02 気づきの波及

前世療法中に木になる

余談になるんだけど、前世療法中(「前世療法の対面セッション」参照)にセラピストが「Is it ok to be myself?(私自身でいてもいいだろうか?)」というメモを書き取ったところが、なんとなくわかるような気がするので、その部分を紹介しようと思う。

導入のときに、なかなか過去生が見れなくて、2〜3個違うやり方を試したんだけど、その中のひとつで、自分が「」になっているところを想像するように言われたものがあった。

セラピスト「どんなところに立っていますか?」
私「海の上の、崖の上です」
セ「周りに何が見えますか?」
私「周りには何もないです」
セ「あなたはどう思っていますか?」
私「周りに一本も他の木がなくて、『なんで自分だけこんなとこに生えているんだろう』って思っています」

周りに木がまったくないところに、一本だけぽつんと立った木。「自分だけこんなとこに生えているけど、大丈夫なんだろうか」と、自信なく立っている。

まさに、これが「Is it ok to be myself?」じゃないだろうか。

別に、周りに木があろうとなかろうと、関係ない。逆に、「周りに太陽を遮るものがないから、すがすがしい」と感じることだってできるはず。でも私の場合は、周りに他の木がいないから、不安になる。自分がやってることは正しいのかと、不安になる。

セ「どんな木ですか?」
私「幹と根っこは長いんですが、上の葉っぱがついてる部分が短くて、三角形をつぶしたみたいな形です」
セ「え、どんなですか?」
私「こう、クリスマスツリーみたいに長い三角じゃなくて、ぐしゃっとたてにつぶしたみたいな…でも、葉っぱはすごくきれいな緑で、つやつやしててすごく好きです」
セ「根っこはどうですか?」
私「なんか…岩がごつごつしてて、よく伸ばせません」

これも、今考えたら、かなりポイントをついていると思う。

人に見える上の部分は、葉っぱがつやつやしててきれい。でも、その実、人に見えない根っこのほうは、岩があって根を伸ばしきれていない。

人から見たら問題もないし、きれいな木なんだけど、実際は、根がきちんと伸ばしきれていなくて、不安定で危うい。実は枝も伸ばしきれてなくて、全体的につぶれた感じで、のびのびできていない。というようなことじゃないだろうか。

さらに、私は顔とか上半身の発汗はすごいんだけど、脚はサウナに入っても冷たいくらい血の巡りが悪い冷え性で、鍼灸の先生いわく「上に気が上りやすい」らしい。この上半身だけで生きてるようなところは、のちのち始めるヨガの考えにもつながってくる。

セ「じゃあ、自分がいい環境と思うようなところをイメージして、移動してみてください」
私(全然イメージが出てこない)
セ「どうですか?どんなところに行きましたか?」
私「あ」
セ「?」
私「木が…」
セ「?」
私「根っこに岩を絡めたまま、崖からばこっと外れて飛びました!」(爆笑)
セ「飛びました?」
私「はい…」(爆笑中)
セ「じゃあそのまま飛び続けて、どうなったか教えて下さい」 

このまましばらく飛んでいると、ものすごく緑色をした島が見えてきた。ずっと飛んでたくて飛んでたものの、着地して、今度は根を下ろせた。

こんな感じで、予想外のことがよく飛び出すことがあったんだけど、潜在意識からのメッセージをキャッチするのはおもしろい。私は昔からをよく見るので、それを書き留めておいて、あとから考察したりもする。これも似たようなことかもしれない。

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判断してはいけない

また、「前世療法の対面セッション」で出てきた幽霊が気になったので、その意味をセラピストに聞いてみた。

セ「幽霊は、心理的には内側からくるもの外側からくるものの2つに分かれます。どっちだと思いますか?」
私「うーん…やっぱり内側なんですかね。」
セ「じゃあ内側だったら、どうだと思いますか?」
私「うーん…幽霊は、私とお父さんのことを『いい家族だなあ』と思ってついて来ていて、『そんな自分はみっともないなあ』って思ったんです。こんなところで『いいなあ』なんて思っていないで、早く自分の家族のところに帰ればいいのにって。私も、人のことを羨ましいって思うことよくあるから。でもそれはみっともないから、そういうことはするなっていう意味ですかね。」

と言ったら、ものすごい勢いで止められた

セ「自分を『判断』しちゃだめです。『みっともない』って思っちゃだめですよ。」
私「え?じゃあ、どうしたらいいんですか?」
セ「『観察』してください。」

これが、まったくわからなかった。「観察」とは、いったいどういうことだろう。

セ「たとえば、常に隣にがくっついていて、その人が、あなたのやること全てをいちいち隣で判断して、『ああだこうだ』と言ってきたら嫌でしょう?」
私「ええ、まあ…」
セ「それと同じです。嫌でしょう?」
私「…どうなんでしょうか。それって、変なんでしょうか」

確かにからいちいち判断されれば嫌だろうけれど、でもそれが自分自身だった場合、それほど嫌だろうか。

でも、ここが私の問題の原点なのかもしれないと思った。日本語レッスンの後に、「つまんないと思われなかっただろうか」「ああも言えたな、こうも言えたな」「こうしてあげたらよかったのに」と、自分に対してものすごい「ダメ出し」をするけれど、同様のことを人と話した後にもやる。

でも考えてみたら、これは相手のことを考えてのダメ出しではなく、自分がよく思われたいためのダメ出しではないだろうか。もちろん、反省点があるときもある。でも別に、「あんた最低!」などと人から言われたわけでもない。自分の中で勝手に、あーでもないこーでもないとぐるぐる考えてしまうのだ。

私「じゃあ、どうしたらいいんでしょうか…」
セ「判断する前に、ストップすることです。でなくとも、『みっともない』と思っても、『あー判断しちゃだめだ』って、そこでストップすることです」

最初はできなくても、「判断したらだめなんだ」ということを知っていたら、次に判断し始めたときには止められる。すぐ止められるようにはならなくても、判断し始めて半ばくらいで「あ」となる。それを繰り返すうちに、だんだんと判断し始めてすぐ「またやってる」と気づけるようになり、そのうち判断する前に「判断とかしないよーん」となれる。

だから、気づきは大きな一歩だ。

自分で自分を判断してはいけない」。これは、私にとって衝撃の考えかただった。日本人なら誰しも、「人からどう見られているか」を考えて行動するように教育を受けていると思う。それは、正しい。でもきっと、私のような育ちかたをした自己肯定の低い人間にやらせると、果てしなく自分を責めていくスパイラルに陥ってしまうのだろう。

今ならそう理解できるけれど、このとき理解できたことは、「自分がダメ出ししなくても、人からダメ出しされることだってある。だったら、自分くらい自分を判断しないでやってもいいということではないか。」だった。でも、それでも一歩だった。

セラピストには、この前世療法で見えたことも、分析したりしないで観察するようにと言われた。見たことをノートにでも書いて、後で「あーそういえばこんなことがあったなー」と思ったりしていればそれでいいらしかった。すぐ考えて分析したがる私には難しいことだったけれど、分析はせずに観察というのは、「どう思ったか」「どう感じたか」を重点的に記録しておくということだろうと、あとになってわかった。

前世療法で見たことの解説

「自己表現」が人生のテーマというところで、前回の前世療法(「前世療法の対面セッション」参照)の間にセラピストが感じたことがピッタリきたというので、教えてもらった。メモには、こう書いてあったそうだ。

  Can I be myserlf?(私自身になってもいいだろうか?)
  Is it ok to be myself?(私自身でいてもいいだろうか?)

これを聞いたときに、固まった。

このとき思ったことは、たぶん私は「自分自身でいることに対して自信がない」のだ、ということだった。自分に自信がなくて、いつも「人がどう思うか」「人からどう見えるか」を考えてばかりいたのはこのときもうわかっていて、それがすごく嫌だと思っていた。

だからこれを聞いて、きっと自分自身を出すことへの抵抗疑問があるのだろうと思った。衝撃だった。

思い当たることは、数え切れないほどあった。私の親は、私が「こういう人間だ」と勝手に思い込んでいて、そういう人間だからと、私を見下していた。子供の私は、「自分は違う」と思うんだけど、「でも大人の言うことだし、自分の親が言うことだから、もしかしたら私はそういう人間なのかもしれない」と、スーパー謙虚にいつも疑問を持ちながら生きてきた。

でも、今こうして大人になって、大人の教養と常識で当時のことを思い返してみても、やっぱり私は私が思った通りの人間で、それが正しかった。

まとめると、次のようになる。

  「自分自身」でいることを阻害されて育つ
     ↓
  「自分」がなくなり、わからなくなっていた(「自分がわからない」参照)
     ↓
  挙動不審になり、コミュニケーションがうまくできなくなっていた

自分があり、コミュニケーションがうまいと思っていたけど、それは違った。本当は、自分がなくて、自分自身でいることができない人間だった。

でもこのとき思っていた理由は、「人がどう思うかを気にしすぎて自分がなくなっている」だった。

セラピストには、

  「人に気を使わせている」と思っているということは、
  「必要以上に人に気を使っている」というのと同じことです。

と言われた。

細かいところでわけのわからない変な気を使い、それが余計に人に気を使わせて、もうデフレスパイラルみたいになって、抜け出せなくなることがよくあった。これが「親から自分自身を否定されて育ったからだ」というところに気づくのは、もっとずっと後になってからになる。

それでも、なにがなんだからわからなかったところから、自分の問題は「人がどう思うかを気にしすぎていて自分がなくなっていること」で、それを治していくには「自己表現を頑張らなきゃならない」というところまでわかったのは、大きな進歩だった。

あと、あとから見てみると、この時点で前世療法というヒプノセラピーをやってみたことで、潜在意識がどういうものかを体験し、そこからのメッセージを捉える方法を学習できたのは、大きな意味があった。これはのちのちに、人間の心理というものがどういうもので、人間は総合してどうやってできているのかというのを理解するのに役立つことになる。