父親の問題に気づいた

私がまだ日本にいたころのこと。

運転しているときだったから、まだ実家に住んでいたころのことだったのかもしれない。なぜそのときに思い出したのかはまったく不明だけれど、突如として子供のころの記憶が蘇って、ものすごい衝撃を受けたことがあった。

覚えている妹の姿が二〜三歳だから、私が四〜五歳のころだろうか。なぜか母親がいなくて、父親が私たち姉妹と一緒にいたことがあった。父親と三人で車で出かけて、なぜか父親の同僚のおばさんの家に遊びに行った。

父親は社員三〜四人の小さい会社で働いていて、その同僚は経理のおばさんだった。家は新興住宅地のようなところにあり、引っ越したばかりなんだよと父親が言っていた。静かな晴れた日で、家にはそのおばさんしかいなかった。

玄関に着くと、父親がさっさと上がり込み、テンションが上った感じで「なにしてるんだ、早く上がれ」と私たちに言った。人の家なのに、まるで自分の家のようにふるまう父親に違和感を覚えた。「お茶でもいれるわね」と台所に立ったおばさんのあとについて、「俺がいれるよ」と立ち上がり、棚からお茶を出して二人で楽しそうにお茶をいれはじめたのがまた異様だった。

人の家なのに、どこにお茶があるか知っている父親。普段お茶なんて絶対いれたりしないのに、楽しそうに自分から立ち上がる父親。それまでまるで見たことのない父親が、そこいはいた。

当時の私にはなにが起こっているのかまったくわからなかったけれど、おばさんの家に入るところから「なにかがものすごく変だ」ということは感じていた。自分の父親が、私の全然知らない家で、さも自分の家のように振る舞っている。なぜだかわからないけれど、おばさんが「お母さん」のように感じる。お母さんじゃないのに。どうしてだろう。

今ならわかる。「父親が仲良くしている女性=自分の母親の立場の人」と感じていたのだ。

でも明らかにこのおばさんは「お母さん」ではない。なのになぜ自分がそんなことを感じるのか。なにがなんだかわからなかった。そして、怖くなった。着いたばかりなのだけれど早く帰りたくなった。一刻もそこを出たかったのだ。

父親は、私がぐずっているのだとでも思ったのだろう。おばさんに「悪いね」と言って、そこを出た。

家に着くなり、私は母親に駆け寄った。父親が車を回して駐車している間に、母親に会ってこれを言わなければと思っていた。早く、お父さんが来る前に。

母親の膝にすがりつき、「おばさんがお母さんみたい」と訴えた。母親は「なに言ってんの、私がお母さんでしょ」と言って聞いてくれなかった。違う、そうではない。

「『お母さん』というポジションにあのおばさんがいる」ということで、
「目の前のお母さんあなた自身があのおばさんに変身した」ということではないのだ。

そう言いたかったのだけれど、なにしろ子供だったのでそれは説明することができなかった。ただただ「おばさんがお母さんみたいになっちゃった」と繰り返した。でも父親がすぐやってきて、私が言っていることを「なに言っているんだ」と否定し続けた。The Endだった。

これを運転中に突然思い出した私は、雷に撃たれたような衝撃を受けて思わず叫んだ。

あのときはなにが起こっているのかまったくわからなかった。でもその子供の記憶を大人の自分の頭で再生すれば、すべてはっきりと理解できる。父親は浮気していたのだ。本当に、浮気していたのだ!!

天地がひっくり返るほどの衝撃だった。子供のころに見た映画の意味がわからなくて、同じ映画を大人になってから見たときに「そういうことだったのか」と思うような。でもそれが映画ではなく、自分の記憶。ずっとこの頭の中にあったであろう、この記憶。でもずっと忘れていた、この記憶。突然電気が走って、子供のころの頭に時空を超えてアクセスしたようだった。

その後ずっと忘れていたのだけれど、カウンセリングに通い始めてからまた思い出した。カウンセラーは、「子供の感覚というのはすごい」とうなっていた。「なぜだかよくわからない、でもおばさんがお母さんのように感じる」。これはものすごい真理だと。

そのときの気持ちを聞かれたので、よく思い出してみた。なぜだかよくわからないけれど、なんだかよくないことが起こっているような気がして怖くて、周りに黒い雲が降りてきたような感じがしたと話した。なにが起こっているのかはわからなくても、子供は「父親の存在が自分の家からいなくなる」ことを感知して、自分の世界が崩壊するのを感じるのだと言われた。

子供は賢いのだ。それを自分の身をもって体感した。

そして当時母親は私の前では否定していたけれど、実際は子供の私が言ったことが十分に伝わっていた

カウンセリングでこの話をしていて、あることに思い当たった。たぶんこの事件のあとだ。母親は昼間に突然父親の職場に行くという奇妙な行動に出たことがあった。思い出せる限り、最低でも二度。一度目は妹も連れて、二度目は私と二人で。

買い物に出かけたところで、「近くまで来たからお父さんの会社に行ってみようか」と母親が言った。そんなことを母親が言うのは初めてだったし、母親の様子が完全におかしかったので、なんだか嫌な感じがしていた。よくない理由からきていることが、子供の私にはわかっていたのだ。

職場に行くと、父親はなぜか恐ろしいほどの満面の笑みで「おお!!」と出迎えてくれた。見たことのない笑顔だった。ものすごく強張っていて、貼りつけたような異常な顔だった。でも母親が「いきなり行ったらお父さん喜ぶよ」と言っていたので、きっと突然娘に会えて嬉しいのだろうと思うようにしていた。でもなぜかはわからないけれど、はっきりと「そうではない」という感覚があった。

そして同僚のおばさんも、まったく同じ笑顔だった。満面の、貼りつけたような笑顔。二人とも怖かった。きっとこれで、母親が浮気を疑っていることがわかったのだろう。ごまかそうと必死だったに違いない。

二度目に母親が行こうと言ったときは、私は行きたくなかった。なぜかわからないけれど、そんなことはしたくなかった。でも母親が何度も「お父さん喜ぶよ」と言うので、しかたがないから同意した。でも父親が喜んだりしないことは感覚としてわかっていた。

着いたらなんと父親がおらず、同僚のおばさんもいなかった。どうでもよかったのだけれど、母親がなぜかものすごく焦っていた。他の同僚に「さっきそこで仕事していたからすぐ出てくるよ」と言われたのだけれど、母親は「早くお父さんに会いたいよね」と私に捜索させた。異様だった。

けっきょく父親は隅のほうで仕事をしていたのですぐ見つかったけれど、今度は心外そうな顔をしていた。母親の焦りと、奇妙な行動。それがおばさんに関することだということもわかっていた。「父親とおばさんが一緒に見つかったらいけない」ということまで、当時の私はわかっていたのだ。子供の感性には驚嘆するばかりだ。

でも私はそんな記憶はすっかり忘れていて、父親がこのおばさんの話をするたびに、母親が「不倫しているのかしら」と言うので、なんでそんなことを言うのか不思議でしかたがなかった。父親のように、自分勝手で自分が大好きな一人が大好きな男、女性に興味があるとは到底思えなかった。「あんな自分の趣味しか興味のない男がそんなことをするわけがない」と笑い飛ばしていた。あほだった。

母親は、あれからずっと浮気を疑っていたのだ。父親に対して、疑心暗鬼の塊だったのだ。

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2件のコメント

  1. 父親というキーワード、タイムリーでした。30年ぶりに生き別れの父と電話したところです。父ががんで余命わずかとなり、母がようやく私と父がつながることを許してくれたからです。(私は母とは対決後、疎遠となっていますが数日前に父の連絡先を記したメールが来ました。)

    母からは父の暴力から逃げるため子供を連れて逃げたのだと聞いて育ちましたが、出産後、自分の中で母に対する違和感が大きくなり、毒になる親を読み、母の話の中にある矛盾点に気がつきました。母は別居後すぐに別の男性(既婚者)と付き合い始めその男性が毎晩泊まりにくるようになりました。母が他の男性に心を許したのが先だったのではないか、なぜなら、私が自分の子供を保育園に入れ仕事を続けようとしていた時ふと過去の記憶がよみがえったのです。保育園をある日突然クビになった日のこと。母が迎えに来て午前中に帰された時、母が「あー、ばれちゃった」と言ったのを聞いたのです。その意味が分からず記憶の中に残っていたのでしょうが、ずっかり忘れていました。あれは、仕事を始めると保育園に私を預けたものの、しばらくして仕事を辞めたことが源泉徴収の関係で数ヶ月遅れで保育園にばれたのではないかと。では仕事に行かず何をしていたのか?別居後付き合っていた男性は、その会社の社長でした。すると、別居前からその社長と?母への不信感が募りました。しかし母はそんなことはない、先に別れたのだと言っていました。

    父にそのことを訪ねたところ、母の浮気はなかったと思うとのこと。ではなぜ私は保育園をクビになったのだろうか?父は、別居前、母はぼーっとして精神的におかしい状態だったので、あの状態での浮気というのは無かっただろうとのことでした。母が一人で、急に失踪したこともありました。

    母が父との結婚生活に疲れ(父は暴言などヒステリックなところはありました)、精神的に病み始め私を保育園に預けたまま仕事も辞めてボーッと過ごしていたのかも知れません。その後はいつも男性関係のトラブルは絶えず、私に楽しい子供時代はありませんでした。あのひどい父親に似ていると、母には常に言われて暮らし、つらかったです。

    今、父と直接話して、過去の話は母からの話とはかなり違います。母の精神的な弱さ、これから始まったのでしょう。父との結婚生活に必要な我慢や忍耐は、母には無理だったのでしょう。その後父は再婚し今も新しい家族と暮らしています。
    もう残りの時間はあまりありませんが、父が私を忘れないでいてくれたこと、父は母が言うようなひどい人間ではなかったこと、ようやく分かって良かったです。

    私も、日本では生きていくために、学生時代は勉強を、社会人になってからは仕事を常に極限まで頑張ってしまい、出産後ついに体を壊してしまいました。仕事を辞め、子供が小学生になるタイミングでニュージーランドに渡り、今はママ業だけをしています。なぜあんなに生き急いでいたのか、きっと毒親育ちの宿命なのでしょうね。

    これから、子供がもう少し手が離れたら、今度は仕事や趣味をバランスよく、今を楽しんで生きて行きたいです。kelokoさんもお仕事やめられたとのこと、しばらくのんびりして好きなことを少しずつ始められると良いですね。お互い残りの人生を楽しんで暮らせますように。

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    1. > のびままさん

      30年ぶりとは、本当にタイムリーでしたね。子供の記憶と感性、やはりすごいと思います。お父様と連絡が取れてよかったですね。うちも母親の中にはもともと弱い部分があったとは思いますが、父親と一緒になったことでそれが発芽し悪化したものと思います。ちょうど私と夫のように。私もやっと、やりたくもない仕事を毎日8時間して生きる人生に戻りたい気持ちがゼロになりました。なにか目標があってお金を貯めるのでもなければ、興味のない仕事はしないと決めて生きられています。きっとこれから世の中全体がどんどんそうなっていくような気がしています。人生楽しみましょうね!

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