17 NHSのCBT個人セッション

不安症の個人セッション3回目

なにもできない夫」で話し合った通り、夫をCBTの個人セッションへ連れていった。

たぶん入れてもらえないだろうとは思っていた。ここはNHSで運営されているところだし、「イギリスの医療とメンタルヘルス」でも書いた通り、GPを通して依頼された私のために組まれたプログラムだ。私の問題を改善するためのものであって、夫婦やパートナーの間の問題を解決するカウンセリングとは違う。

でも、私が夫から影響を受けていることは確かだった。だからいくら改善しようと私だけが問題に取り組んでも、解決できるものではないと確信していた。

セラピストに会うと、やはり「二人ではできない」と言われた。これはRelationship(二人間)のカウンセリングではなく、あなたのカウンセリングだからと言われた。

「じゃあ会社に行く」と言い始めたどうしようもない夫を外で待たせ、とりあえず私のセッションを受けることにした。

でもまずセラピストが「どうして今日は旦那さんを連れてきたの?」と聞いてきた。「このセッションに入ってもらって、私がどういう状況でなにが行われているのかを知ってもらいたいと思ったから」と話した。以前のカウンセリングで発見した問題や、ここ一年くらい心が過敏になってきたこと、夫から受ける地獄のようなつらさ、そして先日もう死ななければいけないのだと思ったことなどを話した。

そこでセラピストは上司と相談してくれて、夫を交えて話をしてくれた。

夫の前で現状を私に話させ、それについてどう思うかと聞かれると夫は神妙に話し始めた。待っている間に「アスペルガー症候群」について携帯で調べていたらしく、自分が90%当てはまっていると言い始めた。男性に多く、小さいころに父親がいなくなると「強くならなければいけない」と思って感情に疎くなるらしい。

もっともそれが原因かどうかはわからないし、全体的にイギリス人や男性というのは一般的に相手の感情を読み取ることが苦手ではある。でもやっとそれを認識してくれて、治したいと思ってくれているようだった。なにか自分も受けられるカウンセリングがないかと言って、セラピストからパンフレットをもらっていた。

あんなに私の妥当な主張に激怒していたのに、冷静なときは別人のように自分のことでも考えられるようだった。驚いた。本当に、まさに別人だった。

ただ、ここで夫のカウンセリングもできるわけではない。夫のことは別として、今この状況でどうしたらいいかという話になった。

セラピストは、私の精神状態が危ないから「CMHRT(Community Mental Health Recovery Team)」の緊急アセスメントを手配すると言った。これは、私が自殺したりせずにいられるかを診断するもので、これが終わって大丈夫だという結果が出るまでは、以下の条件でいるように言われた。

  1. 夫と離れていること
  2. 私は一人になってはいけない
  3. GPへ現状を報告しておくので、なにかあったら必ずGPへ連絡すること
  4. 時間外の場合はA&E(緊急病棟)へ連絡すること
  5. アセスメントチームから連絡があったかどうかの確認の電話をするので、それまで待つこと

夫がトリガーになっているので、夫と離れていなければならず、かつ私は一人になってはならないので、私が家を出てどこかに泊めてもらうことはできるかと言われた。

ちょうど数日後に友人がロンドンに来てお泊り会をやることになっていたので、それを伝えると、「今日からそれまではどうするの?」と言われた。もう今日この日から、夫とは離れていなければならないのだと言われた。ことは深刻だった。「自分の問題と夫の問題」で電話した友人に聞いてみたら快諾してくれたので、お世話になることにした。

このセッションのあとにこのまま残って、アセスメントを受けるべきだとセラピストに言われた。しかし「生きたいという気持ち」で行けなかった面接がリスケしてもらえてこのあとに入っていたので、これはどうしても行かせてほしいとお願いした。「面接というのは精神的に負担になるし、今はそんなことができる状態ではない」と言われてかなり説得されたのだけれど、私は夫といるのでなければ普通でいられるし、またこれに行かないほうが心理的に負担になると主張した。

けっきょくアセスメントの予約がこのあとに取れず、最短で週明けになった。アセスメントはまず応急処置として電話で状況確認が行われ、それから対面で行うとのことだった。この日は金曜日だったので、週明けの月曜の朝に電話が来ることになった。週末を友人の家で過ごし、けして一人になってはいけないと念を押された。

許可が出たので面接には行ったけれど、ここは落ちた。けっきょく、このときにいくつも受けた面接はすべて落ちた。どれも私にピッタリの仕事で、最終面接までいったものもたくさんあったけれど、このときはなぜかどうしてもどこも受からなかった。

とりあえず上記の5項目をセラピストに書き留めてもらって、避難生活が始まった。

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頭のおかしい夫

電車の中で泣く私に、夫は「大丈夫か」などと今度は声をかけてくれていた。それまでもさんざん泣いていたので、さすがに無視はされなかった。あれだけの気持ちを爆発させたのだから、やっと気づき始めてくれたのだと思っていた。

でも、私の涙を拭きながら「泣いてたら美容師さんに失礼だよ」とケラケラ笑い始めた。

世界が暗転した。

自分の「妻」が自殺しようとして、今もまだ泣いている。電車の中で他に人がいるというのに、泣いている。どう考えても異常な事態だ。そこで冗談を言って笑える神経。隣にいるこの「夫」とされているものは、果たして人間だろうか。

極度の恐怖に襲われた。私の涙を拭いてくる指が怖かった。無垢で優しそうな笑顔の下に、なにか触れただけで死ぬような毒が詰まっている感じがした。恐怖で身動きが取れなかった。

駅に着いてから、どうにか動けるようになった。駅では周りに人もいるし、なにがあっても走って逃れられるので、少し安心した。そしてやっと、この場で笑える神経を批判した。お前がそんなだから私の頭がおかしくなるのだ、そうやって私の気持ちを、私の存在を無視してきたことを「絶対に許さない」と言った。

するとあんなに優しそうに涙を拭いていた夫は、急に目を吊り上げて気が狂ったように激怒した。大変なことがあってやっと落ち着いたのに、また急に問題を巻き起こされた、そう言っていた。

そんなに怒ることでもなんでもない。私は声を荒げることもなく、自分の主張をしただけだ。しかも妥当な主張をした。なのにこんな顔をして怒るのはどう考えてもおかしかった。たとえナイフで刺されたとしてもこんな顔はしないだろう。常人の顔ではなかった。

「頭がおかしいのはこいつだ」とわかった。

私がおかしくなるのは、私のせいではない。こいつの頭がおかしいから、私がおかしくなるのだ。

もちろん、このときまだ私も問題を抱えていた。境界線はやっと薄っすらできてきたところで、まだまだ自分がしっかりとはなく、夫や周りの声に支配されていた。

でも、明らかに夫もおかしかった。というより、夫のほうが異常だった。初めてそこに気づいた。

それまでは、なんとも思わなかった。いや、表面上はなんとも思っていなかっただけで、潜在的に傷はついていた。でも認識はまだなかった。それが私がだんだんと自分を持ち始めるようになって、だんだんと夫に違和感が出てくるようになり、表面化して認識できるようになってきた。

そこから自分がもっとしっかりしてくるようになって、夫の言動にはっきりと傷つくようになってきた。それがこの段階だ。ここからさらに自分がしっかりして境界線ができた今現在は、もう夫の言動に傷つくことはない。でもこのときはその手前で、一番つらいときだった。

ここを乗り越えるのは、容易ではない。しかもこのときは、まだ「なにがおかしいのか」もわかっていなかった。ただ夫がひどい人間で、その言動に傷つくのだ、ということだけしかわからなかった。

夫は「慰めるために冗談を言ったのに」と目をむき出して怒っていた。完全に頭がおかしかった。

それまでだったら、たとえ違和感を感じていても、自分が傷ついていても、夫の気持ちを自動的に汲んで、自分のことはスルーして黙っていただろう。夫からなにも言われなくても、「きっと私を慰めるために冗談を言ったのだ」と思って自分の違和感を押し込めていただろう。

でももうそれができなくなっていた。

だって、私のだ。私が自分の命を消そうとした、それさえも無視されるとなると、どう考えてもスルーできなかった。他のことなら百歩譲ってまだいいとしても、私の命がかかっても夫を尊重しなければならないのはおかしい。

妻の命を尊重できない夫とはなんなのだ。そこまでして譲ってやらなければならない「」とは?

誰から見ても優しそうな風貌の薄皮一枚の下は、人には理解できない恐ろしいもので埋め尽くされているように感じた。もうだめだと思って、逃げた。大きな駅の中を逃げまわり、捕まってしまったところでもうどうにもならなくて床に崩れ落ちてしまった。

実家にいたころ、救急車を呼ぼうとしたことを思い出した。誰かに助けてほしかった。救急車は「急」を「救う」車なのだから、助けてくれないだろうかと思った。あのときも絶望的だった。でも誰も助けてくれなかった。

周りに人はたくさんいた。床に崩れ落ちてる私を見て、たくさんの人がこちらを見ていた。でも誰も助けてはくれなかった。

夫が起こしてくれた。駅の隅は夜に人が吐いたりするから「汚い」とのことだった。私の気持ちを理解したのでも、自分がおかしいことを反省したのでもなかった。本当に、物理的なものしかその目にも頭にも耳にも届かないのだった。

夫は人間ではなかった。人間の体を持った機械だった。

このころ友人から「アスペルガー症候群」について聞いたので、夫はこれではないのかと思った。夫にこれを言ってみたけれど、夫はただただ否定するばかりだった。

生きたいという気持ち

この日の午前中に仕事の面接が入ってたのに、それに行けなかった。本当にお先真っ暗だった。面接なんていう大事なものに行けなくなるなんて。もう私は普通の生活が送れないのだと、ここで思った。

面接の後に、美容室と指圧を予約していた。それには間に合いそうだったので、会社に戻る夫と一緒に外に出た。電車に乗り、朝食もお昼も食べていなかったので、買ってきたサンドイッチをひとくち食べた。そこで、がぶわーっと出てきて止まらなくなった。

食べる」ということは、「生きる」ということ。

普段みななにも考えずに、食べて寝て生活をしてると思う。でも、食べるということは生きるということだった。ついこの朝、もう今日で死ぬのだと思っていたのに、こうして食べ物を口にしている。そのことが、本当に貴重なことに思えたのだ。

そして、私は、私の気持ちは、「生きたい」のだ、ということを実感した。

あれだけ、もう死ななければならないのだと思った。本当に、もうさようならだと思ったのだ。でも、私は飛ばなかった。これが、証拠だった。私の心は「生きたい」と思ってる。ここに、私の気持ちの動かぬ証拠があった。

頭と心はつながっていないけれど、死ななければならないと「頭」で思ったことを、実行しなかったのだ。それは私の「心」が確かに存在している証拠だった。そしてその「生きたい」という気持ちが、私を生き残らせた。私の気持ちはちゃんとあった。

「気持ち」がその存在に気づいてもらえて喜んだのか、そこから涙が止まらなかった。電車の中で、声を出して泣いた。「私がいる」ということがわかった。私はちゃんといる。

たぶん、ここで「人と人との境界線」ができてきたのだ。

普通なら、たとえ夫から不条理にキレられたとしても、「存在を否定された」とは感じない。またたとえ存在を否定されたとしても、その通りに自分が消えてしまわなければならないとは到底思わない。

でも私は自分がなかったので、周りから「いないもの」として扱われたら、その通りに自分を消してしまわなければならないと無意識に感じていた。「わけもわからず傷つく日々」の中で、違和感は出てきていたものの、まだ周りの考えの通りに生きざるをえなかった。
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でも「自分」がもっとできてきて、周りの考えをそのまま取り入れなくてもいいようになったのだ。
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この「あの世とこの世の狭間」で「自分を殺すかどうか」という究極の状態に置かれたときに、やっと純粋な自分の気持ちを認識できた。誰にそうしろと言われたわけでもなく、ただ「自分の気持ち」によって自分を殺さずに生きる選択をした。100%自分の気持ちだけに従って行動することができたのだ。

大きな大きな、一歩だった。