の心配をしないわけがない」というのはもちろんわかっているけれど、「無視されている」と感じたら、「無視されている」と感じる気持ちを殺してはいけないと思う。今までそうやって人の都合や理由、「みんな同じなんだ」「みんなつらいんだ」ということばかり考えて自分の気持を押し殺してきたけれど、それではなにも解決しないということに気づいた。

自分が心配をしているのにもかかわらず、私が「無視されている」と感じていたら、「自分はこれだけ心配してるのだ」ということを説明してそれを私に理解させようとするのではなく、「なんでこんなに自分は心配しているのに、無視されてると感じてしまうんだろう」と理由や原因を考えてほしい。そして、どうしたらいいのだろうと考えてほしい。

と話した。どう考えてもおかしいのだ。つらいのは私なのに、私は夫が心配してくれている気持ちを汲んでやらなければならない。夫がなにもしてくれなくても。どう考えてもおかしい。

2)興味がない

私のことに興味がないと感じる。旅行したりおいしいものを食べたりして、一緒に楽しいことをするのは好きだけれど、つらいことはスルー、または考えたくないという感じ。

私がつらくてカウンセリングに行ったりCBTに行ったりしても、そういうことはまるで存在しないかのようなスタンスでいる。これではいけないと思って、セッションでどんな話をしたか、今どういうことをしているかを報告するようにしても、聞き流してるだけでまったく覚えていない。

また、カウンセリングに行っているという事実があるのにもかかわらず、私が少し笑ったりしてるともう私が問題を抱えているという認識はすっかり飛んでしまう。なのでそこで私が落ち込んだりすると、突然だということでびっくりしたり怒ったりする。おかしい。

万が一私が落ち込んでいることを認識できたとしても、問題を一緒に考えるのではなく、旅行やおいしいものを食べに行くことを提案してくる。「そうじゃなくて一緒に考えて」と言えば、「元気づけようとしたのに」と怒る。おかしい。

楽しく一緒にいる分にはいいけど、大変なことは興味がなく、助けようとも思わず、どうしたらいいんだろうと考えることもない。これは私という人間を本当に必要としているのではなくて、便利に扱われているだけだと感じる。これはまさに、私がに感じていたことと同じだ。

こういうことが専門の友人がアドバイスをくれて、また「もうだめだ」と思ったときには、以下のようなことを声に出してつぶやくといいと教えてくれた。

「親と似たところはあるけれど、この人の発言や行動は、私にとって大したことはない。なぜなら、親と違うところは、住む場所や仕事など私の将来をコントロールすることができない、夫との関係を止めたり再開する自由が私にはある、私の気持ちをないがしろにされても、そのつらさを伝えれば分かってくれる可能性もある…」など。

なので、夫が親とは違うところをリストにしてみた。

1)完璧に私が求めている形ではないにしても、私とうまくやっていこうと思ってくれている。
2)私が夫の求めるものと異なっていても、私のことを嫌ったりしない。
3)わかるように説明できれば、理解はしてくれる(ものすごい大変だけれど)。

これこそがまさに、「救いようのない親」と「救いようがあった夫」の違いだった。

緊急アセスメント

翌日月曜日、さっそく朝に電話が入った。それを別室に行って取った。

不安症の個人セッション3回目」で手配された緊急アセスメントの、前段階の電話だ。本来なら「緊急」アセスメントなので緊急に受けるものなのだけれど、手配できなかったために、まずはある程度どんな状況にあるかを確認する電話が最初に入るとのことだった。

私の精神状態がどんな状況なのかを把握する質問が、次々にされた。友人と過ごして話も聞いてもらって落ち着いてきたということと、夫がトリガーになるので夫がいなければ大丈夫だということで、一人になってもいい、すなわち家に帰ってもいいことになった。

アセスメントの予約が木曜日に取れて、電話を終了した。

友人と別れて自宅に戻った。大丈夫だとは言ったけれど、ベランダが怖かった。それまで普通に出られていたことが信じられなかった。しばらく出れなくなったし、見ることもできなくなった。

それでも家に帰ってこれたことは、ほっとした。洗濯物をして、掃除をして、なんだかすべてがだったのかのようにも感じた。

空っぽの家でぼーっとしながら、「これからどうしよう」とぼんやり思っていた。

水曜日に一度確認の電話がきて、木曜日になってアセスメントを受けに行った。「Mental Health Recovery Service(メンタルヘルス回復サービス)」という団体だった。

スタッフ二人と面接をするということで、びっくりした。ずいぶんしっかりしているのだなと思った。一人がずっと話をして、一人はずっとすべての会話をメモしていた。録音もしていたと思う。

それはそうだ。ここは「私が自殺する危険性があるかないか」を診断するところなのだから。

簡単ではあったけど、どういうことがあって、どういう状況かということを話した。質問のテンプレートがあるらしく、飲酒や喫煙、犯罪歴や違法ドラッグの経験なども聞かれた。主に、私の親のこと、夫のこと、今回の問題などを話した。

その結果がすぐ翌日に出て、CBTの担当者から電話があった。内容は以下の通りだった。

やらなければならないことは、①の回復と、②夫婦の回復。緊急性が高いということで、②にまず着手して、それから①をやったほうがいいということだった。具体的には、以下の通りだ。

1)まずは「Couple Counselling(二人用のカウンセリング)」の資料を送るので、受けてみること。私が自殺せず夫と無事に暮らせるように、ここで二人の間の問題を考えて出口を探す。

2)その間にGPに連絡を入れておくので、予約を取って行き、「Anti-Depression(抗鬱剤)」を処方してもらうことを勧める。

3)1)が終わったら、GPで「Psychotherapy(心療治療)」を手配してもらって、自分の中の問題を治す。

抗鬱剤」が出てきて、怖くなった。大丈夫だとは聞いていたけれど、戸惑った。

夫といなければ安定はしているから、今は飲まなくても大丈夫だけれど、今後また夫と暮らし始めることになったら、そのときは必要になるのではないかと思った。でも私の状態が安定して見えるようになったら、夫は「もう大丈夫なのだ」と思ってしまってまたおかしなことを言い、永遠に夫の問題は治らないのではないかとも思った。

これだけ大変なときに、頼りにならなかったばかりか、逆に私をさらに突き落としてくるような人間だ。もし今後カウンセリングをやって病気が治ったとしても、果たして夫と一緒にいたいと思うだろうか。夫の行動の謎が解けたとして、それで私は夫のことをどう思うのだろう。

いったい、どれだけの時間がかかるのだろうか。そして治ったとしても、夫と一緒にいられるとは限らない。新しい人生を歩んで行かなければならないのかもしれない。私はいったいどうなるのだろう。

空っぽの家で、毎日そんなことを考えながらただただいた。でも、生きていた。

久しぶりの友人との再会

来英した友人と、イギリスの北からやってくる友人と、三人で久しぶりの再会。

ほとんど寝ていなかったし、こんな状況ではあったけれど、この三人での再会は楽しみだった。飲みに行ってもいつも話が長くなってしまうから、宿を取ってゆっくり話そうということで、お泊り会になった。

ここで、イベントが二つあった。

一つは、一人が遅れてきたことだった。私と彼女の二人で待ち合わせをして、先に宿に行っているということだったのだけれど、私も20分ほど遅れたのだけれど、彼女はけっきょくもっともっと遅れてきた。しかも連絡が取れなかった。

時間通りに来たことが一度もない人だったけれど、このときはもうそれを許せる余裕がなかった。

私は寝れるだけ寝ておきたかった。遅れてくるならその通り連絡をくれれば、あとからゆっくり来てもらうことにして、寝てしまえる。でも連絡もつかず、どこでなにをしているのかもわからなかった。

私はついに、人に合わせて自分の行動を決めることを放棄した。

「こういうことがあって、このところほとんど寝ていないので、今から寝ます。もう一人と一緒に後から来てください。」とメッセージを入れて、返事も待たずに寝た。

私は寝たい。寝たいから寝る。彼女だって、遅れた上に連絡もつかなかった。その程度の待ち合わせだ。だったら私だって自分の都合で行動していいはずだ。私ばかりが時間を気にして、寝不足でもう回らない頭で起きて待ってる必要はない。そうしなければならないと思い込んでいるから、つらい。それを取ってしまえば、つらくもない上に、寝れる。

これがたぶん、人のことを考えずに、自分の都合のいいように行動した一歩だったと思う。

再会の最初がそんなだったので、三人で落ち合ってからは私の状況の話になった。親のことや今までのことを聞いてもらって、少しは気持ちが落ち着いてきたところだった。

そんな中で、一人がこう言った。

  「でも、親がいない人なんていくらでもいるでしょ。」

私はこのとき、なにも言い返せなかった。彼女の言っていることは事実だ。でも絶対に違う。生まれたときから親がいない人はたくさんいる。でもそれと私の問題はまったく違う。

今ならなんとでも説明できる。でもこのとき私はまったく無力だった。これが二つめだ。

毒親育ちの人なら、きっとこういう経験を山ほどしていると思う。というか、こういう経験しかしていないと言ってもいいかもしれない。私もそうだったし、たぶんこれからもそうだと思う。だからこういうときにきちんと説明できるようになりたい。そう思ったできごとだった。

また、解毒すればするほどこういう発言が刺さらなくなってくるし、相手がわからないところを補う説明が的確にできるようになってくる。こういう発言に「理解がない」と怒りを覚える場合は、まだ毒が体の中に残っているということなので、解毒のバロメーターにもなると思う。

久しぶりの再会だったのに、私の話ばかりになってしまった。申し訳ないと思ったけれど、二人とも暖かく受け入れて、親身になって聞いてくれた。「出してもいいのだ」と思った。自分を抑えてその場のための話をするのではなくて、自分のことも出していいのだと。

それが「友人」ということだ。考えてみれば当たり前のことだった。

あんなことがあったのに、こうして二人と話していると、なんだか現実感がなくなってきた。あれが夢だったのか、今こうして二人と飲んでいる自分が夢なのか。フワフワした感覚のまま、夜が更けていった。