父親について

このころ、カウンセリングで父親のことを掘り下げるようになった。

夫と父親」で書いたように、カウンセラーに出会ったときまず最初に父親のことをたくさん聞かれた。当時の私は母親に対する怒りで一杯だったので、「母親のことを話したいのに!」と面倒に思っていた。問題の要点を理解してくれていないのではと感じ、不審に思っていたこともあったくらいだ。

でももちろんきちんと意図があったのだ。夫と父親には共通点があった。

しかしそれ以上に、ここで父親のことを掘り下げることによって、それまでの考えかたが一気に覆されるような新しい発見に衝撃を受けることになった。

このころもまだ親に「手紙を書く宿題」ができず、「アダルト・チルドレン癒やしのワークブック」に出てきた「新しい過去を作る」ワークがやっとできたところだった。ただその中に「してほしかったことを挙げてみる」というワークがあり、その例文を読んで愕然としていた。

「殴ったり蹴ったりしたことを謝ってほしい」
「喧嘩ばかりしていないで両親仲良くしてほしかった」
「話を聞いてほしかった」

というのはまだわかる。でも他に、

「私は私のままでいいんだと言ってほしかった」
「抱っこしてほしかった」
「女の子でよかったと言って頭をなでてもらいたい」

などがあって、背筋が凍った。自分の親で想像してみることなど、とてもではないが気持ちが悪くてできなかった。

カウンセラーには、「自分の親に愛情を示されることがなぜ気持ち悪いのか」と聞かれた。本当だ。なぜだろう。もちろん今されたら気持ちが悪いのは当然だけれど、でも子供のときでも気持ちが悪かったのはなぜなのか。

たぶん小学校に上がるか上がらないかの子供のころまで、父親がときどき「かわいい」などと言って抱き寄せてきたことがある。今では当然思い出したくもない記憶だけれど、当時もそれが本当に気持ち悪かった。カウンセラーに理由を聞かれて考えてみたのだけれど、確かにその行為と父親の見た目そのものが気持ち悪かったこともあるのだけれど、子供ながらに「自分が好きなときばかり」という気持ちがあったのを思い出した。

父親は平日は仕事で帰りも遅く、週末は趣味で早朝から一人でいなくなる。一緒に過ごした記憶はない。日本の典型的なサラリーマンだろう。考えてみたら、毎年の祖母がスポンサーで行く温泉旅行以外、家族でどこかへ行った記憶もほとんどないし、出かけたときはたいてい地域の行事だったり、友人の親に誘われたものだけ。

他の家庭より裕福でなかったから余裕がなかったというのもあるとは思うけれど、とにかく「父親が子供のためになにかをする」ということはまったく記憶になかった。

というのも、子供の私が父親のために気を使ってやることばかりだったのだ。趣味の一つである釣りに付き合わされたときも、釣れたのを嬉しそうに見せて「ほら、楽しいでしょ?」と言う。早く帰りたかったけれどはしゃいで合わせてやっていた。父兄参観の工作でも、こういう場が嫌いな父親に気を使って「すごーい!」と持ち上げ、どうにか得意気になってやってくれてほっとしていた。趣味のカメラで家族を撮影するときに、自然な感じで撮れるようにこっそりシャッターを切るのだけれど、それも全部わかっていたけれど「気づかなかったよー!」と合わせてやっていた。本人は心から得意気だった。

今思えば、なぜあんなことをしていたのだろう。それよりも、幼稚園や小学生の子供が気を使っていることに実父がまったく気づかないという幼稚性が信じられない。

相手のことにはなんにも興味がなく、自分の興味や趣味に付き合わせて、自分だけ楽しい思いをする。そしてそんな自分勝手なことばかりしていて、まったく自覚がない。それだけでも子供っぽいとは思うけれど、それを自分の子供に対してやるというのが考えられない。こうして当時の父親と同じ年代になった今、よくそんなことができていたものだと驚く。

これはあの世代の特徴でもあるのかもしれない。年が下のほうが気を使って敬い、武勇伝を聞いてやったり、上司として持ち上げてやらなければならない。チグハグな社会であり、人に気を使わせていることに気づくこともできない、幼い世代。

私が中学生になるかならないかというころ、父親が突然オープンハートの金のネックレスをくれたことがあった。別に誕生日でもなければなんの記念日でもなく、本当になんにもないときに突然、自分が「買ってあげたいと思ったから」と私によこしてきた。私は金も好きではないし、アクセサリーもつけない。こんなネックレスをよこすなら他にほしいものをほしいときに買ってくれればいいのに、私の気持ちは存在すらしていなかった。

そのくせに、子供からのプレゼントは、自分がほしいものをほしいときにもらえなければ無関心だった。もちろん子供に大人の男が喜ぶようなプレゼントなどできっこない。カメラも買ってあげられなければ、釣り道具だって無理だ。当たり前のことだ。普通は子供の気持ちを受け取るものだろうけど、そんなことはできない人間だった。

そこで思った。母親も同じだったのだけれど、もしかしてこの父親と一緒にいたからこうなったのではないだろうかと。というのも、こんな母親ではあったけれど、子供のころは私のことをきちんと考えていてくれたことを思い出したのだ。

絵画療法」のところでも書いたけれど、私は幼稚園のころ異様に紫色が好きだった。当時踊るほうのバレーを習い始めたときに、どうしても紫色のレオタードがよかった。でもみんな揃いも揃ってピンクのレオタードとシューズに白いタイツ。申込用紙には、紫色なんてあろうわけもなかった。

すると母親が、遠くの大きなバレー用品のお店に連れて行ってくれたのだ。そこでも壁一面にピンクしかなく、唯一出てきたのが赤のレオタードだった。しかもスカートなしだったけれど、紫の次に好きだった色が赤だったので、これで我慢することにした。そのとき母親は、「赤しかなくてごめんね」と言っていた。「申込書にピンクしかない」とあきらめるのではなく、わざわざお店に連れて行って探して、それでもないから「ごめんね」と。当時はまだこれだけ私のことを考えていてくれたこともあったのだ。

では、なぜそれがどんどん変わっていって、自分のことだけ考えるようになってしまったのか。私には思い当たるできごとがあった。

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