18 避難生活開始

見えてきた希望

このころ、人に言われた言葉がある。

「じゃあもう、あと最後の一皮だね」

確かに、もう頭でできることはやり尽くした感はあった。あとは、解毒にとりかかるだけ。そうは思ったけれど、それでもまだ夫婦カウンセリングは始まらないし、それが終わってもさらに私のカウンセリングもある。先は永遠に感じられた。

さらには、夫の仕事が契約終了後に延長なく終わりになることがわかって、もうすぐ二人とも無職になる。こんな状況で、カウンセリングにもまたお金がかかって、どうなるのだろう。考えるだけで真っ暗だった。歩いてても食べてても寝てても、不安が消えない。だめだと思っていた。

でも、私の人生にずっとあった問題が、これが終わったらなくなるかもしれないのだ。

3歳のころから歯軋りをしていて、足の指をずっと丸めていて、首や口に常に力が入っていて、鳩がバサバサと飛び立ったくらいでいちいちビクッとするほど常に緊張していて。人の言うことにいちいち傷ついていて、空っぽで、親にいじめられて対抗できず体がどんどん動かなくなっていく悪夢を定期的に見ていて。夫からも存在を無視されて、死ななければならないと思うほど苦しんでいて。

そういうことが、ぜんっっっぶなくなるかもしれないのだ。これが終わったら。

どんな世界なのか、想像もできない。生きている実感があって、自分があって、楽しいことが楽しめて、おいしいものがおいしくて、満足感があって。心身ともにリラックスしていて、人になにを言われても大丈夫で、夫とちゃんと一緒に生きていける。そんな世界が本当に来るかもしれないのだ。

まったくの新世界。そこに行けるかもしれないのだ。私の本当の人生に。

そう考えると、が見えたような気がした。もしかして、本当に最後の一歩なのかもしれないと思った。

親から逃れ、新しい家族と新しい人生をスタートしたのに、全然うまく回らなく、原因もわからず、長い長いトンネルに迷い込んで、どっちに行ったらいいのかもどうしたらいいのかもわからなかった。

でももしかしたら、今はもう出口にすごく近いところまで来ているのかもしれない。光が見えてきてるのかもしれない。

突然、本当に唐突に、そう思った。

そうしたらフワァっと、なんだかが一枚剥がれ落ちた感じがして、急に少しだけが湧いてきた。すべてが終わるのが待ち遠しくてしかたがなくなった。自分に仕事がないのも、夫の仕事がなくなるのも、この最後の大作業に集中して取り組めるようにするためなのかもしれない。夫の短期の仕事でお金が少し入ったのも、この資金だったのかもしれない。

これだけなにもかもがだめになっていったのも、「仕事とかもうどうでもいい、これを治さないと生きていけない」と思えるようになるためだったのかもしれない。「最優先でこれに取り組まないと死ぬ」と思えるようになるためだったのかもしれない。そう思った。

確かにお金時間もかかる。普通の生活をしていたら、たとえなにかあっても「カウンセリングに行こう」なんて思わなかったはずだ。以前行ったカウンセリングも、チャリティで安く行けたものだったから行った。確かに発見はたくさんあったけれど、その程度だった。

でも、もう違う。「これをやらなければ生きていけない」、そこまで落ちた。それでやっと解毒の重要性に気づけた。「とにかくなんでもやろう」と思えるようになった。きっと私にとってベストなタイミングがこのときにやってきたのだと思う。

子供のころ、カウンセリングに行きたかった。または裁判をやりたかった。ちゃんとした人に見てもらったら、親が頭がおかしいことがわかってもらえると思っていたからだ。でもどこにも行けなかった。子供じゃ親を裁判にかけることも、親をカウンセリングに連れて行くこともできない。

でも今は違う。私には裁判を起こす自由もあり、夫をカウンセリングに連れて行って、専門家に手伝ってもらい問題を解決しようとすることもできる。

ついに人生が変わる。そう感じた。

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ひとりじゃなかった

私には忘れられない一杯がある。

okayu

なんの変哲もないおかゆだ。でもこれが私の人生に差してきただった。

夫にサポートしてもらうばかりか、逆に崖から突き落とされるようなことをされて、もう死ぬしかないのだと思っていた。せっかく親から逃げて自分の人生を築いてきたと思っていたのに、また同じ目にあうなんて思いもしなかった。

自分を産んだからも、自分で選んだからもこうも立て続けに必要とされない自分には、どこへ行こうと安住の地はない。誰にも必要とされることはない。悲しさのもとはそこだった。

相手の思う通りに振る舞えば、喜ばれるし、必要とはされる。でもそのためには自分を殺して、常に相手の思い通りにしなければならない。今まではそれができていた。でもそれではもう生きていけなくなっていた。

つらかった。今までの人生で一番つらかった。実家にいたときも死ぬほどつらくて、もう一生でこれほどつらいことはないし、今後なにが来ても大丈夫だと思っていた。でも、それよりもっとつらかった。なにがどううまくいかなくても、こんなにつらいことはなかった。

を出して寝込んでいたのだけれど、届け物を受け取りに行かなければならなかった。小さい子供がいる人だったので、移さないようにとも思い、申し訳ないけれどうちに届けに来てもらった。

すると、届け物と一緒におかゆをくれた。テレビで見たレシピで作ってみたのだと。

うまく言葉を発することができなかった。なにがあったか詳しくは話していなかったけれど、私がひどい状態にあることを気にかけてくれて、おかゆを作って持ってきてくれた。本当に驚いたし、信じられなかった。があふれて止まらなかった。

この世に、なんの利益がなくても私を心配してくれる人がいた。

心配して連絡をくれた友人、泊めてくれた友人、話を聞いてくれた友人、助けようとしてくれたメンタルヘルスの人、涙までしてくれたCBTのセラピスト。私を助けてくれようとする人がいた。気持ちをわかってくれる人がいた。よくわからないけどなんかしようとしてくれる人もいた。

今までずっと一人だったのに。私がどうにかしなければ、どうにもならなかったのに。でも、私の代わりになにかをどうにかしてくれる人たちがいた。

ものすごくほっとした。

私はずっと一人だった。生まれてから今まで、ずっと一人だった。一人だと思っていた。でも一人ではなかった。

「ひとりじゃなかった」

たったこれだけ。どうでもいいことを書いてる、と思う人もいるかもしれない。どこにでもある一文だ。

でも、この意味を本当にわかっているひとはどれだけいるだろう。頭で状況を理解することと、心でものごとを理解することはまったく違う。もう何度かそういう経験はしてきたけれど、このとき本当に心からそう思った。一人ではなかったのだということがどういうことなのか、本当にわかった。

人間は、いろいろな人に支えられて生きていた。本当だった。

親や夫には恵まれなかったけれど、私にはこんなにもいろんなところでいろんな方法で助けてくれる人たちがいた。私も捨てたもんじゃないかもしれない。そう思えたことで、親や夫に頼らない自分の価値が芽生えてきた。

自己発見

避難生活開始」から二週間ほどして、やっとどうにか落ち着いてきた。

少しずつ家事をやるようになった。それまではもうなにもやる気が起こらなかったし、夫と一緒に住んでいたときも、私のほうが家にいたのに、夫のほうが家事をやっていた。相当やばかった。

不安症のアンケートにも、「仕事や家事、人と会ったり出かけたりということが、どれだけできなくなっているか」という項目があった。私の場合、仕事に行けなくなることはなかったけれど、家事や人と会うことはできなかった。

たまっていた洗濯物を片づけて、料理もするようになった。そして掃除を始めたときに、カードが出てきた。一年契約満了の最終日に、会社でもらったカードだった。同僚全員のメッセージが書かれてある、日本の色紙のようなものだ。

不安症の個人セッション2回目」のすぐあとに、ちょうど契約終了がきていた。

当時は仕事も最後のぎりぎりまで忙しく、「日本の会社」の嫌なところが刺さっていて、さらには「自分の問題と夫の問題」で爆発し、体調も悪かったときだった。だからもらったカードも置きっぱなしになっていたのだけれど、改めて手にとってよく眺めてみると、しんみりした。

仕事自体はわりと好きなことだったし、楽しかったことやおもしろかったこともたくさんあった。私にもっとちゃんと境界線があってしっかりしていたら、なにも刺さることもなく普通に楽しく過ごせたと思うし、条件さえ合えば延長させてもらっていたと思う。

カードにはいいことがたくさん書いてあった。私の仕事が早くて正確で助かったとか、私がいたから乗り切れたとか、またいつでも戻ってきて、など。

ありがたかったけれど、私が在籍している間に出しておいてほしかったとこのときは思った。「師匠と弟子」のような、厳しく言ってはいたけどそれもお前のため、本当は温かい目で見守ってたんだよと。そういうのはやだなあ、と思った。毒親の自己正当手段を思わせるからだ。

でもきっと、境界線があったら人が言うことに左右されないから、こんなことも気にならないのだと思う。でも当時はしかたがなかった。境界線のなかった私は「辞めて正解」だった。馬鹿にされていると感じたり、給料も低くて虫ケラのような扱いだと感じていて、それが苦しかった。そんな状況では続けていても悪化するだけだっただろう。

それでもびっくりしたのが、「ムードメーカーがいなくなると寂しくなる」ということが書いてあったこと。「ムードメーカー」というこのキーワード、これは実は私が今までで最大のパフォーマンスを出せたときの上司に言われたこととまったく同じだった。

その上司も、私をチームの「ムードメーカー」というポジションに捉えていた。もちろん私にはそんな認識はなかった。「積極的に盛り上げよう」などと思ったことは一度もなかったのだ。

そのときの会社とこのときの会社ではまったく社風も業種も異なるし、上司もまったく違うタイプの人であったにもかかわらず、まったく同じことを言われて驚いた。

これも、ひとつの自分発見かもしれないと思った。

どんな場所でどういうことをしていても、「私」という存在は変わらず在り続けているということ。少し「自分」という存在に気づく一歩になった気がする。人から言われることではなくて、自分から気づけるようになるともっといいとは思ったけれども。

空っぽすぎた「私」という入れ物に、とりあえず薄っすらとなにかが入った感じがした。