自分たちで解決できるようになってきた

このころカウンセリングの中でも笑いが出るようになってきていた。カウンセリングの場だけではなく、自分たちの間でも話をして解決できることも多くなってきていた。進歩を実感するようになってきていた。

レンタカーでキャンプに行った帰り道。暗い中を高速で走っていて、だんだんと怖くなってきた。目もおかしいし、集中していられない。運転手が「怖い」などと言い出したらパニックになるかもしれないと思って最初は頑張っていたのだけれど、突如として恐怖感が増大し、ついに助けを求めるように「目がおかしい」「怖い」と口にした。

ところが、助手席の夫は「うん」。お前!!!

運転手が「怖い」と言っているのに、「うん」のひと言で放置できる夫が信じられなかった。

パニックになりながらギリギリの状態で運転し、言葉をつまらせながら文句を言うと、夫はだんだんと頭が回ってきたように「大丈夫?」「もうすぐサービスエリアがあるよ」と気をつかってきた。そのサービスエリアまで踏ん張り、やっとの思いで車を止めたところで、一気に力が抜けてハンドルに突っ伏した。落ち着いてから、なぜ「うん」で済ませたのか聞き出した。

話をまとめてみると、夫は、私が日本語でい言った「Kowai(怖い)」を「It’s scary(暗い中の運転は怖い=辺りの様子が怖い)」だと思ったらしい。だから「うん(そうだね)」と返したとのこと。

ところが私の言った「怖い」は、英語にすると「I’m scared(怖いわ=恐怖を感じている)」だ。

人といるとなぜ疲れてしまうのか」のところでも書いたように、日本語には主語を省略する習慣があり、なんのことを言っているのか明確でないことがある。この場合でも、主語が「It’s」か「I’m」かによって、「怖い」の訳が「Scary」か「Scared」かが決まってくる。

It’s scary.(それ怖いな)
I’m scared.(なんだか怖いわ)

このときは主語がなかったから、夫は前者のほうだと思ったらしい。というよりも、このとき初めて知ったことだけれど、夫は「Kowai」を「It’s scary」の用法でしか知らなかったようだ。日本人がよく言う「こわーい!」のほう、つまり「ものの様子が怖い、あり得ない」という意味でしか知らなかったのだ。

夫は、もし私が「I’m scared」と言ったらちゃんと心配をしたと言った。それはどうかわからないと思ったけれど、ここに行き違いがあったことは確実だった。

きちんと話をしなかったら、「夫は私の気持ちを無視する」と思い込んだままで、単なる言葉の行き違いだったということに気づかなかっただろう。カウンセリングの中でいくつも「思い込み」を発見し、それによって自分たちの中に「思い込みがある可能性」を学習していた。そのおかげで、怒りで相手を責めまくるのではなく、怒りを感じながらも念のため「相手がなぜそういう言動に出るのか確かめてみる」ようになってきたのだ。

また、二人で映画を見に行ったときのこと。木曜日だったし、夫が仕事で疲れていることはわかっていたので、ゆっくりはせずん、映画のあとにとりあえず一杯だけ飲むことにした。

一杯飲んだところで、「疲れたし、明日も仕事だから帰ろう」と言われた。これが頭にきた

なぜ頭にきたかはあとで書くけれど、それまでだったらムカついて口をきかなくなっていた。そして夫はそんな私に対して「なんでだよ」となっていただろう。すぐ喧嘩に発展していただろう。

でもこのときは「その言いかたが嫌だ」と伝えた。これも当時の私にとってはものすごい進歩だった。これが伝えられれば、解決策を探る話につながっていくからだ。

最初にも書いたけれど、私も夫の「帰りたい」という気持ちはわかっていたのだ。映画が終わり、帰る前に少しゆっくりしようとなっただけで、長居するつもりなどなかった。なのに、私が長居したがっているように思われていたことが、ムカついたのだ。「お前はわかってないけれど、俺は仕事をしてきて疲れてるんだよ」というように言われたことが、頭にきたのだ。

そう説明したら、ならばなんと言えばいいのだという話になった。

「I’m tired(疲れたよ)」「I have work tomorrow(明日も仕事だ)」などと夫に言われたら、私が仕事のある夫を気づかっていないように聞こえるし、夫が自分のことばかり考えているようにも聞こえる。嫌だ。

それならば、「Shall we go home soon?(そろそろ帰ろうか?)」など、主語を「We(私たち)」にして話したらどうかと。「I’m tired」や「I have work tomorrow」では、確かに主語がすべて「I(俺)」になっている。私が「自分のことばかりだ」と感じてしまってもしかたがない。「We」にすることで、それがなくなる。

今の私たちだったら普通にこれができているけれど、このときは本当に素晴らしい進歩だった。無意味な喧嘩に発展せず、自分たちで話し合って解決したのだ。

この話をカウンセリングで報告すると、さらなる解決方法を教えてもらえた。

1)私は、夫が疲れていて、今日はそんなに長居できないことを理解している。でもそれをまったく理解していないように夫から言われて、頭にくる。私はきちんとわかっているし、夫に対する思いやりもある。それなのに「お前はわかっていないだろう」と根拠のない批判をされるからだ。これは親からされてきたことと同じであり、そのトラウマがトリガーになって、特に頭にこなくてもいいところでムカついているという現象がある。

2)また、今日はそんなに長居できないことがわかっていても、夫から切り上げの言葉を言われると、頭にくる。自分の気持ちを無視して相手の都合と気分に合わせなければならない、相手が自分をコントロールしているように感じる、そういう場面が耐えられない。これも親からされてきたことと同じで、このトラウマがトリガーとなり、似たような場面に陥ると必要もないのに怒りがわく。

では、どうしたらいいか。

2)の解決策として、自分から状況をコントロールしにいくという手法がある。長居できないことが最初からわかっているならば、「今日はそんなに長居できないよね、じゃあ1時間くらいどこかで飲んでいこうか」と、最初から口にしてしまえばいい。そうすれば「もう時間だよ」と相手から言われたとしても、「自分から1時間と言った」という事実があるから、相手からコントロールされているとは感じにくい、と。

これを聞いたとき、カウンセラーというのは本当にすごいと思った。もちろん専門家なのだということはわかっているけれど、こんなこと自分では思いつきもしなかった。

1)の場合、先の長い話だけれど、解毒に取り組みこのトラウマがだんだんと解決されてくれば、同じような場面に出くわしても頭にこなくなる。それまでは今回二人で話し合ったように、夫が言いかたを工夫してもいい。夫はもちろん工夫しなくてはならないところもたくさんあるので、その一環としてやってもらうことにした。

夫の場合、そろそろ帰りたいと思っていてもなかなか言い出せないというところがある。そしてそのまま過ごし、もうだめだという最後の最後になってやっと言い出すから、このときのように不適切な言いかたをしてしまう。

これは「大騒動から見えてきたこと」で書いた通り、気持ちや問題を無視した見かけだけのハッピーファミリーで育ったことが原因だ。みんなが自分の気持ちやネガティブなことを出さず、その場をハッピーに取り繕うことをよしとしてきた結果、今でも自分の気持ちを出すことがなかなかできない。そうすることがはばかられているように感じていている。そしてようやく自分の気持ちを出したときには、こんな言いかたになってしまう。

まずは自分が気持ちを出さないでいる傾向にあるということを認識し、そのおかげでどんな弊害があるか、どういうメカニズムで問題が起こるか認識する。そしてそれを変えられるところから変えていく。並行して、トラウマの解消も行う。

あともう一つ、夫には人の話を奪ってしまう問題もあった。

たとえば、覚えているところではこんなことがあった。

私「この世界って、本当は三次元じゃなくて四次元だったって知ってる?」
夫「四次元ってなんだか知ってる?」」

私が話し始めたのに、夫は私がなにを言いたいのかよりも、「四次元」という単語から自分の言いたいことが出てきてしまって、勝手に自分の話を始めてしまう。まるで子供だ。

それまでの私はこういうとき、夫が話したいことを話させてやって、フラストレーションをコツコツとためこんでいた。でもそれにはまったく気づいていなかった。なんとなく不公平感を感じていたけれど、それがどこから来ているのかわかっていなかったのだ。今考えてみると、本当に衝撃だ。

でもこのころ、自分がフラストレーションを感じていることに気づき、それがどこから来ているのかわかるようになっていた。夫が話を奪うと「私が話し始めたのに!」と文句を言えるようになった。これも最初のころは、奪われてしばらくふんふんと話を聞いてしまってからだったけれど、だんだんすぐ気づくようになっていった。奪われてすぐに認識し、「今は私の話!」と言いたいことを話し続けられるようにまでなった。

夫のこの問題にもいろいろな原因があることがのちのちわかってくるのだけれど、とりあえずはこのころフラストレーションをためずにその場でストップをかけられるようになってきた。これもまた大きな進歩だった。

まだまだいろいろあったけれど、少なくともこのようにその場で自分たちで話し合って解決策を考えるようになったことは、ものすごく大きな変化だった。解決できずにカウンセリングにもっていくこともまだあったけれど、それでも双方が「話して解決しよう」と思うこと、これがすごく大事だった。カウンセリングで話して解決してきた経験をつめたことで、「また話してみればなにかわかるかもしれない」という考えが自然と出るようになったのだ。

少しが見えてきた。やっとだった。

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