10 大災害に見舞われる

同窓会

帰国の前、SNSでつながっていた同級生女子二人が「集まろう」と言ってくれていた。

最初は、「呼べそうな人を呼んでランチをしよう」という話だった。それがどんどん大きくなっていって、「お世話になった先生も呼ぼう」という話が出た。なにも知らずに「いいね」と言ってしまったことを、後悔することになる。

よさそうな店に聞いてみたところ、コースが4,500円と言われた。私ともう一人は、「ランチでそれは高すぎるから、席だけ予約にしてそれぞれ頼みたいものを頼もう」ということで一致した。

でももう一人が、「同窓会なんだから、先生は車代を出すか会費半額、経費は3〜8,000円が妥当、それプラス経費の倍を足したものを会費として回収してトントンだ」と言い始めた。

それにびっくりして、「私たちはカジュアルランチのつもりだったし、声かけている人たちにもそういうつもりで連絡しているから、8,000円などと言われたら来れない人も出てくると思う」と言ったら、なぜか激怒された。

理由はよくわからないけれど、「『金額』で来る来ないが変わる」のが非常識だとのことだった。

けっきょく彼女が「もういい、私が幹事をやる」と言い、店も会費(5,000円)も決めた。声をかけていた人たちに、場所と会費の連絡をしたのだけれど、それでも彼女は「会費の提示はしたくない」と最後まで言っていた。

彼女はお堅い仕事なので、きっと周りに年上の人が多く、そういう日本古来の「常識」をたくさん知っているのだろう。きっと、同窓会というのは金額提示なしで、先生は会費半額か車代、というのが常識なのだろう。

でも、常識がどうであれ、現状として「カジュアルランチ」ということで誘ってしまっているから、行ってみて突然「じゃあ会費8,000円」と結婚式の二次会レベルの金額を言われたらびっくりする。

半年前に出欠のはがきが届いて始まるような正式な同窓会だというのなら、この金額でもまあわからないでもない。でも今回は、私の帰国に合わせて集まろうというところから始まった個人的な集まりなのだから、先生にもそう言って、適当に来てもらうようにすることだってできるはず。

そう言ったけれど、彼女にとってそれは「あり得ない」らしかった。

現状としてそんな会費だと来れない人も多いと思うから、みんなが来れるように会費だけでも安く済ませようとも言ってみたけれど、それも「あり得ない」らしかった。夫と二人で10,000円も取られてしまうようなら参加できないと言ったのだけれど、会費は5,000円に決定。なので、「来なくていい」ということだ思っていたのに、わざわざ参加の有無を聞かれた。「言った通り参加できない」と答えたら、それもまた「あり得ない」と言われてしまった。

いったい、どうしろと言うのだろう。

「5,000円じゃ参加できません」と言っているのに、会費を5,000円に設定した。なのに、参加しないと「あり得ない」とは。

世の中の全員が自分と同じように生きているわけではないし、いろいろな人がいて、いろいろな事情がある。だから、より多くの人が参加できるように、柔軟に対応すればいいだけの話だと思う。同じ学校を出ていても、そこから歩む人生はバラバラだ。当時の私たち夫婦のように無収入のド貧乏だっているかもしれないし、玉の輿で左うちわみたいなのだっているかもしれない。

「これはこうするのが常識だから、みんなこれに合わせるように」と言っても、それが特にお金のことなら、合わせられない人が出てきて当然だ。しかも、今回はそんなにかしこまった機会でもない。

そんな中で「ただひたすら常識を通すこと」で得られるものは、いったいなんだろう。

私たちは、「常識を守る」ために集まるのだろうか。なぜ、「より多くの人が集まれる」ことを目指してはいけないのか。そもそも「常識」というのは、みんながよりよく過ごせるためにある共通認識のことだから、参加できない人が出てまでも常識を死守するというのは、本末転倒ではないか。

「形式」ばかりで、「真実」がない。彼女のそういうバーチャルなところは、毒親を思わせた。

けっきょく、最終的には参加者は当初の1/3に激減、それでも彼女は「参加と言っておいて1か月前にキャンセルとかあり得ない」と憤慨していた。どうしてそんなに大勢の人がキャンセルすることになったのかは、彼女にとってまったく関係がないようだった。

みなそれぞれ育ちかたが違い、それぞれの考えかたを持って生きている。考えかたが合う人がいるなら、もちろん合わない人もいる。そんな中で、自分の考えだけが正しいと思い込み、自分のやりかたを100%相手に受け入れさせようとする人がいる。そしてそれが受け入れられないことを相手のせいにし、批判する。

まさに毒親と同じだ、と怖くなった。こういう人の全員が毒親になることはないけれど、これは確かに毒親の要素のひとつ、他人と自分の区別がついていない「境界線を無視して入ってくる人」だと思う。

私にはっきりとした「人と人との境界線」があれば大丈夫だけれど、私はまだその状態にない。怖くなったので、彼女とはそれっきり連絡を取らなくなってしまった。

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大きな一歩

伯父のところ(「父方の祖母のところへ」参照)を出て、やっと毒親から離れられた。

こういう環境にいたから、私は壊れたのだなと思った。逆に、私は壊れて当然だと思った。

あの家を出て十数年、普通の人たちと普通のコミュニケーションをとって過ごし、普通の感覚が身に染み込んだ今、久しぶりに毒親に接してみると、いかにあの人たちがあり得ない人間か、自分のいたところがどれだけあり得ない環境だったかということがよくわかった。

私がつらい思いをしてきたことも真実で、私はなにも悪くなかった。親不孝でも、人の気持ちがわからない思いやりのない人間でも、自分勝手でわがままな人間でもなかった。私は、ただの普通の感覚を持った普通の人間だったのだ。

まだ毒親のコントロールの支配下から完全に抜けられてはいなかったけれど、それでもこれは大きな一歩だった。

1.毒親は普通の人間ではない。頭がおかしかったのは、私ではなく、毒親。
2.普通ではない人間と右も左もわからないころから一緒に暮らしていた私は、壊れて当然。
3.毒親と話して理解し合うことは不可能。

これを理解するにも、友人のサポートがとても大きかった。どんな目にあったのかを聞いて、「ひどい!」「あり得ない!」とみんなが言ってくれた。これで、「よかった、やっぱりひどいことなんだ」と、自分の感覚に確信自信を得ることができた。

毒親育ちは、生まれたときからあり得ない目にあっているため、感覚が麻痺している。そこで、普通の感覚で「それはおかしい」と言ってもらえると、「ああやはりそうなのか」「私が思っていたことは普通だ」と安心できるのだ。

でもそこで、「親なんだからきっとあなたのことを思ってやったんだよ」「なにか理由があるんだよ」などと言われてしまうと、脱出どころかますます毒親の支配下に陥っていってしまう。日本では「親」という存在をなぜか盲信する風潮があるため、毒親育ちはなかなか解毒へ進むことができず、どんどん毒に侵食されていく一方だ。

その点、イギリスだと「親」に対する盲信がなく、きちんと客観的な感想がもらえる。儒教的な考えかたがなく、キリスト教的な「個人」対「神」という考えかたで、神の前では親も子もなく、それぞれがどう生きるかということが重要視されているということだろうか。それとも、単に「あり得ない親」が多いからだろうか。「親=思いやりのある正しい人」という感覚はあまりない。

「親」ではなく、たとえば「上司」として考えてみたら、どこがどうおかしいのかがよくわかるかもしれない。

ただ、もうひとつここでわかったこととして、「夫の言動の違和感」があった。

「なんで私ばかりこんな目にあうんだろう」と泣く私と一緒に泣いてくれたりしたけれど、そんなことなどなにもなかったかのように、毒親に対しては普通に受け答えしていた。私をこんなに傷つけているのは毒親なのに、その毒親とにこやかに話をしたりしているのを見て、またショックを受け、傷ついた。

これは、「夫の言動に傷つく日々」で書いたことともつながっていた。これがのちのち「夫も毒親育ちだった」という発見につながっていく。

父方の祖母のところへ

次の日は、父親の車で、父方の祖母に会いに行く予定だった。

もうそんなことはお構いなしに、大荷物でもなんでも自分で持って、大変でもなんでも電車で行けばよかったのだ。今ならそう思えるけど、当時は今よりも毒親に支配されていたのと、当時は寝不足と怒りで思考回路がめちゃくちゃになっていた。本当に、心底嫌だったけれど、車に乗ってしまったのだ。私さえ我慢すれば、と思っていた。

行く前に、母親が私の運転免許証を貸せと言ってきた。私の名義で入っていた保険が満期になったので、降ろしたいらしい。でも、そんなの私には関係ない。毒母が勝手に入った保険だ。私のIDを貸さなきゃいけない理由はない。なにより、私の持ち物に対して、自分のもののように貸せなどと言われるのはおかしい。

「なんでそんな言いかたされなきゃいけないの?」と言えば、「なにがそんなに気にくわないのよ」と言われた。

目の前が、真っ赤になった。

自分たちの好きに振る舞い、それで私が怒れば、自分だけ大人であるかのような顔をして「なにがそんなに気にくわないの」。自分たちのしたことは、なんだ。自分たちがすることはすべてなかったこととなって、私ばかりが責められる。本当に、刺してやりたかった。殴りつけて、メッタ刺しにしてやりたかった。

私が怒ることで、自分の力を確信し、コントロールできていることに安心するのだ。だから怒ってはいけないことはわかっていたけれど、こうも犬扱いをされて、怒らずにはいられなかった。

毒母は、すごい態度で「貸してください、お願いします」と言ってきた。言葉ばかりは丁寧だったけれど、中身はまったくともなっていなかった。

言葉」は丁寧だけれど、「真実」は丁寧ではない。毒母は「言葉」で私をコントロールしていたのだ。どれだけ私のことを虫けらのように扱い、自分の好きにしていたとしても、「言葉」上できちんとしていればもちろんいいのだと毒母は思っていた。それが、毒母のいる中身のないバーチャルな世界だった。

それでも、当時はまだ「形式」が見えてしまっていて、人は「真実」で行動しなければいけないということを知らなかった。「お金」や「言葉」、そんなもので世界ができていると思っていた。

貸すことはなかった。でもしぶしぶ出してしまった。マリアナ海溝より深く後悔するばかりだ。

父親の兄のところへ行き、一緒にお昼を食べることになった。どこがいいだろうと伯父に聞かれたとき、私たちにはなにも聞かず、「イギリス人だから蕎麦とかは食べないよ、ピザとかがいい」と勝手に言っていたのが聞こえたが、無視した。仲良く一緒にお昼なんてできなかったので、一応車は降りたけれど、気持ち悪いと言って夫と車に戻って寝ていた。

父方の祖母の施設では、前を歩くでかい態度の毒親が本当に醜くて気持ち悪く、連れだと思われたくなかった。

祖母と夫と三人の写真を撮ってもらったが、カメラを持つ毒母の前で笑えもせず、死人のような顔をしていた。せっかく夫と三人で撮った写真だったけれど、プリントしなかった。夫に撮ってもらった祖母と二人の写真は、まったく違う楽しそうな表情をしていた。

祖母と話していると、「私も撮ろう」と、毒母が携帯のカメラで勝手に私と祖母を撮り始めた。いいとも言っていないのに、「娘と祖母」という銅像でも撮るかのように、パシャパシャといろいろな角度から撮っていった。嫌だから顔をそむけても、別の方向に動いてカメラを近づけて至近距離で撮ってきた。

目の前が、ふたたび真っ赤になった。

まるで、見世物だった。私に人権はなかった。「撮るな」と言われないから、好きに撮っていいのだ。私がどう感じているか、どう思っているかは、まるで関係がない。言われない限りは、撮っていい。たとえ言われても、「なにが気にくわないのよ」と返せばいい。なにが気にくわないか、きちんと説明できるものならしてみろと。

楽しくもなんともなかった。祖母の話など、まったく聞こえなかった。早く帰ることしか頭になかった。

伯父が、「うちに荷物を置いて、この辺りを観光していけ」と言ってくれた。私も大賛成した。そうするつもりだったからだ。でも毒親は「悪いから」と、なぜか必死に止めさせようとした。

伯父の家に着くと、伯父のいないところを狙って毒父が私に近づいてきた。気持ち悪かったので、逃げた。すると「おい、話を聞け」ともっと近づいてきた。「近づかなくても聞こえるから!」と、必死に逃げた。私が近づかないと思った毒父は、その場でどえらい態度で最終兵器を吐いた。

  「お前がそんな態度なら、次回から歓迎できない」

私は食い気味に「はい」とだけ短く返事して、伯父の家に逃げた。毒父は、拍子抜けしたようだった。

私が泣いてすがるとでも、思ったのか。「もう実家に行けないなんて!」「どうしよう!」なんて、思うとでも思ったのか。こんな犬扱いを受けて、「また来たい」と思うとでも思ったのか。というか、本気で「次回」があるとでも思ったのだろうか。

このときだって、実家に行きたくて行ったわけではない。祖母に会いたかったからしょうがなく行ったのだ。祖母がいなかったら、あんなとこ行くわけがない。私が自分たちに会いたくてやってきたとでも思っているのだろうか。あんなに気持ちの悪い空間が、そんなに素晴らしいお家だとでも思っているのだろうか。

宇宙レベルの勘違いに、驚愕しすぎて気を失いそうだった。

その後は、二人で伯父に名産の蕎麦をおごってもらい、短かったけれどやっと楽しい時間を過ごした。伯父は、「なんだ蕎麦が好きなのか」と夫に言っていた。蕎麦が特別に好きなわけではないが、日本にまで行ってファミレスのピザなど食べるわけがない。そんなことも考えず、聞きもせず、ただただ自分がいいと思ったものを毒親は与えてくるだけだ。

ひどい滞在だったけれど、毒親のほうから自ら「次回から歓迎できない=もう来るな」と言ってもらえたので、行かない口実ができた。これで「会いにもこない親不孝」と言われることはないだろう。とはいえ、どうせそう言い始めるだろうけれど。私にはもう関係のない人たちだ。